2-2-2-1 石嶺磐音
新宿駅から遠く遠く離れながらも、ランドマークは新宿駅であるような場所で――。
雑居ビルの屋上に、コンテナハウスが隙間なく並んでいた。ビルの壁面、エアコンの室外機の脇を生活排水が絶え間なく流れている。何かが詰め込まれて膨らんだ巨大チェーン小売店のロゴ入りビニール袋が時折、落ちていく。
池袋では見ることのできなかった、「成功した」大家業の一つのサンプルを四恩は見ていた。
それから、ビルの壁面に縋り付くようにしてある非常階段を登っていく者の姿を、彼女は見た。
十代後半、あるいは二十代前半の女性――。胸と臀部の大きさと、腰の細さ。栗色の、軽くウェーブした長い髪。そして何よりパンツスーツに包まれた長身の、真っ直ぐに伸びた背筋。
四恩は溜息をつき、下を見ながら歩く癖をやめようと思った。あとカルシウムをもっと摂るように――でも牛乳は――。
〈ビルのカメラ、見れた?〉
何故か不機嫌そうな声の東子。
〈見るも何も、存在しないみたいだよ〉
〈節約家ね〉
〈節約家? 吝嗇ではなく? プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神の帰結が屋上に人間小屋を設置することなら、人類史に未来はないだろう〉
〈人類史に未来なんかあるわけないでしょ〉
その顔は必ずしも人類史を憂いていることで歪んでいるようにも見えない。苦虫を舌と上顎ですり潰したような表情。
「心当たりが――?」
「ええ……なんか嫌な予感、嫌な記憶……」
何故か神経質になり始めた東子に見張りを頼んで、四恩もまた非常階段を登り始めた。この階段を登るのは、これで二度目のこと。既に彼女と東子とは、屋上のコンテナハウスの一つに「穏やかな」訪問を行っていた。結果――もぬけの殻。
だが目的は達成された。こうして、彼女たちを見ていた者が姿を現したのだから。
エナメル靴で大きな音を鳴らしながら、四恩は非常階段を登っていく。どのみち「接敵」する――。投げやり、大胆、あるいは。
非常階段は屋上には続いていない。屋上の「人間小屋」の人々はいつも非常であり、火事にでもなれば飛び降りるだろうという家主の判断、資本主義の精神。
ドアを開ける。突入の訓練を受けていたことを、四恩はドアノブを回しながら思い出す。この今は、もはやトリビア。
その先は廊下であり、廊下の終わり、真正面にはモウモウファイナンスなる消費者金融のオフィスへ通じるドアがある。
けれども、ドアを開けた四恩を待っていたのはモウモウファイナンスのイメージキャラクター「畜牛くん」のシールが貼られたもう1枚のドアではなく、仁王立ちする少女だった。パンツスーツも、彼女の頬の丸みは隠せていなかった。間違いなく、「少女」。そして間違いなく、池袋の集合住宅の一室、自殺した男の部屋に「訪問」した四恩と東子とを見ていた者――。
〈
い、わ、ね――三縁は少女を呼んで、そう言ったのだった。
〈その女、誰――〉
〈なんか怖い聞き方だなぁ〉
「無線通信で誰かと会話中ですか? 山田花子さん?」
磐音が脚を交差させて、僅か腰を曲げながら四恩に尋ねた。四恩に――。
それで四恩は、この任務中、憲兵隊員の山田花子なる身分を付与されていたことを思い出し、加えて、大人っぽい磐音の悲哀を知ったのだった。彼女の情報権限はあまりにも、下位の者のそれだった。
〈お知り合い――?〉
〈そんなところ。東子のアンテナは凄いなぁ。でも君のスマートレティーナが何も表示しないし、それどころかさっきからゾーニングしようとしているから、君と彼女は会ってはいけない関係なんだろうね〉
「何か甘い物でもご一緒に食べませんか? 山田さん? もう1人の憲兵の方も是非、呼んでください。池袋の彼が自殺だったのか、あるいは貴女たちに殺されたのか、知りたくて。お茶しながら楽しくお話ししましょう」
「今、すぐ――?」
「今すぐ、です」断固たる口調、凍りついた微笑。
それは、無理――。
「それなら、ダンスは?」
四恩の知っているダンスといえば、死の舞踏より他にはなかった。それゆえ、少女たちは殺し合いを始めた。
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