2-2-3-1 少年非行
薄暗い部屋。窓なし、壁紙なし、間接照明――なし。粘性のある黒い何かが全面にこびり着いた換気扇がBGMを奏でる。
ふぉんふぉんふぉんふぉんふぉんふぉんふぉんふぉん――。
そこで膝を突き合わせるようにして丸テーブルを囲む少女たち。
「貴女、煙草やめたんじゃなかったの」
鼻から煙を出し、片目を細くしつつ東子が言う。
「たった今、やめるのをやめました」
男物のスーツのジャケットを着た磐音が応える。その手に持った煙草のフィルターは噛み跡ですっかり潰れている。
「――」
四恩、自分の羽織っているジャケットの襟に触れる。捲る。下に〈137〉の制服が見える。それは真紅に染まっている。
〈四恩ちゃん、もっと部屋の中を見て。ぼく喫茶店て初めてなんだ〉
場違いに明るい声の三縁。四恩は煙草の煙に燻された天井を見た。四恩もまた、喫茶店に入るのは初めてのことだった。というよりも、商品の売買そのものが初めてだった。
あらためて、ここに来ることになった理由である磐音の横顔を見る。もうその体表面には、あの剛毛はない。磐音と目が合う。彼女は少し顔を赤らめて俯いた。まるで「普通」の少女たちのコミュニケーション。ついさっき、互いに互いの身体を破壊しようとしていた過去のあることを除けば――。
東子が襟を掴んで連れてきた2人の男は、それぞれ、磐音の「先輩」だった。彼等は麻薬取締官だった。彼女は、四恩と磐音が階段を転がっている間に、路地裏にいた男2人を鋼鉄の拳で殴打し、彼等の所属と磐音の所属とを聞き出していた。
人質とも解せる「先輩」方の姿と、東子の登場に、磐音はその場で大の字になって継戦の意志の無いことを宣言した。
ぼきょぼきょぼきょぼきょぼきょきょきょきょぼぼぼぼ――。
骨が砕けては再び構築される音を聞きつつ、剛毛が抜け落ちては体表面を流れていく磐音の姿を見下ろしながら、四恩は東子から戦利品たる男性用スーツのジャケットを受け取り、真紅に染色された制服の上に羽織った。東子は磐音の腹の上にも、さらに略奪品たるジャケットを放り投げた。
「憲兵のお仕事はどうしたのですか」
「『わたしがあなたがたにすすめるのは、勤労ではない。戦いだ。平和ではない。勝利だ。あなたがたの勤労は戦いであれ』」
その後、男2人は何処かに消えて、少女たちだけで喫茶店に入ることになった。コロニアル調に統一された店の内装は四恩を喜ばせたが、それも一瞬のことで、凍てつくような低い声で磐音が店員に「地下」とだけ言うと、店長を名乗る男が店の奥から飛び出し、彼女たちをこの喫煙ができる地下室へと案内したのだった。2020年の東京オリンピックに前後して、都内は民間の運営する建物の内部でさえ禁煙が実施されるようになっていた。行政がその処置を強力に実行、支援すると、非喫煙者からは大いに歓迎された。しかし、やがてその介入を端緒に、「エネルギー効率と生産性が低く」「景観と環境への配慮が足りず」、喫煙と同様に合理的ではないという理由で、小規模店舗は全て特殊課税と条例とで取り潰すことが可能になった。路頭に迷うことをよしとしなかった、一部の小資本家たちは連合して店を開いた。そのような店には大抵、非合法な「喫煙室」が設けられている――。
〈磐音さんと東子は旧知の間柄なんだ。ぼくと東子がそうであるようにね。特に彼女たちは仲が良かったはずだよ〉
四恩はフィルターを噛みながら灰皿を見つめる磐音と、鼻から煙を出しながら換気扇の回転を見つめる東子とを交互に見た。
〈仲、が――?〉
〈沈黙を共有できるのは仲が良い証拠だよ〉
〈――〉
〈ふたりとも第1次システム理論の成果物なのさ。君は第2次システム理論の成果物〉
〈三縁、は何の――成果物?〉
成果物という言い方に引っかかったので聞いてしまった。
〈ぼくは『ムーアの法則』の延命措置の廃棄物かな〉
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