1-1-3 あれっぽおあれっぽお

 移動するように指定されたのは、神平が彼岸へと渡った道路のすぐ近く、中池袋公園という立派な名前の小さな公園だった。道中と同じく、公園にも死が充満していた。様相に差異があるとすれば、四恩と同じく一三七の指定制服を着ている水青みおがいることだ。スマートレティーナの情報支援より先に、四恩は水青を認めた。

 パーマのかかった、肩まで伸ばした髪。睫毛も上を向いている。水青の諸特徴――服装規定からの微細な逸脱。ただ、彼女の制服が白ではなく赤であることはありそうにない事態だった。

 黒へと移行しつつある赤。それは血による、極上の染色だ。

「おっすー」

 四恩に気づくと、水青は頭の上で手を振った。四恩もまた、手首だけ動かして応える。彼女たちは知り合いだった。友だち、と言えるかどうかは怪しいところだ。大人たちは、高度身体拡張者相互のコミュニケーションを明らかに警戒していたし、四恩も大人たちの望みに従っていた。

「四恩はもう担当分を終わらせたの?」

 駆け寄ってきた水青は四恩の手を引きながら、聞いた。

「特警が来たから」

「役に立った? あの連中。こっちは身体拡張者で躓いちゃって。露払いぐらいにはなったけどさぁ。あんまりだよね」

「だいたいおなじ」

「てんでだめでしょう? 今日はねぇ、あいつらが功を焦ってたから部長が先に突入させてあげたんだって」

「焦る――?」

「うん。イスラーム・ユニオンが発足するらしいよ。それで大規模なリストラがあるんだって」

 一三七の高度身体拡張者は一三七の外のことを知る手段は宿舎の地下にある湿っぽい「図書室」の、検閲済みのカビ臭い本だけだ。とはいえ、それは公式の、あるいは形式上のことだけであり、実際には例えばこの水青のように時事に精通した者も存在する余地がある。彼女たちは主に施設管理業務を行っている大人たちにその素足を見せてはそういった情報を含めた様々の物品を手に入れている。

「イスラーム・ユニオン――」

「イスラーム軍事同盟が発展的に解消、まずはEU型の統合を行うことでカリフ制を復興するんだって。あんまり詳しく知らないけど、とりあえず中東のテロリスト狩りはもう彼らに一任することになるだろうね。膨大な天然資源と労働力人口を持つ超国家だもん。そんなところに軍隊を送れないよ。怒ったら大変」

「わたしたちは」

「どうなるのかなぁ? 知らなーい。知ってもどうしようもないからね。それより、四恩、見て」

 水青が指を差して示したのは園内にある一本の木だった。そこには七人の男が吊るされていた。彼らはいずれも両手足を切り落として軽量化されていた。ワイヤーが彼らの首と木の枝を繋いでいる。

「あれはね、あたしの担当した目標。吊るしてみたの。面白いかなって」

「おもしろい、とは」

「未来が長く続くことを忘れさせてくれるような効用のことかな」

 水青は木の下に移動した。目を閉じ、両腕を広げて、七人の男たちを見上げる。彼らはまだ血を滴らせていており、水青はそれを浴びた。

 赤い雨の下の十字架を、四恩は想起する。それから、細動する自分の瞼を意識する。

「四恩もやったら?」

 目を細めて、微笑する水青。

「わたしは――」

 言いかけた、その瞬間、水青の表情は完全に廃棄されていた。

「仕事、楽しくないの?」

「水青は楽しいの?」

 四恩は背筋を伸ばし、顎を引いて到来するかも知れない何かに備えた。

「楽しくないけど楽しまなくちゃ〜。これ以外にできることもないんだし。それで、なんで四恩がここにいるの? なにしにきたの?」

 小首を傾げる水青。四恩は音のないように溜息をついた。

「戦闘支援」

「あはっ。八人目をぶち殺してないからだ。四恩も来なよ。ちょっとやりたいことあるんだ」

 公園はビル街の一角に作られた小さなものだったが、公衆便所を備えていた。四恩が水青と入ったのは公衆便所の、男性用側だった。アンモニア臭を覚悟したが、血の饐えた臭いが全部打ち消していた。

 臭いの源は、座らずに使うタイプの便座にワイヤーで拘束された身体拡張者だった。彼の身体はバーストゾーンとグリーンゾーンすなわち安定状態の、その境界線上にいるようだ。あの七人のように手足を切断されていない。代わりに、蓑虫のように、幾重にも巻かれたワイヤーで全身を縛られ、その上で便座に座らされた形で固定されている。

 うおえうおえうおおおええおおおおおお。

 下は黒いカーゴパンツ、上はTシャツにジャケット。隅から隅まで赤黒く汚れている。顔を見れば、彼の皮膚の状態は明らかだ。その顔面は筋肉を露出させていた。皮膚は溶け出して、床にまで流れ落ちている。ズボンの裾から靴を濡らしているのは、液状化した皮膚だろう。四恩は熱で炙られた蝋人形を想った。

 うおうえおおうええうえええううえええええううう。

 彼が嘔吐しながら痙攣的に身震いするたび、ワイヤーが彼の肉体を傷つける。ゆっくりと、しかし確実に彼はバーストゾーンへ移行しつつある。

「はやく任務を終わらせるべき」

「待ってよ〜」

 水青はスカートのポケットから何か取り出した。スマートレティーナが直ちにモザイクをかけたため、それが何か四恩にはわからない。水青はわかっているようで、その何かから別の何かを取り出すと、それを口に咥えた。煙草だった。慣れた手つきで、さらにスカートから何かを取り出した。水青の口元から熱を感じる。ライターだった。

「これね、さっきの奴らから貰ってきたの。モザイクかけてようが触ればわかるよね。四恩には、これ」

 四恩は何かを手渡された。モザイクのせいで見ることはできない。

「本好きでしょ、四恩」

 だがなるほど、手触りでわかる。本だ。恐らくはペーパーバック。

「おい、クソ野郎。テロリスト。反日クソ野郎。まだ脳細胞は壊れてないだろ、よく見ろ」

 焦点定まらない男の顔の前、水青が手に持った物をかざしている。薄く、平べったい何か。

「写真? 手紙? パスポート? なんだ?」

「証拠物件」と四恩は彼の代わりに答えた。

「いや〜、そんなの一々集めないよ。実行犯のマイナンバーさえわかれば、後は一族郎党勾留で終わりだから。そんなこと言うなら、その本も返し――」

 あれっぽおあれっぽお。

 男が掠れた声で、囁いた。

 あれっぽおあれっぽお。

 一音節ごとに、男の唇が液化して顎へ集合していく。

 あれっぽおあれっぽお。

「なに? わかる言葉で話せよ、国賊野郎」

「アレッポ――」

「なるほど、そしたらこれはアレッポの写真とか絵葉書とかかなぁ」

 水青は可愛らしくも語尾を伸ばしながら、そう言って、下げていた右手を自分の顔の高さにまで上げた。その髪を払うような、いかなるエネルギーの消費も見出し難いような、そんな動作が終わった時には身体拡張者の男を縛り付けていたワイヤーは一気に交錯して、男を無数の肉片に変えてしまった。叫び声さえ許されぬ、実に断固とした最後だった。

「イヤッッホォォォオオォオウオオオオオオオ」

 鮮血を浴びた水青はその場で頭を激しく振り回し始めた。四恩も返り血を浴びていたが、特に興奮はなかった。それよりも、「アレッポ」という語が彼女の精神の湖に一石として投じられていた。その波紋は彼女の足下をぐらつかせ、彼女に地面との関係への疑義を抱かせた。

 オオオオイエホイッエホッオオオイアアアア。

 四恩はその場に座り込む。水青の落とした帽子と、まだスマートレティーナの泣く子も黙るパターナリズムで見ることのできない小さな薄くて平たい何かを拾い上げる。自分が殺した者たちが、少年と戦友の関係になかったことを祈るために目を閉じる。

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