第210話 世界の理の向こう、「因果」の力場。俺が難解な講義に抗議すること。

 偉大なる魔術オタク共に話を任せなかったのは、リーザロットの英断だったろう。

 彼女の話はシンプルで、かつて俺が色々聞かされた時よりも大分わかりやすかった。


「この世界、サンラインには「魔法」があります。普段は「魔術」とか「呪術」とか、種類によって細かく分けて呼んでいるのですが、今はオースタン風に、そうした力をまとめて「魔法」と呼びましょう。

 魔法のある世界では、「勇者」様の暮らされていた世界ではありえないことが、とても簡単に起こってしまいます。何も無い所から急に物が現れたり、ひょんなことで肉体から魂が抜け出てしまったり。

 …………何でもあり、というわけでもないのですが、魔法の理屈やルールを完璧に把握することは、今もって誰にもできておりません。私達は日々、研究を重ねています。

 そうした未知の領域の内の一つに、「勇者」様やコウ君の力があります」


 そこまで話したところで、リーザロットはあーちゃんに、


「どうぞ」


 と和やかにお茶を勧めた。

 あーちゃんは半ば気圧されるように「はい」と小声で頷くと、おそるおそるティーカップを手に取り、口を付けた。(ちなみに、今日のお茶もまた極めて青く澄んでいる)


「…………あ」


 一瞬明るくなったあーちゃんの表情を嬉しそうに見届けると、リーザロットは話を再開した。


「異国から来た魔術師達の使う魔法は、サンラインの常識から外れるものが少なくありません。コウ君の「扉の力」も、およそ私達の想像の範疇を遥かに超えた、凄まじく強力な力でした。…………ですから、誰もコウ君が伝承に謳われる「勇者」であることを疑わなかったのです。…………コウ君には、本当に申し訳無いことなのですが…………」


 俺はお茶を飲み、心の中で肩を竦めた。

 いつものお茶よりも、スッキリとしてキレがある。ほのかなミントの風味は変わらずだが、こちらは紅茶というより緑茶的な渋い印象を残す。

 リーザロットは気遣うように俺を見て、続けた。


「コウ君の力は、私達の魔法を自在にかき混ぜ、時には漂白し、世界そのものを描き直していきます。そんな嵐のような力と、それを乗りこなそうとするコウ君の勇気に、どれだけ私達が救われてきたか…………。言葉では尽くし難い程です」

「いやぁ、それ程でも…………」


 俺の謙遜はもごもごとして、自分でも要領を得ていないのがよくわかった。

 この期に及んで「間違いでした、ごめんなさい!」と謝罪されても最早立場が無いし、かと言って、こんな風に褒めそやされるのもむず痒い。

 俺はお茶を飲んで、いつものように話をはぐらかした。


「まぁ…………俺の力は、さておくとしてさ。問題はあーちゃんの力だよ。因果の力場がどうとか、世界の創造とか、破壊とか…………正直、まだちっともピンと来ないんだ。だから、良ければもう少し噛み砕いて教えてほしいな。

 具体的に、あーちゃんの力で何がどうなるのか。オースタン…………地球のことも、何であーちゃんがやったってわかったんだ?」


 リーザロットはティーカップを手に取ってお茶を飲み、そっとソーサーに戻した。

 伏せられた蒼玉色の瞳が濃く、深々とたゆたっている。緩くカーブした長い睫毛が覆うその目は、一度薄い瞼に覆われ、再びゆっくりと開かれた。


「…………「勇者」様のお力は、コウ君の力とよく似ていらっしゃいます」


 リーザロットの視線があーちゃんへと向く。

 あーちゃんはお茶を飲み、ほんの少しだが混乱を落ち着かせているかに見えた。

 俺はナイーヴな妹をハラハラと見守りつつ(なぜか彼女は、チラとも俺を見てくれない)、続く言葉に耳を傾けた。


「あまり詳しくは立ち入りませんが、この世界に渦巻く魔法の力は、大きく3つの種類に分けられます。

 一つは、「魔術」の力。魔術は、自分の魔力を利用して気脈から力を汲み、物に投射する術です。最も盛んに研究されていて、学校でも教えられている、ごく一般的な力です。この国のあらゆる場所で、その技が使われています。

 二つ目は、「呪術」の力。呪術は、この世界に満ちる「想い」や「祈り」などといった思念の力を媒介にして、さらなる強い思念へと発展させていく術です。これは少し特殊な力で、感じ取ったり、干渉したりするには才能が必要だと言われています。そのため、研究は魔術程には進んでいませんが、その存在や作用は、識者の間では広く認められています。

 そして、三つめが…………「因果」の力」


 最後のは、初めて聞く話だった。前二つは嫌と言うほど体に思い知らされているが、最後のは経験した覚えがない。

 思い返せば、因果だ業だとツーちゃんが時偶こぼしてはいたけれど、あれってそんなことに関係のある言葉だったのか?

 リーザロットは俺の疑問を汲んでか、こう語った。


「最後の力は、実はまだ実証には至っておりません。琥珀…………ツヴェルグが、それこそ気の遠くなるような時間をかけて探り続け、ようやく見出した力なのです。

 「因果」の力場には、残念ながらいかなる手法によっても私達は触れることができないと言われています。なぜなら、「因果」の力場を成す力の源…………それこそが、私達自身なのですから」


 …………どうやら、恒例の魔術講義タイムに突入したようだ。

 さっきからうずうずしていたオタク共グレンとウィラックが、一層目を輝かせ始めている。


 ヤバイな。こうなるともう難解過ぎて、とてもじゃないが普通のオースタン人には耐えられない。

 ここはひとつ、俺が何とか路線を切り変えねばならないが、その試みは空気の読めない、否、読まない男によって、あっけなく踏みしだかれた。


「つまり、その「因果」の力場というのは…………世界全体のこと、なんですね?」


 おい、ヤガミ。お前、どうしてここで口を挟む? 何を意図している? 単なる興味か?

 そんなことしたら、リーザロットがお前に関心を持つだろう。これ以上、無意味にクラウスを煽ってどうする? わからないお前じゃないだろうに。


 案の定、リーザロットは興が乗ったとばかりに蒼い瞳を閃かせ、ヤガミに答えた。


「ええ、そうです。そしてこの場合の世界というのは、サンラインに限りません。ジューダムも、オースタンも…………まだ見ぬ未知の世界も、その過去も、未来も、全てを含んでいます」


 とんでもない話になってきた、とわかりやすく表情を浮かべたのは、俺だけだった。

 ヤガミは「やはり」という目をしていたし、グレンもウィラックも、当然ながら全て承知のことであるし、精鋭隊員は、仕事中は神妙にして表情を崩さない。(クラウスですら、一応は真顔でいる。…………度を越えて怒っている可能性もあるけど)


 そしてあーちゃんは、話を追うべく誰よりも必死だった。

 一言も聞き漏らすまいと、今まで以上に真剣な気迫が伝わってくる。


 空っぽになった彼女のティーカップを見て、リーザロットが人形に指示を出した。まもなくポットを携えた人形がやってきて、2杯目のお茶を注いで回る。

 リーザロットはヤガミを見て、続けた。


「ですので、「因果」の力場に干渉できるものは、本来は世界の理の外にあるものだけです。それはある場所では、「神」と呼ばれるでしょう。「悪魔」と名付けられることもあるかもしれません。

 サンラインにも、そうした存在がいます。

 例えば、「裁きの主」。サンラインを遥かに見つめ、統べる、私達三寵姫の主。そして、「赦しの主」。謎めいた存在ではありますが、彼女もまたサンラインを古くから眺め、多くの人の信仰の拠り所となっています。

 他に挙げるなら…………まつろわぬ魔物、「邪の芽」」


 フレイアの顔色がサッと白くなる。俺を見やる彼女の目はひどく悲しげで、一体どうやって返したらいいかわからなかった。


 リーザロットはお茶の水面に目を落とし、再び話を継いだ。


「他にも、数多の名も無き存在が世界の外に息づいているものと思われます。…………まだまだ研究の及ばぬ、未知の世界です。彼らがどのように世界を見つめ、何を司っているのか。それは琥珀ですら、知らないことの方が多かったでしょう」


 リーザロットはお茶を飲み、しばらく間を空けた。


 魔導師・琥珀…………ツーちゃん。

 どことも知れない魔海の「塔」の中で、彼女は今、どんな風に過ごしているのだろう。

 あえて口には出さないが、彼女がいてくれたらと誰もが思っている。


 俺は…………彼女を助けに行くと約束した。

 ツーちゃんはとんでもないひねくれ者だけれど、それでもきっと信じて待ってくれているに違いない。

 いつか必ず、迎えに行くからな。


 リーザロットは顔を上げると、ヤガミ、俺、あーちゃんへと順番に視線を巡らし、言った。


「なぜこのようなお話をしたかと申しますと、それは「勇者」様やコウ君の力が、この「因果」の力場に深く関わるものだからです。

 コウ君の力は文字通り、世界を塗り替えているのです。コウ君の開く「扉」は、魔術、呪術の力場の垣根を超えて場をかき混ぜる。「扉」の正体は、「因果」の交点なのです」


 「いんがのこうてん」と俺が繰り返して呟くと、ヤガミが俺の気持ちを代弁するかのように、感想を述べた。


「原因不明とされていた「扉」の力の由来が、その「因果」の力場だと…………。それはわかりましたが、どうして今までそれをコウに黙っていたんですか? 思いつかないことでは無かったでしょうに」


 リーザロットはヤガミに、ためらいがちに答えた。


「「因果」の力場は…………琥珀にはとても言いづらいのですが、これまでは決して実際の話として受け入れられるものではありませんでした。

「因果」や「業」などといった言葉自体は、古くからサンラインでもよく使われています。けれど、それはあくまでも概念であって、人が触れられるものの話では無いと…………そう思い込んでいたのです」


 リーザロットがグレンに顔を向ける。

 グレンは気難しい顔で、言葉を添えた。


「師を疑っていたというわけではない。だが我々は魔術師故、確かな証明が得られるまでは、いかに信頼する者の言葉といえど仮説に止めるものだ」


 頷くウィラックの無機質な赤い眼は、どこを見ているんだかわからない。あーちゃんか? ヤガミか? それとも、目下研究中のヤバイ世界に思いを馳せているのか?


 彼はふいに俺に焦点を合わせると、ニカッと機械的に微笑んだ。

 虹色が血管を駆け巡って、またもや悪夢がフラッシュバックしそうになったが、俺は大きく息を吸い込んで耐えた。

 見ちゃダメ。反応しちゃダメ。考えちゃダメ。ダメ、ダメ、ダメ。


 リーザロットは悩ましげに、続きを話した。


「超常の存在と向き合った人間は、歴代の三寵姫も含めて、史実上少なくはありません。三寵姫などは、「裁きの主」と共力場を編むのが務めです。

 それでも…………彼らの司る「因果」の力場などというものが実在するとは、到底信じ難い…………いいえ、想像できなかったのです。…………白状しますと、私は今もあまりうまく思い描けません。想うことができないと、魔術師は何もできないのと同じなの」


 リーザロットがヤガミを見つめる。ヤガミは丁寧に「わかりました」と答えると、話の続きを促した。

 リーザロットはお茶を飲み、さらに言葉を繋げた。


「しかし…………「勇者」様のお力を調べさせて頂いて、そのようなことも言っていられなくなりました。

 いかに想像し難くとも、それがあると考えない限り、起こってしまった出来事…………そして、これから起こるとされる出来事の説明がつかないのです」


 話の途切れ目に、最早我慢しきれなくなったらしいウィラックが、ついに口を開いた。


「理屈はわからずとも効く薬は、世にごまんとある。君達の世界にもあるだろう? 効く、効かないの判定と、如何様にしてその薬が作用するかの解明は別問題だ。

 今回、「勇者」君の力は理屈はともかく、効くということがハッキリしている。リルバラ鼠を使用し、より詳しく裏付けを取る必要はあるが、ミナセ君、ヤガミ君、そして「勇者」君…………親しみを込めてアカネ君と呼ばせてもらおうか…………の3人の霊体、ヤガミ君は残留魔力場だが、から採集した痕跡線が、一つの動かし難い事実を物語っている」


 リーザロットの視線を感じて、ウィラックが一旦話し止める。

 だが彼は瞬き一つのアイコンタクトだけで早々に彼女との会話を打ち切るや、まさに跳ねるウサギのようにせわしなく、溌剌と話を再開した。


「ミナセ君の質問に答えよう。2つあったね。1つ、「具体的に、あーちゃんの力で何がどうなるのか?」。2つ、「オースタン…………地球のことも、何であーちゃんがやったってわかったんだ?」。

 さて、まず「あーちゃん」というのはアカネ君のことだね。この前提が狂っては元も子もないが、まぁ問題無かろう。

 話の通りをよくするために、先に2つ目の問いから回答させて頂く。痕跡線のことは知っているかね? 何、よく知らない? ではかいつまんで説明しよう。

 痕跡線というのは、霊体に何らかの力が及ぼされた際に残る傷跡のことだ。魔術、呪術によっても違いが出るし、いつ、如何なる者によって付けられたかによっても勿論差異が出てくる。また、自分で術を使った場合にも残ることがある。強力な術の場合には、特に顕著だ。

 それでだが、この痕跡線が君達の魔力場に、それはそれは色濃く、しかも大量に残されていた。

 まずミナセ君についてだが、以前に身体検査した時に取った霊体既往を参考にした。あの時には、霊体に残された傷は多かれど、不可思議な点という程のものは見受けられないと感じた。…………だが、いやはや、それでもこの時、傷の記録を詳細に取っておいたのは、実に良かった。

 というのも、ヤガミ君の残留魔力場における既往と、ミナセ君のそれとを比較した時に、発見があったからだ。

 発見、つまりは、そのほとんどが一致しているということだ。オースタンの歴史的な事件に由来するものか? 否、これ程多数かつ小規模なものばかりであることを考慮すると、2人の間の個人的なものか。

 いずれにしても、これは2人が少なくとも最新の傷が残る10年前までは、同じ世界を生きてきた証拠となる。

 ところが、ここで気になる点が…………」


 10年前。

 俺とヤガミが同時に顔を見合わせる。

 10年前といえば、ちょうどあの事件…………俺がヤガミを刺したのと、同じ時期だった。

 確かに、あの日までは俺達は同じ道を歩いていた。曲がりなりにも。


 ウィラックが続きを捲し立てようとしたその時、出し抜けにあーちゃんが言った。


「あ、あの!」


 彼女に全員の視線が一斉に向く。

 切羽詰まった表情を真っ赤に染めた彼女は、「う」と小さく呻き、次いで消え入るような声でこぼした。


「う…………あ、あの…………お手洗いに…………行きたいんですけど…………」


 言いながら、あーちゃんがもじもじと俯く。

 全員が見守っている。


 リーザロットが、心底申し訳なさそうに胸の前で手を合わせて謝った。


「ごめんなさい! お話に夢中で、気が付きませんでした! すぐにご案内いたしますね!」


 魔術講義はこうして、無事トイレ休憩の時間を迎えた。

 いざとなってみたら、皆、次々に立ち上がって足早に歩いていく。


 …………そう言えばあーちゃん、やたらにお茶を飲んでいたっけな…………。

 あの恐い顔、トイレを我慢していただけだったのか…………。

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