第209話 迫る戦と青春の影。俺がまたもやジョブを失うこと。

 かつて地球オースタンは、跡形も無く崩壊したという。

 理由はわからない。

 それがいつのことなのかすら、わからない。


 なぜなら壊れた世界はその後すぐに、動物、植物、大地、空…………歴史に至るまで、そっくりそのまま、ほとんど寸分変わることなく再生させられたからだった。


 世界はまるで瞬きの前と後のように、問題無く続いている。



 偉大なる魔導師ツーちゃんは昔、俺に言った。


 ――――――――何を「同じ」と見做すかは非常に難しい問題なのだ。

 ――――――――一度粉々に崩れ、偶々同じ姿にもう一度組み上がったものを、「同じ」と呼ぶかどうか。

 ――――――――コウよ。

 ――――――――旅立つ時、貴様は何を捨ててきた?

 ――――――――貴様は何の「扉」を開いてきた?


 …………。


 俺のせいかもしれないと、ずっと思ってきた。

 でもその疑いは、思いもよらぬ方向からあえなく突き崩された。



「あーちゃんが…………?」


 爆弾発言をかまして平然としているマッドドクターに、俺はストレートに怒鳴った。


「そんなこと、こんな場所でいきなり言うなよ! 常人には心の準備ってものがいるんだ!」


 俺の発言に、リーザロットが険しい顔で同意した。


「ウィラック先生。困るわ。これからお茶をしながら、ゆっくりお伝えしようと思っておりましたのに」


 ウィラックは矢継ぎ早の抗議に動じることなく、緩やかに腕を組んで答えた。


「それは申し訳無い。いくら何でも、事を急ぎ過ぎたようだ。…………いやはや、一生に一度お目にかかれるかわからぬ程に希少な痕跡線を目にして、やや…………いやかなり、興奮しておりますようだ。全身があのオースタンの時を刻む精密な装置となったように、カチカチ、チクチクと忙しない」


 ウィラックは楽しそうに耳をくりくりと回し、話しながらもあーちゃんから一切目を逸らさなかった。その両目はいつになく無機物的で、鮮血の赤以上に赤い。

 あーちゃんは世界を睨むを通り越して、今や挑むかの如き厳しい表情を見せていた。今の彼女には、どんな言葉も届きそうにない。


 俺はリーザロットを見やり、溜息を吐いた。


「…………とりあえず、場所を移動しよう。俺までクラクラしてきたよ」


 リーザロットはこくりと頷くと、そっとヤガミの方へ眼差しをやってから答えた。


「そうしましょう。せっかくお茶も淹れましたし。…………きちんとご挨拶をしたい方もおりますので」


 リーザロットと目の合ったヤガミは何かを懐かしむように灰青色の瞳を細め、それからすぐに世慣れた愛想の良い笑みを浮かべた。

 リーザロットは微かな驚きを蒼玉色の瞳に光らせ、ちょっと照れた笑みを返した。


「蒼姫様! そちらは汚れておりますので!」


 粛々と片付けに勤しんでいたクラウスが、やにわに2人の視線上へ割って入る。あーちゃんの傍らに立っていたグラーゼイが嗜める目つきで部下を睨んだが、当人はあくまで気付かぬふりを通した。


 奥で散らばった本を片付けていたフレイアが怪訝そうにクラウスを見た。だが、いついかなる時も毅然かつ奥ゆかしく振る舞おうとする彼女は、表立っては咎めなかった。掃除当番をサボる男子を蔑む女子の目って、そう言えばあんな感じだったと思い出す。


 それにしても、薄々勘付いてはいたが、クラウスのやつはリーザロットにぞっこんだ。明らかに他の女子に対する時よりも余裕が無い。

 間違ってアイツの前で「リズ」なんて呼ぼうものなら、どんなことになるやら。


 俺はもう一度溜息を吐き、リーザロットとウィラック、グレンに従って歩き出した。後ろからあーちゃんとヤガミ、グラーゼイが付いてくる。

 グレンがこちらを向いて、小さな声で零した。


「ミナセ君。いかなる時勢であっても、私は若者は大いに青春を楽しむべきだと考えているのだよ」

「え…………? 何です、急に?」

「かくいう私は、学院時代から研究一筋であったが…………それでも、懐古する日々は得も言われず甘く、過ぎし日の驟雨は快い」

「…………あの、えっと、何のお話でしょうか?」

「柄にもないことを語ってしまった。若い力場に触れているうちに、つい感化されてしまったようだ。…………願わくば君達の未来が…………、いや、夢想は止そう。手を動かし、足を動かし、何よりこの頭脳を動かし、戦うべき時に尽力しようではないか。…………それでこそ、私の青春への手向けにもなろう。…………終わらぬ春でもあるのだろう」

「…………。今日はやけに詩的ですね」

「何、君程ではない」


 グレンは満足げにマントの襟を正すと、窓の外へ目をやって、引き続き物思いに耽った。


 …………。

 一体何のことやら…………。



 やがて俺達は、今まで来たことのない少し広めの部屋に到着した。


 日のよく入ってくる明るい円形の部屋で、床には渋い桃色の絨毯が敷かれていた。どっしりとした6本の木の柱が部屋を取り囲んでいる。そこに施された装飾は幾何学的で、白い漆喰の壁とよく馴染んでいた。


 天井を見上げると、古いシャンデリアが小さな滑車で吊り下げられていた。儚げな花の細工は、よく見ればとても緻密で、色が剥げてしまっているのが残念だった。


 部屋の中央にはテーブルとイスとティーカップが、きっかり人数分並べられていた。若草色のテーブルクロスに刺繍された、抽象化された竜の紋様に、なぜか安心感を覚える。


 そう言えば、シスイは今はどうしているのだろう? 

 彼は俺とフレイアを助けるために、ジューダム王と竜の取引を交わしていた。テッサロスタでその約束が破られたと知った王は、どんな報復を行ったのだろう。

 スレーンは無事なのか?


「さぁ、皆さん。座ってください。今、お茶を注ぎますからね」


 リーザロットが皆に声をかけ、ポットを持ったくるみ割り人形を呼びつける。

 バラバラとそれぞれが席に着き、俺の隣にはヤガミとあーちゃんが座った。

 ヤガミは得意のポーカーフェイス。あーちゃんは強い緊張の中に、焼けた刃みたいな怒りを忍ばせている。


 2人共、無理もない。ヤガミは一挙手一投足をつぶさに観察されている身だし、あーちゃんに至っては、あんなことを聞かされて冷静でいられる方がどうかしている。理不尽な世界にとにかくキレたくなる気持ちだってわかる。


 全員にお茶が入ったところで、クラウスとフレイアが入ってきた。


「失礼いたします、蒼姫様。只今、戻りました」


 クラウスの呼びかけに、リーザロットが少し可笑しそうに答えた。


「お疲れ様。早かったのね。…………座ってください」


 微笑むリーザロットに、クラウスはどこか満足げに、フレイアは心底申し訳なさそうに会釈してから席に着く。

 2人の分のお茶を注いだ人形が元の位置に控え直したところで、リーザロットは話を始めた。


「それでは、仕切り直しましょう。

 最初に、もう何となくお互いにご存知かとは思いますが、自己紹介をしましょう。…………私はリーザロット。この国の柱である三寵姫の一人、「蒼の主」です。蒼姫と呼んでください」


 次いで順繰りに、名前と役職を名乗っていく。

 魔導師グレン、精鋭部隊の隊長、各隊員。

 あーちゃんの番になると、彼女は案外にハッキリと、全員を見渡して話した。


「ミナセ・アカネです。まだよくわからないのですが…………「勇者」だというお話でこの世界へ来ました。

 …………その、ミナセ・コウの妹です」


 隣の俺にチラホラと視線が集まる。

 俺は大きく頷き、「兄です」と短く言い、付け加えた。


「ミナセ・コウ。…………無職です」


 哀れみとも何ともつかない視線が宙をさまよう。フレイアとリーザロットの一途に見守ってくれる眼差しが、かえって胸を抉った。

 フレイアに至っては、何でか彼女の方が今にも泣き出しそうな顔をしている。頼むから止めて頂きたい。


 何とも耐え難い空気の中、ヤガミに順番が移った。


「ヤガミ・セイです」


 涼やかな彼の声が響くと、場の空気がピンと張りつめた。

 リーザロットの蒼い眼差しはじっとヤガミを捉えている。何か探っているのかもしれないし、単純に新しい玩具を見つけて、興味津々なのかもしれない。

 皆の視線を一身に受けつつ、ヤガミは話した。


「ジューダム王…………の肉体だそうです。粗方の事情はコウから聞いています。このサンラインには、まさにその俺の片割れ…………ジューダムの王を見にやって来ました」


 リーザロットが静かに桜色の唇を開く。

 こぼれ出た言葉が、場に慎ましく波紋を広げた。


「見て、どうなさるおつもりなのですか?」


 ヤガミは彼女だけを見返して(灰に煙る群青が、星空の如き蒼玉を反射している)、答えた。


「…………その時になれば自ずとわかる。そう信じています」


 クラウスが何か言いかけたのを、リーザロットは身振りだけで制した。クラウスは渋々引き下がったが、ヤガミへの敵意をもう隠しはしていなかった。

 リーザロットはヤガミに、しみじみと言った。


「わかりました。…………貴方は貴方の心を探しにいらしたのですね。

 蒼の主は、貴方を歓迎いたします」


 クラウスが露骨にふて腐れて足を組み、机に肘をついて溜息を吐く。グラーゼイが諫める視線を送ってはいたものの、彼にはもう彼の姫しか目に入っていない。


 そんな合間にも、フレイアはくすぐったくなるぐらいに俺を見ていた。

 十中八九好いてくれているが故なのだろうが(いや、さすがにもう俺の願望からくる思い込みではないはずだ…………無職だけど…………)、それでも何だか、どうしても真っ向から目は合わせられなかった。

 別にやましいことは何も無いのに、リーザロットがそこにいると思うと、どうにもこう、落ち着かないというか…………。


 一方のリーザロットは一通りの紹介が終わったと見て、別段俺を気に掛ける風でもなく、話を進めていった。


「…………では、本題に入りましょうか。

 早速ですが、先にウィラック先生が仰った「勇者」のお力について、もう少し詳しくお伝えしたいと思います」


 あーちゃんがゴクリと唾を飲み、俺も前のめりになって身構える。

 リーザロットはグレンとウィラックに目配せをしてから、滑らかに話し始めた。

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