第19話 感情の形 02


 瞼を閉ざせば今でも鮮明に思い出すことができる。

 炎に包まれてもだえ苦しむ母の姿を。


 物心ついた時には、既に彼は母親と二人で森の中の小さな小屋で暮らしていた。母は週に一度町に行き、食料などを買い込んで帰ってくる。だが彼が町に行くことは決して許さなかった。

 ―――― けれど、禁じられれば興味は募る。

 ある日彼は家を抜け出して町に行き、そしてそこで出会った同じくらいの年の子供たちに、実に他愛無い気分でいつもやっていることを見せてしまったのだ。

 子供たちの中にいたある女の子の帽子が池に落ちてしまった。お気に入りらしく泣いている彼女に、魔法で帽子をとってやったのである。ただそれだけだ。

 喜ぶだろうと思って差し出した帽子はしかし、恐怖の顔で振り払われた。子供たちは散り散りに逃げて行き、代わりに恐ろしい顔をした警備兵たちが彼を追いかけてくる。


 彼は必死で逃げ、家に辿りついた。

 彼の慌ただしい説明を聞いた時の母の顔は、絶望としか言いようがなかった。取るものも取らず二人で家を出た時、ちょうど町の方から警備兵がやってくる。警備兵は逃げ出そうとする親子を見ると持っていた瓶に火をつけた。

 炎がついた油瓶が、家に、そして彼らに投げられる。

 母親に突き飛ばされ、彼は森の中に逃げ出した。

 一度だけ振り返った彼が見たものは炎の中で舞うように苦しむ母の最期だった。


 彼は自分にしか聞こえない声で呟く。

「母は魔法士じゃなかったんだ」

 しかし殺された。

 自分のせいで?

 そうだが、そうではない。魔法士を忌む人間が彼女を殺したのだ。

 魔法を弾圧するこの国を捨てて、他国に逃げようとは思わなかった。しなくてはいけないことがあるのだ。母を殺した彼らの顔は今でもよく思い出せる。あの時まだ若かった彼らは、数年前に警備兵から軍属になった。何処に配属されたのかも、ちゃんと調べたのだ。

 復讐を。

 贖いを。

 それだけが生きる理由だ。

 だから出来上がった大規模構成を見た時、レナートは言い知れぬ高揚を感じたのだ。この平原が彼らの最期の地になる。

 あの日の母と同じに、苦しみながら炎にまかれて死ねばいいのだ、と。



 平原の炎が消えた時、辺りには死体の焼ける嫌な匂いが充満していた。見渡す限り馬や人の形をした黒焦げの物体が地を埋めており、凄惨な光景に吐き気を催す魔法士もいる。明らかな勝利にもかかわらず、青ざめた顔で顔を背ける彼らの間には何処か後味の悪さが漂っていた。戦争の後につきものの息苦しさに、自然と言葉は少なくなる。

 そんな中レナートは徒歩で敗走していく兵士たちを追って森の中を走っていた。悲鳴を上げながら無様に逃げ回る三人の兵士に彼は舌打する。

 炎の中で死ねばよいと思っていたのに、何故彼らはこんなにも醜く生きようとするのだろう。母の命を奪っておいて自分たちだけは生きたいなどとは虫がいい。人を殺すのならば、殺される覚悟をすべきではないか。

 獲物を狩る冷酷さを以ってレナートは風の刃を打ち出した。一番後ろを走っていた男が背中を切り裂かれて倒れる。その上を跨いで通り過ぎる時、彼は男の顔を見た。

 少し年をとっていたが間違いない。十年間忘れることのできなかった顔だ。男は口から血を吐き、既に絶命している。両眼は恐怖に歪んで、呆気ない最期だ。

 レナートはだが何の感情も湧かない自分に気づいて少し驚いた。

 先ほどまでの高揚感はどこにもない。ただ冷水に浸されたような、鈍い無感覚だけが彼を支配している。まるでずっと自分だと思っていた自分が、何処かで抜け落ちてしまったかのようだ。体だけがただ惰性で動き続けている。


 彼は射程範囲内に入った二人目の体を魔法で切り裂いた。相手は紙の様に舞いながら崩れ落ちる。

 一瞬で絶命したであろうその顔をレナートは見ない。―――― ただ見たくなかった。

 三人目が木の根に躓いて地面に倒れる。

 男は仰向けに振り返ると、レナートを見て恐怖と哀願の交じり合った顔をした。

「助けてくれ……」

 レナートは答えない。

 ―――― 母も助けて欲しかったのだ。

 しかし彼らは助けなかった。無残に殺した。なのになぜ、彼らは生きたいのだ。


 呪文を詠唱するレナートの手に、刃が現れる。それを見て男は力なくかぶりを振った。

「お願いだ……死にたくない」

 彼は男を見下ろし、その手を振りかざす。


 母の最期が、十年間の憎悪が甦る。それがここでようやく終わる。

 レナートは目を細めた。男は小さくなって泣いている。

 ―――― この男を殺せば……

 魔法を現出させた右手が熱い。

 望んで望んで、この時を迎えた。夢にまで見た。焼け付くような妄執の終わりだ。

 迷う余地もない。だから躊躇うはずもない。

 だが、

 なのに、レナートは、

 その手を振り下ろすことが ―――― どうしてもできなかった。



 彼は震える男を見つめる。たゆたい続ける情念が歯痒い。自然に言葉が出た。

「……行け」

 手を下ろす。魔法で生み出された刃が消える。

「行け! 俺の目の届かぬところに! さっさと消えろ!」

 男は慌てて立ち上がると森の奥に走り去った。レナートは両手で顔を覆ってそれを見ない。上がった呼吸を落ち着けようと息を吸う。

 その時背後から声が掛けられた。

「あれぇ? 何してるんだ? もしかして敵を見逃した?」

 からかうような声。振り返るとそこにはバルダロスが一人、皮肉な笑みを浮かべて立っていた。


「一人も逃がすなと俺は言ったと思うぞ?  違うか?」

「……違いません」

「まぁいい。俺が追って殺してやる。先に戻ってろ」

「待……!」

 待ってくれといいかけて飲み込んだ言葉を、しかしバルダロスはにやにや笑いながら聞きとがめた。

「何だ? 殺すなとでもいいたいのか?  相手は仮にも戦場に出てきた兵士だぞ。死ぬ覚悟くらい出来てるだろう」

「あの男にはもう戦意がありませんでした」

「戦意なんぞ関係ない。戦う気がないのなら、最初からこんなところに来なければよかったんだ。それともなんだ? 代わりにお前が死ぬか?」

 レナートは絶句して目の前の男を見つめた。

 人を殺す悦びに溢れた目。狂気の目だ。

 バルダロスにとっては敵兵を殺すのもレナートを殺すのも変わりがないのだ。強大な魔法士。 草を刈るように人を殺せる力を持っている。これもまた魔法士の姿なのだ。


 レナートは言いようのない疲労感に襲われた。

 死んでもいいかもしれない、と思う。殺したいと思った仇を庇って死ぬのだ。 滑稽さに笑い出したい。

 ―――― だがもういい。もうここで終わりにしよう。

 そう思って彼が口を開いた時、唐突に笛のような細い女の声が割り込んできた。

「その男は私の従者だ。苛めるのもほどほどにして欲しい」

 レナートは慌てて振り返る。そこには国王の寵姫である黒髪の魔女が立っていた。バルダロスが人の悪い笑みを浮かべる。

「これはこれはアエテルナ様、いつお越しで?」

「ついさっき」

「それはお出迎えもせず失礼致しました。随分お疲れのご様子ですが、他国への宣戦はそんなに大変でしたか?  私がやってもよかったのですよ?」

 嘲りを隠さないバルダロスの言葉にレナートが彼女を見ると、確かに彼女は随分白い顔をしていた。魔力を使いすぎたのかその波動も弱っている。

 しかし彼女はバルダロスの皮肉に傲然と返した。

「お前がやるより早い。それより、敗走者はもう放っておけ。怪我人を救助して国に戻れ」

「……分かりました」

 バルダロスは表情を消すと、一礼して転移する。 魔女はレナートを一瞥すると自分もその姿を消した。




 ※ ※ ※ ※




「先ほどはありがとうございました」

 クスクルの王宮の一室でレナートは、窓辺の長椅子に寝そべり気だるく窓の外を見上げている女に、そう頭を下げた。女は何も答えず、己の爪に視線を落とす。レナートは自分の方を見ない魔女に尋ねた。

「何故あの時、助けてくださったのですか?」

 従者などとは完全な嘘である。彼は彼女と話をしたことさえない。バルダロスもそれは見抜いていただろう。

 魔女は無表情のままではあるが、ようやく横目でレナートを見た。抑揚のない声でぽつりと呟く。

「疲れた顔をしてたから」

 単純な答。それが何故理由になるのか分からない。

 だが、レナートは全てを見透かされた気がして立ち尽くした。

 彼女は黒々とした長い睫毛を伏せる。その奥の瞳にはもっと深い闇があるように見えた。不思議な目。見つめるとそこには自分の過去が映る気さえする。


 気が付くとレナートは、自分の今までについてたどたどしく語り始めていた。子供時代、母親の死、復讐のために明け暮れた日々、そして今日のことを。

 魔女は一言も口を挟まず、聞いているのかいないのかただ天井を見上げていたが、話が全て終わると首を傾けて彼を見つめた。

「殺した時、どう思った?」

 彼は一瞬言葉に詰まった。

 その感情を言葉に直したことはまだない。だが彼は口を開いた。

「すっとしました。……そしてとても不快でした」

 彼女は小さく、そう、と言った。そして別の質問を問う。

「じゃあ殺さなかった時は?」

 闇色の目が彼を射る。

 その問いにレナートは戦慄して―――― かすかに震える声で答えた。

「安堵しました……でも殺せばよかったとも思いました」

「正直者」

 即座に返って来た声はぞんざいで、呆れたような声音だった。王宮に来てからほとんど笑わず、人を寄せ付けない威圧感を漂わせている彼女がまさかそんな声を出すとは思わなかったので、レナートは呆気に取られる。


 しかし彼女はそれには気づかず「これからどうする? ここを出たいなら手伝ってもいい」と、何ということのないように言ってきた。

 ―――― 寵姫が脱走を持ちかけてくるとは、どういうことなのだろう。

 しかしレナートは、それが彼女の本当の姿なのだ、とぼんやり感じた。そして逆に問う。

「貴女は何の為にここにいらっしゃるのですか?」

 彼女は目を丸くした。僅かに苦笑する。

「私は……」

 その時乱暴な音を立てて扉が開かれた。

「アエテルナ様! そのような者を招きいれて!」

 肩を怒らせながら少女が入ってくる。そのすぐ後ろにはもう一人女が立っていた。

 少女の方は十七歳前後に見える。後ろで纏めたクリーム色の髪には軽い癖があり、灰色の瞳には勝気な光を漂わせている。一方彼女について入ってきた女は二十過ぎだろうか。くすんだ金髪に茶色の目の落ち着いた女であった。


 魔女は溜息をついて少女を見やると「誰と話そうが勝手」と軽く答えた。

「女官ですか?」

 レナートの素朴な疑問に少女はいきり立つ。

「誰が女官よ! 私だって魔法士よ!  私たちを街から追い出したやつらに絶対復讐してやるんだから!」

 本人は真剣なのだろうが、若さのせいか復讐という言葉がやたら軽く感じられて、思わずレナートは困ったような笑顔を浮かべた。少女はそれを見てさらに怒りに顔を赤くする。

「何よ! 半人前とでも言いたいの!?」

「トリス、煩い」

 魔女が短く注意した。途端に少女は口をつぐむ。その不満漂う顔を見て、魔女は説教した。

「前にも言ったと思うが、復讐を否定はしない。正当な手段で相手に罰を与えるのも、直接に報復行為を行うのも好きにすればいい。ただ、後者は過去にしか向かわない行いと意思だ。本当に現在の自分を、それに費やすことが割に合うのか、よく考えなさい。過去の自分の残滓になりさがることが、他の何よりも優先するのか。……その覚悟がなければ、復讐を為しても迷子になるだけだ」


 彼女の言葉はレナートの胸にも響いた。

 自分はきっと十年間、炎に包まれる母の姿を見た あの時の自分の望みのままに走ってきたのだろう。ただの怒りに狂う子供の残滓だ。

 子供の激情は過ぎ去れば何も残らない。そして復讐を為して今彼は、迷子になりかけていた。

 トリスは真っ赤な顔で口をとがらせたが、何も言わずに踵を返すと部屋を出て行ってしまう。乱暴に閉められたドアを見て、もう一人の女が苦笑した。

「申し訳ありません」

「もう慣れた」

 魔女は立ち上がると小さく欠伸をした。 レナートを見て笑う。

「で、さっきの質問の答えは? どうする?」

 闇色の目を見返す。

 そこに何があるのか、彼には分からない。魔女の瞳には何も映らない。ただ鏡のように在るだけだ。

 ただレナートは彼女の話を聞いて、自分の現在をもう一度取り戻したいと思い始めていた。そして出来るのならその機会をくれた彼女の力になることで、己の道を見出したいとも。

 レナートは心を決めると、魔女に向かって膝をついた。

「ここで、貴女にお仕えいたします」

 魔女は目を丸くして驚く。だがすぐに柔らかく微笑むと

「物好き」

 と言った。




 ※ ※ ※ ※




 隣の街に使いに出されていた少年のロウは、自分の街に戻ってきてその入り口にまず立ち尽くした。いつもと変わらぬ町並み。しかし本来なら人で溢れているはずの大通りも店の中も、そして彼の家にも誰の姿も見えないのだ。

 少年は人の姿を探して町を彷徨い、そして完全に無人であることを確認するとあまりのことに途方にくれた。それでもわずかながらの希望を持って彼はもう一度家に戻ってみる。

 母親が用意してくれていたのか、テーブルの上には昼食の準備がされていた。

 懐かしい香りを嗅いで涙が出てくる。料理はまだ充分温かかった。

 彼は泣きながらそれを食べると、隣の街に事態を知らせる為に疲れた足を奮い立たせたのだった。




 即位式は滞りなく終了した。 式典後、城の露台に姿を現した若き国王を人々は熱狂と歓声で迎える。お披露目を終えたオスカーは城の廊下を歩きながら、アルスとクム、ドアンに翌日からのタァイーリ遠征の為の指示を下していた。

 そうして一行が談話室前の廊下に差し掛かった時、だが突如談話室から一人の少年が飛び出してきて、オスカーの前に立ちふさがる。十歳前後に見える少年の服装は庶民のものであった。そもそも貴族だとしても、普段城に子供がいるということはない。

 両手を広げて必死な顔をしている少年を、オスカーは不審げに見下ろした。

「何だ一体」

「魔女を倒しにいくんだろ! 俺も連れてってよ!!」

 その場にいた全員が何とも言えない顔で口をあける。

「ロウ! 何やってるんだ!」

 廊下の向こうからスズトが叫びながら走って来た。彼は少年を羽交い絞めにする。

「大変申し訳ございません。ご無礼を致しました」

「お前の弟か?」

「いえ、ハルハトの子でして……。たまたまその時街を出ていて難を逃れたようです。行くあてがないというので引き取ってまいりました」

 ああ、なるほどとオスカーは呟いた。

 ハルハトは、先日住民全員が忽然と姿を消したファルサス南部の街である。調査に赴いたスズトはどうやらそのまま子供を連れて戻ってきたようだ。羽交い絞めにされたまま少年は声を荒げた。

「俺聞いちゃったんだ。皆を殺したのは魔女なんだろ? 俺も行く! 皆の仇を取るんだ!」

「断る。子供は大人しく勉強してろ」

 即位したばかりの王はそっけなく返した。

 しかし少年は引く気はないらしく、自分を引き摺って行こうとするスズトから逃れると、なおも王に噛み付く。

「じゃあその剣を貸してくれよ!  俺が魔女を殺しに行く」

「お前なぁ……」

 オスカーは少年の襟首を掴むと、自分の目の高さにまで吊り上げた。さすがに呆れてぞんざいな口調で諭す。

「この剣があっても普通の人間じゃ、あいつ相手は瞬殺だ。分かったら聞き分けろ」

「あんたは魔女を殺す気がないからそういうんだ! 俺を連れてけ!」

 暴れる少年の言葉に周囲の人間はさすがに顔を顰める。最年長であるクムが少年を鋭い目で睨みつけた。

「陛下に向かってどういう口を……」

「別にいい。それより面白いことを言うじゃないか。俺があいつを殺すつもりがないだと? その通りだ」

「それでも国王かよ!」

「あのな……魔法士や魔女が街を滅ぼそうと思ったら、建物なんかに気を使わずに上から数発大きいのを打てば済むんだ。わざわざ人間だけ綺麗に消すなんて面倒なことをした意味を考えろ。頭を使わなきゃ会える人間にも会えなくなるぞ」

 王からの指摘に、ロウは目を瞠ると黙り込んだ。しばらく考え込むと、おずおずと切り出す。

「母ちゃん、生きてるの?」

「多分な。それを聞きに魔女に会いに行くんだ」

 オスカーは少年を床に下ろした。軽くよろめいた少年は、僅かに生まれた希望とそれに期待しすぎることへの不安が交じり合った目で王を見上げる。そこに僅かにだが、なじる気配が揺らいだ。

「でも……本当に死んでたらどうするんだよ」

 恐る恐る尋ねられた言葉に、オスカーは目を細めた。

 すっと表情が変わる。

 玉座に座る王の目だ。

「その時は、魔女を殺すさ」

 アルスは主君の声音にぞっとした。

 それは偽りのまったくない本気の言葉だったのだ。




 ※ ※ ※ ※




「まったく! アエテルナ様は何であんな説教くさいのかしら」

 貴人の女付きとされている少女、トリスは自室でお茶を飲みながら憤慨していた。 向かいではくすんだ金髪に茶色の目の女が苦笑している。彼女は名をパミラといい、トリスと二人でティナーシャの身の回りの世話を命じられていた。もっとも世話が必要であるのは、どちらかというとティナーシャよりも目の前の少女の方だろう。自らを一人前と信じて疑っていないトリスは、不満げに唇を尖らせる。

「大して年も変わらないくせに。お節介はやめて欲しいわ」

「え」

 少女の見当はずれな発言にパミラはきょとんとした。

「トリス、あなた……アエテルナ様が誰だか知らないの?」

「誰って、陛下の花嫁になる方でしょ。随分強い精霊術士みたいだけど」

「強い精霊術士というか、『青き月の魔女』よ」

 それを聞いたトリスの顔はなかなか見ものだった。目と口を丸く開き、しばらく固まったかと思うと真っ青になり、ついで真っ赤になる。

「それ本当!? 青き月の魔女!? 嘘、私……ずっと憧れてたのよ!」

「本当よ。あなたが知らなかったほうが不思議」

 興奮に目を輝かせる少女にパミラはそっけなく言うと、心の中で続ける。

『そしてトゥルダール最後の女王だ』

 と。



 パミラが生まれ育ったのは旧トゥルダールの領地内にある精霊術士の隠れ里である。

 トゥルダールは広い国土を持っていたが、人が住んでいたのは城都だけであり、ほぼ都市国家の様相を呈していたのだ。しかし、その城都に住まず、森の中などでひっそりと暮らす魔法士たちも数は少なかったが存在していた。

 パミラはそういった者たちの血を受け継ぐ一人で、子供の頃からずっと聞いて育っていた。

 ―――― すなわちトゥルダールの最後の女王になるはずだった幼く美しい少女の話と、彼女が魔女になったという物語の続きを。



 ラナクより国を作ったからと誘いが来た時、里にいた他の魔法士たちは皆、それを拒んだ。彼らには四百年以上も生きながら沈黙を続けていた王子への不信があったのだろう。

 しかしパミラは一人里を出た。それはひとえに、昔話に聞く魔法国家トゥルダールへの憧憬ゆえだ。都市機構の多くが魔法で賄われ、あちこちで高度な技術が研究され、他国とは国交を断絶していたという神秘の国。その姿を自分の目で見ることが出来ると期待したのだ。


 だがクスクルに来て素性を話すと、周りの魔法士は皆、表立っては何も言わなかったが、彼女を影で嘲笑った。

『あの人、両親共に精霊術士「だった」らしいわよ』

『精霊術士なのに子供を作るなんて……』

『肉の誘惑に勝てないんだな。彼女もそうじゃないのか?』

 それは耐え難い屈辱だった。

 四百年の間、他の精霊術士たちが外でどう過ごしてきたのかは知らない。だが少なくとも彼女の村では、好きあった者同士が結婚して子供に恵まれるのは幸いなこととされていたのだ。

 ―――― 精霊魔法が使えなくなることが、そんなに魔法士として劣る行いなのだろうか。

 パミラは腹が立ったし、悔しかった。 しかし、それを耐え、クスクルのために働いた。力を示せば誰も何も言わなくなると思ったのだ。

 だが彼女が努力すればするほど陰口はひどくなる。そのことに疲れ、村に帰ろうかと思い始めた頃、「彼女」が来たのだ。


 黒絹の髪に白磁の肌、そして話に聞いた通りの闇色の瞳。

 どうせ昔話なんて美化されているのだと、思い込もうとしていたパミラの心中を打ち砕くように、ティナーシャは美しかった。

 彼女の世話係に志願し、対面した時のことは今でも鮮やかな思い出である。魔女は窓辺に立ってパミラを振り返ると、少し驚いたように言った。

「貴女、精霊術士か。かなり強いな」

「両親共に精霊術士でした。術は全て両親より継ぎました」

 嘲笑されるかもしれない、と彼女は身を固くする。

 しかし魔女は、滅多に見せない穏やかな笑みを浮かべると

「愛されているね。素敵だな」

 と述懐したのだ。


 パミラはその瞬間心を決めた。

 生まれたばかりのヒナが初めて見たものを母鳥と思うようなものかもしれない。

 しかし彼女は確かに、私の主君はこの方なのだ……と深く感じたのだ。

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