第244話 灰青色、王の貫禄。俺が竜の子の選択に打ち据えられること。

 翌朝、頭領引継ぎの奉告のため、俺達と里の主だった家臣は皆、白竜の間に集まった。

 タリスカやフレイアの護衛の下、ヤガミもまたそこへ赴いた。


 ヤガミがフードを下ろして顔を見せた瞬間、厳粛な室内にどよめきが走った。

 当のヤガミはいつも通りの穏やかなポーカーフェイスであったが、周囲は当然、怒りを露わにした。


「おい、貴様ッ!! 何のつもりだ!?」


 真っ先に怒鳴りつけたのは、バドという男だった。アオイが俺を側役として紹介した際にも、いの一番に反対していたヤツだ。

 彼はヤガミの前へずかずかと歩み寄り、落ち着き払った灰青色の瞳を嫌悪感たっぷりに覗き込んだ。


「…………貴様ッ! どの面下げて現れた? よもや生きて帰れると思っているのではあるまいな? 貴様の血、この場で竜王様に捧げてくれる!」


 ヤガミとバドの間にさりげなくフレイアが立ちはだかる。紅玉色の瞳は相変わらず爬虫類の如く冷めきっていたが、まだレイピアの柄に手を掛けてはいないあたり、大きな危機とは見做していないらしい。

 ヤガミは腕を組んで相手を見つめ、静かに言った。


「シスイさんが紹介してくださるという話でしたが…………こうなっては仕方がない。先に自分で名乗りましょう。

 俺はヤガミ・セイ。ジューダム王の肉体です。サンラインの協力者として、ここに参りました」

「そんなことは知っている! 私の情報網を舐めるな! 牢にいるはずの貴様が、何故ここに? そもそもスレーン人の肉体は霊廟に眠っているはずではないのか? いつ、サンラインと繋がった? この間者めが!」

「…………一つずつお答えします」


 口添えしに来たリーザロットを柔らかな身振りで制し、ヤガミは話した。ごく自然に、目の前のバドのみならず、集まっている人々全員に語り掛けていた。


「まず、俺をここへ呼んだのは頭領のシスイさんです。アオイさん、先代の頭領さんにも同意を頂いております。…………頭領としての誓いを、関わる全員に聞いてもらいたいとのことのでしたので」


 ヤガミが後ろに控えているアオイを見やる。

 アオイは助け舟を出す気はさらさら無いらしく、黙って彼を睨み返すばかりだった。

 俺が肩を竦めると、プイと顔を背けてしまう。フレイアがわずかに眉をひそめるも、アオイに向き直る気配はない。

 ヤガミは構わず、話を続けていった。


「次に、肉体の俺だけがなぜジューダムを離れているかですが、これにはかなり複雑な事情があります。聞いていただければ、間者ではないことはわかってもらえるはずです。

 先に申し上げておきますと、厳密に言えば俺は、王の「肉体」そのものではありません」


 どこまで話す気だ、と俺は息を飲む。部屋の中のざわつきがそのまま胸騒ぎと重なる。

 ヤガミは依然、他人事然としていた。


「先王の時代に、現ジューダム王はオースタンへと逃れました。王位争いの内乱を避けるためです。…………百も承知かと思いますが、その時の混乱でジューダムの他の王子は皆、亡くなりました。

 そして先王は、唯一血を引く世継ぎをオースタンに求めた」


 ヤガミの視線が人々を巡る。

 いつの間にか騒ぎは落ち着き、皆が彼に耳を傾けている。彼のちょっと人並外れた冷静さは、どうやらじわじわと伝染するものらしい。

 一触即発の空気はどこへやら。ヤガミの言葉はスラスラと続いた。


「その際にちょっとした衝突が起きました。オースタンで幼い現王を匿っていたのは第2王妃でしたが、彼女は追ってきた王から現王を守るために、現ジューダム王に魔術を掛けました。…………肉体と霊体を強制的に分離させ、肉体の記憶を操作する術を」


 ヤガミの語り口には一切淀みが無い。真実を知っている俺でさえ、「あれ? 俺が何か思い違いをしていたかな?」とつい不安になる。

 よくもまぁ、こんなに滑らかに嘘へスライドできるものだ。


 本当は、王妃がジューダムから連れ出したのは、まだ赤ん坊であった自分の息子と、別の妃の子であった幼いヤガミだ。

 王妃…………ヤガミのおばさんは優しい人だったから、例え自分とは関わりの無い王子であったとしても見捨てられなかったのだろう。


 そうしてオースタンで隠れ暮らしていたヤガミ達をジューダムの先王が発見したのは、多分、俺とヤガミが14の頃だ。

 ヤガミのおばさんとソラ君、ヤガミが弟と呼んでいたあの子が急に姿を消してしまったのを覚えている。


 あの時、なぜヤガミだけがオースタンに残ったのか、おばさん達がどうなってしまったのかはわからない。

 ただ一つ確かなのは、あの時ヤガミが全てを失ってしまったということだけだ。


 もうどこにも無い世界の記憶が、俺の内にはまだ残っている。

 玉座を継ぐ前、俺と同じ、ただの子供に過ぎなかったヤガミのことが色々と思い出されてくる。

 アイツの吐きだす乱暴で抽象的な言葉は、揺れる世界の狭間で、辛うじて紡ぎあげられたものだった。アイツは目の前のことを受け止めるのに精一杯だったのだ。

 今隣にいるヤガミに言ったら「今すぐ忘れろ」と胸倉を掴まれそうだが、アイツはあの日、あの押し潰されそうな空の下で、確かに泣いていた。


 それからしばらくして、ヤガミは親父さんを…………先王を手に掛けた。

 あーちゃんが…………俺の妹が、偶然にそれを見掛けて、息を切らして俺を呼びに来て。


 …………それで。

 …………俺は。

 …………。


 …………いずれにせよ、もうそんなことがあった世界は存在しない。下手をすると、アカシックレコードにも記録されていないのかもしれない。

 あーちゃんの本物の「勇者」の力によって、世界オースタンは新たに創り変えられた。ヤガミ達の全存在は彼らのいた古い世界と共に消滅し、新たにこの、そっくりそのままの姿をしたヤガミと、新しい世界が生じた。


 余計な動揺が顔に滲み出ないよう、俺は極力面を上げないでおく。

 リーザロットやフレイアも、じっと口を閉ざしていた。


「霊体から引き剥がされた肉体は非常に脆いものです。記憶の改ざんは非常に上手くいき…………行き過ぎて、新たな人格が誕生してしまった」

「…………それが、お前だと言うのか?」


 困惑を隠しきれないバドの問いに、ヤガミはハッキリと頷いた。


「ええ。ですから俺は、王の「肉体」を元に創られた、全くの別人と言っていい存在なのです。「肉体」そのものと呼ぶには、あまりに離れていた時間が長過ぎる。俺は最早、ただのヤガミ・セイでしかない。

 俺はジューダムという国のあることさえ、そこの「勇者」と出会うまで忘れていました。…………いや、「知らなかった」のです。今まで俺が信じてきた子供の頃の記憶は全て偽りだった…………」


 俯くヤガミの悲壮な表情は迫真である。

 少々無理があるのではと思える理屈も、これなら勢いで上手く丸め込める。

 バドは妙な流れになってしまった場で、いかにも居心地悪そうに尋ねた。


「しかし…………俄かには信じられませぬな。それにその、肉体の方はそのようにしてお妃が守られたにせよ、霊体の方はなぜそのまま…………」

「霊体もまた、漂白するつもりだったのでしょう。ですが、そちらに関しては先王の手の方が早かった。先王は王妃を殺害し、未だ記憶を残している現王の霊体だけを攫い、世継ぎとしました」

「ハァ、なるほど…………」


 バドが苦虫を噛み潰したように押し黙る。

 俺ももう、ここまで来たら何も言えない。

 ヤガミは再び顔を上げ、話を継いだ。

 今度は俺の話だった。


「サンラインとの縁は偶然です。そこの「勇者」と俺は、オースタンでたまたま幼馴染として育ちました。俺も「勇者」も、何も知らずに幸福な子供時代を過ごしていたのです。…………だけど、しばらくの別れの後、再開した彼は…………ただのミナセ・コウだったはずの俺の友人は、伝承の「勇者」となっていた」


 ヤガミが灰青のくすんだ眼差しを俺へ向ける。懐かしむような瞳の奥に、「合わせろ」という横暴な圧力をひしひしと感じる。

 やれやれ。お前はやっぱり王様だよ。

 俺は仕方なしに会話を引き取った。


「彼がヴェルグに狙われていたのを、俺が助けに行ったんです。…………それで、色んな事情を話さざるを得なかった」


 リーザロットが、控えめに言葉を差し挟んだ。


「ヴェルグ程の魔術師に掛かれば、ジューダム王の肉体であるヤガミ君は格好の魔術媒介となることでしょう。彼の存在が知られてしまった以上、保護するより他に身の安全を守る手立てはありませんでした」


 あれ? 確か特に使い道は無いとか言っていたような…………。


 しかし、リーザロットに真顔でこう言われると、納得しない人もそういないだろう。アオイさえも難しい顔で首を捻っている。


 今やだれ一人抗う気の無くなった場へ、ヤガミが最後の言葉を放った。


「そうした事情で、俺はサンラインに保護され、協力しています。

 俺の目的は、ジューダム王から魂と記憶を取り戻すことです。…………俺は俺の真実が欲しい」


 バドは口を真っ直ぐに引き結び、黙り込んでいる。

 後援を頼むも、誰も何も反論できない。感情をぶつけるには、あまりに場は白け過ぎていた。

 ヤガミの眼差しが周囲を見渡す。まだ微かにさざ波立っていた空気が、鏡のようにピタリと凪いでいく。

 何と言うか…………魔術でも何でもないのに、力を感じる。


 アオイがゆっくりと前へ出て、言った。


「そちが有用な魔力媒介となるは、何も黒魔女ヴェルグの術に限ったことではない。我らとて、いかようにも利用できる。…………そちはまだ籠の中じゃ。あまり調子に乗るでないぞ」

「…………」


 ヤガミがわずかに笑ってアオイを見る。「できるなら、もうとっくにしているだろう?」挑発的な眼差しは、黒真珠の内側にくすぶっていた光をたちまちカッと燃え上がらせた。

 アオイは顔を赤くして、弾かれたように彼から目を逸らし、相手を罵った。


「…………わかったならば疾く去れ、駄ワンダが!」


 次いでアオイは集まっている人々に向かって、こう述べた。


「聞け、皆の衆! 今の話の通りじゃ! この男は取り回しの利かぬ、不便極まりないただの不細工な器に過ぎぬ! よっておぬしらが手を出す価値は皆無! …………ひとまずは、兄上の奉告に集中せよ!」

「あ…………ハッ、畏まりました!」


 バドを筆頭に、人々が続々と頭を下げて引き下がっていく。

 ヤガミは特に胸を撫でおろす風でもなく、フレイアを振り返って聞いた。


「それで、師匠。俺はどこに座ればいいですか?」


 騒ぎの最中、終始無言に徹していたフレイアはここで初めて口を開いた。

 っていうか「師匠」…………?


「立っていてください。それもまた修行です。…………と言いたい所ですが、そのようなことをすれば皆様のご迷惑になりますから、そちらの端へ」

「わかりました。…………剣を抜かずに済んで幸いでした」

「ですが万が一の場合、あれしきの人数はご自分で捌いて頂かなくては、修行の甲斐がありません。いかなる時も気を抜かぬよう、お願いします」

「…………厳しいな」


 ヤガミに手招きされ、俺も彼の隣へ座る。「師匠」ってなんだ等々、色々と突っ込みたかったが、すかさず傍らへアオイが腰を下ろしてきた。


「えっ? アオイちゃん、君はもっと前の席じゃ?」

「よいのじゃ。わらわはわらわの好きな所に座る。わらわはここが好きじゃ」


 言いつつ俺へと身を寄せる彼女の頭上から、間髪入れず低い声が降ってきた。


「コウ様からお離れになっててください。そこは、蒼姫様のお席です」


 割って入ってきたのは、師匠…………もとい、フレイアだった。アオイは何も言わずにフレイアを見上げ、片方の眉だけを器用に上げてみせた。


「…………何じゃ? そちもここが良いのであれば、ハッキリ言うが良かろうに」

「そのようなことは申し上げておりません。…………おどきください」

「おっかないのう」


 アオイがスルリと俺に絡めていた腕を解いて立ち上がり、近親者向けの豪華な席へと戻っていく。どうやらからかいに来ただけだったらしい。

 リーザロットとフレイアが代わりに俺の隣に並んだところで、部屋の御簾が厳かに掲げられた。


 現れたシスイは、いつもとはまるで身なりが違っていた。

 目の覚めるほうな白い衣に、精緻な透かし織りの同じ純白の羽織を羽織っている。オパールのイヤリングが揺れ、蝋燭の橙色をやんわりと反射させた。

 黒蛾竜の逆鱗に似た印が、咽喉に描かれている。


 彼は白竜の像の前に座ると、おもむろに頭を下げた。

 次いで集まっている人々が頭を下げる。

 重々しい時間は何十秒も続くかに思われたが、すぐに済んだ。


 シスイはこちらを振り返ると、よく通る声で宣言した。


「これより、代替わりの奉告を行う。

 皆の心が一つに織り上がることを祈り、ここに一つ、誓いを立てよう」


 アオイと同じ、黒真珠のゆかしい瞳に儚い炎が灯った。

 それは一瞬のうちに線香花火みたいにポトリと落ちて、漆黒を一層黒く、深くした。


「俺は未熟だった。旅に出て様々なものを見、多くの人と言葉を交わし、そのことを強く思い知った」


 シスイは毅然と言い継いだ。


「里は今、未曾有の危機にある。俺達はこれを打破せねばならない。

 これまでも俺なりに里の未来を考えてはきたが、そのやり方には大きな誤りがあったと、やっと気付いた。

 俺は、これからは独り天空を駆けるのではなく、地に足を付けて、皆と共に歩んでいきたい。…………俺には、皆の力がどうしても必要だ」


 あっと、思わず声を上げそうになった。

 彼の考えていることが、頭に浮かんだからだった。


「…………サンラインの客人に告げる。俺達スレーンは、君達とは同盟を組まない。

 里の者一丸となって黒矢蜂こくしほうに対処し、戦が終わるまでは契約に従い、ジューダムとの竜の取引を続ける。…………頭領としての、決定だ」


 頭を抱え、溜息を吐いたのは俺ばかりではなかった。

 歓声を上げる人々の中で、唖然としている者は少なからずいた。

 隣のヤガミもそうだし、リーザロットも、フレイアもそうだ。(そう言えばタリスカがいない…………)


 親族席の先代の無表情は予想できたことだが、意外なのはその傍らのアオイだった。

 アオイは大きくまなこを見開き、扇子で口元を隠すことも忘れて呆然と兄を見つめていた。

 部屋の端では、護衛のために立っていた兵士の一人が…………確か、ジンという名前の青年だ…………が、手にしていた槍を落として放心している。

 部屋の入口に立つアードベグは口元を歪め、「やはりか」とばかりに目を細めていた。

 最前列では、紫紺色の着物を纏ったシドウという男性が、微かに息を吐いて俯いている。


「シスイ様…………なんとご立派になられて…………! よくぞ、よくぞご決断なされた!! 

 ――――――――シスイ様の頭領ご就任、心よりお祝い申し上げます! 万歳、万歳!!」


 俺達をおいてけぼりにして儀式が進んでいく中で、バドの寿ぎの声が一際晴れやかに響き渡っていた。


 後に続く儀式のことは、衝撃のせいで、ほとんど記憶に残っていない。

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