第279話 踊る少女と孤独な「主」。俺が花の宿へと導かれること。

 ――――――――…………ヤガミとクラウスが、リーザロットと戦っている。

 そんな光景が、遠い国の出来事をテレビで見るみたいにハッキリと、頭に浮かんできた。


 リーザロットが魔術の花吹雪を高く鮮やかに巻き上げる。

 サラサラと柔らかな花びらの擦れる音が、すぐににザラザラと乾いた硬い音へと変わった。


 花びらが透き通り、輝く。

 鋭利なガラス片となった彼女の花びらは、情け容赦無くヤガミとクラウスへと降り注いだ。


 クラウスが短く詠唱し、周囲に薄氷の結界を巡らせる。

 ヤガミが即座にそれを足場にし、ガラス片の雨の中へと飛び込んでいった。

 抜刀と同時に花びらを刃の周りに巻きつけ、リーザロットまでの道を斬り開く。


 怒涛となって襲い来る花びらを、クラウスの薄氷はかろうじて受け切った。

 と同時に彼の結界は高く澄んだ音を立てて砕け散る。

 しかし舞い散った氷片のきらめきはそのまま無数の針へと形を変え、花びらをことごとく刺し貫いた。


 リーザロットがスイと指を滑らせる。

 氷針は1本残らず、蒸発、霧散する。


 その隙に、ガラス片を纏ったヤガミの剣がリーザロットへ迫る。

 彼女は落ち着き払って優しく片手を閉じると、ガラス片を刃へのめり込ませ、ヤガミの剣を粉々に打ち砕いた。


 ヤガミが折れた剣の柄を握り締め、慌てて距離を取る。

 リーザロットが静かに彼を指さすと、砕かれた刃と花びらが一斉に体勢の崩れた剣士を斬り刻んだ。


 クラウスが何か叫んでいる。

 その彼の咽喉元を、刃か花びらか、鋭い一片が掠めた。

 もう一度、クラウスが彼女を呼ばわる。



「――――――――蒼姫様!!!」



 刃の雨をもろに浴びたヤガミがどうにか立ち上がり、彼女の名を呼び重ねた。



「リズ!!! 何で「ソイツ」を追い払わない!?」



 ――――――――…………。


「リズ」


 俺が呼ぶと、幼いリーザロットはすぐに振り返った。


「何でしょう、お兄様?」


 「リズ」と呼ばれるのが嬉しいらしく、彼女の口調ははしゃいで温かい。

 俺は首の後ろを搔き、言葉を継いだ。


「その、「お兄様」っていうのは、ちょっと…………。できればもっと普通に、コウさんとかで呼んでほしいんだけど」

「では、コウ兄様は?」

「ううん…………」


 悪くない。

 何かいけない香りもするが、悪くない。

 悪くないので、俺はとりあえず受け入れて話を進めた。


「よし、それでいこう。…………それより、今はどこに向かっているんだい? 裁きの…………いや、「ご主人様」のところ?」

「いいえ」


 少女が歩き出しながら、首を振る。

 彼女は言葉を探すように、続けた。


「いえ…………そうではあるのですが…………。「ご主人様」は、お姿を現さない方ですので…………私と一緒に…………何て言うのでしたか…………そう。キョウリキバを作って、一緒に感じて頂こうかと思っています」

「共力場か。なるほどね。君自身が「依代」になるってことか。…………ん?」


 納得しかけて、ふと疑問が浮かぶ。

 察したらしき少女が、先に答えた。


「今、この状態は「ご主人様」の眼差しの下にあります。本当はいつだって、どこだってそうなのですが…………私達は、あの方の魔術の内にいるのです。…………キョウリキバを作っているのとは違います。キョウリキバは、お互いの色を混ぜなくてはいけないのですから」


 言ってから、少女が少し頬を染める。

 上目遣いに俺を見る目は、リスが逃げるみたいにすぐ逸らされてしまった。

 …………おいおい。さすがに罪悪感あるぞ、こんなのは。


 俺は心を落ち着かせ、語り掛けた。


「リズ。共力場はね、その…………もっとドライに作れるものでもある。戦う時なんかには、本当に、もっとライトにフランクにやらなくちゃならないし。だから、安心していい。俺はそういう感じでやる。問題無い」


 少女は戸惑いをわかりやすく顔に出し、言葉を繰り返した。


「ごめんなさい。私、わかりません。…………どらい、らいと、ふらんく…………? あの、もしかしてコウ兄様は、私とではお嫌なのでしょうか? 私、そしたらどうすれば…………」

「ああいや! そういうことではなくって…………」


 やりにくいぜ。

 俺はまた首の後ろを搔き、思わずこちらの胸まで痛む表情の少女に言った。


「ごめん、悪かった。…………いい。大丈夫。君は何にも気にしなくていい」

「…………コウ兄様、私、頑張りますから」

「いい、いい。自然にしていて。本当にいいから」

「自然? 私、本当にコウ兄様のことを好きになりたいと思っております」

「…………会ったばかりのオジサンにそういうことを言っちゃいけません」

「オジサンには見えませんけれど」


 少女がキョトンと大きな目を瞬かせ、俺を見つめる。

 お世辞にしてはどうも妙な感じなので自分でも見下ろしてみると、そこには思っていたよりも大分若い自分が…………制服姿の中学生の自分がいた。

 邪の芽の置き土産だろうか?

 いつからこうだったんだ?


「…………会ったばかりの中学生にも、言っちゃいけません」

「チュウガクセイ? ふふ、面白いお兄様」


 少女がくすくすと笑って、また歩き始める。

 全く、コロコロと表情が変わって忙しい。

 可愛いけど、ちょっとオジ…………いや、オニイサン、困っちゃう。

 本当に彼女に任せて大丈夫かな…………。


 とはいえ、他にどうしようもないので少女の後をてくてくとついていく。

 彼女の足元をひときわ明るく飾る、白い靴にふと目が行った。


「この靴、お気に入りなんです。私をどこへでも連れて行ってくれるの」


 少女が振り返ってステップを踏んで見せる。

 こんな頃から人の心が読めたのか。

 最早驚きはしないが、何ともやりにくいこと、この上ない。

 少女は肩をすくめ、さらっと続けた。


「コウ兄様。心が読めるのではなく、お兄様がとてもわかりやすいのです」


 同じでしょうが。

 っていうか、やっぱり読んでいるじゃないか。

 どこからからかわれていたのかな…………。


 少女は笑い声を立て、楽しそうに白い大地を歩いていく。



 ――――――――…………そうしている間にも、ヤガミ達はまだ戦っていた。


 クラウスは魔術の手を緩めない。緩められない。

 駆使する魔術が大規模になるにつれて、彼の瞳はより獣らしく、荒っぽくギラついていった。


 痛ましいと同時に、今までになく真っ向からリーザロットの姿を映しているようにも見える。

 極北の夜空が、彼らの頭上で凄まじくきらめていた。


 ヤガミはぶつかり合う魔術の波間で、折れた剣を握り締めて立ち向かっていた。

 彼はリーザロット、クラウス双方の魔術を掬い取り、己の剣を形作っていく。

 初めは脆くいびつだったその刃も、段々と鋭く研ぎ澄まされ、柔軟な変化を取り入れていった。

 さながらフレイアが火蛇を操るが如く。

 彼は魔刃を操る。


 リーザロットを守る桜吹雪が、一つの幻影を結んだ。

 漆黒の死神に酷似したその影は、ヤガミをたやすくあしらった。


 タリスカでは、ない。

 剣技は彼そっくりではあるものの、あの地獄の底から吹き荒れる嵐には、遠く及ばない。

 血飛沫のむせ返る熱さが、死すら鈍過ぎるような無慈悲さが、足りない。


 それでもヤガミはあえなく弾き飛ばされ、追撃をくらう。

 気を取られたクラウスの魔術が破られ、星が流れ落ちる。

 夜がみるみる裂けていく。


 リーザロットは待ち望むような切な視線を、空へと送った。



 ――――――――…………。

 大変なことになっているなぁ…………と、他人事のように俺は眺めていた。


 そもそも、なぜ彼らは戦っているんだっけ?


 やわな雪原を、小気味の良い音を立てて踏み固めながら、俺はつらつらと考えた。

 「何で?」とか考えるなと邪の芽には言われていたが、無意識に頭に浮かんできてしまうのだから難しい。

 幸いなのかどうか、俺の前を行くリーザロットがすぐにそれに答えてくれた。


「…………そのお兄様達は、コウ兄様のお友達ですか?」


 「ああ」と頷くと、彼女は話を続けた。


「何で戦うのでしょうか? それは、ええと…………どう呼ぶのがいいのでしょう?…………コウ兄様のお友達が戦っていらっしゃる「リーザロット」を…………そうですね。今は、お姉様とお呼びしましょうか。お姉様の中を、「ご主人様」が通られるからです。コウ兄様のお友達は、それで不安になってしまうの。魔物だと誤解していらっしゃるのでしょう」


 少女が歩く。

 俺は淡々と後をついていく。

 ここがどこかは、考えない。

 ただただ小さな後ろ姿を追っていく。


 粉雪の合間からうっすらと、弱い日差しが照っている。

 ちらと天に目を向けると、じんわりと淡い光が瞼にしみた。

 少女は話を続けていった。


「コウ兄様のお友達は、お姉様の中から「ご主人様」を追い出したい。でも、お姉様はそれを望んでいないの。…………お姉様は、「ご主人様」に会いたがっているんです。…………かつて私だった頃に、感じていたように」

「ヤガミやクラウスと戦えば会えるっていうの? 俺には納得できないけど」

「私にもまだぼんやりとしかわかりません。ですが、通じ合うというのは…………時に、全く理屈に合わないものだと、聞いております」

「けど、いくら何でも支離滅裂が過ぎるよ。あんな風に傷つけ合って、何になるっていうんだ? ヤガミも、クラウスも、本気でリズを心配しているのに。ちょっと残酷過ぎる」

「私も間違っていると思います。…………でも」


 少女が一旦言葉を区切り、言い継いだ。


「ちょっとわかる気もします。どこかで深く感じ合う人が相手でなければ、本気では戦えないのかもしれません。そして、そういう本気がなくては、「ご主人様」とのキョウリキバは決して作れない」

「本気で戦う…………? でも、そんなの無理だろう。ヤガミもクラウスも、本気になんて絶対なれない! アイツらあんなにやられてんのに、それでもまだ手加減してる…………と思う。…………一方的にボコられているように見えなくもないけれど…………そのはずだ」

「確かに、お姉様にはまだ傷一つついていませんね。…………あとは、貴方と…………」

「ん? 俺?」

「いいえ、何でもありません」


 少女が首を振り、また黙って歩みを進める。

 どういう意味かと問いたかったが、聞いても体良くはぐらかされてしまいそうな気がした。見た目はほんの子供とはいえ、内面はもうかなり大人びている。自分が同い年だった頃とは雲泥の差だ。

 俺は溜息を吐き、この際だからとついでに尋ねた。


「そういえば、タリスカは? 全くあの人は、ちょっと目を離した隙にすぐいなくなるんだから…………」


 その時ふいに、前方にこぢんまりとした建物が見えてきた。

 タリスカが俺をこの力場に放り込む前に、大人のリーザロットが立ち止まって見ていた家とよく似ている。

 古びた屋根にまばらに苔が生えた、窓の小さな、煤汚れの目立つ民家。


「コウ兄様。もうすぐです」


 少女が振り返り、無邪気に微笑む。

 彼女の白い靴が、いつしかコツコツと足音を響かせているのに気付いた。

 雪道が徐々に、黒ずんだ石畳に変わっていっている。


 家に近付くにつれ、俄かに辺りの景色が賑やかになってきた。

 祭日の人出かと見紛う程の人集りが、たちまち周囲を一杯に埋め尽くす。

 目指す家はひしめき合うように立ち並ぶ居酒屋やら出店やらの中に、ひっそりと埋もれて建っていた。


 少女は雑踏の中を、慣れた様子でするすると抜けていく。

 俺はいちいち人にぶつかりながら、その後をどうにかついていった。


 飲み騒ぐ人々の中には、異邦人が多く混じっていた。嗅いだことのない強烈なスパイスの匂いや、どこか懐かしいお香の煙などが、大勢の汗とアルコールに入り混じって熱っぽく立ち込めている。

 すれ違った客引きらしき男のあまりに卑猥な誘い文句に、俺は思わず頬を引き攣らせた。


 少女は怯えるでもなく、家の扉へと近付いていく。

 読めないはずの表札が、不思議と理解できた。


 「花姫亭」


 とある。

 小料理屋だろうか。


 家の前の灯篭にふっと桜色の明かりが点いた。

 花びら模様の影が足元にふんわりと差しかかる。


 少女は扉の前で俺を待っていた。

 可憐な気品を涼やかに漂わす彼女は、この町並みにはひどく場違いで、だからこそこの上なく、麗しく輝いていた。

 桜色の唇が微笑の形から、ゆっくりと変わる。


「ようこそ、私の故郷へ。…………「ご主人様」がお待ちです」


 少女が優雅に俺の手を取る。

 手の甲への柔らかなキスに、俺は思わず顔を火照らせた。


 閉ざされた家の扉が、おのずと開かれる――――――――…………。

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