第2話 漫画の中の女の子になりたかった

 十五センチが生まれた次の月曜日の放課後。

 教室にはまた僕と鳥子だけが残っていた。

 鳥子はやはりノートに漫画を描いている。

 漫画はクラス内の女子の間で回し読みされていて、なかなか好評らしい。

「十五センチ、どう?」

 僕は鳥子の後ろに座って聞く。

「見に来る?」

 鳥子は背中を丸めたまま答えた。

 行きたい、と僕は答えた。

「もうちょっと待ってて。このページ終わったら」

 描き終えるのに二十分かかった。

 その間に鳥子は、両親に十五センチが見つかって大変だったという話を僕にした。

 でも今は両親も飼うのを手伝ってくれているのだと鳥子は話した。

「じゃあ、行こうか」

「いいの?」

 十五センチは鳥子の家で飼われている。

 鳥子は僕を家に招待する気なのだろうか。

 僕たちは中学生で、もう子どもとは違うのに。

「来ないと見られないじゃん」

 と鳥子は意識していないふうに答えた。

 別の小学校に通っていたから、今まで全然通ったことのない道を歩いた。

 二十分で、鳥子の家に着く。

 二階建ての、古そうな和風の家だ。

 鳥子が玄関のインターホンを押す。

 ドアを開けたのは鳥子のお母さんだった。

「こんにちは」

 と鳥子のお母さんは笑顔で僕に言った。

 会釈しながら挨拶を返す。

「どうぞ入って」

 玄関で靴を脱ぐ僕に鳥子のお母さんは、

「ごめんね。本当はもっと早く来たかったでしょう?」

 と言った。

「え?」

「お客さん来ることなんて全然なかったから。家の中綺麗するのに時間かかっちゃったの。年末の大掃除みたいなことを土曜と日曜でやったのよ、実は」

「あ、そうだったんですか」

「ごめんね。龍、見たかったでしょう?」

「いえ、そんな。大丈夫です」

 私の部屋にいるから、と鳥子は階段を指した。

「麦茶でいいかしら?」

 と鳥子のお母さんは聞いてきて、はい、と僕は小さな声で答えながらうなずいた。

「はいはい、お任せあれ」

 鳥子のお母さんは軽やかな足取りで、たぶんキッチンがある、廊下の奥の方へ向かっていく。

 鳥子と僕は階段を上る。

「うちは母が一際にぎやかだから」

 前を進む鳥子は恥ずかしそうに言った。

 僕は自分の母親のやかましさを思った。

「母親なんて、そんなものだよ」

「みたいね」

 うるさいとか騒がしいとかそんなことばかりみんな言ってるもんね、と鳥子は苦笑いしたような声で言う。

 二階にはいくつかドアがあった。

 奥の方にあるドアを指して、

「あれが私の部屋、反対側が弟の部屋」

 と鳥子は僕に教えた。

「弟がいるんだ?」

「いや、いないけど。でももし弟か妹が生まれたらあそこをその子の部屋にする予定だったらしい。今は私が漫画置き場に使ってるけど」

 鳥子は自分の部屋の方のドアを開けた。

 フローリングの部屋の真ん中に、十五センチが浮かんでいる。

「前より大きくなってない?」

 と聞いたが、尋ねるまでもなく大きくなっているのは明らかだった。

 十五センチの体長はあの時の数倍になっていて、たぶん五十センチとか、そのくらいになっていた。

「そう、成長してる。たった何日かで、こんなに」

 鳥子はちょっと困っているふうだった。

「そのうちこの部屋に入らなくなると思う。龍だし」

「そうなったら、どうするの?」

「うん、その時は庭か屋根に置くって話になってる。それで、さらに大きくなったら海に逃がす」

 生き物を無責任に手放すなって言うけれど、こればっかりは仕方ない。

 そのように両親と話がついているらしかった。

「ところでさ、こいつ今何センチなの」

「昨日測った時には、五十二センチだった」

「名前は十五センチのまま?」

「そりゃそうでしょ」

 でも十五センチじゃないのに、名前が十五センチって変だろう。

 そう思ったのだけど鳥子は、

「鳥子とか花子だって、大人になっても子が付くままだし」

 と主張した。

「こんこん」

 開けっ放しだったドアをノックする代わりに、鳥子のお母さんがそう声を出す。

 後ろから突然声をかけたつもりだったらしいが、階段を上がる音で来るのがわかっていた僕たちは全く驚かず、鳥子のお母さんがお盆に載せて持ってきたジュースとアイスを受け取った。

 コップは二つなのに、アイスは三つあった。棒状のソーダアイスだった。

「たくさん可愛がってあげてね」

 と鳥子のお母さんはにこにこして言った。

 はい、と僕は答えた。

 ドアが閉められると僕たちは床にお盆を置き、座った。

 そして僕は鳥子の部屋を見回す。

 三枚の大きな写真が額縁に入れられ、飾ってあった。

 どれも山から風景を撮っている写真で、奥の方に町らしきものが見えている。

 それぞれ違う町が写っているようだったし、撮った高さもまちまちなようだったが、三枚の構図は似ていた。

「この写真は?」

 もしかして鳥子が撮ったのだろうか、と期待した。

 しかしそうではなかった。

「それは、イメージを膨らませるための写真」

 と鳥子は答えた。

「イメージを?」

「ほら、私漫画を描くでしょう。その時にその写真の、ちっちゃく写ってる町を見るの。あの町にはどんな人が住んでいて、どんな生活をしているんだろうってね。それで物語を考えるわけ」

「なるほど」

 僕も漫画を描くつもりで写真を見てみる。

 イメージのカメラは町の方へズームしていく。

 でも見えない壁に阻まれて、町並みも人の姿も僕には見えてこなかった。

「山の上から自分の漫画の世界を見ているってことか」

「そう、まさにそんな感じ」

「楽しそうだ」

 鳥子のカメラはきっと好きなように動かせるのだろう。

 だけど鳥子は、

「んー、どうなんだろう」

 と微妙な反応をした。

「私、漫画を描くんでなくて、漫画の中の女の子になりたかったんだよね」

 鳥子は手を伸ばし、十五センチの水の表面に触れた。

 中に入ってしまわないように注意して水の表面を指先で撫でていると、十五センチが顔を動かし、自分の鼻を鳥子の指に触れさせた。

 今の姿は漫画っぽく見えるけどね。

 そう言ったら鳥子ははにかんで、

「だから十五センチを飼うことにしたんだよ」

 と打ち明けた。

「こんなふうに水の中に浮かんでいる龍なんか飼ったら、誰だろうと漫画だもん」

「確かに」

 アイス食べさせてみたら、と水から手を離して鳥子は言った。

 僕は座ったまま十五センチに近づいた。

 そしてソーダアイスを十五センチの顔の傍に持っていくと、十五センチはアイスを力強くくわえた。

 手を離すと十五センチは口をほとんど動かさず、吸うみたいにアイスを少しずつ口の中に入れていく。

「他になに食べるの」

「ゼリー。肉とか魚とかもあげてみたけど、食べなかった」

 鳥子はアイスを少しだけかじった。

 僕も元の位置に戻り、アイスをかじってから喋る。

「水みたいな物が好きなのか」

「みたい」

 鳥子はほんの少しだけアイスをかじる。むしろ削ると言った方が正しいくらい、わずかな量だった。

 どうやら鳥子は、十五センチが吸うのに合わせて同じだけアイスを食べているみたいだ。

 そのことに気がついた僕は、それを指摘せずに黙って真似ることにした。

 十五センチの口元を注視し、慎重にアイスをかじる。

 そのかたわら鳥子の方も見て、鳥子もペースを守っているか確認する。

 ちらちらと見ているうちに鳥子は僕の方を見るようになって、そして僕が真似を始めたことに気づいた。

 目がしばしば合い、僕たちは微笑み合った。

 やがてアイスがなくなると、

「私たち、馬鹿みたい」

 と鳥子は満足げに言い、片足を伸ばして十五センチの水の中に入れた。

 僕たちはしばらく両足を水の中に入れ、バタ足をして遊んだ。

 飽きて足を水から抜こうとしたが、タオルを用意していなかったので僕たちは一瞬青ざめた。

 そして、やっぱ馬鹿だよ、と鳥子は大笑いした。

「お母さん、呼ぼう」

 と僕は大声を出して下にいる鳥子のお母さんを呼んだ。

 うるさい、と鳥子は笑いが止まらない。

「いいから鳥子も一緒にやって」

「はいはい」

 鳥子はゆっくり息を吐き、笑いを落ち着かせる。

「はい、オッケー」

「じゃあ、いくよ」

 僕たちは力の限り大声を出した。

 どうしたの、と大慌てして走ってきた鳥子のお母さんにタオルをお願いすると、心配した反動だろう、ものすごく呆れられた。

 バスタオルを二人で使う。

「いつまでここで飼えるのかな」

 と鳥子は十五センチを見上げながら言った。

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