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 スーツ姿の男が、顔に三日月を浮かべながら話し続けている。

「普通なら、こんな風に大勢の人間が出迎えることなどないのだよ。君はまだ、ゼロですらない。君はまだ、国家の一般会計に対して支出あるいは負債でしかない」

 やはり建物に対して小さすぎる硝子張りの正面入口から、ついに白亜の円筒の中へ。その内部もまた、白の一色に統一されている。設計者のパラノイア気質を伺わせるほどの、統一。

 受付用のデスクと思しきものも見えるが、その向こうには人ではなく、これもまた白い塗装のロボットが二台座っている。顔にはカメラ・レンズの二つしかない。わざわざ人の形を模している意味が、四恩にはよくわからない。あるいは、AIの発達によって喪われた雇用の墓標なのかも知れない。

「君が乗っている車椅子、君の車椅子を押している人間の給与、君の衣服、君の……君の大腸で今まさに脱水中であろう昼食等々、全てがまだ単なる負債、単なる支出でしかない。私の言っていることがわかるかな?」

 突然の確認に、四恩は急ぎ答える。

「はい――」

「いや、君は全くわかっていないよ。君は国家の、民族共同体の勤労者に依存する寄生虫、乞食なのだぞ? もっとすまなそうな顔をしていたらどうだね? 分相応に振る舞うということができないのかね? 可愛がられなければいけないのだよ、君のような身体障害者はね。納税者に媚びを売るようにしなさい。君たちが働かずに生きている特権者だと知れたら、ナチスがやったように安楽死させられるかも知れないぞ? 私の言っていることはわかるかね?」

「は、はい――」

 自分の膝へと目を落とす。四恩は自分が一個の物であるという意識すらもが、一種の防衛機制でしかないことを理解した。わたしは寄生虫、寄生虫、乞食、乞食、寄生虫、乞食――。働かずに食べる、現代の特権階級――。卑しい人間――いや、人間未満――。

 次に彼女が顔を上げたのは膨大な数の動物の鳴き声が成す共振のためだった。

 ほああああああほあああああほあああああほあほあほあほあほあほあほああほあほあほあほほああああああああ――。

「君はまだゼロですらない。ゼロですらないが、我々がこうして君に会いに来たのは君に早期教育を施すためだ。特にこれを見せたかった。『誰でもすべてを自分で経験することになっているのかも知れません。そうなって、はじめてわかるのかも知れません』」

 正面入口のあったフロアからエレベーターに乗って上階に移動した先にあったのは、吹き抜けのフロアだった。この白亜の円筒は低層階を除き、上層部分は全て吹き抜けに成っているのだ。

 職員が四恩の乗った車椅子を押していくと、ますます、動物たちの鳴き声は大きくなっていく。ほああああほああああほあほほあほあほあほあほあほあほあほあほあほあ――。

 吹き抜け部分を囲うようにして、目の細かい金網が張られている。初め、四恩はそれを転落防止用のものと予期した。しかし、その金網の向こうに広がっていた光景のために予期の修正が必要になった。

 吹き抜けの向こうでは、白い粉が舞い踊っている。その軌跡が、さらに上階からの光のために、はっきりとわかる。目を細めて、上を見る。巨大な扇風機が回転していた。羽と羽の間から時折、白い塊が飛び出し、羽の回転そのものと風圧のために粒子状になって吹き抜けを落ちていく。落ちていく、その、終わりには――。

 ほあほあほあほあほあほあほあほあほあほあはおあほほほほほああああほほほほあああああああああほほほほほああああああほほほあほあほ――。

 吹き抜けの底、床一面を這いずり回るのは、黄ばんだ貫頭衣を着た人々の群れだった。彼等は「ほああ、ほああ、ほああ」と奇声を挙げながら、落ちてくる粉を吸い込もうと互いに互いを殴り、蹴り、排除し合っていた。

「あの粉はね――」

 スーツ姿の男が人差し指を小さく振り回しながら、言う。

「ソイレント・ホワイトという完全食なのだよ。あれを吸っていれば、人間は自らを再生産するに足る栄養を全て摂ることができる。そして、あの獣そのもののような人々は――」

 指が下へ向く。

「高齢者や失業者、自分で自分の食い扶持を確保することができなくなった人々だね。人間はね、本来、自分の身は自分で守ることはできるはずだろう。それなのに彼等は、まるで乞食のような精神で社会保障をばかり求めて労働せず、ついにここへ来たというわけだ。『活躍の園』はあのように、寄生虫的態度の人間をも活躍させているのだ。彼等も今まさに活躍中だ。この国が観光立国となるため、景観を守る手伝いをしてくれている。そして、さらなる活躍の機会も与えている。ほら、ノートパソコンが置いてあるだろう?」

 なるほど言われてみれば、奇声を挙げて万人の万人に対する戦いを繰り広げている人々の足下に黒くて分厚い板のような物が転がっているのを見た、そんな気がしてくる。

「まだこの国に生活保護という制度があった時、東京地裁判決で情報機器の購入は『自立更生のための出費』にあたらないと判断されている。それに比べて、彼等はね、極めて贅沢な情報環境にあるのだよ。彼等は特権者なのだ。彼等は趣味で貧困者をしているのだからね。インターネットがあればフリーランスで仕事ができるはずなのに、彼等はああして粉を吸って生きている。ああいう生き方が好きなのだろうね」

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