第330話 遍く大地を照らす真紅。俺が燦然たる魔力に灼かれること。

「お待ちください! お姉…………紅姫様!!!」


 フレイアが俺と紅の主との間に割って入る。

 彼女は大きく紅玉色の目を瞬かせ、火蛇を俺の周囲へと滑らせた。


「なぜ…………貴女とコウ様が剣を交えねばならないのです!? お話ししたいことがあるのでしたら、普通にお話なさってください!!」


 紅の主・イザベラは、妹の懇願に眉一つ動かすことなく冷たく答えた。


「それはできないからこうしている。…………どきなさい、フレイア」

「しかしコウ様は戦えません! 私が代わりに…………」

「私は扉の魔術師殿と語らいたいのだ。…………下がりなさい」


 有無を言わせぬ強烈な眼差しは、太陽そのもののようだった。

 温かな日差しなどでは決してない。緩やかに流れる雲の白も、洗濯物を包むうららかな白も、彼女の光からはかけ離れている。

 彼女は荒涼とした大地に差す、苛烈にして絶対の太陽であった。ただあるだけで、そこにある全ての魂を焼き尽くしていく。


 重たい波音。

 黒い魚の叫び。

 瓦礫を吹き抜ける、細く高い風の音。

 草木の物悲しいさざめき。


 裁きの主に睨まれた時と同じだった。

 見つめられているだけで、何もかもが遠退いていく。

 この世に彼女と俺の二人しか存在しなくなったような、途方もない錯覚に囚われた。


 俺を庇おうとしてくれているフレイアの声さえも、窓の外のさえずりみたいに思える。

 紅の主は俺へレイピアの切っ先を向け、話した。


「貴公から何か私に聞きたいことはあるか? 何でも答えよう」

「何って言うか…………」


 フレイアが固唾を吞んで見守っている。

 俺は正直に、今しがたフレイアが言ったのと全く同じことを尋ねた。


「戦う理由が見つかりません。というか…………ここへ何をしに来たんですか? 失礼ながら、今はこんなことをしている場合では無いかと思います」


 紅の主は一切顔色を変えない。

 彼女はよく通る声で、俺だけを瞳に映してハッキリと言った。


「戦いは語らいの優れた手段だ。貴公とて魔術師の端くれならば、そこに言葉を連ねる必要はあるまい。…………扉の魔術師よ。私は貴公の全てが知りたいのだ。「ミナセ・コウ」という人間の生き様を」


 尖り輝く灼熱の魔力が、さらに迸る。

 気圧される俺に、彼女は威圧的に重ねた。


「そして「機が悪い」と言うが、それは貴公らの誤りだ。今をおいて他に、私達が語らう機会はない。…………もうすぐ世界は終わるのだから」

「世界が…………終わる?」

「ヴェルグだ。私の依代たるあの魔導師は、まもなく「赦しの主」を地上に蘇らせ、世界を混沌に還すだろう」


 黄金色のヴェルグの瞳が、鮮やかに脳裏を走る。

 駆け抜けた寒気による身震いを、俺はどうにか抑え込んだ。

 すでに突き付けられている紅の主の剣が、怯えることをすら許さなかった。


 俺は唾を飲み込み、踏み込んで聞いた。


「どうして止めないんですか? 貴女はこのまま、ヴェルグの混沌を受け入れるつもりなんですか? だったら、どうして…………ジューダムと戦ったりしてるんです?」


 フレイアの眼差しが俺と姉との間を不安げに揺れている。

 彼女は、いざとなれば実の姉にも躊躇いなく剣を向けるだろう。しかし、相手もまた容赦はすまい。

 俺がどうにかするしかない。


 紅の主は、ガーネットの瞳に強い光を湛えて、話をした。


「我が主は「裁きの主」。そしてヴェルグはその「依代」。…………もし、彼女の成す混沌の招来があるまじき間違いであるのなら、裁きはとっくに下されているはずだ。…………私は主の御心に従う。混沌は白き恵みである」


 震えも掠れもない声は託宣じみていた。

 というより、実際にそうだと言っても過言ではない。

 リーザロットがあんな風に親しみやすい人柄だからつい失念してしまうが、彼女…………紅の主は、他ならぬ主に選ばれし三寵姫なのだ。

 いわば、この世界における神の代理人。半神の女神。


 紅の女神は、短く整った白金の髪を風に遊ばせ、語りを続けた。


「ジューダムの侵攻は主の意思とは関わりなきもの。もっとも、人の世の理…………魂の摂理ではあるだろう。故に、私はジューダムを憎みも否定もしない。しかし、主よりサンラインを預かった身として、当然抗う」


 理屈は通っている…………のか?

 心情的にはまだ納得しきれないが、この世界ではそういうものと言われれば、そうなのかもしれない。

 フレイアの様子をもう一度見やると、彼女もまた嚙み切れない面持ちでこちらを見返してきた。


 要するに、全ては主の心次第ということなのか。

 紅の主はサンラインの民の命、人間や世界の運命というものを、俺達とは少し異なった次元で捉えているらしい。

 三寵姫なんていう役目のことを思えば、むしろリーザロットの方が特殊で、紅の主の態度こそが真っ当なのか。


 俺は超然たる紅の姫に、もう一つ問い質した。


「何で…………俺のことなんか知りたいんですか? それも「裁きの主」の望みなんですか?」


 凛とした声が、それにもすぐに答えた。


「いいや。これは完全に私個人の望みだ。…………「紅」の名を冠さぬ、イザベラ・アルバス・ツイードの。

 私は貴公という可能性を見極めたい。大滝と雪崩れ落ちるこの運命の中で、貴公が如何なる役割を果たすのか。何を成し得るのか。詰まるところ「扉の魔術師」とは、何なのか」

「…………可能性とか、役割とか、俺にはどうだっていい。俺はただ、この戦を止めたい。混沌にも飲まれたくない。それだけです」

「…………フレイアは?」

「え?」


 不意に聞き返され、俺は詰まる。

 紅の主は、わずかに睫毛を伏せた。

 どういう表情なのか、分かりにくかった。


「我が妹を、貴公はどうするつもりなのだ? 貴公にとってフレイアは、如何なる意味を持つ?」

「えぇ? どうするって…………」


 どうするって…………いきなり言われても。

 フレイアに目を向けると、何か縮込まるみたいに肩を竦められた。

 俯き加減の顔は戸惑いに少し赤らんで、困り果てた眼差しは、俺から姉へとやや避難がましく向けられた。


「お姉様! そのようなことは、今は…………」

「そうだな。魂に尋ねる方が早い」


 日差しがまた、白く俺を刺し貫く。

 真紅に燃える瞳が、俺を睨んだ。


「質問は終わりか、扉の魔術師?」


 圧倒されて何も言えない。

 フレイアが今にも飛び出さんとするのを、紅の主が制した。


「下がれと言ったはずだ、フレイア!」

「下がりません! コウ様は、戦うことなど…………」

「出来る」


 言い切る紅の瞳に曇りは一点もない。

 紅の主は、俺だけを見ていた。

 魂全てが乗った眼差しというのは、こういうものかと戦慄した。


 神託は、強い風音に似ていた。


「私は「紅の主」。このサンラインの気脈は、いかなる細枝とても我が腕の内にある。脈打つ魔力は我が血潮に等しい。

 …………扉の魔術師、もうわかるだろう? 貴公は私の力場において、私と同等に自由で在りうる。…………あるいは、それ以上にも」


 気脈の拍動を全身で感じる。

 渦巻く無数の悲鳴が、黒い魚の絶叫が、途端に戻ってくる。

 波と風と草いきれが、焦げた街の匂いと混ざり合う。


 炎が揺れている。

 街で、海で、紅の主の真っ赤な眼差しの内で。

 それは重なり踊っていた。


「――――その目が、貴公の構えか?」


 赤々と麗しい唇が微笑んだのは、一瞬。

 苛烈な日差しが火矢の如く俺へ降り注いだ。


「――――コウ様!!!!!」


 聞こえたフレイアの悲鳴に、俺は親指を立てて応えた。


「――――大丈夫! 待ってて!」



 ――――――――…………泉が溢れるように、サンラインの大地の気脈が俺へ繋がる。

 俺は身を委ねるようにして、一気に意識を飛ばした。

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