第233話 可愛い彼女とネゴシエイション。俺がハンサムフェイスに砂糖を塗りたくられること。

 アオイの部屋は、一言で言えば豪華だった。


 壁や床に張り巡らされた織物の華やかさは、平安貴族か大奥か。きっと全てに何かしら魔術的意味が込められているであろう細かな紋様の数々に、目がチカチカしてくる。


 端に寄せられている几帳に掛かった布だけは無地だったが、それすらも目をみはる鮮やかさだ。

 朱色から菫色へと染まる、見事なグラデーション。それは他のどれよりも高貴に冴えて、まるで本物の夕空を眺めているかのようだった。


「…………何を見ておる? ミナセ」


 俺の腕を掴んだままのアオイが嬉しそうに尋ねてくる。

 そろそろと音も無く近付いてきた侍女達が、あれよあれよという間に部屋の真ん中に座布団と小さなお膳みたいなテーブルとそこにかけるテーブルクロスと茶器とを設え、俺とアオイとを並んで座らせた。


 自分が今、マヌーの如きアホ面を晒していることは、鏡を見なくともわかる。

 隣のアオイが自信たっぷりに笑って言った。


「ふふん。わらわの部屋にあるのは、スレーン最高の職人達が織った、由緒ある選りすぐりの品々じゃ。見惚れるのも無理はない。じゃが、今はよそ見は許さんぞ。最も麗しい逸品は、おぬしの眼前におるのじゃから」


 その言葉に十分な説得力を与える、若々しく涼しげな、満ち足りた春の夜の月のような美貌。

 シスイとはやはり目が似ている。彼女が瞳の奥に秘めているしなやかな黒真珠は、間違いなく兄と同じものだった。


 侍女の手によって、温かいお茶がとぷとぷと湯呑みに注がれていく。

 クリアで交じりっけのない青いお茶。リーザロットがよく出してくれるお茶と同じ香りがするけれど、何となくいつもよりキレがあった。


「さ、飲むがよい」


 アオイが身を寄せてお茶を勧める。

 俺は風流な陶器の湯呑みをしげしげと眺めてから、勧められるがままに口を付けた。

 …………美味しい。


「…………で、あろう? 本家の茶畑で丹精込めて作ったものじゃ。当然じゃ」


 アオイが得意顔でうんうんと頷く。

 何も言っていないつもりだったのだが、顔に出ていただろうか。


 アオイは首をかしげる俺をじぃっと一途に見つめ、やがて俺と目が合うと、コツメカワウソと視線を交えた女子大生のような声を上げた。


「ああ! ミナセはかわゆいのう! まことサンラインには勿体の無い男じゃ!」


 俺は湯呑みを置き、一呼吸おいてから話した。


「…………あの、アオイ…………さん?」

「アオイで良いぞ。もしくは、アオイちゃんと呼ぶのじゃ」

「アオイ…………ちゃん」

「何じゃ?」


 屈託なく俺を見上げるアオイは、実際俺を何だと思っているのだろう? マジで一風変わったエキゾチックアニマルぐらいにしか思っていないのではないか。

 しかしながら、俺は人間として、サンラインに与する側の人間として、言わねばならなかった。


「折角のおもてなしだけれど、俺はやっぱり皆の所に帰りたい。サンラインとジューダムの戦争を食い止めるには、君達スレーンの人の協力が絶対に必要なんだ。話し合える時間は決して長くない。こうしている間にも、戦の時は迫ってきている。俺は、あくまでも交渉しにきたんだ」


 大真面目な顔をしてみるが、どうせ「かわゆ~い」とか言って茶化されるに違いない。それでなければ、機嫌を悪くして「生意気じゃ! 牢にブチ込め!」か。

 いずれにせよ相手にされないなんてことは覚悟の上だった。

 どうくるかと身構えていたが、意外にもアオイは至極真面目な調子で答えた。


「うむ…………それはそうじゃろうとも。わらわとて馬鹿ではない。おぬしを本当にただのかわゆいワンダと思っているなら、こうはもてなさぬぞ。

 …………真剣な顔もまた好ましいが、仮にも一国の大使を務めるつもりであれば、もう少し狡猾であっても良いと思うぞ。…………のぅ、扉の魔術師」

「えっ?」

「気付かぬと思うたか? 里の乙女を侮るでないぞ」


 言いつつアオイは自分のお茶を飲む。何とも品の良い所作だ。雅な顔立ちや部屋に少しも見劣りしない。

 アオイは涼やかな目元を理知的に閃かせ、言い継いだ。


スレーンこの地はな、おぬしが思う以上に魔の大地なのじゃ。裂け目が近く、急峻な地形に四方を囲まれておるのみならず、大地を巡る気脈は実に豊かじゃ。この地で悠久の時を過ごしてきた我ら一族は、サンラインの一般市民とは比較にならぬ経験と知恵を築いてきておる。

 そこらの機織り娘、お茶酌み娘ですら、サンラインの魔術学院の生徒よりもできるであろうよ。ましてや里の頭領の娘であるわらわが…………いや、仮にも今は兄上が頭領であるから、妹のわらわが、おぬしの程の特異な魔力の性質に気付かぬはずが無かろうが」

「そ、そうなんだ」

「嘘じゃ」

「え?」


 動転して目を瞬かせる俺に、アオイはさらに身を寄せてくすくすと笑った。


「…………ミナセ、おぬしはまっことかわゆいのう」

「な、何だよ? っていうか、あんまり年上の人に可愛いとか言うのは、良くないと…………」

「密偵がおるのじゃ。おぬしの魔力、おぬしらの事情、一切合切承知じゃ」

「な」

「当然であろうが? 隣国のことを知らずに政などできぬ。とりわけ三寵姫の周りは常に胡散臭い。紅の主とその依代である、あの小憎たらしい黒魔女ヴェルグの動向はもちろん、翠の主と魔導師エレノアも、どう動くか…………むしろどう動かぬか、気になるところじゃ。

 そして何より、蒼の主。あの娘が異国から「勇者」なるものを召喚したという話の真偽は、ぜひ確かめたかった。その「勇者」がいかなる力を持つ、いかなる人物であるのか…………。それによって、戦況は変わるでのう」


 「勇者」。

 あーちゃんのことも知っているのか?

 それとも、サンラインのごく限られた人間以外がそうであるように、まだ俺のことを「勇者」だと思っているのか。

 俺を仰ぐアオイの黒いまなこが見通すものは計り知れない。

 俺は今は踏み込まないこととし、自分から話題を振った。


「で、でも…………中立でいるつもりなら、何でそんなことを気にするんだ? 関係無いんじゃないのか?」


 アオイがわずかに目を細める。相変わらず何を考えているのかわかりづらいが、恐らくは俺の程度の低い発言に白けているのだろう。

 変に持ち上げられた分、失望されるのはちょっと残念ではあるが、これでようやく肩の荷も下りようというもの…………なんて考えていたら、アオイが急に優しく微笑んで、俺の頭を両手で撫で始めた。


「わっ!? えっ? なな何、何してるんだ? 止めてくれ!」

「ミナセ…………あのな…………、中立でいたいからこそ、よく調べるのじゃ。先回りして、安全な位置を確保する。そういうものじゃ」

「わ、わかった。そ、それより、止めてくれ。触らないで。近いし、皆、見てるし…………恥ずかしいって」

「ミナセは初心じゃのう。わらわのような美しい女に見初められて、照れておるのじゃな」

「いや、いや、そうじゃなくて…………」

「…………っ? わらわは、醜いか?」

「へぇっ?」


 後退った俺へ心許なさそうに縋る、もぎたての桃のように麗しい女性。

 流れる黒髪はサラサラとして、なぜかとても惑わしい香りがする。ぱっちりと開いた黒い瞳は潤んで美しく、小さめな唇は不安そうに少しだけ開かれている。クッキリと塗られた色鮮やかな赤の口紅が、口元の綺麗さを一層強調していた。


 同じ白皙の美人であるリーザロットとは趣を異にする、どこか懐かしくなる和風な容貌に、俺はたじろぎながら言った。


「いや…………、そんなことは、ない…………けど」

「ならば、好きか?」

「え?」

「嫌いでないなら、好きかと聞いておる」

「えぇ…………? えっと…………普通に、可愛いと、思うよ」

「普通に、とは?」

「だから、その…………誰から見てもってこと」

「つまり、ミナセもか?」

「俺?」

「そうじゃ」


 注がれるは一点の曇りもない、素直過ぎる一途な眼差し。

 俺は少しためらってから、頷いた。


「…………あ、ああ」


 途端に、パァッと種が弾けたようにアオイの表情が明るくなる。

 彼女は大らかで晴れやかな、まるで豊作を寿ぐ吉祥天女のような調子で言った。


「そうか! それを聞いてわらわは安心したぞ。おぬしがあんまりに妙な顔の女ばかり連れておるから、実は少し不安になっておったのじゃ。だが、それを聞いてホッとした。わらわが誰の目にも輝く明星であると確かに認められるならば、おぬしの目に狂いは無い。やはりミナセは良い男じゃ」

「あ…………そう…………」


 呆れて物も言えないというのは、まさにこのことか。

 彼女の美的センスが若干ズレているのは薄々感じていたが、こうもハッキリすると最早悲しくなってくる。

 いいよ、もう。自分が美形じゃないことぐらいよくわかっている。知ってたさ。

 でも塩じゃないからって、傷に砂糖を塗りたくっていいわけじゃないんだぞ。


 アオイは俺を撫でくり回していた手を離して、それをそのまま俺の膝へ置いた。

 俺を仰ぐ彼女は宝物を眺める子供そっくりで、つい言葉に詰まってしまう。


 …………えっと、何の話だったか。

 そうだ、同盟の話だ。


 気を取り直して口を開きかけたその時、先んじてアオイが喋った。


「ミナセ。少々外へ出ようぞ。わらわはおぬしと散歩がしたい」

「えっ、散歩? でも俺…………」

「わかっておる、わかっておる。皆まで言うな。おぬしは何でもすぐに魔力場に出てしまうのじゃな。まぁ、それも中々かわゆいのじゃが。…………でもな、今はダメじゃ。今だけは、おぬしの言う通りにはさせられぬ」

「何でだよ?」

「どうにもまだ自覚が無いようじゃが、おぬしはこれから、栄えあるわらわの側役となるのじゃ。スレーンのことは、よくよく知っておかねばならぬ。故に、わらわが直々に案内してやるのじゃ」

「いや、それは、冗談じゃ…………」

「わらわは冗談で男を迎えたりはせぬ! それに、考えてもみるがいい。これはおぬしやおぬしの元の主にとっても、またとない機会となるであろう。何の危険も冒さず、おぬしらは交渉相手の内情を知ることができるのじゃぞ」

「でも、君から一方的に話を聞いただけじゃ…………」

「ミナセ。いかにわらわが美しいからと言って、緊張して混乱し過ぎじゃ。そこも含めて、大切な情報というものじゃろう? わらわが何をどのように見せたか。それが得られれば十分ではないか? …………そういうところじゃぞ、もっと狡猾になれと言うたのは」

「うーん…………」


 俺は頭を抱えたくなった。

 何だろう。正論と言えば正論なのだが、丸め込まれているだけな気がしてならない。

 口を引き結んでムニャムニャしている俺を、アオイは楽しそうに見つめて肩を竦めた。


「もっとも、見てわかるのは同盟とやらが必要なのはおぬしらだけで、我らには全く必要無いという揺ぎない事実だけじゃがな。

 …………さぁ、日の高いうちに出掛けようぞ。リツ! ミナセに温かい羽織を持てい! ターラとコンヴは膳を片付けよ! 夕餉には戻ってくるゆえ、そのつもりでおるように!」


 呼ばれてそそくさと出てきた侍女達が、またもあれよあれよという間に俺を着替えさせたり部屋を片付けたりする。

 何か口を差し挟む隙もなく、俺は紺地に白い紋の入った羽織(というか、半纏だ)を着せられて、アオイに引き摺られて館の外へと出された。


「早速、分家の連中におぬしを紹介するぞ。面倒事はさっさと片すに限る。色々と文句は言われるであろうが、誰あろう、このわらわが認めたのじゃ! 堂々としておるのじゃぞ。自信を持つのじゃ。おぬしは本当に良い男じゃもの」

「あの…………何がそんなに気に入って…………?」

「全てじゃ! まず目が良い。そして顔が良い。声が良い。肉付きも程良い。魔力の味も堪らぬ。さぁ行くぞ!」


 足取りも軽く、俺の腕をがっしと掴んでずかずかと地を踏みしだくアオイに、俺はもう何も言わなかった。

 この人は、新しい玩具に舞い上がっている子供なのだ。どうせそのうち飽きる。それまでの辛抱だ。


 もうすっかり高く昇った太陽が眩しくて眩しくて、空が吸い込まれるように青くて青くて、遠い雲の隙間を一頭の竜が悠々と飛んでいくのが、やたら気持ち良さそうだった。

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