第38話 砂のお城 01



 砂嵐が視界を遮って先がほとんど見えない。

 ただひたすらに白い砂が吹きすさんでいるだけの光景を、馬上の男は顔を守る布の間から見やった。隣に馬を並べている同行者に話しかける。

「これは途方もないな……いつもこんな?」

 問いかけられた男は、大げさな身振りで肩をすくめた。

「そんなわけないと思うが……。明らかに異常だ」

「参ったな。カドス砦に着けると思うか?」

「着けなかったら行き倒れ決定」

 深刻な内容にも拘らず、男二人の会話にはどこか適当さが漂っている。そこに少女の声が割り込んできた。

「砂嵐くらい避けてあげるわよ」

 その言葉と同時に、彼らを中心にふっと砂嵐がやむ。視界が晴れるとそこは、白砂が広がる砂漠であった。少女の声が、二人の背中を押す。

「ほら、さっさと進む!」

「人使いが荒い……」

 急きたてる少女に、ドアンは肩を落として手綱を取りなおした。ガジェンが苦笑してそれに続く。



 彼ら二人が、ヤルダ国内に旅人として入ったのは五日前のことになる。

 ミネダード砦から出立した二人はヤルダに入国し、そのまま国境線をガンドナ方面に向かって移動した。その道中でいくつか大きい街に寄りながら、ヤルダの国内状況と行方不明になった王女の行方を聞き込んだのである。

 彼らが得た情報と、複数方面から行った調査を付き合わせると、どうやらヤルダ王は現在寝たきりで、宰相のジシスが実質的政務を行っているらしい。しかし王子サヴァスと彼を支持する者たちがそれに反対して、内部は完全に分裂しているとの噂だ。

 一方、行方不明になった王女ネフェリィはどちらにも属さず両者を仲裁しようとしていたという。

「軍を編成しつつあるのは王子と宰相の両方共とはな。内戦でもするつもりかな」

 しみじみとしたガジェンとは異なり、ドアンは辛辣な笑みを浮かべた。

「内戦だけなら勝手にしてもらって構わないんだが。うちにちょっかい掛けて来るんじゃしょうがないな」

「魔女を殺して何とかなるんだろうか」

「ならなかったら正面から戦うだけだ」

 ヤルダは十年前の敗戦で領土の半分を失っている。その半分は現在、ミネダード砦より先のファルサス領地になっていた。

 今度もし戦争になったらヤルダは国ごと滅ぶかもしれない―――― ガジェンはぼんやりと隣国の行く末に思いを馳せる。


 馬を操る男二人の後ろには、十歳くらいの赤い髪の少女が同様に馬に乗っている。年齢の割にはきつめの美しい貌に、冷めた表情を浮かべた彼女は実は人間ではない。ファルサス国王の寵姫である魔女の使役する精霊である。

 今回の出立に当たり、ファルサスはヤルダに動向を悟られないよう、まず二人だけを向かわせることになったのだが、その二人の安全を確保するため精霊の一人が付けられたのだ。ミラという名の精霊は「面倒くさい」と不平をもらしながらも、今のところ彼らに力を貸してくれている。


 三人はそうして砂嵐を結界で避けながら、ヤルダ西部にあるカドス砦に向かった。行方不明になった王女に付いていた魔法士が、その方角に向かったという目撃証言を得たうえでのことだ。

 地図を見た限りは、砂嵐さえ妨害しなければ、そろそろ砦に着く頃である。熱砂の中を進む馬を労わりながらドアンが顔を上げた時、彼は視界の先遠くに、石造りの巨大な建物がうっすらと浮かび上がっているのを見出した。

「着いたか……」

 ドアンが呟く。

 振り返るとガジェンは苦笑して、ミラはつまらなそうに彼の顔を見返していた。



 砦が間近に見えてくると、ガジェンは自分の剣を確認して心配そうな顔になった。

「普通に訪ねて大丈夫かな」

「遭難した旅人だと言えばいいさ。実際遭難しそうになったし。それに何かあったらティナーシャ様が転移門で回収してくれることになってる」

「女王のお手を煩わせないのよ。その時は潔く死になさい」

「…………」

 この少女は本当に自分たちの安全の為に付けられているのだろうか。ガジェンは疑わしく思ったが、あえて深く考えないことにした。

 三人は門に馬を寄せる。外には誰も立っていない。ガジェンは中に聞こえるよう声を張り上げた。

「どなたかいらっしゃるか!」

 声は高い壁に跳ね返って消えたが、中には届いたのだろう。門の向こうから兵士が走ってくる。ドアンとガジェンは緊張してそれを見つめた。

 彼らを見つけた兵士は驚愕の声を上げる。

「どうやってここに来たんだ!」

「え?」

 警戒や敵意ではない、純粋な驚きの声に二人の男は顔を見合わせた。



 三人は簡単な身体検査の後、中に通された。

 ガジェンは剣を佩いていたが、旅人の護身用ということで問題なしとみなされる。ただミラは人間に触られたことで大層機嫌が悪くなり、前を行く二人の男は火の粉が自分に及ばないようにと祈っていた。

 彼らが通された部屋には、ヤルダの将軍だというイオセフと魔法士のゲート、そして武官のネオナが待っていた。

 イオセフは三十代半ばの精力的な男であり、浅黒い肌にいくつか古い傷跡が残っているのが見える。魔法士のゲートは王女の護衛ではなかったかと言われる人物で、鋭い目をした青年だった。

 最後に武官のネオナはヤルダでは珍しいことに若い女性で、長い金髪を編みこんで上に纏めている。笑っていれば可愛らしい顔立ちなのだろうが、今の彼女は厳しい目で三人を見つめていた。


 イオセフは人の良い笑顔を浮かべると、三人に椅子を勧める。彼らが着席すると口を開いた。

「いや、君たちは運がいい。実は一週間程前から急に砂嵐が起こってね。我々も出られないし、困っていたんだ」

 将軍の言葉に、ガジェンが代表して問う。

「こういう嵐は時々起こるのですか?」

「まさか。信じてもらえないかもしれないけどね。この辺りは一週間前まで普通の平原だったんだよ。それが一週間で砂漠になってしまった」

 ガジェンとドアンは口を開けて唖然とした。

 彼らはどちらも二十代であり、十年前の戦争には参加していない。ヤルダ国内のことは書面と簡単な地図でしか知らなかったので、ここがもともと平原だとは思っても見なかったのだ。


「そういうわけで、ここに来て助かったと思ったかもしれないが、今の砦は閉じ込められてるも等しい状況なんだ」

 イオセフは自嘲気味に笑う。ドアンが質問の為に手を上げた。

「魔法士の方は転移できないんですか?」

 ゲートはその質問に鼻を鳴らした。

「この平原……今は砂漠か、には結界が張られていて、直接転移が出来なくなっている。しかもこれは、我々が張ったものではない。許可されてないんだ。誰かが我々を閉じ込める為に張ったのさ」

 ドアンは頭を抱えたくなるのを何とか堪えた。

 砂漠に入った時に妙な感じを覚えたのだが、まさかそんな結界が張られているとは思わなかった。後ろを窺うとミラが他人事の顔で足を組んでいる。どうせこの精霊は分かっていても言わなかったのだろう。正体は魔族だけあって、主人以外はどうでもいいのだ。


 しかし任務である以上、お手上げとも言っていられない。

 ドアンは頭を切り替えた。状況を見極めるために、慎重に探りを入れ始める。

「誰かが作為的にここを封じ込めたってことですか?」

「そうだろうな」

 ゲートが忌々しげに答えた。ドアンは更に進めて問う。

「実は俺たち、ガンドナから来たんですが……ヤルダの王女様が行方不明って本当ですか?」

 ヤルダの三人が一斉に顔色を変えた。

 王女ネフェリィの失踪については、ヤルダ国内では公表されていないことなのだ。国民に対しては、今も王女は城にいることになっている。真実を知っているのは、ガンドナとそこから情報を得た者たちだけだ。


 三人は厳しい顔を見合わせていたが、イオセフが肩をすくめて溜息をついた。

「行方不明なのかもしれないな。城にはおられないという話も聞いたよ。最近どうも城はおかしくてね。私にも何がなにやらよく分からん。……ああ、こんなこと君たちに言えることじゃなかったね。すまない」

 ―――― 思ったよりも遥かに狸だ。

 ドアンは神妙な顔を作りながら頷いた。

 ゲートがここにいる以上、彼らは王女の行方を知っているはずなのだ。だがイオセフは多少の真実と親しさを以ってそれを覆い隠そうとしている。


 ドアンは横に居るガジェンを一瞥した。彼はドアンに向かって頷く。

 二人の目的は調査だけではない。可能であるなら交渉の先端を開くことこそが本命で、その権限はドアンに与えられていた。


 彼は姿勢を正す。

 その目でまっすぐイオセフを、次にゲートを射抜いた。

「貴方がたをここに閉じ込めたのは誰なのか分かりますか?」

 彼らは答えない。ただ渋面で黙り込んでいる。それは知らないのではなく、知っていて口に出したくないのだということが窺われた。

 ミラが馬鹿にしたように彼らを見やる。ドアンはすっと立ち上がると、三人の前に踏み出した。できるだけ落ち着いた声で告げる。

「もし誰なのか分かっていらっしゃるのならば、そしてその人物を打倒なさりたいのならば、手を貸してもいいと、我らが王は仰っています」

 イオセフが顔を上げた。驚きの目がドアンを見つめる。

「君たちは一体……」

「私たちはファルサス国王、オスカー・ラエス・インクレアートゥス・ロズ・ファルサスの使いとして参りました。―――― 今が貴国の転機とお思いなら、どうぞご決断ください」

 その言葉に、今まで俯いていたネオナが、はっとその愛らしい顔を上げたのである。




 イオセフとゲートが語った内容は以下のものだった。

 ネフェリィは王宮内部の分裂の影に、兄サヴァスの情人である不思議な女の介入を感じたのだという。元々王が病に伏せ、宰相のジシスが実権を握った時、サヴァスはそれをよくは思わなかったのだが、宰相に正面から対抗できるほどの覇気も力もなかった。

 しかしそんな時、一人の美しい女が現れ、サヴァスに助言をし始めたのだ。

 彼女の助言は的確で、次々に兄に味方をするものが増え、ついにはジシスと争えるまでになった。そこまではネフェリィも心配しながらも兄を応援していたのだが、ある時サヴァスが、「国を取り戻したら次は領地だ。ファルサスに取られた土地を取り返す」 と言い出したの聞き、その変わり様に愕然とした。

 ただでさえ内部分裂の真っ最中で国はガタガタである。この上折角纏めた国でファルサスに挑んだりなどしたら、国そのものがなくなりかねない。

 ネフェリィは兄を必死で制止したが、サヴァスは一顧だにしないどころか、むしろ彼女を幽閉しようとした。妹に優しかった兄は、もはやどこにもいなくなっていた。


 ネフェリィはガンドナの祝典に出席すると言って、逃げるように城を出た。一旦国を出て、婚姻を結んでいる何処か別の国にでも入り、事情を話すべきだと思ったのだ。

 だが国境に差し掛かろうとする直前で、彼女に追っ手がかかった。待ち伏せされているのを知ったネフェリィ一向は、進路を変えカドス砦に逃げ込み―――― そうしてそこで閉じ込められたのだという。


「あの妖女は事有るごとにサヴァス殿下に野心を吹き込んでいるそうです。国を取り戻せ、土地を取り戻せ、世界に手を伸ばせと。ジシス陣営では暗殺された者も出てきているらしく、それをサヴァス殿下の仕業と思ったジシスが軍を挙げるのも時間の問題になっております。このままではお恥ずかしいことですが内戦は避けられません」

 イオセフの苦しみを搾り出すような声に、ガジェンとドアンは沈痛な顔で頷いた。

 国を育てたり滅ぼしたりするのが趣味だという魔女は、まさに今その遊びの真っ最中なのだ。サヴァスが勝っても負けても彼女の楽しみに代わりはないのだろう。歴史の表に出てこないだけで、過去こうして興亡をいじられた国は他にもあったに違いない。

「それで今、王女殿下は……」

「それが……砦に向かう際の混乱で、護衛たちとはぐれてしまいまして。今も行方が分からないのです。お探しに向かおうにもこの砂嵐でして」

「え……」

 ファルサスに仕える二人は愕然とした。

 王女は結局本当に行方不明なのだ。これではこの砦を味方に付けても、ヤルダの内部紛争に割り込めるかは怪しくなってくる。


 どうすべきかドアンは逡巡した。王女を探すべきか、それとも砦を見捨てて別の糸口を探した方がいいだろうか。他国のことには冷徹な彼は、どの方法が一番効率がいいかしばし考える。

 その時ずっと黙っていたネオナが口を開いた。

「王女殿下がいらっしゃらないにも拘らず、この砦が閉じ込められているということは、追っ手はここに殿下がいらっしゃると思っているはずです」

「それを利用しろと?」

「砂嵐がとければ殿下を探しますし、それまでは具合が悪くて臥せっていらっしゃるとすればいいかと」

 なかなか辛辣な女性だ、とドアンは感心した。そして悪くない提案だった。彼は軽く頷く。

「ではそれで行きましょう」

 ネオナはドアンの言葉にほっとした表情を見せた。



 事情を聞き、砦側の協力体制を取り付けるとドアンは改めて息をついた。

「さて、転移封じはどうするかな」

「また砂漠道中か……」

 ガジェンが苦笑する。それを馬鹿にするように、少女の声がかけられた。

「私が嫌。面倒」

「そんなこと言っても」

「直接帰ればいいじゃない。ティナーシャ様、聞いてました?」

「聞いていましたよ」

 聞きなれた、美しい女の声が突如部屋に響いた。ドアンとガジェンは驚きに顔をあげる。それは誰の声か知らないヤルダの三人も同様だった。

 次の瞬間、ミラの隣に歪みが生まれる。黒髪の美しい女が、何もない空間に転移してきた。彼女は髪をかき上げながら正面の三人に会釈する。

「ミラと知覚を共有させて頂きました。盗み聞きのような真似をしてすみません」

「貴女は……」

「私のことは置いておいて。王にも話は伝わってます。あと一時間ほどで仕事の区切りがつくのでその時改めて話を詰めましょう。―――― ドアン、ガジェンは一度帰りますか。お疲れ様でした」

 てきぱきと指示を出す女に、ヤルダの三人は呆気に取られた。

 帰れるという話を聞き、ドアンとガジェンの二人はほっと胸を撫で下ろす。ミラが宙に浮きながら、嬉しそうな顔で魔女の首に巻きついた。

「ティナーシャ様、お役に立った?」

「助かった。ありがとうミラ」

「いつでも呼んでね! ニルより役に立つから!」

「はいはい」

 魔女は苦笑する。ミラは主人へぶんぶんと手を振ると、ふっと姿を消した。ドアンが疲れた声で呟く。

「俺らへと全然態度が違うし……」

 それを聞いたティナーシャは、声をあげて笑い出した。




 一時間後、約束通りオスカーは魔女と二人の臣下を伴って砦に転移してきた。

 先ほどの三人、イオセフ、ゲート、ネオナが代表で彼らを迎える。オスカーはイオセフの挨拶を聞くと簡潔に言った。

「まず言っておきたいのは、今回ファルサスが介入したことは、こちらから公にするつもりはない。そちらもそのつもりでいてくれ」

「かしこまりました」

「あと王女が行方不明らしいが、彼女を保護できるかどうかは悪いが保障できない。こちらがやるのは王子に甘言を吹き込んでいるという女の排除のみだ」

「充分です」

 イオセフは即答して頭を下げた。

 ―――― まさかファルサスの助力を得られるとは思っても見なかった。

 たとえそれがごく限られた範囲での協力でも、この状況を打破する一石となるならば盛大に歓迎したいくらいだ。

 ただ気になることは一つだけある。

 どうして今、助けてくれるのか。内戦が終わった混乱後に軍をもってヤルダを滅ぼすことも彼にはできるはずだ。

 イオセフが遠まわしにそう問うと、ファルサス王は秀麗な顔に不敵な笑みを浮かべて返した。

「先に手をだしたのは向こうだからな。それに……相手が魔女ならば俺が出るのは当然だろう」

 隣りでは黒髪の美女が目を閉じて微笑んでいる。

 その言葉にイオセフを始めとする三人は、ようやく彼らを追い詰めている人間が、世界に五人しかいない魔女の一人であることを知ったのである。




「さて、どう誘い出すか……」

 オスカーは顎に指をかけ、部屋の中を見渡した。

 左から、ネオナ、ゲート、イオセフ、そしてアルス、クム、ティナーシャが思い思いの表情で立っている。全員の顔を見回して、ふとオスカーはあることに気づいた。

「レオノーラは何でネフェリィ王女を殺さないんだ?」

 魔女の力をもってすれば、砦ごと破壊する方が砂嵐を維持するより簡単に思える。なのに何故わざわざ面倒なことをするのか、気になった。

 それに答えたのはゲートである。

「ネフェリィ様は城を出るにあたって、陛下より指輪を譲り受けていらっしゃいまして。それが王権継承を行う神殿の鍵にもなっているのです」

「つまりその指輪がないとサヴァスは即位できないのか」

「然様で」

 オスカーは首を捻った。それが王女と共に行方不明になっていると分かったらレオノーラはどうでるのか。予測不能な展開になるよりは、王女が無事であるということにしておきたかった。

「じゃあ王女の身柄にこちらが介入すると見せるだけでいいか。宰相と睨みあってる以上、軍は動かせまい。自分たちで来るだろう」

「あ、私がその辺りは駄目押ししておきます。レオノーラは短気なんで楽勝です」

 ティナーシャは自分のことを棚にあげて軽く言った。オスカーは魔女の頭を軽く叩く。

「準備にどれくらいかかる?」

「砂嵐を解くと介入がばれますから、その前に一帯に召喚構成禁止の構成を張って……もろもろで丸二日くらいですね。三日目に砂嵐を解いてレオノーラを来させます」

「分かった」

「私が何人か借りて作業しますから。二日目の夜に貴方を迎えに行きますよ。それまで仕事しててください」

 魔女の言葉に頷きかけて、オスカーは眉を寄せると恋人の耳を摘んだ。

「お前、その間に独断専行するなよ?」

「何の話ですか?」

 ティナーシャは目を逸らした。オスカーは耳を引っ張る力を強める。

「黙って何かしたら逆さ吊りにしてやるからな」

「…………」

 魔女は嫌そうにぎゅっと目を閉じると、男に見えない角度で舌を出した。

 その表情にアルスとクムは頭痛を覚えたのである。




 オスカーが帰ってしまうと、ティナーシャは四人の精霊を呼び出して砂漠に構成を引く為砦を出て行った。アルスは砦の構造を確認しにイオセフに案内を受けている。城壁の上ではクムが精霊を介して、ティナーシャとやり取りをしていた。

 どんどん進んでいく準備に、ネオナは砦の回廊からぼうっと外を眺める。視線の先には、自分たちを閉じ込める絶望の象徴であった砂嵐が見えた。

 ―――― まるで嵐のようだ、と彼女は思う。

 外がではない。突如やってきたファルサスの人間たちがだ。

 その中でも特に、自信に満ち溢れたファルサス国王の姿が、彼女の心を強く惹いていた。

 昔から話には聞いていたのだ。秀麗な容姿に随一の剣の腕を持つ王子であると、彼を高く評価する声は国境を越えて届いていた。

 だが彼の魅力はそんな外的なものではない。

 今なら分かる。あの強い魂の輝き。人を捕らえ従わせる王の眼。迷いのない視線に自分を委ねたくなる。

 会うことはないと思っていた。でも会ってしまったのだ。魔女に捕らわれたというサヴァス王子も、こんな思いを味わったのだろうか。

 ほんの一目あっただけ、会話をしたわけでもないのに馬鹿馬鹿しいと分かっている。

 それでもネオナは気づくと彼の記憶を追いかけて、砂嵐を見つめている自分に気づくのだ。




 ※ ※ ※ ※




「レオノーラ……何処だい?」

「ここよ」

 外はまだ日が高い。にも拘らず部屋の窓には布が引かれ、中は薄暗かった。

 名前を呼ばれた女は寝台から体を起こす。蜂蜜色の髪がゆるやかな曲線を描いてその背に広がった。薄く開けられた扉から男が中を覗きこむ。

「寝ていたの? 御免ね」

「構わないわ。どうしたの?」

 女はにっこりと微笑んだ。その笑顔に安心して男は部屋に入ると、彼女の居る寝台に腰掛ける。

「ジシスが手持ちの将軍たちを集めているようだ。いよいよ軍をおこす気かもしれない」

「そう……でも大丈夫よ。貴方が正当な王位継承者なのだから。反逆罪で裁けばいいわ」

「けど王じゃない。ネフェリィがいなければ……」

「大丈夫。すぐにいい方に向かうわ。信じていて、サヴァス」

 魔女は白い手を男の頬にそえた。―――― その微笑は男を虜にする笑みだ。

 男は夢の中にいるかのように茫洋と頷くと、彼女の指示に従って所持する軍をいつでも動かせるよう部屋を出て行った。


 男の背が扉の向こうに消えると、レオノーラは苦笑する。

 サヴァスは弱い。一人では何も決められない。彼女がいなければとっくにこの国はジシスのものになっていただろう。

 だがそれでいいのだ。強い男や傲慢な男はもう懲り懲りだ。翻弄されるのは好きではない。彼女にとって自分こそが翻弄する人間で、全ての人間は遊びの為の可愛い駒にすぎなかった。

 レオノーラは寝台から起き上がると小さく欠伸をする。その耳に配下の声が届いた。

「レオノーラ様、トラヴィス様に差し向けた魔族は全て殺されました」

「そう。そっちはもういい」

「ファルサスですが、青き月の魔女は城を空けているようです」

「ふぅん?」

 珍しいこともあるものだ。自分たちに敵がいることは分かっているだろうに、何かあったのだろうか。


 レオノーラは、ティナーシャがあんな男を選んだことが信じられなかった。

 自分と同列、時には上位に男を置くなど彼女には耐え難いことである。ましてやアカーシアの剣士だ。自分を殺すかもしれない人間の傍にいるとは滑稽の極みではないか。


 とは言え、ティナーシャは所詮王族あがりの小娘だ。一人で生きていくのが辛くなったのだろう。レオノーラはかつての痩せ細った少女を思い出し、鼻で笑う。

 ―――― 小生意気な女だ。自分とは違う魔女。違う光で人を惹く。

 少しはその光も曇ればいいのだ、と思う。憎いわけではない。ただ気に入らないだけだ。

 そしてティナーシャが死ねば、或いは彼女が最愛の恋人を失えばどんなにか面白いだろう。

 想像するだけで胸が沸き立つ。新しい遊びだ。

 レオノーラは艶やかに笑いながら、配下の女に向かって二、三指示を出した。




 ※ ※ ※ ※




 オスカーは城に戻ると、本日分だけではなくできるだけ先の仕事まで処理してしまった。

 ファルサスの介入を伏せる以上、連れて行く人間は厳選しなければならない。今回はティナーシャも全部の精霊を出すつもりでいるらしいが、相手も魔女である。こちらも相応の準備が必要になるだろう。

 王の魔女は、この一件に契約者を関わらせたくなかったようだが、元の発端がどこであれ、狙われ、死の淵を彷徨ったのはオスカー自身である。ファルサス襲撃では犠牲者も出ていることであるし、今後同じようなことをさせない為にも、彼が手を出してレオノーラを叩くつもりだった。


 仕事を終え、護衛の兵士と共に自室に向かっていたオスカーは、視界の先、廊下の窓に美しい黒髪の女が腰掛けているのに気づく。左右の兵士が彼女に向かって頭を下げた。

「ティナーシャ、どうしたんだ」

「会いたくなって……駄目ですか?」

「構わんが、向こうは大丈夫なのか?」

「向こう? 平気です」

 女はにっこり笑うと窓の縁から飛び降りた。オスカーの隣りに駆け寄ってくる。彼はその頭を撫でると、左右の兵士に下がるように命じた。


 部屋に入ると、彼女は両手を伸ばしてオスカーに抱きついてくる。彼は苦笑すると、その体を抱き上げて運びそっと寝台に下ろした。甘えるようなあどけない顔で見上げてくる彼女の横に腰を下ろす。

 オスカーは女の目を見たまま、その細い手首を掴んだ。同時にカシャンという小さな金属の音が鳴る。彼女は手首に触れた冷たい感触を確認しようと首を捻ったが、オスカーの反対側の手がその顎を捕らえて許さなかった。

「あいつへの仕置き用に置いてあるんだが、役に立ったな」

「……オスカー?」

「気安く呼ぶな。誰だか知らんが、俺が自分の女を間違えると思ったか?」

 その言葉に女は失敗を悟って戦慄した。男の目が冷ややかに彼女を睨む。

「……っ」

 女は逃れる為の構成を組もうとして、魔力が集中できないことに気づいた。顔を固定された彼女は見ることができないが、その手首に嵌められているのはアカーシアと同質の封飾具なのだ。これを身に着ければティナーシャでさえも構成を組むことはできない。


 オスカーは視線だけで射殺せそうな迫力を持って、捕らえた女を見下ろした。

「とりあえず不愉快だからその擬態を解いて貰おうか」

 女は緊張に唾を飲み込んだ。断れば即首を絞められそうな空気だ。彼女は意識を集中し、魔力ではない力を動かす。それに伴って黒髪は鮮やかな緑の髪へ、闇色の瞳はやはり同じ緑へと変わっていった。

 普通の人間にはいない鮮やかな色を見て、オスカーは眉を顰める。

「お前が魔族を召喚していた女か。半妖かもしれないと言っていたな」

 女は唇だけで笑った。

 オスカーはその態度に鼻で笑うと、顎を掴んでいた手を滑らせ女の細い首に手を掛ける。

「名乗れ」

「……アデライーヤと申します」

「目的は何だ」

「我が主の命により」

「レオノーラか。趣味が悪いな」

 アデライーヤはせめてもの矜持で黙って微笑んで見せた。

 全身が死の予感に冷え切っている。封飾のせいばかりではない。実際に間近で相対するとこの男の強さが分かるのだ。

 オスカーはしばらく蒼ざめた女の顔を見下ろしていたが、やがて軽く笑った。

「お前はレオノーラに大切にされているか?」

 その言葉の意味を知ってアデライーヤは喘ぐように口を動かした。

「わ、私のことなど塵芥も同様です」

「そうか? まぁどちらでもいい」

 無造作にそう言うと、オスカーは女の首を絞める手に力を加えた。頚動脈を的確に押さえる。アデライーヤは目を見開いた。

 数秒後、意識を失った女の体を引き摺りながら、オスカーは魔法士を呼ぶために廊下に出た。

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