第248話 竜の証を示す者。俺が本能と理性の間で揺れること。

 興奮、怒り、悲しみ…………どれともつかない感情を爆発させ、俺は吠えた。

 力の限り吠え続けた。

 それ以外に、何も出来なかった。


 アオイは


「なんと勇壮な! なんとかわゆい!」


 と、無邪気に喜ぶばかりでちっとも話を聞いてくれない。「美しい!」「完璧じゃ!」「さすがわらわ!」そんな風にはしゃぐ彼女のキラッキラの眼差しは、ドクター・ウィラックが乗り移ったのではと背筋を冷やす程に真っ直ぐだ。


 そしてマズいことに、段々と人間の喋り方がわからなくなってきた。


 …………ん??

 …………あう????

 …………っ。


 もどかしさでまた叫びたくなる。

 衝動に負ければ後戻りできなくなるとわかっているのに、本能が腹の底から声を轟かせろと命じてくる。


「ウ…………グゥ…………ッ!」


 歯ぎしりしてかろうじて耐えていたら、突如小屋の扉が激しく開かれた。

 ハッと見ると、フレイアが息を切らして戸口に立っていた。

 辺りには俺が勢いで吹っ飛ばした衝立やら服の籠やらが残骸となって散乱している。


 フレイアはすっかり水浸しになった床にブーツのまま踏み込み、紅玉色の瞳を零れそうなぐらいに大きく丸く見開いて呟いた。


「コ、コウ、様…………!?」


 愕然として俺を仰ぎ見る彼女に、俺はどうにか言葉を取り戻して答えた。

 答えようとした。


「グゥ…………アー…………フ、フレイあ…………!」

「アオイ様!!! どういうことか直ちにご説明願います!!!」


 怒髪天を突くとはまさに今の彼女のことを言うのだろう。フレイアは振り乱れた白銀色の髪を構いもせず、顔を真っ赤にしてアオイに食ってかかった。

 と、アオイのあられもない姿を目の当たりにして、彼女はさらに拳を震えさせた。


「なっ…………!? なっ…………なぜっ、そのような、はしたない格好をなさっているのですかっ!?」

「湯殿じゃもの。当然じゃろうが」


 アオイは非難をものともせず、透けた薄衣と髪から水滴を滴らせて艶めかしく微笑んだ。


「それとも何じゃ? 心を通わせた者同士が湯浴みするというのがどういう意味か、わからぬと申すのかえ?」

「…………っ! な、な…………なっ…………!」

「ウグゥ!」


「誤解だ!」叫ぼうとしたが、咄嗟に言葉が出てこなかった。

 フレイアは俺を凄まじい目つきで睨み付け(同時にレイピアを突き立てられたかと本気で思った)、一転して恐ろしく静かな声で尋ねてきた。


「…………コウ様にお伺いします。…………何を、していらっしゃったのですか…………?」


 何もしていない!


 思いきり吠えかけて、どうにか人語で伝えた。


「アッ! ガァ、グゥ…………こッ…………コこのオ湯、特別なオ湯…………ダったんダ。不思議な水、ヲ、使っていテ…………。ソれで、魔術をガけられテ…………」

「…………つまりお二人で一緒に共力場を編成されたと」

「ウ」


 俺は人の理性にしがみつきながら、必死で弁解を続けた。


「グ…………いヤ、まァ、そうだけド…………君が想像スルようなことハ、ナニもしてない! チカって!」

「…………誓いはまだ必要ありません。私が何を想像しているとお思いなのですか?」


 研ぎ澄まされたナイフの如き深紅で射られ、俺は声を詰まらせる。

 何もかも爆発させて喚き散らしたいのを、全力で堪えていた。


「ガゥ…………グァ…………ウゥゥ…………そ、それハ…………」

「それは…………?」

「その…………ウゥ…………」


 ごにょごにょと口ごもる俺を、フレイアは辛抱強く…………というより、執念深く獲物を付け狙う獣の如く待ち続けている。

 ウゥ…………。決して俺はやましいことなんてしていないのに。少なくとも俺からは何もしていないのに。俺はむしろ、被害者なのに…………。


 無駄な足掻きを承知でアオイを見やると、彼女は謎に余裕の表情で見返してくるばかりだった。


「…………コウ様、何をご覧になっているのです?」

「アゥッ…………! グ、ガ…………」


 俺がどもっているうちに、また小屋の外がバタバタとしてきた。


「…………いた! ここだ! 声がする!」


 ヤガミの声だった。

 程無くして、タリスカとヤガミが中に走り込んできた。


「うっ!?」


 いつもスカしたヤガミのドン引き顔は中々に見ものであったが、できれば今こそ本音を隠してポーカーフェイスで対応してほしかった。アオイが絶賛しているだけでも憂鬱なのに、彼すら隠し立てできないほどの見た目かと思うと、胸が張り裂けそうになる。

 彼はアオイとフレイアにちらりと目をやり、最後にまた俺を眺めておずおず尋ねた。


「コウ…………なんだよな…………?」


 俺は長い鼻息だけで返す。目の前にやってきたヤガミの髪が揺れ、いよいよ彼は言葉を失っていた。

 タリスカが、顔面を蒼白にしたまま微動だにしないフレイアの肩に手を置き、言った。


「フレイア、ひとまず下がりなさい」

「ですが」

「後にせよ。今はスレーンの姫と話す。…………スレーンの姫よ、見事な獣変化術だ」

「ふん」


 アオイは恥ずかしげもなく浴槽の縁で立膝をつき、笑った。

 はやく何か着せないと風邪を引くと気が気じゃなかったが、その心配をするまでもなく、彼女は指先一つで新たな衣を作り出して手慣れた所作で肩に羽織った。フワフワの毛皮でできた、見るからにセレブな衣であった。


「他愛も無いことよ。ミナセとわらわは気が合うでのう」


 フレイアからたちまちドス黒いオーラが噴出するのがわかる。

 ヤガミから送られてくる非難がましい視線に、俺はただ気まずい思いに沈んだ。


 いや、だって、しょうがないだろうが。俺に何ができたって言うんだよ…………。


 タリスカはいつも通り一向に気に掛けず、話を進めていった。


「維持できるのはどれ程の間か?」

「わらわの望む限り、いつまでも…………」

「ウォー!?」


 騒ぎ立てる俺の口をタリスカの白く長い腕が容易く抑える。

 しばらく何も言わずにタリスカを見つめていたアオイは、やがてつまらなそうに肩を竦めた。


「ハ、主が主なら従者も従者じゃのう。洒落が通じん男じゃ。

 気脈の状態にもよるが、永遠にということはない。元々ミナセは里の者ではない。例え如何なる因果があろうとも、この地との繋がりはいずれ解け、元の形に戻るであろう。

 だがまぁ、少なくとも決闘が終わるまではこの術、解けはしまいよ。断じてわらわが許さぬ」

「ブフォー…………!!!」


 それってもう、アオイの気分次第でずっと解けないのと同じじゃん…………!!!

 タリスカがまじまじと俺を見つめ、話した。


「決闘の行方はやはり勇者の力量次第か」

「そうでもあろう」

「…………他に何がある?」

「乗り手じゃ」


 アオイの冷ややかな眼差しがヤガミへと向く。

 ヤガミは何も言わずに眉をひそめ、こぼした。


「俺…………ですか?」


 アオイは得も言われず憎たらしい微笑を浮かべ、言葉を続けた。


「決闘を申し込むためには、竜の証を顕現させねばならぬという話、覚えておろう? …………これは要は、ミナセに何がしかの重要な縁を…………竜王様に繋がる、強い因果をこじつければ良いという話になると、わらわは思うとる。

 決闘者に関する古文書の内容は粗方確認しておるが、彼らの示した因果もまた、実際には怪しいものばかりであった。…………ならば、わらわも伝統に則るまでじゃ」

「ブフゥー?」


 それでいいのか? という俺の問いは、うまく伝わらなかったらしい。

 タリスカもアオイも、ヤガミすらも取り合わず、フレイアに至っては、「コウ様、ついに人の言葉がおわかりにならなくなったのですね」とばかりに沈痛な表情で俯いている。


 アオイはヤガミに、さらに語っていった。


「しかしながら、じゃ。わらわとミナセは心より強く結びついてはおるものの、如何せん共に過ごした時間があまりにも短い。わらわはオースタンに赴いたこともなければ、ミナセが話す本来の言葉すら耳にしたことがない。…………認めねばならぬ。わらわでは、到底ミナセの全てを読み切れぬ」


 ヤガミがさらに眉間を険しくする。

 いつもならとっくに口を挟んでいるはずの彼が黙っている訳は、俺にも察せた。

 あーちゃんの力のことを伏せている以上、それは難しいとも、ぜひやってやるとも言えないのだろう。なまじ嘘の設定を盛ってしまった後なだけに、始末が悪い。


 タリスカの虚ろな眼窩の奥に溜まった闇が微かに揺れた。

 骸の騎士は俺から手を離すと、アオイに向かって告げた。


「スレーンの姫よ、無謀だ」


「無謀」。この骸骨、そんな単語を知っていたのか。

 俺とヤガミの驚愕もよそに、タリスカは発言を継いだ。


「如何に竜が勇者であるとしても、竜乗りは一夜にては成らぬ。…………竜の証を示すべき役、スレーンの姫自身が成しては如何」


 アオイの顔に一瞬、ピリッとした強張りが走る。

 彼女は緊張をすぐに涼やかな顔で覆うと、提案を鼻で笑い飛ばした。


「ハッ! 話にならぬな。そもそも完全に2人だけでやらせようとは思うとらんわ。わらわは地上で獣変化術の維持に専念する。万が一不細工のヤガミが落ちたとしても、そこの面白い顔の娘が補佐をするよう、手配せねばならぬしな」

「…………操竜しながらでも、術の維持は可能でしょう」


 フレイアが言葉を差し込む。

 アオイはジロリと目だけで彼女を睨むと、とりわけ厳しい口調で返した。


「口を慎め、半人前が! そちに魔術はわかるまい。兄上は丘の上でこそ甲斐性無しのヘタレのへっぽこじゃが、空では侮れぬのじゃ。わらわはミナセを傷つけとうない。警戒してし過ぎるということなど断じてない。おぬしは黙って不細工の救護係に徹せよ。まぁ…………薄っっっすい力場ぐらいは編むことを許してやるがのう。共力場無しでは、おぬしの如きでは空にいるミナセ達と通じ合えんであろうから」

「…………私は蒼姫様の騎士です。蒼姫様に許可を頂かねば、貴女の指示には従えません」

「ふん、いかにも男に愛想を尽かされそうな、面倒な娘じゃのう」


 フレイアの瞳が静かにギラついているのが、深刻に怖かった。

 何か、何か良い言い訳はないかと頭の隅々までひっくり返してみるも、溢れてくるのは咆哮への衝動ばかり。

 ありとあらゆる感情が白も黒も無く噴き出してせめぎ合っている。

 怒涛となりかけた混乱を、寸でのところでヤガミの手が留めた。


「…………わかった、俺が乗ろう」


 いつの間にか、すっかり落ち着きを取り戻した灰青色の瞳が俺を見上げている。

 ヤガミはフレイアとタリスカへ向き直ると、誠実に頭を下げた。


「無茶は元より承知です。…………ですが、どうかもう一つ、ご指導願えませんか?」


 タリスカが珍しく悩ましげに下顎骨を指で撫でる。俯くと笑っているように見える口元が、今夜もまた不敵に見える。

 中途半端に怒りに水を差されたフレイアは、いつもより一層手厳しかった。


「本気で仰っているのですか? 貴方が乗られるのでしたら、いっそ蒼姫様にお願いした方が…………」

「蒼の主には別に頼む役がある」


 アオイがそっけなく言う。

 ヤガミはフレイアを真っ直ぐに見て、答えた。


「やります」

「…………。私とコウ様の事情はご存知でしょう。事故の折には助けが間に合わぬことも覚悟なさってください」

「ありがとう、師匠」

「グオーゥ…………」


 俺をおいてまとめないでくれという空しいメッセージ。

 フレイアがそれとなく俺を仰いで小さく呟いた。


「…………貴方のためではありません。蒼姫様と…………コウ様の、夢のためです」


 か細い声調子に、ギュッと胸が締め付けられる。


「フレイア」


 呼びかけを覆うように、死神がバサリと漆黒のマントを翻した。


「スレーンの姫、しばし日を寄越せ。この戦、制す」

「フン、わらわに命令するでない。…………が、いいだろう。承った。最高の仕事をせよ」

「笑止」


 骸の巨体が悠々と歩き出す。と思いきや、彼は目にも止まらぬ剣捌きで小屋の戸を大きく………夜空ごとバックリいったかと見紛う程派手に、斬り開いた。

 千々に引き裂かれた上等な白い織物が、きらやかに星空を舞っている。

 湯気はあっという間に広がり、風に攫われていった。


「来なさい」


 フレイアとヤガミが漆黒の影を追って駆け出すのに合わせて、俺も身体を動かした。羽と身体を伝って、溜まっていた水が滝となって地へ流れ落ちる。

 アオイはそんな俺に寄り添うようにして、耳打ちした。


「頼んだぞ、ミナセ…………」


 俺はどうしようもなく、もう本当に腹の底から湧き出すままに、雄叫びを上げた。

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