第13話 語らない花



 暗い洞窟の中、水滴が落ちる音が間断なく響いている。

 女は恐る恐る湿った洞窟を奥に向かって歩いていた。

 他には誰もいないはずの空間は寒々としている。白いドレスの長い裾は引きずられ、水分を含んでじっとりと重かった。女はしきりに後ろを振り返る。

 やがて洞窟の終わりが見えてくる。そこは行き止まりになっており、少し開けた空間の先に小さな泉が透明な水を湛えていた。光源はないはずだが、泉はぼんやりと明るく光っている。

 女は緊張の面持ちで泉を覗き込む。水は清んでいるのだが、底は深く、暗くてよく見えない。

 ―――― 此処にくれば何かが変わるのだろうか。

 女は屈みこむと水に手をつけた。とても冷たい。

 救いを望んでいるのか、終わりを望んでいるのか自分でも分からなかった。そしてそれが自分の為なのか、村の為なのかも。

 女は溜息をついて手を引こうとする。その時泉の中に白い光が生まれた。

 ぎょっとするが不思議と恐怖は感じない。息を呑んで見つめていると、徐々に光は水面に近づいてくる。

 そして女は、それに出会った。




 ※ ※ ※ ※




 街道から山間部へ向かう山道を、四騎の騎影が駆けていた。

 ファルサス南部にあるこの山を越えれば、再び土地は平坦になり海へと続く。一行の目的地はその山の半ばにある小さな村だった。

「もうすぐ到着ね」

 先頭を駆ける一騎は金髪の若い女性がその手綱をとっている。少しきつめの美人で、簡素なドレス姿だが長剣を佩いていた。

「日が暮れる前でよかったな。夜の山道は嫌だ」

 答えたのは隣りを行く赤い髪の男だ。鍛え上げられた長身からは隙の一つも伺えない。彼は振り返ると、後ろがちゃんとついてきているか確認した。

 魔法士の男が一人、そして十歳ほどの黒髪の美しい少女が一人後に続いている。少女は彼の視線に気づくと、顔を上げて明るく笑った。

「お兄ちゃん大丈夫よ」

「……普通に呼んでほしい。ティナーシャ嬢」

「呼び捨てでいいって言ってるじゃないですか」

 少女は呆れたようにそう返した。



 その日の午前中、執務室に呼び出されたアルスとメレディナは、一人の見知らぬ少女がそこにいるのに気づいた。粗末な身なりをした痩せ細った少女は、不安げな目でおどおどと辺りを見回している。

 オスカーが説明してくれたところによると、十六歳になるその娘は、自分の住んでいる村から逃げてきたのだと言う。

「私の住む村は、五年に一人、生贄を捧げているんです。村の奥に洞窟があって、そこに湧き水が湧いている泉があるんですが、そこに住むという村の神に若い娘を捧げて五年間の加護を授かります……」

 そして今年は彼女の番であり、それを知った彼女は村を訪れた旅商人に紛れて逃げ出したというのだ。彼女は城都につくと、城に駆け込んで助けを求めた。村にはまだ同じくらいの年の友人が残っており、出来れば彼女たちも助けて欲しいと言う。

 オスカーは娘を下がらせると二人に向き直って命じた。

「というわけで、お前達に調査に行ってもらいたい。実際にそのようなことが行われていたら止めて来い。土着信仰には踏み込みたくないが、人死にが出てるなら問題だ。ましてやそこの湧き水は海まで続く川になっている。死体や毒を流されていたら下流にも迷惑だからな。こないだの件の処罰代わりと思っていいぞ」

 操られていたとはいえ、王族の守護者たる魔女に剣を向けた失態の処罰としてはかなり軽いものだと言えよう。二人はオスカーのはからいに素直に感謝した。

「宗教がらみだから一応魔法士も連れて行け。……ああ、あと……ティナーシャ」

「何ですか」

 執務室の隅で古い魔法書を読んでいた魔女は、契約者の声に顔をあげた。

「お前もついてけ」

「……構いませんけど、貴方のそれ、分かってやってるんですか? それとも勘ですか? 私を追い払ってまた変な問題に首突っ込む気だったら……ただじゃおきませんよ?」

 言葉だけで首を絞められそうな魔女の声音だったが、オスカーは何ら気にせず彼女を指し示してアルスに指示を出す。

「あいつはついて行くだけだ。何も助けない。調査その他はお前達でやるんだぞ」

「分かりました」

 アルスは頭を下げる。メレディナもそれにならおうとしたが、オスカーに「メレディナ」と呼ばれ顔をあげた。

「若い娘が生贄にされるということだから、或いはお前が狙われるかもしれない。必要だったら囮になれ」

「はい」

 二人は深く礼をすると準備の為に退出した。それを見送ったティナーシャは空中に逆さに浮くとオスカーの顔を覗き込む。

「で、私は何をすれば?」

「見ていればいい。もしお前にしかできないことをしたくなったらやってやってくれ」

「本当にどこまで分かってるんですかね……」

 ティナーシャは白い両手を伸ばしてオスカーの顔を包み込んだ。夜を凝縮した目と青く深い空色の目がお互いを写しこむ。

 オスカーはその美しい貌を見て、あることに気づいた。自分の頬に触れている彼女の手をとる。

「そうだお前、姿変えていけ。そのままじゃメレディナより先にお前が引っかかるかもしれないからな」

「了解しました」

 こうして準備が整ったアルスとメレディナは、城門で子供の姿のティナーシャに「呼び捨てにしてね!」と言われて唖然とする羽目になったのだ。



「そこを曲がってすぐかな」

 アルスの後ろを走っていたドアンは森の中に続く細い道を指し示した。一行は馬の足を緩めてそこに分け入っていく。自然四人は一列になり、アルスが先頭になった。

「で、その泉の神って本当にいると思う?」

 メレディナは腰の剣を気にしながら尋ねた。いつもの武官姿で行こうとしたのだが、それでは囮にならないからと着替えさせられたのだ。剣だけはゆずらずそのままであったが、村に入る直前にはずすつもりだ。他の三人もみな旅人に見える服装をしていた。

 ドアンは、メレディナの疑問に対し首を左右に傾げる。

「俺はいないと思うけどね。魔物ってのは上位になればなるほど、人間に関心がなくなっていくんだよ。神と言われるほど力のある魔物が、そんな風に生贄を欲しがるとは思えない」

「へぇ、初耳。そうなのか」

 アルスは素直な感想を述べる。確かに彼が今まで城の指示で退治に向かったのは、魔物の中では比較的弱い類のものばかりだった。それでも普通の村人にはかなりの脅威であったのだが。


「人間だって、子供の頃は蟻を苛めたりするけど、大人になってまではやらないだろ? それと一緒じゃないかな。歴史上、上位魔族が人間に関わった記録や伝説はほとんどないよ。有名なところで、ネビス湖の水神とか、ストリスタの魔物とか。トゥルダールの精霊もそうか」

「ネビス湖の話は聞いたことあるわ。人との悲恋の話でしょ。トゥルダールって何処の国?」

「もう滅びてる。ファルサスの西にあった国だ。伝説だとトゥルダールには十二の上位魔族が精霊として封印されていて、王位継承時に新王がその中から一体から三体選んで自分の使い魔としたらしい。まぁ昔の話だし、上位魔族を三体も使役できるとは思えないから眉唾だね」

「じゃあ今回もいない可能性が高いのか」

 アルスは少し安心した。

 オスカーなどと違って、彼は人外の生き物を相手取るのが好きではないのだ。先日、魔物の術中にはまって森をぐるぐると回った苦い思い出が蘇る。今回は魔女がついているといえばついているが、何も助けない、あてにするなと主人から言われていることを思えば、魔物はいないにこしたことがない。

 ただ魔物がいないとすれば、生贄には人間が関わっているということになってしまうのだが。

 出来れば何とも戦わずに済ませたいな、とアルスは胸中で呟いた。



「ようこそいらっしゃいました。何もないところですが、ごゆっくりお過ごしください」

 村長は旅人と名乗った彼らを温かく出迎えた。山奥の村の住人にしては、壮年の彼は垢抜けて小奇麗な格好をしている。彼は、村には宿屋がないため、自分の屋敷に泊まる様にと四人を誘った。

「もうすぐ村の守り神のお祭りがあるんですよ。よろしければご覧になっていってください。特に美しいお嬢さんは大歓迎です」

 村長はメレディナに向かってにっこりと笑った。メレディナはどういう反応を返していいのか分からず、曖昧な笑みを浮かべる。

 四人は隣りあった二部屋を割り当てられ、それぞれ一旦荷物を置くと男性陣の部屋に集まった。夕食までにはまだ少し時間がある。

「さて、どうするか」

「とりあえず村を見て回った方がいいわね。問題の洞窟の場所も知りたいし」

「現在の生贄候補が誰なのかも調べないとな」

 相談する三人から一歩離れた場所で、ティナーシャは寝台に腰掛け話を聞いている。ドアンは彼女を振り返り、尋ねた。

「ティナーシャ様は、どう思います?」

「私、今回は傍観者です。やらなきゃいけないことを持ってきているんで、何かあったら声をかけてください」

 そう言って軽く手を振ると、彼女は隣りの部屋に消えた。

「本当に子供に見えるな。魔法って凄いんだな」

「あんなこと出来るのあの人くらいだよ……」

 アルスの暢気な感想に、ドアンは苦笑いをした。



 夕食までの一時間、各自村の中を見て回ろうということで、三人はバラバラに屋敷を出た。

 ティナーシャだけは部屋に結界を張り、水盆を置いて呪いの解析を始めている。部屋を出ない彼女のことは、村長には病弱な妹と紹介しておいた。納得はしてもらえたようだが、病弱な妹を旅に連れまわしている酷い家族と思われたかもしれない。

 アルスは村の山側の森、メレディナは洞窟、ドアンは村人の話をそれぞれ担当することになった。

「こんなところに旅人なんて珍しいね」

 ドアンが話しかけた女は、村の井戸から水を汲んでいるところであった。年は三十過ぎだろうか。話し好きらしく、手を止めて楽しそうに自分から色々な話をしてくる。

「ここはなにもなくて。でもそれがいいところなんだけど。自慢があるとしたら水かな。湧き水がわいていて、それが味もいいし、肌にもいいんだよ。これで野菜を育てると甘く育ってね。旅商人に高く売れるのさ」

「はぁ……そうなんですか」

「そうそう。守り神様のおかげだね。三日後にお祭りがあるんだけど、結構賑やかだよ。小さな村だけど」

「守り神ってどんな神様なんですか?」

「もう二百年もこの村と泉を守ってくださってるのさ。ありがたいことだよ」

 つまり生贄も二百年間続いているということであろうか。泉の水が自慢らしいが、生贄が沈んでいるかもしれない水を口にするのには抵抗がある。

 しかしそうも言ってられないので、ドアンは女が是非に味見をと差し出した水を一口含んだ。―――― そして彼は驚く。

 そこには僅かだが、魔力の沁み込んだ気配があったのだ。



 メレディナはその頃村の奥で、ぽっかりと空いている洞窟の入り口を見つけていた。

 祭りの準備のためかあたりには木枠が組まれ、飾りつけがされている。加えて洞窟の入り口には人避けの縄が張られていた。彼女はこれを越えて中を窺うべきだろうかと逡巡する。

 その時後ろから男の声が掛けられた。

「そこは巫女以外は入れないよ」

 振り返ると壮年の男が立っている。身なりがよく村人に見えない男だ。メレディナは首を傾げた。

「あなたは……?」

「私はこの村の儀式を取り仕切っている者だ。旅の人が知らないのは無理もないが、そこは守り神のおわす場所、勝手に入られては困る」

「すみません」

 メレディナは素直に謝ると洞窟の前から離れた。男の近くまで戻る。

「巫女とはどういう方なんですか?」

「祭りの為に五年に一人選ばれる若い娘だ。この中に入り、守り神に祈りを捧げてその花嫁となる」

 花嫁、という単語にメレディナは気が遠くなった。どうも予想外の方向に話が行っている気がする。しかしその心中を押し隠して、彼女は更に情報を引き出そうとした。

「花嫁となったらどうなるんですか?」

「何、お嬢さん興味あるのかね。そうだな、それは祭りの肝だから今は教えられないな。どうしてもというならお嬢さんが巫女をやってもいいが」

 あまりにあっけなく好機がきたので彼女は言葉に詰まった。ここで、はいと答えれば彼女が囮になれるのだ。

 しかし先ほどの花嫁という単語がどうも気になる。そんな彼女の迷いを感じ取ったのか、男は笑った。

「まぁ嫌ならいいよ。たいしたことじゃないし」

「私でも出来るんですか?」

「ああ、簡単簡単。衣装をつけて洞窟に入るだけだから」

「危ないことはないんですか?」

「……ないよ」

 一瞬男の笑みに、不穏なものがよぎった気がした。まるで彼女を品定めするように目が光る。

 しかしメレディナの決心は既についていた。そのためにこの村にきたのである。ファルサスの武官に恐れるべきことなど何も無いはずなのだ。



 アルスは森の中を歩いていた。

 季節柄なのかあちこちに白い花が咲き乱れている。森の中には道などないが、注意するとよく人が通っていると思しき踏み固められた跡があった。僅かな跡を辿って進むと、それは白い石造りの建物に続いている。真四角のその建物の周りで跡は途絶えているが、肝心の扉や窓は一つもない。

「何だこれ。どうやって入るんだ?」

 アルスはその建物の周りを一周して首を傾げた。人の気配がないことを確認して、壁を数箇所叩いてみるが何も変わったことはない。

 ひとしきり悩むと、アルスは諦めて夕食を取る為にその場を後にした。



「お嬢さんのように美しい方が巫女になってくださるとは今年の祭りは安泰だ。ビンスが喜んでましたよ」

 夕食の場で、村長は上機嫌でそう言った。普段兵士の中で暮らしている為、容姿を誉められ慣れていないメレディナは固い笑顔で応える。

 ビンスというのは彼女が洞窟の前で出会った男のことらしい。夕食前に部屋に戻り、早速巫女に選ばれたことを告げると、アルスは大笑し、ドアンは心配げな顔をした。ドアンは何人かの村人に祭りについて話を聞いたが、誰も巫女のその後を教えてはくれなかったのだ。

「早速ですが、夕食後に衣装をあわせましょう。針子の女たちに調整させますので」

「は、はい」

 メレディナはスープに口をつけた。温かいそれも泉の水で作られたのだろうか。そう思うと何だか味が分からなかった。

「妹さんは夕飯はどうしますか? 具合が悪いなら粥を作らせますが」

「ああいえ、普通のもので結構です。あとで私が持っていきます」

「そうですか……。余り似てませんが、彼女も綺麗な子ですね。……十年後に巫女になってもらいたいくらいです」

 快活に笑う村長の言葉に、気のせいか翳を感じてメレディナは顔を上げた。

 しかし人のよさそうなその目には、何の悪意も見えなかった。



 簡単な衣装合わせの後、盆に載った食事をもらってメレディナは部屋に帰った。

「ティナーシャ様」

「呼び捨てでいいですよ」

 水盆に集中していた魔女は、そう苦笑して振り返った。盆の上に浮かび上がっていた紋様が消える。彼女は礼を言うとメレディナが持って来た食事を受け取った。

「花嫁とやらに選ばれたそうですね。アルスが心配してましたよ」

「心配? 何か笑われましたけど……」

「心配してるって気づかれたくないんですよ」

 ティナーシャはカップを手に取った。スープに口をつけると怪訝な顔になる。

「どうしたんですか?」

「いやこれ、うん……やっぱり」

「死体が沈んでたりするとか?」

「そうだったら吐き出してますよ。結構すごいこといいますね。まぁつまり……オスカーの勘がいい、ってことです」

 魔女は唇の端を上げて笑ったが、メレディナには何も分からなかった。

 その時扉が叩かれる。アルスとドアンが、メレディナが戻った頃合を見て訪ねてきたのだ。

 食事を取るティナーシャの横で、彼らは今後の相談を始めた。ドアンが頬杖をつきながら空いている手で指を鳴らす。

「その建物と洞窟が怪しいよな。明日は俺が建物に行ってみる。魔法の仕掛けかもしれないし」

 アルスはその提案に頷いた。次に幼馴染の方を見やる。

「メレディナは祭りの打ち合わせか」

「当日は衣装をつけて、洞窟に入るだけらしいけどね」

「ついにメレディナも結婚か……」

「生贄でしょ……」

「折角の嫁の貰い手じゃないか。これを逃したらもうないかもしれないぞ」

「お断りよ!」

 アルスは軽口を叩いていたが、急に真剣な顔をして言った。

「そのビンスってやつと村長には気をつけろよ。何かしてくるとしたらやつらだ」

「……分かってる」

 メレディナが神妙な顔で頷くと、ドアンは食事をしている魔女を振り返った。

「ティナーシャ様」

「何ですか」

「泉に死体が沈んでるってことありますか?」

 ティナーシャはふむ、と一息つくとこめかみに指を当てた。

「気分に関わる問題なんで教えてあげますが、無いです。安心して飲んでください」

 その言葉に一行はひとまず安堵の溜息を洩らした。



 祭の当日はあっという間にきてしまった。

 前日に、ドアンはアルスと共に森の中にあるという建物を見に行ったが、何の仕掛けも見つからず、建物の正体を暴くことはできなかった。ただ、瘴気とも魔力ともしれないものの残滓が、わずかに壁にこびりついているような気がしただけである。

 アルスなどは、魔法で壁を破ることを提案してきたのだが、何も無かったときに取り返しがつかないとのことでその提案は没になった。

 こうして結局は洞窟に入るメレディナに全てが賭けられることになったのである。


 当日メレディナが着せられたのは白い薄布を贅沢に重ねて作られた裾の長いドレスだった。装飾はさほどないが、花嫁衣裳といって充分通る代物である。

 村の女たちに化粧をされ髪飾りをつけられたメレディナは、憮然としがちな表情を努力して笑顔に変えていた。出来上がった姿は普段の彼女からは想像もつかない可憐な美しさである。

「とっても綺麗ですよ。他の人にも見せたかったですね」

 魔女は彼女を見てそう微笑み、アルスは絶句して、ドアンは何故か手を叩いた。言われた当人は始まる前からげっそりと肩を落とす。

「剣を持ちたい……」

「どう考えても無理だろ」

 剣を佩いた花嫁など見た目からしておかしい。うなだれるメレディナに、ティナーシャは鞘に入った短剣を投げた。

「これどうぞ。服の下に隠せるでしょう」

「あ、ありがとうございます!」

 男二人に後ろを向かせると、彼女は短剣を足に皮紐を使って固定してしまう。丁度その時メレディナを呼びに来たらしい村人が扉を叩いた。アルスが声を潜めて釘を刺す。

「気をつけろよ。何かあったら大声出せ」

「分かった」

 そしてメレディナは村人たちの集まる洞窟前に姿を現したのである。



 美しい花嫁に感嘆の声が上がる中、メレディナは洞窟の入り口に立った。彼女はまず洞窟の中に向かって一礼し、ついで振り返ると集まった村人に一礼する。ぱらぱらと人の中から拍手があがった。

 彼女はそんな村人たちにぎこちない微笑みを向けると、左手でドレスの長い裾を持ち、小さな燭台だけを持って洞窟に足を踏み入れた。ひんやりと肌寒く、薄暗い中を歩いていく。

 道は何度か緩やかに曲がり、外の光が届かなくなる頃には時折水滴の落ちる音だけが辺りに響いていた。メレディナは服の上から短剣の感触を確かめる。ドレスの裾は徐々に水気を吸い取り、重くなっていった。

「何だか気鬱になるわね……」

 蝋燭が彼女の影を岩壁に照らし出す。やがて道は真っ直ぐになり、その先がぼんやりと明るくなっているのが見えてきた。

 メレディナは息を統御し緊張を保ちながら慎重に進む。

 距離を縮めるにつれ、淡く発光しているのが問題の泉であるということが分かった。彼女は蝋燭を前にかざす。

 そうして辿りついた泉の縁には、だが変わったものは何もなかった。ただ深い泉に透明な水が湛えられているだけである。

 メレディナは身をかがめると恐る恐る手を伸ばし、水に触れてみる。冷たさに指が痺れた。しかししばらく待っても何も起こらない。仕方なく手を引こうとしたその時、けれど泉の底にぼんやりと白い光が生まれた。

 それはゆっくりと水面に向かって上がってくる。

 メレディナは、その未知なるものの接近に短剣を抜くことも忘れ、驚愕に立ちつくして水中に見入っていた。




 ※ ※ ※ ※




「大丈夫かな」

「一応あいつも武官だからな。何とかするだろ」

 洞窟に消えるメレディナを見送ってから、ドアンとアルスは囁きを交わした。

 周りはすっかりお祭り騒ぎである。村人たちは酒を酌み交わし、大皿に盛られた料理をつまみはじめた。軽快な音楽が流れ、踊っている人もいる。

 一度例の建物に行こうか、と立ち去りかけた二人は、しかし酒盃を持った村長に呼び止められた。

「さぁさぁ、お二人ともどうぞ」

 そう言ってなみなみと注がれた杯を押し付けられる。

 ドアンはためらいがちにそれを受け取ったが、酒好きなアルスは目を輝かせて、

「頂きます」

 と言うとあっという間に飲み干してしまった。

「どんどん飲んでください、お祭りですから!」

「いやーお祭り大好きなんですよ」

 村長や村の女たちに勧められるままに、どんどん杯を空けるアルスを、ドアンは不安そうな目で見つめながら、不審に思われないよう自分も盃に口をつけた。




 ※ ※ ※ ※




 メレディナの前に現れたものは一見して幼い女の子の姿をしていた。六歳前後で白い髪に白い肌をしており、目だけが青い。全身がぼんやりと発光しており、また水の上に立っていることから見てもそれは明らかに人外の生き物であった。

 やっぱり魔物がいるんじゃない……とメレディナは心の中でドアンを罵る。子供の姿をしたものはメレディナを見て首を傾げた。

「あなた、村の人?」

 その声は幼く、邪気がないように感じられる。メレディナは躊躇いながらも口を開いた。

「……違うわ。旅人よ」

「そうなの? ……ねぇ白い花分かる?」

「白い花?」

「森に咲いてるんだって。私それが欲しいの」

 あどけないお願いは、まるで本当の子供のようだ。メレディナは思わず毒気を抜かれて聞き返した。

「とってくればいいの?」

「うん。私、今までみんなにお願いしたのに誰もとってきてくれなかったの。あなたはとってきてくれる?」

「……いいわよ」

「本当!?」

 女の子の顔が喜びにぱっと輝いた。その愛らしさに思わずメレディナも微笑む。

「ちょっと待っててね。とってくるから」

「うん!」

 期待に満ちた視線を受け、メレディナはドレスの裾を翻した。



 元来た道を足早に引き返しながらメレディナは考え込んだ。

 守り神のような存在は確かにいた。しかし、彼女にはどうしても、あの女の子が邪悪な存在には見えないのだ。それが彼女の甘さや認識の低さというなら仕方ない。痛い目を見るのは自分だ。

 ただ女の子は「みんなにお願いしたのに誰もとってきてくれなかった」と言ったのだ。普段誰も入れない洞窟にいる女の子がお願いした「みんな」とは、今までの花嫁たちのことではないだろうか。

 ―――― ならばなぜ誰もとってきてやらなかったのか。

 メレディナはともかく、一度外に出てアルスとドアンに相談しようと考えた。そして出来れば花をとってきてやりたい。

 気が急いていた彼女は、岩陰に隠れていた誰かが呪文を詠唱しているのに気づかなかった。

 そして人の気配に気づいて身構えた時、彼女は既に眠りの術の中に落ちていたのである。



 目が覚めた時に視界に入ったのは薄汚れた天井だった。どうやらどこか見知らぬところに寝かされているらしい。

 彼女がいるのは寝台の上ではないようで、固くひんやりとした感触が体に伝わってきた。体を起こそうとしたが、手足が動かない。手首を見ると、縄で台に固定されている。

 なかなか最悪の展開にメレディナは舌打した。仰臥したまま辺りの様子を伺う。

 部屋には窓がなく、そのせいか全体的に薄暗い。ところどころに置かれた燭台がぼんやりと室内を照らしているだけだった。空気は淀んでおり、かすかだが異臭がする。

 古い血の匂いだ……とメレディナは唇を噛んだ。

「起きたかい?」

 扉が開いて誰かが入ってくる。

 その男が明かりの照らす場所まで来た時、メレディナは驚愕に何も返事ができなかった。

 男が誰であるかに驚いたのではない。彼はアルスが忠告したとおり、彼女を花嫁に誘ったビンスである。

 ただメレディナが絶句したのは彼が抱き上げている人物の為だ。男の腕の中には黒髪の美しい少女が眠っている。それは村長の屋敷にいるはずのティナーシャだった。

「何を……!」

「妹さんだけ残っても可哀想だろう。ちゃんと連れてきたよ」

 ティナーシャはぴくりとも動かない。怪我はないようだが、眠っているだけなのか、そうではないのか、暗い部屋の中で判別がつかない。彼女の助力は期待していなかったが、まさか彼女に危険が及ぶとは思ってもいなかった。嫌な汗がメレディナの額に滲む。

「彼女を放して」

「まず自分の心配をした方がいい。まぁすぐ終わるよ」

 ビンスはそう言うと、ティナーシャを部屋の隅に置かれた長椅子に下ろした。代わりに壁にかけられていた一振りの剣を手に取る。蝋燭の明かりにかざされた刃には黒い血がこびりついていた。メレディナは皮肉たっぷりの笑いを浮かべる。

「花嫁を殺していたのは貴方なの?」

「殺した……ねぇ。そうとも言うかな」

 ビンスは剣を持ってメレディナのすぐ傍に立った。仮面のように表情のない顔で彼女を見下ろす。

「アカーシアって剣を知ってるかな。ファルサス王家に代々伝わる聖剣だ」

「それは知ってるわよ」

「ああ。あの剣は絶対魔法抵抗を持つ唯一の剣でその価値ははかりしれない。あの剣さえあれば一国を支配するのも容易だろう。剣一振りでだよ?」

 オスカーが聞いたら、馬鹿じゃないか? と言うようなことを陶然とビンスは語り始める。

「或いは他の魔力を帯びた剣でもそうだ。その一振りさえ手に入れば人生が変わるんだ。私はそれが子供の頃から欲しくてね……。でもそういった剣は大抵世には出ない。封印されているか死蔵されているか、そんなものばっかりだ。悩んだ挙句ようやく思いついたよ。自分で作ればいいんだって」

 ビンスは自分が持つ剣を撫でるように眺めた。

「魔法の禁呪の一つに、人間の魂を力として留めるものがある。本来四散してしまう魂を封じ込めて使うんだ。勿論人の意識や形は残らないが……魂は溶けて強力な力となる」

「魂をその剣に閉じ込めたの!?」

「正確には閉じ込めようとした、だ。女の魂の方が封じ込めやすい。だが今まで花嫁や旅人など十人近く試したが、どの魂もちゃんとは剣になじまなかった」

「じゃあ諦めなさいよ!」

「それはできないな」

 彼は溜息をついて検分するようにメレディナの全身を眺めた。彼女は何とか時間を稼ごうと口を開く。

「私を殺すと連れが怪しむわよ」

「あの二人なら村長が処分してくれてるよ。酒をたっぷり飲んでたからね。いい気分のまま死ねたんじゃないかな。助けは来ない」

 あの酒飲みめ……と彼女は幼馴染を心中で罵った。ドアンもついているのだ。そう簡単に殺されているとは思わないが、頼りにならないことこのうえない。


 縛られた右手を彼女は先ほどからよじっているが、縄が食い込んでくるばかりである。焦りが頭を満たした時、だが不意に右手の縄がほどけた。

「……!」

 一瞬目を瞠ったが何とか声は出さないで済んだ。彼女はビンスに気づかれないように指を動かしてみる。

「お嬢さんはとても綺麗だ。是非私の剣の中で、私とずっと一緒になってほしいな」

 そういうと男は血に汚れた剣を振りかざす。口の中で小さく詠唱を始めると同時に、彼はそれをメレディナの体に突き刺そうと振りかぶった。

 次の瞬間、上体をわずかに起こした彼女は隠し持っていた短剣でビンスの剣を受ける。ビンスは驚いた顔をしたが、すぐに忌々しげな表情になるとそのまま剣に力をこめた。

 右手だけが自由な状態だ。力が入らず、メレディナは徐々に押しこめられる。受けている短剣の柄が自分の腹に触れた。


 思わず目を閉じそうになったその時、けれど扉を乱暴にあけてアルスが飛び込んでくる。ビンスは慌てて振り返るが、彼が剣を構えるより早くアルスの一閃が、剣を持ったままの男の腕を肩から切断した。

「ぎゃああぁぁぁっ」

 壮絶な悲鳴が部屋に響く。

 アルスはメレディナの無事を確認すると、拘束している縄を切った。ドレスの裾に気をつけながら抱き上げて立たせてやる。

「遅くなった、悪い」

「酒なんて飲んでるんじゃないわよ!」

 メレディナは苛立ち紛れにアルスの胸を殴る。彼はそれを申し訳なさそうに受けた。

「ドアンは?」

「村長を捕まえてる」

「あ、そうだ、ティナーシャ様が!」

 メレディナは急いで部屋の隅の長椅子を見やる。しかしそこには誰もいない。

「え」

 その声にアルスの

「あ、まずい」

 という呟きが重なった。

「逃げられた……」

 メレディナが振り返ると、剣を握ったままの腕だけ床に残してビンスは部屋の中から消えていた。



 切断された腕を押さえながら、ビンスははいずるように洞窟の中を歩いていた。

 洞窟には隠し扉があり、彼の秘密の小屋に地下から繋がっている。窓も扉もないその小屋はアルスとドアンが探っていたものだ。

 今ビンスはその隠し通路を使い、洞窟から外に脱出しようとしていた。

 男は血を失って朦朧とする頭を奮い立たせる。しかし顔を上げた彼は己の失敗に気づいた。

 外に向かっていたつもりが、道を間違えて洞窟の奥に来てしまったのだ。泉に水滴が落ちる音が虚しく響く。

「くそ……」

 ビンスはよろめきながら泉に近づくと覗き込んだ。指の間から血が零れ落ち、水面に吸い込まれる。紅い滴が水の中に輪となって消え去ったその時、不意にどこからともなく少女の声がかけられた。

「お花……持ってきてくれてないの?」

 ビンスは頭を上げる。いつの間にか白い髪の少女が水面の上に立っていた。

「馬鹿な……」

 守り神など、村長が村を騙す為の狂言だと思っていたのだ。なのに目の前にいるこの人外の存在は何なのだ。

 ビンスはあまりのことに二の句が継げなかった。彼女はビンスを見て不快そうに眉を顰める。

「死臭がする……幾人もの女の血の匂い……誰も戻ってこなかったのはあなたのせい?」

「わ、私は……」

「そうなのね? 薄汚い人間め……消えなさい」

 彼女はそう言うと小さな手をかざす。

 圧倒的な力が、死の匂いを伴ってビンスを包んだ。



 メレディナとアルスが泉に着いた時、ビンスは既に事切れていた。

 その死体を塵屑のように見下ろしていた女の子は、メレディナに気づいて顔を輝かせる。

「戻ってきてくれたの!? ねぇお花は?」

「あ……」

 まだ持ってきてないのだ、と謝ろうとした瞬間、しかし彼女の腕の中に白い花が溢れた。零れ落ちそうなほどのいっぱいの花を、アルスとメレディナは呆然と見つめる。

 女の子は喜びに溢れた目で、それを見ると「ありがとう!」と叫んだ。同時に花がメレディナの腕の中から、風もないのにふわりと浮かぶと泉の中に次々吸い込まれていく。

「ありがとう! 私本当に欲しかったの。ありがとう」

 そして、それが別れの挨拶であるように女の子の姿は掻き消えた。残された二人はぽかんと立ち尽くす。

「何だあれ……」

「守り神……じゃない?」

 アルスは本当かよ……と手で首をさすりかけて、その手をとめた。

「おい! 泉の水が引いてってるぞ!」

「嘘!?」

 二人が泉の縁に駆け寄って覗き込むと、泉はまるで栓を抜かれた湯船のようにみるみる水が減っていく。やがて全ての水が抜けきると、そこは空っぽの深い穴になってしまった。

「どうするんだこれ……」

「まずいわよね……」

「あーあ、やっぱり」

 少女の声に二人が振り返ると、そこには子供姿のティナーシャが浮いていた。魔女は呆れたような顔で泉だった穴を覗き込んでいる。

「ティナーシャ様! 心配したんですよ!」

 メレディナの泣きそうな声にティナーシャは苦笑すると素直に謝った。

「御免なさい。ちょっと物を取りに行ってて」

「花ですか?」

 ティナーシャは笑っただけで答えない。

「縄をほどいてくれたのも?」

「さぁ……?  アルスは酒好きも大概にしないといつか見捨てられますよ」

「申し訳ない……」

 項垂れたアルスを無視して女二人は穴を覗き込む。

「これどうしましょう。水がなくなったら死活問題ですよね」

「そうですね。どうやらあの魔族がいたから水が沸いていたようです」

 ティナーシャは軽く手を叩いた。あっという間に擬態が解けて大人の姿に戻る。彼女は穴の真上の空中に立つと、手を広げた。

「まぁ何とかしますよ。若干離れてますが水脈はあるみたいですから、道を引きましょう。少し時間がかかるので先にドアンのところに行っていてください」

 魔女はそう言うと、おもむろに詠唱を始めた。




 ※ ※ ※ ※




 ビンスと村長は別に進んで協力していたわけではないらしい。

 もともとは二百年前、守り神の花嫁という名目のもとに、村一番の美少女が村長の計らいで内密に麓の街の有力者に売られたのが始まりだった。

 そしてその金は当時村を襲っていた流行病の治療にあてられた。家族や村の為に自分を犠牲にした少女は、慌てて村を出る最後まで 「白い花をとりにいきたい」と言っていたそうだが、その意味を当時の村長は結局知ることはなかった。


 本来ならその一回で終わるはずだった花嫁の儀式はしかし、多額の報酬に目がくらんだ村長が、五年おきに村の娘を騙して売ることで存続していったのだ。

 代が変わっても秘密裏に続けられた人身売買はだが、ある日ビンスがそのことに勘付いてしまったことで性質を変えた。アルスとドアンに締め上げられた村長は悪夢の儀式の終わりにどこかほっとした顔をしたそうである。

 村長の屋敷に戻ってきて、それを聞いたメレディナは

「人身売買ならよくて、魔法の儀式で殺害するのは嫌なんて身勝手よね」

 と感想をもらした。

 村長は近くの街の警備隊に引き渡される予定であり、入れ違いでその街の役人が混乱した村を整備するために派遣されることになっている。

 魔物がいたことでメレディナになじられたドアンはふと首を捻った。

「殿下はこういう結末を予想なさってティナーシャ様をつけてくださったのかな。水がなくなっちゃうなんて俺たちだけじゃどうしようもなかったけど」

「変なところにばっかり遊び歩いてるから勘がいいんですよ」

 唐突に背後から女の声がして 三人は振り向いた。青き月の魔女がそこに立っている。彼女は軽く手を払うと微笑んだ。

「終わりましたよ。帰りましょうか」

 清冽な美貌。どこか遠さを感じる微笑。

 その貌にメレディナは、花を欲しがった魔物のあどけない笑顔が重なって―――― 二百年も花を待ち続けた純粋なその姿を、ただ愛おしく思い出した。


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