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 池袋から一三七の基地へ戻る、軍用ヘリコプターの機内。水青と四恩が向かい合って座席に着いている。その間には、黒いビニール袋。その大きさはちょうど子ども一人分ほどで、実際、その中には子どもが一人、入っている。あるいは――かつて子どもだった物体が。

 それは、まだ代謝していた時には「四恩ちゃぁん」と聞いている方の緊張も取り去ってしまうような間延びした話し方で話す少女だった。彼女は四恩よりも三つも下だったが、四恩と同様に大人たちから重宝されていた。彼女は神経ガスを生成する器官を体内に備えた高度身体拡張者だった。神経ガスは汗・涙・血液・呼気・排尿・排便・放屁等々で体外に放出可能であり、気体としてそれらの代謝物と分離、彼女以外の生きとし生けるもの全てに作用する。その能力の「恥ずかしさ」について、四恩は本人から聞かされたことがあった。

「結乃……」

 赤く腫れた目をした水青の、震えた声。その「結乃」という固有名だけが、四恩の足下、黒いビニール袋に包まれてなお何も言わぬ物体と、四恩の知っているあの栗色の髪の少女の連続性を証している。

 閉鎖された池袋駅東口のロータリーにヘリコプターが降りてきた時、その腹を見ることができたのは四恩と水青だけだった。結乃はまだ来ていなかった。

 彼女たちは各人が作戦単位として表象されるほどに強力な「特殊兵器」である。また、戦場におけるコミュニケーションはあのムッソリーニの塹壕主義のように、差異を抹消して連帯または野合を可能にする側面がある。このことから、大人たちは基本的に彼女たち「特殊兵器」を戦場に投入する際は、ペアさえ組ませず、個人単位で動くよう指導していた。「戦闘支援」を命じられること、それこそ異例の事態だったのだ。

 だから四恩も水青も、結乃のまだいないことに何ら疑問を抱かなかったし、もちろん、結乃の現在の状態について無線通信で連絡があることもなかった。

 水青が敵に殺されたなどと想像することはありえない。一体、サリンを自在に操作する少女を誰が殺すことができるというのか。

 彼女たちがヘリコプターに乗り込んで、スマートレティーナを洗い流すための溶液を目に点眼している、まさにその間に結乃は敵に首をへし折られていた。結乃の体内で「還相」が活性化し、折れた骨と引き裂かれた諸神経を再構成、彼女の脳と首から下の接続を回復しようとしたが、敵は彼女のまだ未発達の乳房の片方を掴んで彼女からそれを剥ぎ取った。そうして、そこに、粉々に砕けた首の骨を脱構築したカルシウムで新たな皮膚が構成される前に指を突き刺して彼女の心臓を彼女の身体の中で掻き回して破壊、最後はそのままその小さな身体を持ち上げて、地面に頭を叩きつけ「還相」すら機能しない決定的な破壊を実行した。

 おおよそ、以上のことを一三七の兵士が報告した。彼は少尉で、一三七に属する「人間」であり、一三七の特殊兵器の現場における管理人だ。

 れろれろれろれろれろれろれろれろれろれろれろれろれろれろれろれろれろれろ。

 ヘリコプターの中で戦利品である煙草を飲んでいた水青はそれを聞いている間は冷静であったが、二名の兵士が黒いビニール袋をヘリコプターに運び込むと、それと入れ替わるようにして外へ出て、嘔吐した。四恩は、水青が朝食にトマトとレタス入りのサンドイッチを食べていたことを観測した。

「結乃……」

 四恩は水青から目を逸らすために窓の外を見た。彼女たちは今、飯能市に運ばれつつある。そこに一三七の基地があり、そこに彼女たちの宿舎がある。

 飯能市は埼玉県の南西にある地方自治体だ。市内の七割が山林であるこの地方都市ないし地方は中世から戦前まで、林業によって大いに栄えた。だが、コンクリートが基礎的な建材となるに及び、没落が始まり、戦後は西武池袋線で豊島区と結ばれていることもあり、典型的な都内への労働者供給のための街になった。日本国全体が超少子高齢化で「縮小」しつつある中で、この街だけが例外であるはずもなく、むしろそれは東京などと比較して加速度的に進行した。

 しかし、この状況は自衛軍の基地が設置されて一気に打開された。首都圏最大級の工業団地である大河原工業団地の半分を市価の倍以上の賃料、百年ごとの更新という契約で一三七が租借したのだ。市民は「非戦闘部隊」であるこの部隊の駐屯を歓迎した。歓迎しない理由はなかった。それは愛国心の何よりの表現であり、同時に未だに上下水道の整備されない地域もあるこの市には不可欠な生存戦略でもあった。

 四宮四恩は陸上自衛軍がこの基地の国防における合理性をどのようにプロパガンダしたのか知らなかったし、興味もなかった。それでも、それぞれが一個師団並の戦略戦術単位になりえる高度身体拡張者の少女たちを閉じ込めておくには、実に合理的であるとは思った。工業団地は市南西の山の中にあり、周囲は軍からも仕事を受注していて軍に親和的な企業の工場と、国旗の居並ぶ住宅街。簡単にはタクシーも捕まらず、バスにも乗れない。身を隠せるような巨大都市までは、電車ですら移動に一時間強は必要だ。逆に、身を隠せるような巨大な山林となると、秩父地方まで移動しなくてはならないが、これも電車でさえ一時間強は必要だ。そしてなにより、隣の入間市には関東一円の防空を担う航空自衛隊の入間基地がある。空の守りも固い。

 田舎でも都会でもない、その中途半端さは一時、市の存続を危うくしたが、今は実に高度身体拡張者の物理的管理として機能している。

 もしも基地からの脱走を図るならば、それは追手との交戦を伴う逃走劇としてのみ可能であり、つまり、そんなことは考えるだけで馬鹿らしいことだ。神平のように、国家の敵となり屠られて終わり。

 それよりは――与えられた任務を粛々とこなすこと。

 神平のように粛々とこなすことに耐えきれなかった者を血祭りにあげて……大人たちの信用を獲得し……学校教育を受ける機会を得ること……ゆくゆくは大学へ行き……普通の市民として――。

「なんで四恩は私のところに来たわけ?」

 水青の顔には既に泣いていた少女の面影はなく、四恩はそこに蛇か、鷲を見出した。細められた目は獲物を補足した猛禽類のそれに酷似している。

「命令――」

「なんでわたしは――」

「命令がなかったから」

 答えると、水青は顔を伏せてしまった。恐らくは彼女の思考を、四恩の頭の中を埋め尽くしているのと同じ黒い霧が規制したからだろう。黒いビニール袋が足下に置かれると同時、四恩は結乃の死に何かを感じとってはならないと思い、喉を焼いた胃液を飲み込み、霞み始めた視界を服の袖で直していた。

 何故、殺されるまでに追い詰められた結乃ではなく、水青のところへ戦闘支援を命じられたのか。だが、その問いの答えを考えてはならなかった。それは、命令の是非という問いを惹起し、ひいては彼女たちをテロリストの領域にまで追放することになりかねない。何よりも、水青と四恩が結乃の死について免責されるためには自分たちは命令の範囲から出ることがなかったことを自己確認する必要がある。

「結乃がさあ……」

 四恩は水青の煙草を取って、咥えた。聴くためにニコチンが要請される話の始まりを予感した。水青がこれもまた戦利品であるジッポライターで四恩の煙草に火を点けた。還相が毒物に反応し、束の間、肺の細胞が書き換えられていく感覚を、四恩は夢想することができた。勿論、そのおかげでニコチンと受容体の幸福な結婚に立ち会うことができないのだが。

「結乃があ……」

 一口だけ吸った煙草を水青の口に押し入れる。予感を裏切るために。

 窓の外を見る。今、眼下に飯能が現れた。それがわかったのは、市内面積三割の平地に密集する市街地の上空、まるで円盤のように霧が滞留していたからだった。そこから誰も逃げないように、街に被せられた巨大な蓋のように見える。

 空の旅の終わりは、もうすぐだ。四恩は自分の戦利品を確認しておくことにした。一三七は少女たちの行う「略奪」を放任していたが、宿舎の部屋の点検は時折あるのだから、大人たちの嫌うような物品は排除しておく必要がある。

 とはいえ戦利品は水青から貰った本だけだ。血で汚れたカバーを剥がすとナイン・ストーリーズ、サリンジャー、野崎孝の文字列があった。

 ひっ。

 小さな悲鳴が自分の声だと気づくのに、四恩はたっぷり宇宙の寿命程度の時間を使った。同じ本を持っていた人に心当たりがあり、その人は、彼は四恩の個人史中の原体験の近傍に位置していた。ページを捲っていく――必要もない――ページの角を深く折り曲げた箇所がある。そこには、ああ、赤い波線で強調された行がある。そのことを四恩は知っている。

「エズミ、本当の眠気を覚える人間はだね、いいか、元のような、あらゆる機――キ――ノ――ウがだ、無傷のままの人間に戻る可能性を必ず持っているからね」

「水青、写真」

「は?」

「写真――!」

 目を丸くして水青が自分の戦利品を四恩に差し出す。お目こぼしがあるにせよ、自室に持っていくことになるものを予め精査する必要があり、それで水青はテロリストを殺害する前に公衆便所で拷問したのだが、その成果が数葉の写真だった。自衛軍兵士たちの集合写真であると水青は言っていた。四恩はそれに関心を抱かなかったが、思えば、抱かないようにしていたのかも知れなかった。

「ちゃんと返してよ?」

 経年劣化と保存状態の悪さのためにすっかり色褪せ、代わりに全体が血で赤く染色されてしまっている数葉の写真の一枚。焼け落ちたビルの前の集合写真。迷彩服、迷彩服、迷彩服、迷彩服――。その前に子どもたち。現地の子どもたちだろう、と結論して水青に写真を返す前に、四恩は知っている顔を見つけてしまう。

 その顔が過ぎ去ろうとしない過去への門を開き、四恩は本当の眠気を覚える。

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