第141話 刃と、拳と、空中戦。俺自身が操縦桿となること。

 ナタリーを乗せたレヴィが波を巻き上げて、フレイアの組み付いた濁竜に並ぶ。

 すかさず追いついたセイシュウは彼女達の周囲を螺旋状に周りながら、注意深く周囲の様子を窺っていた。

 この位置は偶然なのか? それともセイシュウなりに考えてのことなのか?

 わからないが、二人の様子を見るには、とにかく絶妙な位置取りだった。


 ナタリーは立膝をついた姿勢で、フレイアに呼びかけていた。


「フレイアさん! こっちへ移ってください! ソイツもレヴィの波で流しちゃうよ!」


 激しい風と水飛沫の中、フレイアが思いのほか溌剌に答えた。


「いえ! どうかこのままでお願いします! この濁竜は「冬天」…………反転術を肉体に練り込まれた種です! 恐らくその魂獣の力では…………ほとんど傷を与えられないでしょう!」

「反転術って、相手と自分の魔力の強さが逆転しちゃうっていう、あれッスか!?」

「厳密には少し違いますが…………そんな所です! ですので、今は極力魔力を使わず直接的な攻撃による逆鱗の破壊に努めます! …………ナタリー様は、そこで待機をお願いいたします!」

「わかりました! じゃあ、気を付けて!」

「ご配慮、痛み入ります!」


 俺はフレイア達を歯痒い思いで見守っていた。

 ハンテンジュツってのが何かはよくわからないが、話の流れからして、恐らくは俺の元に残っている火蛇を彼女の方へ走らせても、強過ぎて逆に助けにはならないってことだろう。


 俺は息を上がらせていくフレイアを見下ろしつつ、考えをさらに巡らせた。

 「魔力が逆転する」っていうのなら、あるいは俺自身が術を使うってのはどうだろうか。 普段はてんでお話にならない分、かえって滅茶苦茶に効いたりするんじゃないか?

 ただ、それにしたってどうやって濁竜に近寄るかだ。セイシュウは、今はなぜか都合良くここに留まってくれているが、やっぱり俺の言うことなど全く聞かない。


(セイシュウの扉を探すか? でも、今のところ全く手掛かり無しなんだよなぁ…………)


 悩んでいるうちに、ツーちゃんが傍にやってきた。


「おい、コウ! それは実際悪くないアイデアだが、原理もロクに知らずに手を出そうとするのは感心せん! 反転術は魔術の中でも、最も厄介な術の一つだ。素人が迂闊に首を突っ込めば大火傷では済まんぞ!

 何より、相手は「冬天」だ! ヤツは見た目こそ地味だが、厄介さも機動性も「有月」以上の強敵だぞ!」


 俺はまた無断で心を読まれたことに辟易しつつ、彼女を振り返った。


「ツーちゃん! わかったけど、それなら君こそどうにかできないのか? せっかく今、弱ってるんだから、その辺を何とか工夫してさ。反転術をさらに反転させるとか、そういう器用なことは…………」


 ツーちゃんは聞くなりギュッと眉間を険しくし、激しく捲し立てた。


「痴れ者め! そこまで貴様に見くびられる謂れは無いわ!

 あの竜に組まれた反転術は、胎児の頃より埋め込まれた根深いものだ。この場での解除は不可能に近い! それにジューダムの魔術師のすることなれば、他にどんな外道な仕掛けが施されているとも限らん! フレイアがいるのであれば、あの通り力づくで解決するのが最速かつ安全だ!」

「でっ、でも、もしもフレイアが落ちたりしたら!?」

「ナタリーとレヴィがおるだろう!」

「だけど! ナタリーだってこんなことに慣れているわけじゃない! もしナタリーが落ちたら…………」

「ああっ、女々しい、もどかしい、鬱陶しい! 貴様は自分の心配だけしておれと、一体何度言わせる!? 余計なことを考えてセイシュウの力場を乱すな! そもそも何故この私自らがわざわざ貴様の元に来てやったと思っておる!? 貴様が一番危ないからだ! この場の! 誰よりもな!」


 彼女は項垂れる俺を見てチッと舌打ちすると、手綱から手を離して俺を指差した。


「わかったら、おとなしく私に従え! さすればフレイアらの助けになれるよう、どうにか協力してやる!」


 俺はセイシュウに縋りつつ、顔を上げて頷いた。


「ありがとう! 何すればいい? 俺、多分セイシュウに微塵も信用されてないんだ。だから、ちっともまともに動かせないんだけど…………」

「貴様は竜と飛ぶには、近過ぎるのだ。…………まぁそれはひとまず置くとして、即時的なセイシュウの操竜ならば私が補助してやれる。貴様がフレイアだのナタリーだのと駄々をこねておる間に、共力場は編んでおいてやった。

 故に今、貴様が覚えるべきことはたった4つだけだ!」

「4つ?」

「ひとつは上昇。こう、己の頭を軽く上げれば良い。もう一つは下降。顎をしっかり引け。それから左右旋回は、それぞれ行きたい方向へ首を向ける」


 聞きながら俺が試しに首を上へ振ってみると、セイシュウはわずかに身を浮かせた。何だかクレーンゲームのレバーと似たような操作感だったが、慣れればあのゲームと同じぐらいには上手くなれそうだ。

 ツーちゃんは上下にユラユラする俺を見て溜息を吐きつつ、続けた。


「そして最後は、緊急用だ。固く目を瞑れ。さすれば完全にセイシュウに飛行を任せられる。どうしようもなくなったら直ちに瞼を閉じろ。その方がマシだ。理解できたか?」

「…………完璧」

「…………ワンダに多くは求められぬ。…………では行くぞ!」


 俺はツーちゃんを追って、斜め下へ首を向けた。だがセイシュウはうんともすんともせず、元の螺旋軌道を辿るのみだった。


「あっ、あれ?」


 俺が戸惑っていると、ツーちゃんの怒声が響いた。


「オイ、いっぺんに動かそうとするな、横着者め! まず下を向き、それから横を向く! 先に横でもよい! 小刻みに調節せよ!」

「えぇっ!? 何でそんな面倒な仕様に!?」

「黙れ! 贅沢言うでない!」


 俺は渋々首を縦横に振り振りしつつ、ツーちゃんに従って降りていった。

 …………うう、畜生。格好悪い。



 そうして「冬天」…………反転術とやらを組み込まれた濁竜に近付いてみると、フレイアの苦戦の様子が一層伝わってきた。


「フレイア!」


 俺が呼びかけると、フレイアはこちらへ目を向けて微笑んだ。


「コウ様! よくぞご無事で!」


 俺はグイグイと首レバーを調節しつつ、横目で(顔ごと向けると、フレイアの方へ近付いてしまうのだ)彼女に話しかけた。


「大丈夫か!? 辛くなったら、いつでもこっちへ移ってくれ!」

「…………コウ様? そのお首はどうされたのですか?」

「気にしないで! っていうか、危ない! フレイア!」

「――――ッ!!」


 冬天が翼と首を急に大きくねじらせ、身を逆さにした。フレイアの足が竜の身体から滑る。

 姿勢の崩れた彼女の腕に沿って、即座に火蛇が飛び出した。

 冬天は間髪入れず、強く翼を打ち下ろす。

 火蛇は堪らず風圧で跳ね除けられた。

 宙に浮いたフレイアを狙って冬天が首をひねり込み、ガバリと大口を開く。

 漆黒の牙が、フレイアの華奢な身体に迫る――――…………。


「――――――――フレイア!!!」

「させない!!!」


 俺が叫んだのに重なって、突如冬天の横面に強烈な蹴りが入った。


「!?」


 俺は咄嗟に、自分でも意外なぐらい的確に首を動かして、乱入してきた人影の下へセイシュウを滑り込ませた。

 その人物は華麗に俺の後ろに着地すると、「ありがと!」と短く俺とセイシュウに礼を言い、冬天に啖呵を切った。


「この暴れん坊! 反転術だか何だか知らないけど、そんなの「無色の魂」カラーレスの私には関係無いぞ! お前なんか、楽勝だ!」


 ナタリーは両手と片膝をセイシュウの背につき、ぐっと力を込めて踏ん張った。

 ふと我に返って見てみると、俺達のすぐ下ではフレイアが、ツーちゃんの竜に救助されて濁竜を見据えていた。


 彼女らはすぐに昇ってきて、冬天を挟んで俺達と並走し始めた。

 レヴィは呑気に近くを漂っている。

 ツーちゃんの大声が届いた。


「ナタリーよ! 意気込みは買うが、いくら何でもお前一人では敵わぬ! …………協力せよ!」


 紅と翠の眼差しが音も無くかち合う。

 フレイアとナタリーは即座にお互いを認めるや、冬天に向かって同時に飛び掛かった。


 フレイアは火蛇を冬天の身体に這わせつつ、流水のようなしなやかさで翼の付け根に絡み付いた。

 そのまま逆鱗を狙って、鋭い一閃が放たれる。

 冬天は身悶えして刃を避けた。


 一方で力強く冬天のたてがみを掴んだナタリーは、竜の首元に向かってぐんと腕を伸ばした。

 彼女は獣じみた気迫で濁竜の咽喉へ指を突き立て、すかさずもう片方の拳を大きく引いた。

 翠玉色の瞳が、夜空のどの星よりも煌々と輝いている。

 火蛇が冬天の翼を締め上げ、燃え盛った。


「――――――――やぁぁっ!!!」


 掛け声と共に、ナタリーの拳が逆鱗を粉々に叩き割った。


 冬天の断末魔が宙へ吸い込まれていく。砕かれた硫黄色の逆鱗の欠片が、彼の命の灯を映して儚くきらめいていた。

 火蛇によって縛られていた翼が解放され、力無く萎れる。

 ぐらつく竜の背で身を滑らす、二人の少女。


 俺はすぐに彼女らの元へと飛んだ。

 フレイアがトン、と軽く濁竜の屍を蹴って、こちらへ落ちてくる。

 機を同じくして、レヴィがナタリーの下へと優雅に泳いでいった。


 俺はフレイアを乗せ、冬天から離れた。

 ナタリーもまたレヴィの背に降り立って、流れるようにツーちゃんの導く方へと泳いでいった。

 フレイアは身軽く俺の前へ移動してくると、テキパキとハーネスを装着して手綱を俺から引き継いだ。

 彼女は人心地着くなり、俺ににっこりと笑いかけた。


「只今戻りました、コウ様!

 お首のお怪我は大丈夫ですか?」


 俺は上下左右に絶え間なく曲げ続けて痛んだ首をさすり、フレイアの細くも頼もしい背中に身を寄せた。


「ああ、もう平気。…………おかえり、フレイア」


 フレイアはまだ興奮冷めやらぬ様子で頬を赤く染め、


「はい!」


 と元気良く俯いて前へ直った。



 その後、フレイアはセイシュウをスムーズに操竜して、仲間のいる方へと飛んでいった。

 見渡した限りでは、戦場はもうすっかり落ち着いていた。残る濁竜は片手で数えられる程度であり、それもタリスカとシスイが同時に追っているので、片付くのは時間の問題に見えた。


 俺達は最後の濁竜がシスイの矢であっけなく射止められるのを見届けてから、再集合した。

 グラーゼイが血濡れた腕で竜を操りつつ、大声で音頭を取った。


「皆、無事か?」


 聞きながら彼は、面子を見回してそのまま続けた。


「…………この後はリッジ・ハイの野営地に降りる。シャラトガへ向かう予定であったが、シスイ殿と琥珀殿から安全面について提言があり、リッジ・ハイへと変更することとした。

 現在は琥珀殿が魔力探索を行ってくださっているが、各人でも警戒を怠らず飛行するように。再度敵襲があるかもしれぬ。

 もう日も暮れた! 離れず行動せよ」


 彼は次いでシスイへと視線を送り、少し声を落とした。


「では、先導を頼む。…………部下の竜に負傷がある故、気遣いを願う」


 シスイは頷き、全員に呼びかけた。


「では、リッジ・ハイへ! リッジ・ハイは古い野営地だ。昼間でも非常に見つけ難い。俺を見失わぬよう、注意してくれ!」


 彼が導くのに続いて、竜達がスルスルと戦場を離れていく。

 俺とフレイアはシスイのすぐ後に付かされた。火蛇の明かりが全体への良い目印になるからとのことだった。


 振り返って確かめてみると、ナタリーはいつの間にか、タリスカの操る藍佳竜の上にチョコンと乗せられていた。レヴィはどこへ行ったのか、姿が見えない。二人は飽きもせず何やら言い争っていたけれど、例によって会話の内容は聞き取れなかった。


 彼女らの隣にはグラーゼイが飛んでいる。結構な深手を負っていそうなのにも関わらず、あの仏頂面を微動だにさせないあたりは素直に感心する。オオカミ男は俺と目が合うなり、すぐに視線を逸らした。


 最後に俺は、最後尾に付いているはずのツーちゃんを気に掛けたが、明かりが届ききらないせいで、こちらはよく窺えなかった。

 ギオウの二つの黄色い眼だけが、ポツリと闇夜に浮かんでいる。


 シスイは時々後ろを見返りつつ、緩やかに、だが速やかに、天の川が冷たく流れる夜を駆け抜けていった。

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