第二部 闘争領域

2-1-1-1 奥崎謙一との思い出

 四宮四恩が両親と、そして最後の日々には母と暮らした部屋から連れ出されて、まず収容されたのは最寄りの病院の一室だった。収容――? あるいは、そう、収納――。

 そこで膨れ上がった腹部と、止まらない鼻水と、シラミの湧いた髪の毛が、母の介助下にあった頃の状態に戻ると、彼女はまた、別の施設に移動することになった。

 看護師の押す車椅子で病院を出ると、正面玄関前、緊急車両用の駐車場に白いワゴン車の一台が待っていた。その側面には『活躍の園』のロゴが描かれている。

〈活躍の園〉――あの東京オリンピック同時テロ事件を直接の契機とし、超少子高齢化問題を解決すべく、児童活躍特別法に基づいて設置された特殊法人だ。その目的は、厚生労働省と文部科学省と防衛省のトライアングルで成立する身体障害児の保護と職業の「斡旋」を行う、その入り口となることであり、具体的には厚生労働省と文部科学省と防衛省から委託を受けて、身体障害児を保護し、必要に応じて訓練を施すための施設を運営することである。

 ワゴン車から、白い制服を来た男が二人、降りてきた。その白さは一瞬、医療関係者を想起させるが、デザインの参照元は明らかに戦闘服だ。白い迷彩服。しかし――どういう環境で? 四恩の車椅子を押していた看護師は、彼女の頭を軽く撫でると、どんな挨拶もせずにその場を立ち去った。白い制服の二人組は彼女の車椅子を持ち上げて、ワゴン車の後部座席に詰め込んだ。

 固定器具の数多に車椅子が縛り付けられていく間も、四恩にはいかなる感情も生じなかった。なるほど、これは、まるで物品に対するような対応だ――。だから――? 彼女は彼女自身を物品そのものと感じていた。もしも何かの気まぐれで、この男たちにワゴン車へ運ばれなかったとすれば、腕のない彼女には車椅子を転がすこともできず、ただ座ったまま餓死を待つより他にはないのだから。それで、彼女は病院からこのワゴン車に至るまでの過程もまた、一つの自然現象のようなもの、そこに介入してどうにかすることのできないものと感じていた。

 天井を見る。自分を試みるために。何も――何も言ってこない。天井が喋りだすことはなくなった。病院でも、そうだった。彼女は自分の強くなったのを、感じた。天井の囁きを天上へと追い払ったのだ。

 首の痛みも、瞬きさえも忘れて、天上を熱心に見ている間にワゴン車がついに何処かで駐車した。それがわかったのは、エンジン音ではなく、職員二人組の車を降りる音だ。エンジン音は、始めから、ない。〈活躍の園〉は潤沢な資金を背景にアメリカの最新式自動車を利用している。アメリカ資本が電気自動車と自動運転を組み合わせた新商品を出し、日本の自動車産業を国際市場から駆逐すると、日本の公的機関もアメリカの自動車を購入するようになっていた。

「ようこそ! 〈活躍の園〉へ!」

 ワゴン車からタラップもなく降ろされる四恩に、スーツ姿の男が叫んだ。大きな口が、満面の笑みのために三日月を描いている。楽しくてたまらない、といった様子。その横には軍服姿の男。両親にネグレクトされた四恩を回収した、国家のエージェントたちだった。その背後には白衣の者たちの数人。遠巻きに、四恩を見ている。わたしを――見ている。

〈活躍の園〉の園たる所以はその巨大な敷地にあった。ワゴン車から引き続き彼女に帯同していた職員たちに車椅子を押されながら、彼女は敷地内を眺めた。その広大さから、敷地の境界がわからないほどだ。それほどの広さがありながら、圧迫感があるのは、巨大な円筒形の建造物が空を目指して聳えているからだろう。

 白亜の円筒が隙間というものを憎むようにして、密集して建っている。外からわかるのは、蔦にも見える非常階段の幾つもが円筒に絡んでいることと、小さな窓が表面積に対してあまりにも少ないことの2点だけだ。

 その円筒の一本に、少女を先頭にした不可思議な行列が入っていく。パレードにしてはあまりにも陰気だな、と四恩は思う。とはいえ――とはいえ、四宮四恩のような子どもを収納する場所のパレードのならば、それが相応しい、と彼女は他人事のようにして考える。

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