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〈もしもーし〉

〈『もしもし』なんて久しぶりに聞いたわ〉

〈そんなことないよ、ぼくいつも『もしもーし』って言ってるよ〉

 三縁と東堂が古い知り合いであることを示唆する会話が骨伝導で頭の中まで響いてくる。本部の電子音声、あるいは三縁との一対一の通信しか経験のない四恩は戸惑った。そんな彼女をさらに追い詰めるためのか、東堂はどんな説明もなく、数葉の写真を四恩に渡したのだった。

 写っている物―—黒光りする乗用車、腕時計、玄関の表札、革靴、さらには中年男性が大きく開いた口の中。

 その共通点が四恩にもわかったのは、スマートレティーナの情報支援のおかげだった。いずれも、超を付けて良い高級品。スマートレティーナ上、値段を示すアラビア数字の列は一錢単位まで表示されており、四恩がそれを眺めている間にも,その数字は大きくなり,繰り上げられて最も小さい数字に戻り、そしてまた大きくなっていく。日本円の下落が、今、ここに表れているのだった。

〈この大きく口を開いた人もブランド品――?〉

〈人じゃなくて、口の中の金歯。セラミックとか銀歯を総入れ替えしたみたい〉

〈これが、何――?〉

「その写真、武野無方さんに貰ったの。知っているでしょう? あの凄い背の高い、内務省の人」

 武野無方の能面のような顔、ナナフシのような撫で肩を想起しつつ、四恩は頷いた。

「全部わかったかしら?」

「全然、わかん――ない」

「なぜ?」

「さぁ――」

 東堂の細い腕の小さな舞に従って一般建設機械が縦隊を作り、動き出した。東堂も歩きだす。四恩は「全然わかんない」ままだが、付いていく。

〈東子はね、身体拡張者が別様にありえたかも知れない、その可能性なんだ。今でこそ身体拡張といえば、この日本国では分子機械による遺伝子の操作のことを指しているけど、その黎明期においては身体拡張という概念は必ずしもそのように一義的に定まるものではなかった。複数の技術が身体拡張技術の名前を得るべく争っていた。東子の身体は、その成果の内の一つ〉

 東堂、腕を組む。背を丸めてから、言った。

「政治的に敗北した身体よ。嫌になるわ、本当に」

 土葬区画のちょうど端から端へと移動するつもりであるのが、その半ばまで歩いて、四恩にもようやくわかった。そしてそこには、〈137〉の殉職者たちが埋められているということも。

〈そう? ぼくは羨ましいけど〉

 東堂は大きく身震いした。だが彼女の口角が上がっていることに四恩は気づいた。

「気持ち悪いわね」

〈失礼な……〉

 四恩は間違いなく古い付き合いであるはずの2人の会話のために、疎外感を味わった。その付き合いの長さについて、四恩は殆ど完全に理解していた。いたがために、疎外感を味わった。それは四恩と結乃、四恩と水青、そして四恩と奥崎とが古い付き合いであるように――〈活躍の園〉からの付き合いであるように――身体拡張のオルタナティブそのものである彼等のコミュニティが、あるいは人的ネットワークが維持されているのだろう。三縁がオルタナティブであることは、あの地下室に閉じ込められていることから明らかであり、東堂がオルタナティブであることは、あの怪力と、身体のレベルにまで染み込んだ自動運転車の操縦技術から明らかだった。恐らくは、世界標準の身体拡張技術〈義体化〉を受けている。そしてそれは日本では、完全に政治的に敗北し、科学振興予算の大部分を分子機械研究に奪われているのだった。

「『敗北を抱きしめて』――私は上野にいたの。何をするってわけでもないのよ。やることと言ったら……信号無視をした兵卒を交番に迎えに行って、巡査に頭を下げるとか、それくらいね。貴女たち、〈還相〉の被験体が少年兵の需要を独占してしまったから……。そんな時に武野さんがあの画像データをくれたの。あれは、数冊の一般向け書籍も書いている有名人を含む反粛軍派軍人の持ち物を写した写真よ」

〈それが、なに――?〉

「声に出したら」

「それが、なに――?」

「あんなの買える連中じゃないのよ。自分の給与明細、見たことある?」

〈東子、彼女はお給料を貰ったことがないんだ。彼女は書類上、《137》の備品だから〉

 先を行く東堂は一瞬、振り返って四恩を見た後で「ふ、ふーん」とだけ言った。

「それで――?」

「不正蓄財疑惑が浮上した。シリア・反粛軍派ゲート事件とでも言えばいいかな……。なんだか語感が良くない? シリア・反粛軍派ゲート事件」

〈どうだろう……。長いし、それにそんな無理にウォーターゲート事件に寄せる必要もないと思うよ〉――生真面目にも質問に答える三縁。

 話している内に2人の少女は〈137〉用に割り当てられた区画内に入っていた。それでも東堂の歩みの速度には全く変化がなく、彼女にはもうどの墓の前に立てば良いのか、わかっているようだった。姫をエスコートするように、一般建設機械の車列も墓石の列の終わり、その向こうにある空間に鎮座していた。立つべき墓はもう、すぐだ。

「粛軍派の上官の後押しもあったし、仲間の粗探しをする仕事には仲間なのだか怪しい奴が適任ということで、巡査に頭を下げる仕事から不正蓄財疑惑を追う仕事に異動することになった。それが……池袋事件の少し前ね」

〈武野さん、そんな活動もしていたんだね〉

「あの人、官僚で、かつ〈国内軍〉創設運動の活動家なのよ。気をつけたほうがいいわ。凄い野心家」

〈あのキャリアで?〉

「あのキャリアだからでしょ」

 四恩は心の臓腑が裏返るような、あるいは跳ね上がるような、感覚に襲われた。自分の胸を撫でる。自然な反応、と口の中で唱える。彼女は今、奥崎謙一の墓前に立っているのだった。墓石には名前と、生没年と墓碑銘とか刻まれている。東堂がそれを読み上げた。

「我また主の声をきく。曰く『われ誰をつかはさん。誰かわれらのために往べきか』と。そのとき我いひけるは『われ此にあり。我をつかはしたまヘ』」

〈イザヤ書第6章第8節より引用〉三縁が朗読を締めくくるように、抑制された声で解説。

「それで私は、シリアから日本への密輸ルートを考えて……最も効率的なルートを見つけたから、ここに来て、墓荒らしをしている。土葬希望者なら大きな棺桶が用意されるし、それが身寄りのない遺体なら、蓋を開ける人間は限られる。貨物扱いで帰国するけど、死んだ兵士の入れ物には特別の敬意が払われるわ。これ以上に安全な密輸ルートはないでしょう?」

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