第142話 大魔導師の残酷な忠告。俺が完全にダウンすること。
リッジ・ハイの野営地に着いた俺は、さすがに疲弊を隠せなかった。
俺は自分よりもずっと激しく戦っていたフレイアが、火蛇を使ってせっせと後続の竜の着陸を手伝うのを見守りながら、ぐったりと草の上に伏せっていた。
船酔い(竜酔い)が凄まじく、もう胃の中に何も無いのに何度も吐いた。濁竜の魔力の影響でまだ頭痛がし、まともに立っていることすら出来ない。今までは緊張で何とか保っていたものが、陸に降りた途端にドカッと崩れたのだ。
フレイアとシスイは俺を寝かせてからも、忙しなく動いていた。乗り手への念話がひっきりなしに俺の頭にも響いてくるが、内容は一切入って来ない。
ツーちゃんのギオウが最後に降り立った時には、俺はほとんど気絶しかかっていた。
ぐわんぐわんと地面が揺れ、目の前の景色すら覚束ない。いつまで経っても脳味噌が小刻みに揺すぶられている。
そんな俺を、仕事を終えたフレイアと、竜を繋ぎ終えたナタリーが覗き込んで労わってくれていた。
「大丈夫? ミナセさん…………」
「ああ、コウ様…………お可哀想に…………」
「お水持ってこようか? 私の水筒にまだ余っているから」
「酔い止めのお薬がどこかにあれば良いのですが…………」
「誰か持ってないかな? お水取ってくるついでに、聞いてくるよ」
「お願いいたします。私はこちらでコウ様のご様子を見ています」
ナタリーの去っていく軽やかな足音が頭蓋に響く。
フレイアは黙って俺の額に触れた。その指の思いの外の冷たさに、俺は少し驚いた。
「フレイア。…………どうしたの?」
「あっ、コウ様。お目覚めになったのですね。驚かせてしまい、申し訳ございません。…………上空は冷えましたので、万が一お風邪を召されていないかと心配になりまして…………」
彼女は手を離すと、その手を自分の胸の上に置いて話した。
「慣れない竜での旅に空中での戦闘、本当にお疲れ様でした。今のところお熱は無いようですが、どうかテントとお食事のご用意ができるまで、このままお休みになっていてください。
今、ナタリーさんがお水と酔い止めのお薬を探しに行ってくださっています。それをお飲みになって一眠りされたら、きっと気分が良くなるでしょう」
「ありがとう。…………悪いね。みんな疲れてるのに…………」
「いいえ。だからこそ、お互いに気遣い合うものです。お早い回復をお祈りしております」
俺がもう一度礼を言いかけたその時、遠くからフレイアを呼ぶ男の怒鳴り声が聞こえた。ハッキリしないが、どうせグラーゼイだろう。
案の定、哀れなフレイアは慌てて立ち上がった。
「申し訳ございません、コウ様。すぐにまた戻ります」
「ああ」
俺は答えながら、もう一度目を瞑った。
そう言えば、リーザロットが酔い止めの丸薬を鞄の中に入れておいてくれた気がしたが、完全に言うタイミングを逸した。
というより、贅沢を言えば、吐き気よりまずこの壮絶な頭痛をどうにかして欲しかった。
どうして濁竜が全部消えた後も、こんな不快な感覚が続いているのだろう。まだ口の中に硫黄の風味が残っていた。
やがてナタリーのアクセサリーのシャランと優しく擦れる音が、鼓膜を震わした。
「ミナセさん! ツーちゃんさんを連れてきたよ!」
俺は「ありがとう」とちゃんと呟けたか、どうか。
夢うつつに、俺はツーちゃんの話に耳を傾けていた。ナタリーは竜の世話をしにどこかへ駆けていってしまったので、今は彼女と俺の二人きりだった。
ツーちゃんは俺の傍らで胡坐をかいて、ブツブツと話した。
「全く…………。リズが全部用意しておるではないか。貴様は自分の頭の中身だけでなく、鞄の中身すら把握しとらんのか? …………フン、チス並だな。チスは自分で埋めた木の実の場所を、1日と経たずに忘れるというからな」
ツーちゃんは器に汲んだ水に何か白い粉末を溶かし、酔い止めの丸薬と一緒に俺へ差し出してきた。
「ホラ、一緒に飲め。魔力酔いを鎮める薬湯と、単純な吐き気止めだ。偉大にして寛大なるこの大魔導師様が、少し温めて飲みやすく、そして効きやすくしてやった。手間賃は相手がワンダゆえ、まけておいてやる」
俺はわずかに身を起こして薬を飲み干し(にっが…………)、それからまた横になった。
ツーちゃんはフン、と鼻息を吐いて腕を組むと、また話を続けた。
「やれやれ、何から何まで本っっっ当に世話の焼けるヤツだ。私がいなければ、果たして何回死んでおったことか。もしや貴様は「死ぬ」とはどういうことか知らんのか? チス以下だな。…………まぁ、それに関しては私もよく知らんがな。死については、誰一人として本質的にチスより秀でてはおらん」
ツーちゃんはしばらく黙って俺を見下ろした後、言葉を継いだ。
「…………全く、本当に手間がかかる。そのくせ、こちらがどれだけ要らんと言っても無茶して世話を焼きよる。フレイアにも、リズにも、ナタリーにも、果てにはこのツヴェルグァート様にまで! 一体どれだけ身の程知らずなのだ? 貴様は」
彼女はやや前屈みになって俺に近付き、語気を強めた。
「少しは己の身を気に掛けろ、阿呆が。そのように人の機微に疎いままでは、いずれフレイアにも愛想を尽かされるぞ。助けは要らんと言ったら要らんのだ! いつだって、言う側にはそれなりの覚悟がある。わかっておるのか? …………ハッ、サンラインは絶望的だな。「勇者」がかようなボンクラでは」
「…………」
「何だ、その反抗的な目は? 寝くたばっている分際で、女子供に介抱されとる分際で、何様だ? 「にーと」様か? …………フン! 萎れるぐらいなら最初から盾突くでない、根性無しめ。
大体、そんなことより貴様、私に何か隠しておることがあるだろう?
ああ…………ああ、みなまで言わんでいい。邪の芽の力が強まったことぐらい、とうに気付いておる。貴様がフレイアの扉を開放した際に、ヤツの気配も感じた。フレイアの魔力が強まったのを潮に、ヤツは貴様とフレイア、双方の内で発芽を成し遂げた」
俺は眩む頭を少しもたげ、結局支えきれずにまた倒れた。
ツーちゃんはピシャリと俺の額に湿布のようなものを張り付けると、「寝てろ」と短く命じ、話を続けた。
「正直、放っておける状況ではない。かと言って、こうなってはもうどうすることもできんがな。
せめてもの対処としては、これ以上蛇の芽に力を与えんことぐらいだ。…………要は、フレイアとの親密な接触…………濃い共力場の編成を極力控えることだ。
蛇の芽は貴様の、フレイアへの切望を糧に成長するだろう。蛇の芽はフレイアを欲しておる。貴様が彼女を求める時、ヤツの力もまた高まるのだ。
…………今更そんな下心なぞ無いとは貴様も言うまい。それが理屈で抑えられる類のものでないことぐらいは、私にもわかっておる。だが、であればこそ、貴様はフレイアと繋がってはならぬのだ。貴様の彼女への想いの強さこそが、蛇の芽にとって恰好の付け入る隙となる」
俺は何も言えずに、ただ呻いた。正直、そんな予感はしていた。フレイアが欲しいと一度でも口にしたなら、俺はヤツに喰われて彼女を襲うだろう、と。
俺は泣きそうなのと吐きそうなのを堪えて、うつ伏せになった。内臓が潰れてかえって余計に気持ち悪くなったが、もう起き上がる気力も無い。
ツーちゃんは心持ち柔らかく溜息を吐き、静かに言葉を置いた。
「…………同情はする。貴様にしか話す時間がないことも含めてな」
俺が目だけで見上げると、ツーちゃんは琥珀色の瞳をどこか淡くぼかして続けた。
「…………ああ。貴様には一応伝えておくが、もう時間が無い。私はこれから、先の戦いの後始末に行かねばならぬ。
あのジューダムの魔人は自らの死の瞬間に、非常に強力な呪術を発動させた。この私が今持てる全てを懸けねば、解呪は困難であろう。何より疲弊しきっている貴様らに、これ以上の戦闘は任せられぬ。竜も限界だ。竜が無ければ、テッサロスタも和平も無い。
…………全く! どいつもこいつもシャンとせんわ、国政はめっちゃくちゃだわ、頼みの綱の「勇者」様は「にーと」様だわと、全くもって安心できんのだが、他に道が無い。
貴様を罵り足りない分は、いずれ「塔」で会う機会にでも預けるとしよう。…………どうせ貴様は来るのだろう? 愚かなワンダのようにな」
俺は彼女が何を言っているのか咄嗟に飲み込めず、痛みで顰めっぱなしの眉をさらに顰めた。
ツーちゃんは俺からフイと目を逸らし、星で一杯の夜空を見上げた。
「とにかく…………貴様達は休め。戦い続けるためには、そんな時間が無ければならぬ。
崩れた私であっても、貴様達が飯を食って語らい、しばし微睡を得る程度の時間はやれる」
ツーちゃんは言い終わりに――――もし、うなされている俺が見た幻覚でなければ――――俺の頭をそっと撫でた。
続く彼女のつぶやきは、至極素っ気ないものだったけれど。
「ではな、コウ。貴様に恵み多き旅路を」
ツーちゃんはすっくと立ちあがると、涼しげに踵を返して歩いて行った。
ユラユラと揺れる視界に、タリスカと話をしている彼女の背中がぼんやりと映る。
俺はふいに強まった頭痛と吐き気に嘔吐し、うずくまり、そのまま意識を失ってしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます