黒猫クロと人間ゲン 〜エタる世界の物語〜

はるばら

第1話 どう見てもただの猫だった





 相原玄一あいはらげんいちの夢は勇者だ。


 弱きを助け強きをくじく。みんなから愛される存在、所謂正義の味方になりたくて、マントに見立てたただの布切れを翻しながらそこらで拾った木の枝を振り回し剣を振るう練習をした。

 まだ見ぬ悪の大魔王にいつか絶対勝つために。


 しかし、それは幼少期の頃のお話で、現在高校二年生にまで成長した彼の口からそんな夢物語はもう語られない。

 背中にはマントではなく教科書が入って重たくなったリュックサックを背負い、かつてはしゃんと伸びていた姿勢も今では猫背気味。

 学校帰り、人通りの少ない道で落ちていた木の枝を蹴飛ばしつつ大きな欠伸をするその姿は、とてもじゃないが、勇者には見えない。


 冴えない男子高校生。その一言がぴたりと当てはまった。


 玄一は俯きながら歩いていたために下がっていた眼鏡を押し上げ、つまらなそうにため息をつく。今日も一日何ひとつ面白いことなんてなかった。


 その吐き出されたものはそのまま白く凍り、それと同時にぴゅうと冷たい北風が吹き荒れ、落ちていた枯葉を舞い上がらせた。



「うわ、寒……」



 十一月下旬、そろそろ冷え込みも増して秋から本格的な冬になろうとしている時期。寒いのは当然だが、特に何も防寒をしていなかった玄一には一段とそう感じられた。

 明日からはしっかり備えなければいけない。そう考えながら玄一は両手をズボンのポケットへ突っ込み、早く我が家へ帰ろうと歩く足を速めた。


 その時だった。



「おい」



 聞いたことのない低めの声に、突然呼び止められた。

 玄一はその場で立ち止まり後ろを振り向いてみるが、そこには風によって落ち葉が散らかっているだけで誰の姿も見えなかった。


 ただの気のせい。玄一はそう思い、再び足を動かす。

 しかし、一歩、二歩と進んだところでまた先ほどの声がした。



「上だ、上」



 玄一はその声の主に言われるがまま、恐る恐る目線を上へとやる。


 するとそこには、猫がいた。

 全身黒い毛に覆われた猫が、木の上から黄色い瞳を怪しく光らせ玄一の姿をじっと見つめていた。



「……いや、まさかな」



 玄一は、思わず苦笑した。

 目が合い一瞬怯んだが、あれはただの黒猫。それが人間の言葉を喋るだなんてありえないことだからだ。誰かのいたずらか、或いは……。



「いや、そのまさかだよ」


「は?」



 思考を巡らそうとした玄一に対して、声の主──黒猫は、簡単にそう言ってのけた。


 その事実に混乱している玄一のことは無視して、黒猫は木の上から地面に降りる。

 その動作はとてもしなやかで、まさしく猫そのもの。ロボットなどの作り物の類ではなさそうだった。



「ふぅ、やっと俺の言葉が通じる人間に会えたぜ」


「な、な……」


「この世界に魔力がないのはわかっていたが、俺の声まで聞こえなくなるのは把握してなかったぜ」


「いや……いやいやいや!」



 聞いてもいないことをのんきに話す黒猫の様子に、玄一は思わず声を荒げた。



「なんだ? いきなり騒ぐなよ」


「は? なんだよお前! 急にこの世界とか魔力とか、てかなんで猫が喋ってんだよ……あ、そうか、誰か居るんだな? そうだろ? ドッキリだろ? 残念だったな、俺に仕掛けても面白いリアクションなんてできねぇよ!」


「お、おい、俺が悪かった。それに充分面白い。だから落ち着け」



 目の前で急にパニックになる人間に若干引き気味の黒猫は「まぁまぁ」といった感じで前足をくいっと動かす。

 昔は夢見がちな少年だった玄一も、さすがに猫に宥められるのは人生初であった。



「慌てなくてもお前の質問には全て答えてやるさ」



 そう言われた玄一は、一回深呼吸をした。その場の冷たい空気が体の中に入り込み少しだけ冷静さを取り戻す。

 次に、改めて自分に話しかけてきた黒猫を見た。それは、どうみてもただの猫だった。



「……お前、猫……だよな?」


「ああ、俺は猫だ」


「いや……喋ってんじゃん」


「そうだ。俺はこの世界の猫ではないから言葉を喋ることができるんだ」


「はぁ……じ、じゃあお前は別の世界の猫だっていうのか?」


「そうだ」



 玄一は怪訝そうに頭を掻く。

 そういう答えが聞きたい訳ではなかった。もっと根本的な、一発で謎が全て解ける答えが欲しいのだ。

 さてどう質問してやろうか。そう玄一が考え始めると、黒猫は「その前にちょっといいか?」と口を挟んできた。



「な、なんだよ?」


「質問に答えるかわりに俺の願いも一つ聞いてくれ。その為にお前に話しかけたようなもんだ」


「願い?」


「ああ。そんな難しいことじゃないはずだ。話はその後にしようじゃないか」



 黒猫がそう言うと、玄一は渋々頷き、



「まぁ、俺にできることならいいけど……」


「そうか、有難い」


「で、なんだ? その願いってのは」


「ああ……」



 黒猫は一呼吸置くと、咳払いをした。その黄色い目はまっすぐ玄一を見据えている。

 なんだ? こいつはなにを言い出すんだ? その只事ではなさそうな雰囲気に玄一はごくりと唾を飲む。


 そして、黒猫は口を開く。



「とにかく寒い。お前の家に連れてってくれ」


「……はぁ?」



 その願いはあまりに単純で、思わず拍子抜けしてしまうほどのものだった。


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