てるてるドラゴン、空の上

近藤近道

第1話 お前のてるてる、龍になったよ

 教室の窓際には、ホラー映画でも作るのかというほどたくさんのてるてる坊主がぶら下げられている。

 まるで集合写真を撮る時のように、完全には重ならないように、だけど少し重なったりしながら、縦に四段、横にはたくさんてるてる坊主が並んでいる。

 こんなことになったのは、遠足のせいだ。

 遠足では遊園地に行くことになっていた。

 しかし天気予報によると、遠足の日は一日中雨らしかった。

 よっぽどの悪天候でない限り行くと先生は言っていたが、仮に行けたとしても雨が降っていたらテンションが上がらない。

 晴れてほしいね、なんて話ばかりがクラス内でされる中、てるてる坊主を作り始めたやつがいた。

 てるてる坊主作りはなぜかクラス内にすぐ広まり、ブームになった。

 中学生にもなっててるてる坊主を作るのかと自嘲しながらみんなで作って吊したら、窓の上半分は端から端までてるてる坊主が密集しているという異様な光景が完成してしまった。

 僕たちは爆笑した。

 もう雨でもいいや、と思った。

 だけど遠足の日は本当に晴れた。

 僕たちは遠足をとてもとても楽しみ、てるてる群に心から感謝した。

 それから一週間が経つ。雨はまだ降っていない。

 少しも雨が降らないのはこのてるてる群のせいなのではないか。

 クラスメイトたちは都市伝説のように話している。

 きっと雨が降るまで、てるてる群は吊されたままだろう。


 放課後、人がほぼいなくなった教室で、僕はそのてるてる群を見ている。

 なんとなく一人では帰りたくなかった僕は、部活動が終わるのを待っていたのだが、てるてる群の方から水滴の落ちる音を聞いたのだった。

 じっと見つめていると、ぱちゃ、とまた一滴落ちる音がする。

 僕は席を立ち、窓際に行く。

 落ちた水滴でサッシが濡れている。

 その上を見ると、水滴を垂らしているてるてる坊主が一体だけいるのを見つけた。

 近くの席の椅子を動かし、そのてるてる坊主を取り外す。

 犬みたいな顔を描かれたてるてる坊主だった。

 僕の手の中でてるてる坊主はどんどん濡れて、しぼんでいく。

 ぎゅっとちぢれて、それから細長くなり、白かったのが緑に変わり、最後には小さな龍になった。

 龍はもう少しで僕の手からはみ出すという長さになっていた。

「なあ、お前のてるてる、龍になったよ」

 手の龍に釘付けになったまま僕は、教室に残っていたもう一人、鳥子に声をかけた。

 鳥子はてるてる坊主を最初に作った、いわばてるてるブームの生みの親だった。

 犬のてるてるも確か鳥子の作品だ。

「龍?」

 ノートに漫画を描いていた鳥子は、丸めていた背中を伸ばして振り返る。

 大理石を連想させる綺麗な顔している。赤い血ではなく透明な水が流れていそうだ。

 鳥子は丸い眼鏡の中の目を、怪しむように細めた。

「ほら」

 僕は龍を落とさないよう両手を受け皿にして、鳥子の席に行く。

「確かに龍だね」

 と鳥子は、龍の胴体の真ん中あたりをつまんだ。

 首のあたりをつかまれた猫みたいに、龍はだらんと垂れる。

「元気ないっぽい?」

「水かな」

 と僕は確証もなく言った。

「水?」

「ちょっとくんでくる」

 僕は自分の鞄から水筒のコップを出して、トイレに行った。

 洗面台でコップめいっぱいに水を入れ、こぼしながら教室に戻る。

 鳥子は急須でお茶を注ぐみたいな手つきで龍の体を支え、口を水面に持っていく。

 龍はコップに顔を突っ込むと、水を一気に飲み干した。

「やっぱり水だったのか」

 龍といえば、水とか雨とかに関係あるものだ。

 だから水が必要だと感じたんだろうなと僕は納得する。

 龍は体を真っ直ぐ伸ばした。

 うわ、と言って鳥子が指を離す。

 龍は落ちなかった。

 指を離した高さでそのまま浮いていて、そして体のいたるところから水がじわりとあふれる。

 布巾をしぼった時のような水の出方だった。

 しかし出てきた水は落ちず龍の周りにとどまり、龍は水の膜に包まれたようになった。

 龍は口でコップをつつく。

 もっと水をくれとねだっているようだ。

「催促してる」

 と鳥子が言った。

「ああ、うん」

 僕はまた水をくみに行く。

 今度は水筒本体も持っていく。

 龍はどんどん水を飲む。膜は、大きな金魚鉢のような丸い水の塊になる。

 完成させた金魚鉢の中で、龍は満足そうにゆっくりと長い胴をくねらした。

「なんなんだろう、これ」

 と鳥子は水の塊に目を近づける。

「龍でしょ」

「じゃなくて。どうして龍なんか生まれたんだろうってことを考えてるの」

「ああ、そういうことね」

「だって、元々てるてる坊主だよ? ティッシュペーパー。ティッシュから龍にはならないでしょ」

 鳥子は龍を包む水に強く息を吹きかける。

 そして左手の人差し指で表面に触れ、どうやら危険ではなさそうだと判断したらしく、左手をおそるおそる突っ込む。

 龍は水に入ってくる手を見つめているが、抵抗する様子はない。

「雨が降らなかったから、かもね」

 と僕は思いつきで言った。

 おとぎ話のような話だった。

「遠足の日、雨が降らなかった。てるてる坊主が天気を変えたから。でも天気を変えるなんて、簡単にできることじゃない。それでも強引に晴れにしたせいでなにかが歪んで、その歪みのせいで龍が生まれた」

 現実的な推測ではないな、と話していて思った。

 だけど鳥子は龍の胴を指先で撫でながら、なるほど、と理解を示した。

「つまりこの龍は、あの日に降るはずだった雨ってことか」

「そうかもしれない」

「なら、大切にしてあげないとね」

 鳥子はもう片方の手も水の中に突っ込み、両手で龍を撫でた。

 龍は嬉しそうに顔を上下させる。

「あ、そうだ。物差し持ってない?」

 僕も撫でてみたくて龍の傍に寄ったら、鳥子が言った。

「持ってるけど」

「ちょっと、貸して」

「うん」

 使わないのに筆箱に入れっぱなしになっている定規を鳥子に貸す。

 鳥子はずぶ濡れの手でそれを受け取る。

 手から水が床にぼたぼたと落ちた。

 定規を持った手はすぐ水の中に戻って、龍の体長を測る。

 空いた手で頭を持ち、定規を持った手でしっぽをつかんで龍を真っ直ぐ伸ばした。

「うわ、十五センチだ。ぴったり」

 と鳥子は言った。

 僕は、十五センチ測れる定規と同じ大きさなら、十五センチプラス数ミリなんじゃないかと思ったけれど、細かいことを言ってもつまらないから黙っておく。

「十五センチだから、君の名前は十五センチだ」

「サラダ記念日みたい」

「ちょっと違うよ」

 鳥子は定規を僕に返した。

「そう?」

 濡れている定規に、さらに鳥子の手から水滴が伝わり、僕の手の内に届く。

 定規ごと手をハンカチで拭く。

「ねえ、十五センチのこと、みんなには黙っててくれない?」

「いいけど、どうして?」

「この子、飼いたくなった。私のてるてる坊主から生まれたんだし、私が独り占めしてもいいと思う。でもみんなが知ったら、クラスで飼うことになっちゃうでしょ」

「だろうね」

「ね、お願い」

「うん、わかった。秘密にする。だけど」

 その代わり僕にも龍の世話をさせてほしいと頼む。

 龍を飼うどころか、見ること自体この先あるとは思えなかった。

「陽介は第一発見者だから、そのくらいの権利は当然ある」

 そう鳥子はうなずいた。

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