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 輝いた瞳、三ヶ月を描く口――奥崎の渾身のチェシャ猫の笑み。呼応する、6つの目。四恩の全身をくまなく観察する。その観察を彼女は観察した。顔を向けて、観察し返してやった。高度身体拡張者の睥睨――だが、死を待ち望む者たちに恐怖の感情などなく――むしろ彼らは歯を剥き出しにすることで、彼女の視線に応じた。

「状況は変わった。僕たちの世界が幕を開けた。かつて、政治システムを構成する1つの要素に過ぎなかった戦争は、この今、この現在に至って、ついに機能的自律性を獲得した。外交の延長としての戦争概念の弔鐘が鳴る。戦争指導者たちが戦争に指導される。社会が、『テロリスト』を発見したことによって」

 感極まった様子の奥崎が、その足元に転がる、自分の前の講演者の頭を蹴る。それはボールのようにして、四恩の顔のすぐ横を飛んでいった。

「ディック・チェイニーのアメリカ万歳! ゴッド・ブレス・ディック・チェイニーズ・アメリカ!」

 男たちが戯けながら、しかし全くの同時に叫んだ。

「対テロ戦争は、決定的に戦争の在り方を変えてしまった。このテロリストという敵は、宣戦布告によって規定されるのでもないし、領土や国益の侵犯といった行為において規定されるのでもない。そうではない。誰がテロリストかという決定は、もはや政治システムに依存していない。テロリストだから敵であり、敵だからテロリストなんだ。僕たちの戦う相手がテロリストであり、テロリストだから僕たちはその人たちを戦う相手として指し示すことができる。対テロ戦争の開始は『敵』を政治システムのコミュニケーションから解放した。今や敵は、戦争そのものが決定する! 友/敵のバイナリーコードを備えた、戦争システムが!」

 こんな風に、アジテーターめいた話し方をする人だっただろうか、ということを四恩は思った。口角泡が飛んでくるために、四恩は一歩後ずさった。その後退が面白かったのか、観客席に立つ男たちが小さく笑った。

 ひひっ……。

「システム境界の形成だ。四宮さん、システム境界の形成だよ。経済が経済的であること以外の審級を拒否することは経済のシステム境界の形成だ。政治が、人々の集合的決定の正統性を、宗教でも、経済でも、科学でもなく、集合的決定それ自体に求めることは、政治のシステム境界の形成だ。科学が、科学の根拠を、政治でも経済でも宗教でもなく科学自身に求めることは科学のシステム境界の形成だ。戦争が――戦争の発動の根拠を敵対関係すなわち戦争自身に求めることは、戦争のシステム境界の形成だ」

 鼻を啜り上げる音を、四恩は聞いた。見ると、奥崎の目は赤く腫れ上がっており、その鼻から下は鼻水と涙の混合液で光を乱反射していた。そして、その乱反射の向こうで、彼は満面の笑みを浮かべていた。四恩は「不穏時」と書かれた巾着袋のことを思い出した。

「今日、戦争の否定は戦争システムの否定であり、ひいては近代社会の、機能的システムが自律的に分化した社会システムの、ラディカルな否定としてしかありえなくなった。社会が別の経済システムを構想しえないように、戦争の否定も構想しえなくなった。僕たちの需要は、この社会の存続と同じレベルで保障される――」

 足音も準備動作もなく、奥崎は互いの吐き出した息を交換するほどの距離にまで、四恩へ近づいた。それから、片手を差し出したのだった。

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