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食中毒に苦しむ者が消化器系の生理学的必然に促されて懸命に異物を吐き出すようにして、四恩は言葉を吐き出した。その運動は、確かに彼女を疲労させた。彼女は奥崎の冷たい目と、その氷の牢獄たる網膜に囚われた自分自身を認め、そうしてようやく、肩で息をする自分を意識の対象とすることができた。
「四宮さん、何を恐れているの?」
それから、肌に貼り付いた衣服の冷たさを知った。
「君が、僕の殺した者たちの亡霊を背負わなければならない理由はない。僕たちには需要がある。幾らでも、ね。僕はその需要を喚起するために何百人と殺してしまったけども、君は無垢なまま、それを利用することができる。何を躊躇う必要があるというの。あの博士が怖いの? 君が今、組織に依存していることを恐れるように、僕に付いていくと、あの博士に依存することになるのが、怖いの?」
奥崎は席を立ち、階段を降りていく。四恩はその背中を見ている。
「『悲観など必要ない』。僕達には需要があるんだ。需要が――! 障害者であった頃には望むことすら不可能だった、膨大な需要が――! それは僕達の価値を無限に近くまで高める。なるほど、確かに今は、僕はあの博士に依存しているように見えるかも知れない。つい昨日まで反粛軍派なるグループに依存していたように。でも、それは誤解だ。需要があるんだ、需要が。需要、需要、需要、需要、需要――」
床に拡がった血液を利用して、奥崎はターン。四恩を真っ直ぐに見据える。四恩は頭を掴んだ不可視の力に思わず立ち上がる。
「需要って、なに――。なんの、需要?」
「戦争機械の需要さ。世界中が戦争機械を求めている。新しい形の戦争が始まったから――。人類が『戦争』そのものを初めて思考の対象にしたのは何時のことだと思う?」
「わたしと、一緒に来て――」
四恩の声はもう舞台の上に立っている奥崎には届かず。
「19世紀、ナポレオン戦争が開始されてからだよ。例えばナポレオン戦争で敗軍の将となったクラウゼヴィッツはフランス『国民』軍に衝撃を受けて、『戦争論』を書くことになる」
彼女は階段を降りていくが、その靴底が床を踏む衝撃の繰り返しのために、あることに気づく――距離の問題では、ない。
「それまで戦争は、戦争ではなかった。僕たちの考えるような『戦争』では。その『戦争』は封建領主間や王族間で行われるゲーム、宮廷間外交の延長であり、その駒に過ぎない兵士たちは『現実の敵』を持たなかった。フランス『国民』軍は『現実の敵』を持った初めての軍隊だった。その兵士たちは駒であり、駒ではなかった。王の首を跳ねた結果、フランス国民全員に王の主権が移転したのだから。とはいえ、2度の世界大戦でも、クラウゼヴィッツのテーゼはまだなんとか生きてはいた。『戦争とは相手にわが意志を強要するために行う力の行使である』――。例えば『無条件降伏』の要求は、絶滅や殲滅の宣言ではない。それは降伏する主体の存在を前提している。だが、クラウゼヴィッツが警告したように、戦争には戦争それ自身を目的化する力、機能的自律性を獲得する力が秘められていた」
左右の爪先で床を突く。靴と足の関係を再確認するために。左右の手で拳を作り、開く。小さく手首を動かす。手袋と手の関係を再確認するために。
「それで――それは、戦争機械の――」
「需要」
「需要――との、関係は」
四恩はもう、舞台へ上がるために、木製の階段を踏んでいる。
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