第21話 夢の終わり 01



 タァイーリの西方砦に転移した軍は五大国の軍勢はおよそ五万。わずか数百人のクスクルを滅ぼすには過ぎた力に思えるその数はしかし、魔法士たちの未知数の力を慮ってのことだった。

 ティナーシャを逃した晩、ルストを締め上げて情報を得たオスカーは、後手後手に回らされ無駄に時間を食ったことに機嫌がすごぶる悪い。魔女の指定した日はもう明日に迫っている。果たしてこれから進軍してその何かに間に合うのだろうか。

 苛立ちに苛まれながらオスカーは、夕暮れの砦入り口付近で将軍たちと共に明日からの進軍経路を確認する。そうして顔を上げた彼はふと、自分の方に向かって走ってくるシルヴィアに気づいた。魔法士の女は王の前に立つと息を切らせながら報告する。

「陛下、民間人の少女が保護を求めて来たんですが、その子はここからクスクルへ向かう街道の途中で魔法士たちに追われたみたいなんです。今、会議室に皆様集まっておいでですから、陛下もお願い致します」

「分かった」


 会議室に向かう途中でシルヴィアが説明したのは以下の内容だった。

 保護された少女はルリと名乗ったらしい。彼女はクスクルに最初に焼かれた町の生き残りらしく、隠れて暮らす魔法士に保護されていたのだという。だがクスクルの魔法士に見つかりそうになってそこを離れ、砦に向かう途中でやはり魔法士たちに見つかって追い回された。

「よく無事だったな」

「子供だったからでしょうか。ともかく実際の話は本人からお聞きになってください」

 会議室に到着すると、シルヴィアは主君の為に扉を開けた。オスカーが中に入ると既に他国の王族や指揮官の姿が数多く見える。

 その中央には一人の幼い少女が背を向けて立っていた。少女は新たな人間の気配に気づくと振り返る。緑色の瞳でオスカーをまじまじと見上げ、喜びに顔を輝かせた。

「王子様だ! 本当に居たんだ!」

「……俺は王子じゃないぞ……」

 つい言ってしまってから彼は、少女に合わせたほうがよかったかと思い直す。しかし彼女は食い下がった。

「嘘! 私見せてもらったもん。とっても強いんだよって、お姉さんが言ってたよ」

「見せて?」

「悪い魔法使いから助けてくれたの。すっごく美人だったのよ。私が泣き止まなかったから、色んなお話してくれたの。色んなものも見せてくれた。手を当てるとね、頭の中に本当に見てるみたいに浮かぶの」

 少女の言葉は拙くはあるが、オスカーには心当たりがあった。膝を屈めて少女の目の高さに合わせる。

「黒髪だったか?」

「うん。目の色も。明かりのない夜の色」

 予想通りの答に彼は小さく嘆息する。

「あの神出鬼没女め……」

 オスカーは立ち上がると力が抜けそうな頭を手の平で支えた。



 少女が魔法士に追われ、更に魔女に助けられたのは砦から馬で一時間ほどの少し開けた場所らしい。

 夜が明けてから砦を出た軍はその手前で進軍を止めると、まず魔法士たちを先の調査に向かわせた。迂闊に進んで罠にかかるようなアスドラ平原の二の舞は避けなければならない。しかし帰って来た魔法士たちは、指揮官が集まる天幕に戻ると「特に異常は感じられない」と報告してきた。

 オスカーは調査に行ったドアンを、手招きで天幕の外に呼び寄せ小声で尋ねる。

「本当か?」

「微弱な魔力は感じられるのですが、何の構成も見られません。……ただもしティナーシャ様が施した術なら正直私たちが見破るのは不可能です」

「やはりそうか」

 さてどうしようか、とオスカーは思案する。

 既に他国の王族と指揮官の間ではこの先を通過する方向で話がまとめられているようだ。確かにここを迂回しては、今日中にクスクルに入ることはできない。これは罠と分かっても入るべきか……と考えたオスカーに背後から若い女の声が掛けられた。

「用事を頼んどいて移動しないで欲しいわ」

「……うってつけの人間が来たか」

 振り返るとそこには閉ざされた森の魔女が、不機嫌そうな顔で立っていた。



「全部の街を見に行ったわよ! 面倒くさい」

「悪い。で、どうだった?」

 ファルサス国王のすぐ傍に立ち密談する美女に、周囲を通る兵や少し離れた場所にいる指揮官たちは、ちらちらと興味ありげな視線を送った。しかし当の二人はまったく意に介せず話し込んでいる。

「どうもこうも。マメなことするわね、って感じ。住民の時間を極端に遅らせて、擬似時間停止状態にしてある。その上でそれらの人間を知覚できないようにさせたわけ。いなくなったわけじゃないわ。今もちゃんと人はみんな街にいる。勘のいい人間なら気配を感じるんじゃない?」

「ああ、なるほど……」

 オスカーは、スズトが幽霊のような気配がする、と報告していたのを思い出した。言ってみればあの街には今、触っても見てもそうと分からない透明人間が多数存在している状態なのだろう。そんな凄いことを九つの街にわたって、しかも幾つも同時刻にやってしまうのだから改めて魔女の恐ろしさを知る思いだ。

 王は感心さえして、もう一人の魔女に問う。

「解けるか?」

「いやよ、かったるい。それに時間が過ぎれば自動的に解けるようにされてたわ。あと一時間もすれば全部の街が解けるわよ」

「本当か!?」

「本当。じゃ、もう私は行くわね」

「ちょっと待て」

 ひらひらと手を振りながら転移しようとするルクレツィアの腕を、オスカーは捕らえた。魔女は眉を顰めて振り返る。

「何よ」

「この先にティナーシャが何か魔法をかけていかなかったか見て欲しい」

「何で私が」

「他に出来る人間がいない」

「あったとしても、回り道をしている余裕がないなら同じじゃないの?  人を殺すような術じゃないから安心しなさい」

 ルクレツィアはそう言って舌を出した。どうやらここに居ながらにして、彼女にはどんな術が用意されているのか分かるらしい。

 やっぱりあるのか、とオスカーは内心溜息をつく。魔女は両手を腰に当てると片眉を上げた。

「大体、あの子が今回中心人物なだけでも問題なのに、私まで関与したって分かったら面倒この上ないわ。それにどちらかといったら、私はあなたよりあの子の望みを優先するからね」

「あいつは自分を顧みないじゃないか」

「それでもよ。私は助けない。自分で何とかしなさい」

 手厳しい、それでも正論の魔女の言葉にオスカーは舌打した。

 ルクレツィアは情報はくれる。けれど手は出さない。それが彼女の魔女としての選択なのだろう。突き放すような彼女の一線は、だが人の自由を重んじてのことなのだ。

 それが分かるオスカーは小さく頷いた。

「分かった。何とかする」

「いい子ねー」

 からかうような目で笑うルクレツィアは、しかし次の瞬間ひどく真面目な、滅多に見せない表情でオスカーに囁いた。

「あの子は自分を守らない。あなたが盾になりなさい」

「……ああ」

「この転機に、あの子にあなたが居てよかった」

 魔女は琥珀色の瞳に、悲しげな、愛おしむような翳を浮かべる。しかしその目をすぐに閉じると、普段通りにっこりと笑った。

「せいぜい頑張りなさいよ」

 軽い言葉を残して彼女の姿は消える。オスカーは二人の魔女に翻弄される自分を思って肩をすくめた。



 結局、罠の存在を疑いながらも五万の軍勢は進軍を開始した。

 それでも万が一何かあったときの為に、諸国の王族や指揮官は軍の中心部にまとめて集められている。オスカーは進軍を他の将軍に任せて、アルス、メレディナ、クム、ドアン、カーヴ、シルヴィアらを自分の周囲に集めた。魔法の仕掛けがあったとしても、彼らが居れば大抵のことには対応出来るはずだ。

 とは言え、用心に身構えながら一時間ほど進んでも、別段何が起こるわけでもない。指揮官たちは次第にその変化のなさに安堵し始めていた。

 だがすぐに最前列の部隊から伝令が走りこんでくる。

 曰く、「進んでも進んでも先が見えない」と。


「すごいことしますね……。これだけ大きな空間を封鎖してあるとは」

 カーヴは感嘆の溜息をもらした。賛辞ともとれる、実際半分はそうなのであろう臣下の言葉にオスカーは頭痛を堪える。

「まったくあいつは存在自体が反則だな。どうすれば解ける?」

「構成の要が見えれば……。規模からいって、ティナーシャ様が現在進行で維持しているのではなく、紋様をどこかに固定して維持させているはずです。それを見つけられれば或いは。でも構成自体が全く見えません」

「俺も見えない」

 お手上げである。オスカーは少しだけルクレツィアの薄情さを呪った。

 一方歩みを止めた軍は、指令を出すべきその中央部からして混乱していた。オスカーが周囲を見回すと、将軍や王族、その側近たちや護衛の兵士、魔法士がおろおろと情報と打開策を求めてそこかしこで話し合っているのが見える。

 彼らの中にルスト王子の姿を見つけてオスカーは忌々しく思った。そもそもあの男が変な時間稼ぎをしなければこんなことにはならなかったのに、と八つ当たり気味な苛立ちが湧き上がってきて、とりあえず殴りつけたくなる。代わりについ舌打しかけた時―――― 突如その男はそこに現れた。


 混乱する彼らの中心に、何の前触れもなく出現した魔法士。黒いローブを纏った男は、自分に注目が集まり始めると優雅に膝を折って一礼した。よく通る声で朗々と挨拶する。

「お初にお目にかかります。私はクスクルの魔法士長バルダロスと申します」

 クスクルの名に数人が素早く剣を抜いた。途端殺気立つ周囲にバルダロスは肩をすくめながらそれを両手で留める。

「私を殺してはここから出ることは叶いませんよ。我らが王の花嫁が作られた、芸術品といっていい代物です。中から出ることはまずできますまい」

「道化め、何の用だ」

 メンサンの将軍が乱暴に問いかける。バルダロスは彼の方に向き直って笑った。この魔法士は自身に与えられた役回りを随分楽しんでいるようで、芝居がかった台詞で答える。

「この度は皆様、クスクルへの従属を申し出るために、健気にもお集まりになったとのこと。是非我らが王が神の如き力を得るところをご覧にいれたいと思いまして……僭越ながら私がご案内に参った次第です。勿論全ての方をご招待することは無理でございます。席がそんなにございませんから。でもそうですね……ここにいらっしゃる要人、将軍、側近の方々くらいなら充分余裕がございますよ」

「そんな話に誰が乗るか!」

「思い上がりも大概にしろ!」

 怒号が飛び交う。

 しかしバルダロスはそれを全く意に介せず、仮面のような笑顔を顔に張り付かせていた。オスカーは鞘に入ったアカーシアに手をかけたまま一歩進み出る。

「分かった。連れて行け」

「陛下!?」

 クムが慌てて声を上げる。しかしバルダロスはそれに構わず満足そうにオスカーを一瞥した。彼は両手を大きく広げる。複雑な構成が腕の中に現れた。

「勿論、お連れしますとも。……しかし他の方々も皆ご一緒です。拒否権はございませんよ。あなたたち観客がいませんと私どもが困るのです。何故ならあなたたちは……」

 構成が発動する。クスクルの魔法士を中心に百人前後の人間を飲み込んで門が開いた。悲鳴や驚愕の声の中、バルダロスの声はかき消される。

 だがオスカーは確かにその続きを聞いた気がしたのだ。

『あなたたちは我らが花嫁への人質となってもらうのですから』

 と。



 転移門が開いた先は、何処までも続く広い荒野の中の遺跡だった。

 乾いた砂が混じる風。砂塵が降り積もる円形の広場には白い石柱がいくつか立ち並んでいるが、それ以外にも折れて倒れているものも多い。足元には崩れかけた石の床があり、広場の中央部分は十数段の石段を経て高くなっていた。

 そして円形の空間を取り囲むように、外周にはすり鉢状に三階分ほどの高さの石段が作られている。といっても完全に取り囲んでいるのではなく、あちこち崩れている為、実際は外周の半分ほどしかない。時の流れを感じさせるそこは、無残というよりも静謐を想像させた。


 静寂に満たされた過去の都。このような時でなかったならば、人々は寂寞の景色に感嘆しただろう。しかし今、外周の石段には三百人余りのクスクルの魔法士たちが立ち、中心に転移してきた「来客」を思い思いの表情で見下ろしていた。石段に並ぶ魔法士たちの中には有翼の中級魔族を始め、使役されていると思しき異形の生き物もかなりの数混じっている。

 オスカーはそれを見渡して暢気に言った。

「絵に描いたような待ち伏せだな」

 他の人間たちはある者は唖然と、ある者は恐怖に駆られ立ち尽くしている。オスカーが後ろのアルスを振り返ると、彼は緊張した面持ちで肩をすくめた。他の部下たちをも見回すと彼はアカーシアを抜剣する。

 ―――― おそらく何があってもティナーシャが生きている限り、守護結界がある自分が死ぬことはないだろう。

 しかしオスカーは部下を死なせるつもりもなかった。彼はアカーシアの柄をしっかりと握る。

 その時、彼らの眼前、十数段の石段の上に、他の魔法士たちを伴って一人の男が現れた。白髪の豪奢な衣装をつけた男は、周囲の人間に傅かれて進み出る。その中にはいつの間に移動したのかバルダロスの姿もあったが、ティナーシャはいない。オスカーは中央にいる男の名を呟いた。

「ラナク……」

 それを聞いて周囲の人間はぎょっとする。四百年前の人間であるという彼は、どうみても二十歳前後にしか見えない。病的なほど白い髪と肌はその空間にあって不思議な程浮き上がって見えた。


 ラナクは「観客」を見下ろすと微笑む。

「ようこそ、滅びしトゥルダールの大聖堂に」

 その言葉に観客たちは周囲を見回す。四百年前には魔法大国と謳われ、もっとも力があった国の残骸がそこには沈黙していた。最早玉座を持たない国の廃墟で、ラナクは新しい玉座に座りながら続ける。

「今日わざわざお越し頂いたのは、一つの提案があってのことだ。―――― 我が国を憎むタァイーリの例に洩れず、世界には差別や争いが耐えない。神は不公平で、気紛れだ。或いはいないのかもしれない。その力は届かない。だから、人は人を殺す。憎んでは殺し、愛しながら殺す」

 淡々とした声は、優しくもなく厳しくもなかった。まるで感情がない人形のようだ。ラナクは硝子球に似た目を伏せる。

「それはもうやめにしよう。争いはしない。これを決まりにするんだ。守れないのなら罰が下る。そのための力を……僕は得る」

 すぐには誰も何も言えなかった。ラナクの正気を疑っている者も多かっただろう。

 つまりそれは、神になるという宣言に等しいのだ。そんなことが可能なはずはない、と猜疑を窺わせる観客の思いを感じ取ってか、ラナクはうっすらと笑った。

「世界に五つある魔法湖のことはあなたたちもご存知だね。あれは自然の精気と、魔力と、人間の魂で出来ている。今、魔法湖の術式はあそこに糊着し周囲の生命力を溜め続けているが、あれらを構成で繋ぎなおして、大陸に網を張る。そうすれば大陸中を監視することが可能になるし、天候もそれによって操れる。中々悪くないだろう?」

 ―――― いつものティナーシャが隣に居たら、悪いよ! とでも言いそうな主張だ。

 オスカーはいきり立つ魔女を想像して、つい笑ってしまった。しかしすぐに気を引き締める。

 魔法湖の力については、魔獣によって思い知っていた。狙って作られたのではない、たまたま生まれた魔獣であの威力だ。意図的に全ての魔法湖を制御下におけるなら確かにその力は神にも等しいものとなるだろう。

 しかし、いかに理想が崇高であろうと、そのような術の完成と、それが一人の人間に委ねられることは阻止せねばならない。独善はいつ狂いだすのか分からないのだ。或いはそれは、存在し始めた時から狂っているのかもしれない。

「構成には一時間ほどかかる。退屈かもしれないが是非立ち会って欲しい。ここから新しい時代が始まるのだから」

 ラナクはそう締めくくると、玉座から立ち上がって微笑んだ。



「では、僕の花嫁を紹介しよう。彼女がいなければ、こんな大掛かりな術は組めないからね。その力を触媒として借りるよ。アイティ、おいで」

 ラナクは右手を軽く振ると、自分の隣りに門を開いた。そこから一人の女と、彼女に付き従う三人の魔法士が出てくる。

 何重にもレースが重なる白い花嫁衣裳を着たティナーシャは、その場にあって異質なほど美しかった。彫刻家が一生をかけて作り上げたような造作は、今は憂いを帯びた表情で目を伏せている。

 彼女は双眸を上げてまずラナクを見、ついで石段下の観客たちの存在に気づいて、一瞬愕然とした表情になった。彼女に付き従っていた三人の魔法士の内、ほんの少女である一人を除いて他の二人の男女も同様に顔色を変える。

 王の隣に居たバルダロスがそれをにやにやと見やった。ラナクは花嫁の美しい顔を覗き込んで、微笑みを湛えたまま首を傾げる。

「どうかした? アイティ」

「私の術を突破されたの?」

「違うよ。僕が手伝って、バルダロスに連れてこさせたんだ。是非見てもらいたいと思って」

「……そう」

 ティナーシャは小さく呟くと踵を返した。

 左右の従者を安心させるように彼女は笑ってみせると、ラナクより一歩下がった位置に腰を下ろす。同時にそこに白い石で出来た無骨な椅子が出現した。

 ラナクは彼女の肩に手を置く。そしておもむろに詠唱を開始した。



 詠唱だけが響く遺跡の中、オスカーはどう出るべきか思案していた。

 完成までには一時間かかるという。その間にどうにかして術の完成を止めなければならない。

 だがもし彼がラナクを殺しに向かえば、外周に控える魔法士たちは彼だけでなく他の観客を殺す為に動くだろう。そうなればこの人数差だ。ただではすまない。

 隙が欲しい、オスカーはそう強く思った。

 肩の上のドラゴンを見るとナークは小さく欠伸をしている。彼はそのドラゴンを授けた女に視線を移した。彼女は闇色の目をすぐ自分の足元に落としており、誰も視界にいれていない。魔女の狙いが何処にあるのか、オスカーはただその姿を見つめた。



 パミラは動揺を押し隠して、彼女の主人を見守る。

 まさか「観客」が連れて来られているとは思っても見なかった。

 ラナクの案なのかバルダロスの案なのかは分からない。そのことによって事態がどう転ぶのか、想像もしたくなかった。

 ―――― どうか力を……お守りください……。

 パミラはそう、誰にともなく祈った。




 四百年は長かった。

 精神を倦ませるに充分な時間だ。

 しかし彼女はそれを乗り越えてきた。

 最初の百年は、同じ魔女であるルクレツィア以外には口をきく事さえ満足に出来なかった。人間が憎くて仕方なかった。

 しかしその憎しみを何とか封じ込めることに成功した頃、彼女は人に期待し、愛することもやめた。それをすれば、再び思い出してしまうような気がしたのだ。世界を焼くほどの強い憎しみを。


 塔を建てて、達成者と会うようになってからは少し人が好きになった。

 彼らは面白かった。

 一生懸命だった。

 その美しく跳ぶ生が羨ましかった。

 人とはかくあるものかと、思った。そして自分はどうして違うのかと。


 このままあとどれだけの月日を重ねれば、死ぬことができるのだろう。

 平穏な日々。しかし燻る憂いを残しながら 彼女は時を渡り続ける。

 そうしてようやく彼女は、ずっと探していた一人を見つけたのだ。


 詠唱が心地よく耳に響く。

 彼女はこの声を子守唄として育った。

 優しい声。

 彼女を守る声。

 求めたものはこの先にある。

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