第33話 分からないこと
「完全には消えなかったわね」
白い石床が広がるだだっぴろい浴場で、ルクレツィアは立ったままティナーシャの背中を見下ろすと嘆息した。
椅子に座り髪を洗っているティナーシャの腰付近には、言われた通り子供の手の平ほどの茶色い痣が残っている。ティナーシャの魔力が回復し目覚めた後、二人の魔女はアルカキアが肌に残した爪痕を治癒にかかった。しかし全身の治癒が終わったあとも、背中のその部分だけは消えない痣として残ってしまったのだ。
真白い肌に残された染みに、ルクレツィアは眉を顰めた。
「あとで痣が薄くなる魔法液を作ってあげる」
「構いませんよ。見えない位置ですし。ありがとうございます」
「ちゃんと手入れしなさい! ……まぁそれを見る男にはいい薬になるでしょうけどね」
「何でこんなとこ見るんですか。自分でだって見ませんよ」
「…………」
ルクレツィアは小さく溜息をついた。踵を返し浴槽の中に下りていく。
二人がいるのはティナーシャの自室にある浴室ではなく、ファルサス城の片隅にある大浴場だ。陶磁と滑らかな石で作られたそこは広々として湯気が満ちており、浴槽は泳げそうなほど広かった。本来であれば王族しか使えない浴場に、今は二人の魔女がいるだけである。
ルクレツィアは浴槽の中で手で泡を作って遊びながら、洗い場にいる友人を眺めた。ティナーシャは先程から長い黒髪を梳っている。その作業に夢中になっている友人に、ルクレツィアは軽く声を掛けた。
「あんたと付き合ってるとこの年になっても驚きに事欠かないわ」
青き月の魔女は唇だけで笑うと、「ありがとうございます」と言った。
ルクレツィアは風呂から上がるとそのまま自分の森に帰ってしまった。友人と別れたティナーシャは自室に転移する。鏡台の前に座ると髪を乾かし始めた。彼女が帰って来た事に気づいたのか、パミラが入ってきてそれを手伝う。
「ティナーシャ様、支度が出来たら陛下がお会いしたいと仰ってますよ」
「分かりました」
ティナーシャはうとうとと眠りそうになる意識を引き戻した。昏睡から目を覚ました後、一度オスカーと顔をあわせているのだが、その時はルクレツィアが絶対安静! と言ってすぐに彼を追い出してしまったのだ。ちゃんと時間を取るのは、目覚めてからこれが初めてかもしれない。
「何をお召しになりますか? ルクレツィア様から色々服を頂きましたが」
「あの変態の選ぶ服なんて着たら大変ですよ」
苦笑するパミラに、ティナーシャは肩を竦めた。わざわざルクレツィアが服を贈っていったということは、十割方嫌がらせ目的であろう。おそらく妙に肌を出す服でも用意したに違いない。
パミラは主人の為に白い絹のドレスを選ぶと、それにあわせて細々と仕度をした。主人の長い黒髪は丁寧に梳き、左耳の横にドレスと共布の大きな花飾りを一つつける。少し蒼白い頬と唇には血の気を補うように薄く化粧した。
魔女は体にまだだるさが残っているのでされるがままだ。
準備が出来るとティナーシャは執務室の前に転移した。扉を叩き、中に入る。
室内には、部屋の主人の他にクムや数人の文官たちがいた。彼らは白いドレスを着た美しい魔女の姿に息を呑む。王が軽く眉を上げた。
「何だお前、待ってれば俺が行ったのに」
「転移してきたのですぐです。お邪魔でしたか?」
「構わん」
オスカーは手招きで魔女を呼び寄せた。隣りに来た彼女の体を膝の上に抱き上げる。彼は、白い肌が治っていることを確かめながらその額に口付けた。
壊れ物を扱うように魔女へと触れる王を見て、部屋に居た文官たちは席をはずすべきか顔を見合わせる。クムが苦笑しながらそれを促した。二人だけになってしまうと、魔女は困ったように契約者に尋ねる。
「やっぱり仕事の邪魔してますよ」
「別にいい。それよりちょっと後で脱げ」
「何で」
「ちゃんと治ってるか見たい」
「治ってるよ!」
ティナーシャは小さな両手で拳を作ると、男のこめかみを締め上げた。
しかし彼は痛くないのかしらっとしている。
「減らないからいいだろう」
「気分的に減ります」
魔女はそっけなく返すと、男の手を逃れて魔法で宙に浮かび上がる。
そのいつも通りすぎる返答に、オスカーは不審を覚えた。確認するまでもないと思っていたのだが、やはり確認することにする。
「お前、俺のことをどう思ってるんだ」
古典的な問いに、魔女は不思議そうな顔をすると、あっさり答えた。
「契約者」
オスカーは机に突っ伏した。
半分くらいは予想していたのだが、それでも実際聞くとかなりの疲労感である。何だか疲れを通り越して笑い出したくなってきた。
机に伏したまま笑い出した男を、ティナーシャは怪しいものでも見るような眼で見下ろす。彼女は浮いている高さを下げて、男の髪を指で梳いた。
「あと、大事」
「そうか」
オスカーは更に笑い出した。
魔女は眉を顰める。毒の後遺症でおかしくでもなっているのだろうか。前から時々思っていたことだが、この男の笑いの基準はよく分からない。
「何なんですか……」
「いや……お前もうちょっと色々考えてみろ、な?」
はー可笑しい、と言いながら顔を上げた契約者に、魔女は眉を顰めた。
言われてみれば何か考えなければいけないことがあった気がする。その時は非常に重要なことに思えたのだが、ばたばたしていたのと三日寝込んだせいで忘れてしまった。いつ何を考えようと思ったのか記憶を手繰りながら、魔女は仕事に戻る彼を残して部屋を退出する。
魔女が談話室を訪ねると、そこにはいつもの魔法士たちの他にアルスとメレディナもいた。先に談話室に来ていたパミラが、ティナーシャに会いたがっていた二人に声を掛けたらしい。一同の歓迎を受けてティナーシャは恐縮しながら椅子につくと、パミラが淹れてくれたお茶を飲んだ。真っ先に上がった話題は問題の毒についてだ。
「怪我の功名でアルカキアの血清が出来ましたから……。ルクレツィアに解析を任せてあるので、あの毒に対する対処法が出来たということですね。それでも死に至るまで数分なので実際の対応は大変ですが」
「でも対抗策があるとないとでは大分違います」
カーヴが興奮した目で力説する。アルカキアは入手も困難であるが、その対処法がないことが今まで最大の問題だったのだ。血清の存在が明らかになれば、今後使用されることもなくなってくるかもしれない。
アルスはずっと気になっていたことを口にした。
「そういえば結局黒幕は誰なんだろう。魔物をあれだけ召喚して、クラーラを城にいれて、毒針を渡したわけだろ? 並大抵のことじゃないが複数でやってるんだろうか」
「ちょっと見当がつかないです。クラーラは何か言ってましたか?」
「全然。会話にならない」
今回の事件で王を傷つけた実行犯の女は既に気が狂ってしまっている。情報も得られず、処刑されるのも時間の問題だろう。一度は王によって助けられた命であるのに、結局は失われることとなってしまった。そのことを思うとティナーシャは複雑な気分になる。
ただそれもクラーラが自身の生き方を選んだ結果であり、またこのことでオスカーがやり方を変えていく必要はないと、彼女は思っていた。彼を守れなかったのは自分の落ち度である。さすがに針のようなものを弾くまでに結界の精度をあげると日常生活が困難になってしまうので不可能だが、それでもあのような場で彼の隣りを離れるべきではなかった。そのことを悔いると共に、取り返しのつかないことにならなくてよかったと、心から思う。
事件についての感想をおのおのが述べてしまい話題が雑談に移ると、ティナーシャはふと先ほどの執務室でのことを思い出した。
「―――― というわけで、何で笑われるのか意味不明です」
一通りを話した後、そう締めくくって周りを見回すと、全員が何とも言えない顔をしている。ドアンなどはオスカーと同じ様にテーブルに伏して笑い出してしまうし、パミラは頭痛がするかのように頭を抱えていた。カーヴは「笑える陛下がすごいな……」と洩らしている。
アルスは頭をかきながら尋ねた。
「ティナーシャ嬢、自覚がないのか?」
「何のですか」
「…………」
―――― これはつける薬がない。
ほぼ全員がそう溜息をつきかけた時、レナートが口を開いた。
「ティナーシャ様、陛下の仰る通り、もっとちゃんとお考えになってください」
真面目くさった臣下の忠告に、魔女は戸惑って眉を寄せる。
「と、言われても何を考えるのか思い出せなくて……」
「例えば今回のことにしても、以前の契約者たちなら同じことをなさいましたか?」
立て続けの質問にティナーシャは首を傾げた。何人かの顔を思い浮かべる。
「うううううん。状況にもよりますが、したかもしれないけど腹立ちますね」
「陛下は特別なんでしょう?」
「多分……うん、そうです」
―――― 何だか子供みたいな返事になってしまった。
ティナーシャは気まずげな表情になったが、他の人間たちは、ある者は面白そうに、ある者は心配そうに二人のやりとりを見つめている。
レナートは結論から一歩手前の問いを投げかけた。
「何故特別なんですか?」
「な、なんでだろう……愛着?」
全員が脱力する。見事に振り出しに戻ってしまった。これはもう百年くらいかけないと駄目なのかもしれない。
しかしそれでもレナートは折れなかった。 決定的な指摘をする。
「ティナーシャ様は陛下に対し、契約者以上に男性として、愛情を抱かれているのではないですか?」
「―――― は?」
場に空白が訪れる。
誰も何も言わない。
中心にいる魔女は呆然としている。
さて、どうするんだろうと一同が見守る中、 ティナーシャは急に立ち上がると横に居たアルスの首を絞め始めた。
「そうなんですか!?」
「俺に聞かないで欲しい……あと首絞めるのやめてください」
力がない彼女の手とはいえ苦しいことには代わりがない。ティナーシャは首にかけた手を放すと、アルスの両肩を掴んで揺さぶった。
「年の差が四百歳以上あるんですが!」
「貴女は年の差を気にしてはいけないと思う……」
魔女の魔力が洩れて窓硝子がぴしぴしと音を立てる。窓を背にしていたドアンは首をすくめた。
―――― あれだけあからさまに口説かれているのに、また躊躇いも無く彼の為に命を懸けられるのに、どうしてこんなに無自覚なのだろう。
四百年の年月は人から色々なものを奪うらしい、と一同は口に出さぬまま思った。魔法士たちはそれぞれ、嵐に備えてこっそり結界を張る。
魔女は愕然と立ち尽くした。
「わ、私が?」
魔力を帯びた風が部屋の中に吹き始める。カーヴは慌てて机の上に広げられていた書類を集めた。ドアンがアルスとメレディナを自身の結界の中にいれる。
徐々に強くなる風が魔女の髪を舞い上げた。しかしその発生源は、風に気づかないほど困惑している。
嵐の渦中にあって魔女は呟いた。
「私、そういう感情って持ち合わせてないと思ってたんですが……」
「そんなことないと思います……」
シルヴィアが恐る恐る口を挟む。頭を抱えながら魔女は全員を見回した。
「ちょっと多数決とってもいいですか」
「何故そうなるのか分かりませんが、どうぞ……」
「私ってオスカーのこと好きだと思う人ー?」
かなり暢気にも聞こえる魔女の声に、顔を見合わせながら全員が小さく手を上げた。
非常に訳の分からない事態だが、魔女は自分の質問の返答を見て数瞬自失する。
そして
「な、何だそれは!!」
と叫び声を上げた。
ようやく家に戻って一息ついていたルクレツィアは、友人が嵐のような勢いで飛び込んできたことに眉を顰めた。
「何かあったの?」
「いえ、大したことじゃないんですが、夕飯作るんで付き合ってください」
「いいけど……まずお茶淹れてよ。あとその服着替えなさい」
ルクレツィアは家事に不向きな白いドレスを指してそう言う。
とは言え、着替えを取りにいく時間の余裕はあっても、精神的余裕はない。ティナーシャは友人に服を借りて、丈の短い黒いドレスに着替えた。服の好みが違うせいか、かなり足が露出しているのだが、動きやすいので気にしないことにする。
彼女はまずお茶を淹れてそれを友人に出すと、手際よく夕食を作った。二人で食卓を囲みながら、ルクレツィアはぽつぽつと話す友人の話を聞いていたが、食事を済ませてしまうと呆れた顔でティナーシャを見る。
「あんたさ……かなりそれ今更だと思うんだけど」
「そうなんですか?」
「そう」
ルクレツィアは溜息をつく代わりにお茶を口に含んだ。
食卓の向かいではティナーシャが難しい顔をして唸っている。その表情に気が抜けて、ルクレツィアは頬杖をついた。
―――― ティナーシャが今の契約者を持ってから、何だかんだ言ってルクレツィアはいつもこの年下の魔女の世話を焼いている。
そのことがすなわち、彼女が揺らいでいるといういい証拠ではないのだろうか。
それまでのティナーシャは何事にも平然として、一人でほとんどをこなしていたのだ。もっともそれは、彼女が塔に住むまでの百年を除いての話だったが。
ルクレツィアは思考の迷路に勝手に落ち込んで行きそうな友人を見やった。赤く塗った爪を伸ばしてティナーシャの額を指差す。
「考えたって分からないものは分からないの。もっと素直になれば? あんたずっと前からあの男のことが好きでしょ」
「何で!!!」
「何でって、私に聞かれても。むしろ聞きたい。何で自覚がないの。あーやだやだ精霊術士は。四百年も堅物やってるとこんなになっちゃうのね」
「変態に言われたくない!」
「私をあちこちで変態言ってるのはあんたか!」
魔女同士の応酬が、まるで子供の喧嘩のようである。ティナーシャは血の上った頭を深呼吸して落ち着けた。息を整えると非常に困った顔でルクレツィアを見る。
「そうなのかなあああ」
「私はそうだと思うけどね」
「うう」
ティナーシャはテーブルに突っ伏した。
考えてもまったく分からない。つかめもしない。
素直になれと言われても、認めれば自分が変質してしまいそうで怖かった。
彼女は契約者のことを思う。自分を捕らえる力のある瞳が脳裏に浮かんだ。無意識のうちにぼそりと呟く。
「……もう殺すしかない」
「何でそうなるのよ!」
ルクレツィアは、吹っ飛んだ友人の思考にテーブルを叩いて、そしてぐったりと脱力した。
※ ※ ※ ※
オスカーは仕事が一段落ついた後、パミラを掴まえてその主人の居場所を聞いた。しかし彼女は歯切れも悪く苦笑しながら、「そのうち伺うと思います」と答えただけである。
とりあえず魔女が城にいないらしいことが分かり、彼は首を傾げながら自室に戻った。着替えをしつつ、昼間のことを思い出す。
まったく彼の魔女は掴み所がなくて面白い。見ていて飽きないのはよいことだろう。オスカーが思い出し笑いをしながら窓の外を見ると、そこはもう夜になっていた。病み上がりの彼女が今日中に帰ってくるのだろうかと心配になる。
しかしその心配は無用だった。窓を叩きもせず、部屋の中に直接魔女が転移してきたのだ。珍しい唐突さにオスカーは少し驚いた。
昼とは全然違う格好をした魔女は、宙に浮かんだままオスカーの両肩を掴む。
「オスカーちょっといいですか!!」
「何だ突然」
「考えてももう本当に全然分からないんで、今みんなに意見を聞いて多数派を採用しようとしてるんですが!」
「何やってるんだ」
―――― 意味が分からない。掴み所がないのにも程があると思う。
頭痛がおきそうだったので、オスカーは魔女を床に下ろしてその場に残すと、自分は戻って寝台に腰掛けた。疲労感に満ちた息を吐く。
「……で?」
「私って貴方のことが好きなんですか!?」
「……お前の壊れっぷりも極まってきたな」
ティナーシャは本当に困り果てて、寝台に座る契約者を見つめた。
今日一日、話す人間全員に呆れられている気がする。そんなに分かりきったことなのだろうか。
彼が特別だ。
それは自明のことである。
しかしこの感情を何と名付けていいのか、自信がない。
四百年以上も捕まったことがない感情なのだ。
体の、精神の奥底に、確かに熱がある。
ぬるま湯のように、炎のように揺らぎながら、それは決して消えることがない。
その存在を定義できない。
だから名前が欲しかった。
オスカーは真剣な目をしている魔女を見て苦笑し、ゆっくりと瞬きをすると微笑しなおした。
「そうだ。今頃気づいたのか」
彼は右手を魔女に向かって差し伸べる。
魔女は、初めて出会った時のように、透き通った美しい目で彼を見ていた。
「おいで」
優しい呼び声に、稀有なる魔女は一歩一歩確かめるように近づいてくると、彼の腕の中に立った。その姿は少女のようにも女のようにも見える。オスカーは彼女を見上げて、白い頬に手を添えた。
「何故泣くんだ」
闇色の瞳から水晶に似た涙が零れ落ちている。長く黒い睫毛を水滴が伝い、温かい雫が彼の手を塗らした。
魔女は、言われて初めて自分が泣いていることに気づく。胸の熱さが、そのまま涙となって彼の手に落ちていった。
―――― ようやく辿りついた。
言葉にならない感慨が魂を満たしていく。
本当に長かったのは、今までかもしれない。
ティナーシャは、男の顔を包み込むように両手を添えた。自分を見つめる青い目をじっと見返す。
何よりも大切な男の目。
囁く声が震えた。
「全然分からない……でも…………貴方に会えてよかったです」
その先は言葉にならない。
ただ何と呼ぶのかは、もう知っていた。
伝わる温度を感じて、ティナーシャはゆっくりと目を閉じる。
男は彼女の言葉を自分の体に沁み込ませるように聞いていたが、魔女の頬に触れていた手でその涙をぬぐうと
「それは光栄だ」
と嬉しそうに呟いた。
狂いたくないと、彼女は思う。
強い感情に狂うのはもう充分だった。
愛情も憎しみも要らない。
執着しない。
ただ遠い世界のことのように全てを眺めていればいいのだ。
自分だけが異物であるかのように。
そうして時を渡ってきた。
けれどもう時を越える必要はない。
ここが彼女の終着点なのだ。
※ ※ ※ ※
目が覚めた時、既に部屋は充分明るかった。
日の昇り始めと共に起きる彼にしては珍しいことである。オスカーが起き上がって隣を見ると、そこには彼の魔女が安らかな寝息を立てて眠っていた。
彼は魔女の小さな頭をくりくり撫でながら、彼女の体に毒の痣が残ってしまったことを思い出す。ルクレツィアの、ざまみろ、という表情が目に浮かぶようだ。
―――― 彼女の痣は自分への戒めだ。
それは見る度にきっと傷に埋まってしまった棘のように疼き続ける。そして、そんな痛みも抱え込むことが、彼女と生きていくということなのだろう。
頭を撫でられていることに気づいたのか、魔女がうっすら目を開けた。覚め切らない両眼をオスカーは見つめる。
「おはよう」
「うん……」
彼女は唸りながら小さく頭を振った。長い睫毛が再び落ちていこうとする。オスカーはその様子をじっと眺めた。
「お前、やっぱり寝起き悪いのか」
「うう」
前に砦で彼女と同室になった時も、なかなか起きられない様子だったのだ。今まで契約者の前ではきちんと振舞っていただけで、実は朝に弱い体質なのかもしれない。
ティナーシャは目を何度かこすった。手をかざして天井を仰ぎ、ついで隣に居る男を確認する。
「おはようございます……」
眠気たっぷりの声だった。オスカーはつい声を上げて笑ってしまう。
男の笑い声に、徐々に覚醒してきた魔女はようやく状況を把握したらしい。右手で赤くなる顔を覆った。
「どうした」
からかうような声で意地の悪い笑みを浮かべている男を見て、ティナーシャは眉を顰めた。眠りの中から体を引き戻す。
彼女は、ゆっくりと体を覆う布を片手で引きながら上半身を起こすと、空いてる手で男の頬に触れた。
男の唇に自分のそれを重ねる。
顔を離して一つ瞬きをすると、魔女は魂を蕩かすような美しい笑みを浮かべて
「愛してますよ」
と透き通った声で囁いた。
「ああああ、構成が組みにくい!」
「何やってるんだ……」
オスカーは、天井近くで逆さに浮いている魔女を見上げた。悶絶している守護者に呆れた目を向ける。ティナーシャは小さな頭を抱えた。
「うう……これはちょっと練習が要りますね」
「せいぜい頑張れ。俺は仕事に行くぞ」
「後で行きます」
魔女はそういうと両手を広げた。一瞬で構成を組み立てる。
かかる時間は変わらないが、使っている魔力量が多いので若干疲れる。構成自体を見直した方がいいかもしれない、と彼女は首を捻った。創意工夫も努力も嫌いではない。それを無数に繰り返して今に至るのだ。
魔女は軽く別の構成を組むと城の上空に転移した。
精霊魔法以外は前と同じに使える。が、いい機会だから全ての構成を見直そう、と彼女は決定事項に加えた。
風が気持ちいい。
空が近い。
これから何が来るとしても、負ける気はなかった。
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