第217話 姫と王子、そして騎士。ニートの俺がハブられること。

 しかして、俺達は最後の交渉を成功させるための協力者を探すこととなった。


 リーザロットはかねてから目処を立てていたようで、すぐに何人かの候補者の名を挙げてくれた。

 その多くはやはり、テッサロスタへの遠征の際に、竜をくれないかと頼んだ人々であった。


 リーザロットは、深くは事情を知らないヤガミにちょいちょいと解説を挟みつつ、話を進めていった。

 それぞれの相手が現在置かれた状況を聞きつつ、俺とヤガミに何ができるか。それを検討していく。


 真の「勇者」ではなかったとはいえ、それでも俺の力が強力であることは、良くも悪くも今回のテッサロスタの件で周知のこととなった(どうだ! …………と、自慢していいのかな?)

 それゆえ今後、俺が何かに力を貸す代わりに、今回の協力を頼むということが可能かもしれない。俺だって、働く時は働くぞ。


 ヤガミは、最早その存在自体が切り札と言える。今回の計画の成否は、彼にかかっている。

 相手を選ぶ必要はあるものの(クラウスのように、彼を信用できない人間もいるだろう)、彼が直接話をすることで、計画の説得力はぐっと増すだろう。


 そして、これはあくまでも補足的な手段にしたいものだが、竜の取引の時と同様に、何かオースタンからこちらへ差し出せるものがあるか、どうか。


 ちなみに、真の「勇者」であるあーちゃんのことは、まだ本当にごく一部の人間にしか知らされていないという。

 つまりは、世間的には俺はまだ「勇者」で、いよいよ威厳ある振る舞いが試されるというわけだ。


 こんな話題なら、少しはクラウスも発言するかと思いきや、彼は一向に口を挟まなかった。

 いつもなら喋らなくてもいいタイミングだって割り込んで喋り出すお調子者が、例え任務中であるしたって、異常である。

 どうやら今回は相当本気で怒っているらしい。


 話し合いを続け、部屋のお香(蚊取り線香みたいだけど、香りは似てない)が大分短くなって、鉢の上にポトリと落ちた頃、リーザロットはふっと息を吐いた。


「もうこんな時間になってしまいましたか。…………けれど、コウ君達のおかげで、依頼先はもうすっかり決まりました。実際に協力が得られるかはわかりませんが、ともかくお話してみましょう。

 面会の日取りについては、私が先方と話しておきます。決まったら、後でお二人に連絡しますね。

 それでは、解散にしましょうか」


 ふぅ、と俺も息を吐く。残っていたお茶を飲み干し、椅子の背もたれに寄りかかる。

 珍しく頭を使った(つもり)ので、結構疲れた。

 休んでいられる暇なんざ無いのはわかっているが、やはりニート貴族の身には連日出勤は堪える。俺の肉体であるタカシも激しく同意している。


 初めて異世界へ旅立った晩の、小さなフレイアに出会う前の、あの月明かりの底の静寂が懐かしい。

 あれから少しずつ歯車が回り始めて、今となっては、どんな大岩を挟んだって止めることのできない大仕掛けになってしまった。


 俺は空っぽになったカップを手に取った。

 そう言えば飲み干してしまったことを、軽さで思い出す。

 注ごうとして近付いてくる人形に、俺は「大丈夫」と伝えてまた溜息を吐いた。


 疲れたが、行かねば。

 思いつつヤガミとクラウスと一緒に席を立つ。

 部屋を出ようとしたところで、リーザロットがヤガミを呼び止めた。


「あ、ヤガミ君。ちょっと待ってください」


 リーザロットがフレアスカートの裾をふわりと揺らして彼の傍に立つ。

 姿の良い2人が並ぶと、まさに王子様とお姫様といった風格が出る。(っていうか、まさにそのものなんだけど)


「お手に触れても?」


 リーザロットが小さく首を傾げると、長い黒髪が色白の肌へ流れる。少し疲れて霞んだ蒼玉色の瞳に、頬に差す赤みが儚さを添える。

 ヤガミはやや躊躇いがちに、手を差し出した。


「その…………僕は、気にしていないんですが」

「僕?」


 聞きながら、リーザロットの両手がヤガミの手を包み込む。華奢な指先が掌をなぞり、それから手の甲、手首へと滑っていく。

 蒼玉色が星空のように冷たく冴え始める。


 ヤガミはそんなリーザロットを労わるとも慈しむとも言えない複雑な眼差しで見下ろし、話した。


「…………なるべく乱暴な言葉は使わないようにしているんです。コウがいるから、さっきはつい素が出ましたが」

「いいんですよ。どうか私にも気安く話してください。…………私も、本当はあんまり堅苦しいのは苦手なんです。…………そちらの手も、見せてもらえませんか?」


 ヤガミがもう片方の手を差し出す。

 リーザロットは同じように手を添え、ヤガミの目を見た。


「貴方のこと、お名前で呼ばせて」

「…………蒼姫様!」


 低く怒りのこもった声が響く。クラウスは今のこの状態をずっと穏やかならぬ表情で見守っていたのだが、ついに耐え切れなくなったようだった。

 リーザロットはクラウスの方を見、短くきっぱりと言った。


「クラウス、静かに」


 獣の赤毛が一層大きく逆立つ。皺の寄った吻部が、本当に彼らしくない。

 リーザロットはヤガミを仰ぎ、長い睫毛に縁どられた大きな瞳を熱っぽく瞬かせた。

 ヤガミはわずかに間をおいて、答えた。


「…………わかりました」


 リーザロットが微笑み、ヤガミの両手を優しく胸に抱く。

 ヤガミはサンラインへ来てから初めて、動揺らしい動揺を見せた。


 しんと凪いでいた灰青色の瞳に、さざ波が走る。

 彼の内に舞う桜吹雪が、俺にも見える。


 ヤガミの手が、おずおずと白い手を握り返した。


 リーザロットが伸びやかな声で詠唱する。

 歌うように。

 ヤガミの名前を呼んだ、ように思う。


 すると軽く鋭く、何かが小気味良く砕け散る音がして、細やかな氷の結晶がヤガミとリーザロットの周りにきらめいた。


 降り注ぐ氷片がチラチラと瞬きながら、床に落ちて消えていく。

 燃える星々を映していたリーザロットの瞳が、しっとりと元の疲れた蒼へと落ち着いていく。

 灰がかった侘しい青が、それを見つめている。


 やがて蕾がほころびるみたいに、リーザロットの唇が開いた。


「…………これで、自由です」


 リーザロットの手がヤガミからそっと離される。

 ヤガミは緩く結ばれた蝶結びを解くように、すんなりと彼女から手を引いた。

 それから彼はしばらく何か考え込んでいたが、ややしてから、先と同じ複雑な顔で口をきいた。


「…………ありがとう」

「いいえ」


 リーザロットがさっぱりと微笑んで答える。

 次いで彼女はクラウスを振り返り、凛々しい口調で彼に迫った。


「クラウス。…………いけませんよ」


 リーザロットの花びらにも似た手が、フワフワのキツネの頬を挟み込んできゅっと押さえる。

 クラウスはみるみる人間に戻って、少年の如く赤くなった顔を露わにした。

 空色の瞳は、気恥ずかしさやら怒りやら戸惑いやらで大きく波打っていた。


「姫様…………でも、俺は…………」

「だめ」


 もう一度、今度はより間近に顔を近付けてリーザロットが繰り返す。

 ほとんど額がぶつかりそうな距離で、若い騎士はかろうじて視線を逸らさずにこぼした。


「…………貴女は、あんまりに無防備です」

「私は、「蒼の主」。魔海の深きに潜り、鎮めるのが定め。我が身を惜しむ身分ではないの」

「それでも、度が過ぎます。俺は…………貴女を守ると誓った。誰にも、何にも、傷付けさせはしないと」

「「蒼の主」の魂は主のある限り、果てしなく継がれます。ですから私は…………リーザロットは、リーザロットとしての限りを尽くすの」

「貴方は何もわかっていらっしゃらない…………! 本気で仰っているんですか? 俺にとって、貴女がどれだけ…………」

「クラウス」


 昂りかけた言葉を、冷静な呼びかけが遮る。

 リーザロットは俯き加減の騎士の目元を指で撫で、柔らかく囁いた。


「わかっています。…………よくわかっていますよ」

「…………あしらわないでください」


 クラウスが目線をさらに落とし、いじけた言葉を吐く。

 リーザロットは相手の額に自分の額をコツンとぶつけ、覗き込むようにして無理矢理に相手の瞳の内へ映り込んだ。

 これまでになく甘い、そして小さな呟きがこぼれ落ちた。


「…………わかってるの」


 しばらくそのまま、青と蒼の眼差しだけがグラデーションを作った通い合う。


 俺はごく自然に目を逸らしていた。

 逸らした先のヤガミもまた、視線を宙にさまよわせて黙って立ち尽くしている。


 程無くして、クラウスが一礼して身を引いた。何だかやけに満足そうな顔をしているのが腹立たしい。

 リーザロットは彼に当てていた手を己の胸の上で組み、笑った。


「ありがとう、クラウス。貴方はやっぱり、とても優しい。…………貴女の恋人達が羨ましくなります」


 クラウスがハッと目を大きくして何か弁明しかける。

 俺は今だと思い、はっきりとした声でしゃしゃり出た。


「もう帰る! もう帰るよ!!」


 クラウスが何か突っかかってきたが、断固無視した。

 ヤガミに引き続いて、クラウス。いい加減にしてくれ。羨ましい。


 俺はヤガミとクラウスとを引っ張って部屋の外へ出て、リーザロットに手早く今宵の別れを告げ、部屋へと戻った。



 …………が、悲しいかな。


 ニートの夜は、まだまだ長いのだった。

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