2-1-4-2
三縁、悪戯を咎めるように言う。
〈東子、何してるの?〉
〈《私は、命令に従っただけです》〉
〈そう言った人は絞首刑になったよ〉
革手袋に包まれた小さな手が、銃を包み、その銃口をゆっくりと四恩に向ける。――?
〈遺体が存在しない、という事実が確認されたのならば、可能性のパンドラの箱が開かれる。その無数の可能性の内の一つには当然、《137》内部に、軍の備品を、備品をだ、私的に流用している個人またはグループの存在する可能性もまた存在する。違うか?〉
〈しかし――〉
〈しかし? 認められない、か? いや、認めたくないのか? だが、お前の試みはそういうことだ。お前は藪をつついた。そして蛇が出た。あるいは、可能性ということでいえば、こういう可能性もある。例えば、《137》全体が、この私も含めて――軍の備品の流用に関与している。例えば、軍全体ないし反粛軍グループが粛軍に備えて、軍の備品を流用している。例えば――〉
四恩の額の真ん中、銃口が押し付けられる。発砲による余熱で皮膚に僅か火傷が生じて――直ちに消えた。〈還相〉は24時間、あらゆる瞬間に機能している。
「頭が弾けたら、再生も何もないでしょう?」
東子、撃鉄を起こしながら言う。
〈君は本当に《還相》を過小評価しているね。頭が弾けたら、頭がなくても代謝を維持できるように肉体の再構築が始まるんだよ。間違いなく君の目の前で彼女は《バーストゾーン》に移行する〉
早口な説明だったが、三縁には焦りが感じられない。
「でも《還相抑制剤》を投与されている……」
四恩は東子を見た。その顔には薄ら笑いが貼り付いている。政治的に敗北した身体に宿る、怨念を見たような、気がした。
〈例えば――お前が盗んだ、か。私はこれが最も蓋然性の高い説明だと思っている。何よりも、政治的に正しい。東堂東子憲兵伍長には、お前の身柄の確保を依頼した。そしてお前には、命令を――〉
スマートレティーナが恐らくは東子が見ているものと同じ情報を開示する。水死体のように青ざめた少女の顔写真とテキストから成るそれは、なるほど確かに、私的に戦争する目的の予備陰謀の疑いで四宮四恩を事情聴取するため確保するように憲兵隊へ指令していた。
〈私戦予備とはまた、クラシックな嫌疑だね〉〈そんなことないわよ。14年に私戦予備の疑いで北大生が事情聴取されてるし、それだけでジャーナリストや大学教授の自宅が家宅捜索されてる。便利な罪状よね〉〈だとしても最も強かった官僚機構が警察だった頃の、大昔の話だ〉
〈四宮四恩。本部長命令である。直ちに《137》本部へ帰還せよ〉
四恩は目を閉じた。瞼の裏側の暗黒に、スマートレティーナがスクリーンを貼り付ける。〈岩井悦朗――Sound Only〉の文字だけが、光り輝いている。それでも、急速に遠のいていく外界の諸物を視界に入れておくよりは、よほど――。
〈待って、くだ――さい〉
待たせてどうするのか思いつく前に、四恩はそう言っていた。精神の平衡を保つための方法を、それしか思いつかなかった。そしてそれは間違っていなかった。彼女は再び、銃口の向こうに東子を見るだけの余裕を取り戻した。〈正解……!〉と、三縁が彼女にだけ、言った。
〈何を?〉岩井、含み笑い。
〈我々は――〉
〈主語は《我々》で良いのか?〉
〈はい。我々は――我々だけが、池袋、新宿、秋葉原と越生と続く……〉
〈続く?〉
〈はい。これは、連続、テロ、テロ事件です――が、今の今まで相互に独立したローン・ウルフによるテロであると、そのように前提した上で対策を行っており、それゆえ後手に回っていると、そのように思いますですから――我々は――我々はこの消えた遺体と、それから、それから――東堂憲兵伍長の捜査していた別件を総合してアプローチし、遺体の行方を追うことで、《次のテロ》を未然に防ぐことができると、そのように、思い、ます〉
〈次のテロ?〉
〈はい――。それは、あります。そして、それは、防げません。池袋、新宿、秋葉原――越生、これらの連続性がわからなければ。彼等が、どのように――その武器を手に入れたのか、どのように――現代都市に張り巡らされた監視システムをすり抜けてテロを実行できたのか、そのこと、が――それが、説明できます。私の、仮説なら。そして、私の仮説は――まだ完全には反証されていません。何故なら――遺体が、ないから。このままだと、また、死にます〉
〈死ぬ? 誰が?〉
当然、高度身体拡張者の少女たち、横井の大事な耐久消費財、有形資産が。とはいえ、これは全くの、未確定事項、未確認事項。〈正解〉と、また三縁の呟き。同時、スマートレティーナ上に新たなスクリーンが立ち上がる。やはり四恩のように青ざめた顔の少女2人の顔写真が表示された。そして、それは新たに秋葉原と越生の戦闘で死亡した高度身体拡張者の少女たちの、顔。彼女たちが、小林小町にとって、四恩にとっての水青や結乃のような存在であるかも知れないことを四恩は一瞬、思った。そう思ってすぐ、交渉材料になるということを考えた。
〈――四宮、24時間やる。それから、そう、東堂憲兵伍長をお守りにつけてやる。24時間で、さらに24時間、お前が一個の被検体として全国を盥回しにされるまでの時間を稼げ。稼げるならば。以上〉
通信が終わり、空気の振動に基づく音の数々を再び四恩は知覚するようになる。もう破砕音も爆発音もなく、あるのは戦後処理の倦怠に満ちた、自衛軍兵士たちの緩慢な軍靴の音だけだった。
既に銃をホルダーに戻した東子は、紫煙をくゆらせている。
「あなたの上司、敵かな、味方かな?」
「あ、な、た、は?」
あなたは? と言うつもりが、口の運動が意識に逆らった。四恩は自分の身体が微細動していることに気づいた。こんな風に、大人と取引した経験は、四恩にはなかった。優等生であることをアッピールする以外の方法で――。大人の急所を探し、間接的に脅迫するような方法で――。
東子が吸いさしの煙草の一本を四恩に差し出した。四恩はそれを拒否することによる効果を考えようとして――やめた。フィルターの湿度を、彼女は感じた。だが、それ以上のことは感じなかった。ニコチンとアセチルコリン受容体の幸福な結婚と、ドーパミンの放出に、彼女の震えは消えて、失せる。
「あなたが弱気な態度を見せたら、膝でも撃とうかなって思っていたのだけど――一緒に地獄の門前まで行ってあげる」
遠くの空から近づいてくるヘリコプターのプロペラが空気を切り裂く音をさえ、彼女は聴いた。その機体が白に塗装されているであろうことは、見なくともわかった。
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