第165話 猛り狂う白狼。沈鬱なBB弾。「勇者」俺がアイテムを漁ること。

 朝、突如として階下から激しい物音がした。


「な、何だ!?」


 俺が慌てて目を覚まして起き上がると、隣にはすでにフレイアの姿はなかった。寝間着がきちんと片付けられてあったので、もう起きているのだろう。

 次いで、落雷の如き怒鳴り声が響いた。


「…………謝罪など求めていない!! あの男は今どこにいるのだ!? 何故隠そうとする、フレイア!? 下を向くな!!」


 野太く厳然としたその調子には、確かな聞き覚えがあった。

 俺は急いで着替えつつ、喜びよりも何よりも先に湧いてくる「あちゃあ…………」という憂鬱な感情に抗えないでいた。

 ああ、全く。何て最低なタイミングで現れるヤツなんだろう。


 男は哀れなフレイアを、サン・ツイードにまでだって届くような大声で叱責し続けていた。


「そもそも、どうしてそんな重大事項を今まで私に報告しなかった!? たとえ襲撃の渦中に起こったこととしても、いくらでも機会はあったはずだ!

 本当にわかっているのかフレイア!? あの男は素人なのだぞ!! サンラインへ召喚されるまで魔術に触れたことすらなく、経験も知識も皆無だ! 邪の芽という存在は、お前独りで抱え込める程甘くはない! ましてや素人の言葉なぞ、どうして信用できるか!?

 お前はこの国の最高の剣、精鋭隊の一員だ! フレイア! お前の命はお前だけの始末では済まされない!

 あの男はどこだ!? このことはヤツにも直接言って聞かせてやる! どうして答えない、フレイア!?」


 チッ。朝っぱらから、なんて元気なんだ。心配して本当に損した。

 俺は大きく溜息を吐き、階下へ降りて行った。無視してもいいのだが、このままではフレイアがあまりに可哀想だ。

 のそりと部屋に入ってきた俺を、その場にいた全員が見た。


「…………おはようございます、グラーゼイさん。…………ご無事で何よりです」


 俺の挨拶に、白銀のオオカミ男は三角の耳と金色の瞳を神経質にピクつかせ、全身の毛をぞわりと逆立てた。

 せっかくの立派なマガホニー風の机が、ヤツの拳の下で大きくひび割れている。

 グラーゼイとテーブル越しに向かい合っているフレイアは、蒼ざめた顔で肩を縮めこめていた。「コウ様、どうして出てきてしまわれたのです?」そんなことを目で訴えている。


 俺はあえて二人から目を逸らし、台所で悟りでも開いたような顔をしてお茶を飲んでいるシスイに尋ねた。


「シスイさん、おはようです。…………グレンさんは、どこに?」


 シスイは実にわかりやすく顔を顰め、肩をすくめた。


「朝の薬草収集だ。何に使うのかは聞いていない」

「いつ頃戻ります?」

「さぁな。なるべく早くあってほしいものだが」


 シスイが再びグレンズ・ポットに目を落とす。どうやら本気で関わりたくないらしい。竜を駆って大空を飛んでいた時は黒真珠か黒曜石かとばかりに輝いていた瞳が、今や公園に打ち捨てられた泥だらけのBB弾のようにくすんでいる。

 俺はグラーゼイの方へ向き直り、話した。


「いつ、こちらへ? どうして俺達がここにいるってわかったんですか?」


 グラーゼイは感情を腹の底へ力づくで押し沈めたような口調で、重々しく答えた。


「全くの偶然です。レヤンソン郷でジューダム軍からの襲撃に遭い、このウーラシールの霊林に隠れておりましたところを、偶々通りがかったグレン殿の使い魔に拾って頂きました」


 彼は瞬きもせずに、ギラギラとした眼差しを俺に浴びせている。

 彼は一拍置き、同じ調子で言い継いだ。


「道中で事情は伺いました。計画続行の件、私としては何の依存もありません。タリスカ殿とナタリー殿の行方も、グレン殿、シスイ殿、フレイア、そしてこの私がおりますれば、すぐに見つけ出せるものと存じます。

 …………しかし」


 彼は俺を射殺さんばかりの鋭い眼差しを、さらに強烈に研ぎ澄ませた。

 俺は威圧的な態度に苛立ち、話を先回りした。


「フレイアの体調のことですよね?

 …………彼女がどこまで貴方にお話したのか知りませんが、そのことに関してならもう心配は無用です。グレンさんからも問題無いと、ちゃんと請け負ってもらっています。今しばらく彼女を休ませてあげれば大丈夫でしょう。…………俺もついていますし」


 目線をやると、フレイアがポッと赤くなって俯く。

 グラーゼイは鼻先と眉間にぐしゃりと皺を寄せ、拳をわなわなと震わせた。


「部下のことは、常に直接把握したく考えております。

 フレイアは優秀な部下ですが、まだまだ未熟です。特に戦闘時以外での魔術への対応については、同じ精鋭隊員として数年共に過ごしてきた経験からしましても、判断の甘さが多々見受けられます。

 ミナセ殿にはこの点を踏まえ、今少し発言や行動を差し控えて頂きたく願っております。フレイアが良き判断を下せるよう、年長の者として、賢きお客人として、どうか静かに見守っていて頂けないでしょうか?」


「黙ってろ、ド素人が」。

 素直にそれだけ言えば良いことを、相変わらずウンザリするぐらい回りくどい野郎だ。


 フレイアは俺達の間で、膝に手を置いて神妙に口を噤んでいた。イチゴみたいに頬が赤いが、きっと今は何を言っても火に油を注ぐだけだとわかっているのだろう。

 俺はこれ見よがしにもう一度強引に彼女と視線を合わせ、それからまたグラーゼイに言った。


「…………わかりました。それでは、これからは言葉ではなく、別の手段で彼女を応援していくよう努力いたします。…………心だけでも、通うものはたくさんあるでしょう」

「コウ様っ…………!!」


 フレイアが慌てて口元に両手を添える。彼女は紅い瞳を潤ませ、もう耐えられないとばかりに小さくなって首を振った。


 グラーゼイはと言えば、あの「流転の王」だってドン引きしかねない形相で俺を睨み付けていた。

 果てない雪原を彷彿とさせる白銀の毛並みが、不穏に高く立ち、全身が小刻みに震えている。彼は強い精神力でもって乱れた呼吸と心拍を整えようとしながら(残念ながら、まるで上手くいっていないが)、恐ろしく危うげな調子で呟いた。


「……………………か、フレイア?」

「えっ…………?」

「本当に、この男と共力場を編んだのか!? フレイア!?」


 グラーゼイが机を激しく叩き、表面により大きな亀裂を走らせた。

 フレイアは下唇を噛み、蚊の鳴くような声を上げた。


「あ…………あの…………」

「聞こえん!!! どうなのだ!?」

「…………ぐら、グラーゼイ様…………どうか、もうご容赦を…………」

「ならん!!! ハッキリとした返答を聞くまでは…………」

「もうよすんだ、隊長さん。見てられない」


 フレイアに迫るグラーゼイの肩を、シスイが叩いた。

 グラーゼイは凄まじい形相で振り返ると、そのまま相手に怒りをぶつけるかに思えたが、一呼吸置き、かろうじて勢いを殺して返した。


「…………シスイ殿。貴方には関係無かろう」

「行き過ぎた不和は命取りだ。俺も作戦に加わる以上、見過ごせない」

「私は部下に質問しているだけだ」

「俺にはそうは思えなかった。何より、今のは少々個人的な事情に立ち入り過ぎているように見受けられる」

「…………」


 グラーゼイがジロリとフレイアを見やる。フレイアはようやくそこで小さな唇を開いた。


「あ、あの…………コウ様には…………邪の芽と熱病をなだめるお手伝いをしていただきました。…………その過程で、短時間、共力場を編成いたしました。

 事前に邪の芽の力の増悪を報告しなかったのは、突然のことで混乱していたためです。…………申し訳ございませんでした」


 簡潔な説明の後、フレイアが俺に視線を送る。彼女にしてはやけに暗い熱のこもった眼差しだったが、大方俺が余計に火を煽ったことに対する抗議だろう。

 俺はいっそもっと煽ってやりたい衝動に駆られたが、頭を冷やした。


「…………ええ、フレイアの言う通りです。あくまでも治療行為の一環として共力場を編みました。蛇の芽の扱いに関しては、確かに俺は専門家じゃありませんし、完全に正しかったとは言い切れないでしょうが、それでも彼女と相談して最善は尽くしたつもりです。

 一度、貴方もフレイアと二人で落ち着いてお話なさったらいかがですか? 彼女の口から全部聞いたらいいです。

 …………マジで、何も無かったって」


 最後にボソリと付け足した言葉に、シスイが怪訝な顔を俺に向けた。


「………本当か? この場で下手な嘘は勘弁だぞ」


 俺は片眉を上げ、何も言わずに彼に目線を返した。シスイは何か異質なものでも目の当たりにしたかのように呆然と俺を見返した。「マジかよ…………」そう口だけ動かしたのを、俺は見逃さなかった。

 フレイアはおもむろにグラーゼイの隣に歩みよると、意を決したように彼に話しかけた。


「あの、グラーゼイ様。少し一緒に、お外へお散歩しに行きませんか? きちんと、お話いたします」


 グラーゼイは「わかった」と低い声で頷き、フレイアに連れられて外へと出て行った。去り際にさりげなく俺を睨んだヤツの目は、最早言葉にもできないぐらいの多様な憎しみと怒りの色に彩られていた。

 シスイは二人がいなくなるのを見届けてから、再度俺を振り返った。


「オースタン流なのか? これが…………?」


 俺は胸の内で「ほっとけ」と悪態づき、彼が彼自身のために淹れたお茶を奪って一息にあおった。


 あのいかがわしいエルフの薬で傷の手当を手伝って、ちょっとだけ力場を編んで、普通に眠った。

 可愛い寝息にも、女の子らしい甘い香りにも、ほの温かい惑わしい気配にも唆されず、ちゃんと…………。

 …………決して、決して、怖気づいたわけじゃない。



 しばらくの後、フレイアとグラーゼイがグレンを連れて帰ってきた。俺はすぐさまフレイアの元へと駆け寄ろうとしたが、グレンがタイミング悪く間に入ってきた。

 グレンは背中に背負った薬草で一杯の籠をドサリと床に下ろすなり(妙な所でローテクだな)、早速俺達に指示を飛ばしてきた。


「諸君、今朝は実に良い気脈の波が来ている。霊林中の動植物が踊り出すが如くだ。

 こんな日は、魔術師はすべからく仕事に励むべきだ。探索に備えて、竜の傷と疲労の回復に使える薬草を大量に用意してきた。喜びたまえ。皆にも効くぞ。

 さぁ、これからは鮮度との勝負だ。さぁさぁ、疾く疾く、シスイ君。碧露草の花をそこの冷水と灰で全て脱色しなさい。できた紺碧水をどう竜に使うかは、君なら承知のはずだ。

 その間に、フレイアとグラーゼイは白ハッカ油を用意しなさい。蒸留器はあるだけ使いたまえ。精製したハッカ油は魔力追跡避けの薬のエッセンスとなる。魔力交錯と不純物には、くれぐれも注意しなさい。つまり、お喋りは禁止だ。

 終わったら、全員でヌコギの根皮を干すこと。手袋の在り処はロージィに聞くとよい。決して素手では触らないように。かぶれるだけでは済まないぞ。

 それから、ミナセ君は私と共に地下室へ」


 スタスタとせっかちに歩いていくグレンを追って、俺は慌てて尋ねた。


「地下室?」

「昨晩はよく眠れたかね? 体調は万全かね?」

「はぁ、まぁ」

「よろしい。…………さぁ、ここを降りるぞ。暗いから足下に気を付けなさい」


 俺は言われるがままに、グレンの地下室へと降りて行った。


 地下室には小さな窓が一つだけ開いていて、そこから一条の朝日が白く長く差し込んできていた。

 薄っすらと照らし出された室内には、用途の見当もつかない装置がゴロゴロと積まれていた。子供用の滑り台のようなものから、巨大なコーヒーサイフォンみたいなもの、歯車のついたランニングマシンじみたものまで、この世にある大きくて邪魔なものの類型なら大概は揃っていると見える。

 俺がジロジロと眺め回していたら、ふいにグレンが振り返って言った。


「ミナセ君。君には、この中からある物を探し出してもらう」

「ある物?」

「女王竜の逆鱗。…………聞いたことがあるかね?」


 俺はコツンと小石で額を打たれたような感覚を覚えた。

「女王竜の逆鱗」のことなら、耳にしたことがある。フレイアと初めて時空移動して竜の国に辿り着いた時、黒蛾竜の巣の中で、眠っている女王竜の姿を垣間見た時に話を聞いた。


 確か、その逆鱗には時空を自在に超える力が宿っており、魔術師でなくとも、いつ、どんな世界にでも飛んでいけるのだとか…………。

 俺はグレンに、首を傾げて問い返した。


「はい。…………でも、前にフレイアから聞いた話だと、その逆鱗は女王竜の寿命が尽きるその瞬間にしか手に入らないって…………」


 グレンは気難しい顔で頷いた。


「うむ、その通りである。だがこれから探すものは、かつて君ではない「勇者」が、遠い昔の女王竜から譲り受けたものだ。今の女王竜から獲ってきたものではない」

「…………俺でない、「勇者」…………?」

「リリシスの物語に語られるところの「竜の契約者」だ。ジューダム人であったという」

「ジューダムの人が何でサンラインの「勇者」に?」

「異なことを。君とてオースタン人だろう。この国での「勇者」は、運命の行方を決める者への称号だ。その出自は問われない」

「なるほど………。でも、何でそんな貴重なものがこんなガラク…………備品室に?」


 グレンはやや憮然とした面持ちで、溜息交じりに答えた。


「逆鱗が私の手元に渡ってきた時には、すでに力の大半を失って単なる石片となっていた。それでもどうにかその偉大な力を復活させるべく、研究に使っていたのだが…………。いつの間にか、その過程で製造した無数の試作品に紛れて、探し出す術を失ってしまったのだ。少々精巧に作り過ぎてしまったものでな」


 俺が眉を顰めているのにも一向に構わず、グレンは話を続けていった。


「それで、仕方なく箱にまとめてこの地下室に保存しておいたのだが、長い年月の中で私は幾つもの他の研究に没頭し、気付けば地下室がすっかり手狭になってしまった。そして最早その箱自体、行方不明となってしまった」


 グレンは終始、真顔である。

 俺は無言でガラクタの山を睨み渡し、最後にもう一度目の前の老人を見つめた。

 屋根裏部屋の雑な本の積みっぷりを見た時も思ったが、やはりこの人はちょっとどうかしている。ツーちゃんの弟子はダテではない。

 グレンはパチンと指を弾いて辺りに明かりを点けると、サラリと最後に言い添えた。


「だが、幸い君は竜の因果の持ち主だ。太古より竜と竜は惹かれ合うもの。こんな迷信を頼りにするのは私の信条に反するのだが、どうせこのガラク…………試作品の山を片っ端から漁るしかないのであれば、そんなことでも多少は気休めになろう。

 さぁ、時間が勿体無い。「勇者」の名にかけて、必ずや失われし伝承の逆鱗を探し出してくれたまえ。私は少し上の様子を見てくる」


 俺はくるりと踵を返すグレンを唖然として目で追いつつ、急いで尋ねた。


「ちょっ…………わかったけど、何に使うんスか!? そんなもん!?」


 グレンは振り返りもせず、ポイと返答を放り投げてよこした。


「決まっている、時空移動だ。君の力と掛け合わせてな」


 ギョッとして俺がさらに問い返そうとした時には、すでに魔導師の姿は無かった。


 …………っつぅか「失われし伝承の逆鱗」って言うけど、失くしたのアンタじゃねぇか!!!

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