第136話 いざ、騎竜戦へ! 俺が人生初のアクロバット飛行で振り回されること。

 魔人、もとい合成獣キメラと呼ばれたジューダムの戦士は、凄まじい速度でこちらへ迫ってきていた。

 彼の不気味な墨色の翼が羽ばたく度に、通り雨のような奇妙な音が夕空を駆ける。

 ヤツの視線は揺らぐことなく俺達へ注がれていた。彼の粘土じみた厚い唇の隙間からは、お歯黒でも塗ったみたいな漆黒の歯が見え隠れしている。薄ら笑いを浮かべているらしい。


 俺はヤツの魔力を探るべく、全集中を傾けた。だがヤツの翼がしきりに立てる雨音のせいで、どうにも気が散ってしまう。あの音が鼓膜を走る度に、頭の中まで黒い風雨に掻き乱されるようだった。


 魔人は爆撃機の如く高圧的に接近してきた。今となってはもうハッキリと、ヤツがせせら笑っているのがわかる。

 やがて彼の周囲に、黄緑色の小さな光がいくつも灯り始めた。光の玉は互いに衝突したり分裂したりしながら、次第に曼荼羅のような模様を作り上げていく。


 フレイアは少しずつセイシュウを加速させていく。

 彼女は飛行の合間に、何度も後ろを振り返って魔人の様子を窺っていた。


 二者は互い違いに蛇行した軌道を辿りながら、お互いの位置を絶え間なく盗み見ていた。

 魔人は少しでも相手の死角へ入れるよう、セイシュウはコンマ一秒でもそこに留まらぬよう、小刻みに揺れ続けている。


 と、ふいに魔人が思い切って俺達の軌道の内側へ切り込んできた。

 ヤツと目が合った瞬間、光の玉が一斉に、ミサイルとなってこちらへ打ち出されてきた。


「フレイア!!」


 俺の叫びに、彼女は勇ましく答えた。


「魔弾です! 回避します!」


 言うが早いか、彼女は機敏に手綱を繰ってセイシュウを反転させた。天地がたちまち裏返り、夕陽を背負った火蛇のリングが華麗にきらめく。


「――――――――ッッッ!!!」


 唐突なアクロバットに、俺は絶叫することもできない。

 黄緑の魔弾達は俺の足下やら頭の先やら火蛇の身体やらをギリギリで掠めて、俺達を遥か超えて飛び去っていった。

 やがてその先にパッと花火が開き、凄まじい爆音が届いた。


 セイシュウは流れるように尻尾をしならせて身を捻り、たちまち元の飛行体勢に戻った。

 強い風が巻く中、フレイアは引き続きチラチラと後方を警戒している。流れる銀の髪が、彼女の野性的な迫力を一層際立たせていた。


 俺はフレイアにしがみつきながら、気を取り直して辺りの魔力と彼女の魔力(味こそ感じられないが、温かく、身体の芯まで深く沈み込んでくる)を合わせて探った。


「…………何か掴めますか? コウ様」

「いいや、まだ」


 ヤツの撃った魔弾の爆発の余波が、まだジンジンと口中を痺れさせていた。こうなると繊細な探りはなかなか難しい。アルコールに似た苦みが、薄っすらとどこかから感じられはするが、それ以上の気配は辿れそうにない。


 ヤツが翼を打つ度に迸る雨音もひどいノイズだった。あれを聞くと、相変わらず一切の集中が振出しに戻ってしまう。眼下に広がる景色すら雨にまみれてしまうようで、気脈とやらを探ることも出来る気がしなかった。


「…………アイツ、わざと魔力を読まれにくいようにしてるのか?」


 俺が愚痴をこぼす合間にも、魔人の周囲にはポツポツと新たな魔弾が灯っていっていた。今度は先程よりも遥かに複雑な曼荼羅が展開している。心なしか、弾の輝きも増していた。

 フレイアは手綱を強く握り締め、竜の腹を蹴って叫んだ。


「落ちます! お気をつけて!」


 フレイアの言葉に被せ、セイシュウが翼を一気に折り畳み急落する。

 機を同じくして、魔弾が大量に射出された。鮮やかな光の尾を引いて、それらは一斉に俺達へ群がってきた。


 セイシュウは真っ逆さまに落ちながら、微かに左方へ身を滑らせた。途端にぐわんと身体が捩じれ、脳が激しく揺さぶられた。


「うわぁぁぁぁぁ――――――――――――!!!」


 俺の絶叫が空をつんざく中、魔弾がさっきまで飛んでいたまさにその場所で激しく爆発した。閃光と爆風が容赦なく俺達を叩く。


 俺は涙目でフレイアに縋っていた。当のフレイアは瞬きもせずに紅玉色の瞳を煌々と滾らせ、竜にのめり込むような姿勢で手綱に取りついている。彼女はあたかも、竜の身体が彼女自身のそれであるかのように、小刻みに風を捌いていった。


 急降下の速度が、強烈な向かい風となって俺に襲い来る。ゴーグルが欲しかったが、もちろんそんなものはここには無い。トカゲの瞬膜でもあってほしい。

 フレイアは魔人の様子を窺いつつ、即座に竜の態勢を水平に整えた。


 彼女は竜を高速で飛ばしつつ、俺に話した。


「幸い、相手は空中戦には不慣れのようです。あれだけ派手に撃ってしまっては、もうしばらくは追撃できないでしょう。それに少々飛ばし過ぎたようです。会敵時よりも大分減速しています。

 …………ですが、コウ様の仰る通り、彼の魔力場の守りは相当なものです。コウ様のお力のこともよく研究してきたのでしょう。となると、私達だけで仕掛けるのは得策ではありません。他の方々と合流して、こちらの共力場を強化して戦うのが良いかと思います」

「…………わかった」


 俺は付かず離れず追ってくる魔人の姿を振り返り、息を飲んだ。

 魔人は不愉快な微笑を湛えて、霧の翼を余裕いっぱいに羽ばたかせている。本当にあんなものが「精鋭」なのか? 確かに底知れない力は感じるが、俺にはヤツが呪われ竜と同様の、単なる凶暴な知性の低い魔物に思えて仕方なかった。

 少なくとも人間的な感性は毛程も感じられない。


 セイシュウは静かに旋回しながら、急峻な山の上空を越えていく。彼は上昇気流をさりげなく捉えつつ、着実に高度を取り戻していっていた。魔人が襲ってくる気配はまだない。


 俺は魔人から発される無言の圧力に気を張りながらも、フレイアへの注意も怠らなかった。

 彼女の魔力が、少し早まった彼女の胸の鼓動と同期してトクトクと俺に伝ってくる。今まで一緒に戦ってきた中で、こんなに彼女を近しく感じたのは初めてだった。逆に言えば、それだけ彼女も緊張しているのだろう。火蛇もいつになく神経質に燃えている。


 俺はどうにかして彼女の力になりたかった。頼まれた時に力を貸そうと思っていたのでは、どうせ結局最後まで頼ってもらえない。

 リーザロットの二の舞には、絶対にさせたくなかった。



 しばらく行くうちに、深い渓谷の上空を忙しなく動き回っている緋王竜のシルエットが3つ、見えてきた。皆、大きな翼をもった黒い生物と熾烈にやり合っている。相手は藍佳竜と同程度のサイズの竜であった。ただ不思議なことに、乗り手の姿は見えない。


 ヒュンヒュンと目まぐるしく飛び交う影達は時に強い閃光に包まれ、落雷じみた轟音を天地に響かした。

 俺は伝播してくる衝撃音に耐えつつ、フレイアに尋ねた。


「ツーちゃん達が竜と戦ってる! あれもジューダムの魔物なのか!?」


 フレイアは俺の方へ視線を向け、彼女にしては冷たく沈んだ調子で言った。


「あれはジューダムの飛竜で、名を「濁竜だくりゅう」と言います。…………口にするのもおぞましい外道な手法を駆使して産み出されました。

 ジューダムの多くの兵と同様に、濁竜達はジューダム国王の直接の支配下にあります。…………それはつまり、王を介して常に個体同士で共力場を編成しているということ、そして、ほとんど無尽蔵の魔力を有しているということに他なりません」

「それって…………めっちゃ強い、って意味?」


 フレイアはこくんと頷き、セイシュウを励ましてさらに加速させた。

 俺は彼女の背に寄り添い、後方の魔人に目をやった。

 ヤツはニタニタと笑いながら、俺達に合わせて強く翼を羽ばたかせていた。羽音に伴って雨音が襲ってくる。さっきより明らかに勢いが強まっている。ヤツめ、嫌なタイミングで気力を取り戻してきやがった。

 続くフレイアの呟きが、不安をさらに強めた。


「ですが…………いくら濁竜が相手とはいえ、あの琥珀様がついていながら、この状況は…………。

 もしかしたら、何か只ならぬ事態が向こうで起こっているのかもしれません」


 俺は魔人の周囲に魔弾が灯るのを認め、叫んだ。


「フレイア、来る!」

「! 了解です!」


 フレイアがセイシュウを急旋回させる。魔人は先よりも小さめに展開を終えると、すぐさまこちらへ向けて魔弾を発射した。

 それからすぐに第二の魔弾が灯り始める。魔人は今度は展開の終わりを待たずに、逃げる俺達の軌道上にそれらを全部ぶちまけた。


「――――――――くっ!」


 フレイアが身体を傾け、危うい所で弾を避ける。火蛇が何発かの魔弾を擦れ違いざまに焼き尽くした。セイシュウは速度を落とさず激しく蛇行しながら、次々と残りの魔弾を躱していく。外れた魔弾の光の尾が彗星みたいに空を横切っていった。茜色から菫色に変わっていく空のグラデーションが、場違いに壮大で美しい。

 遠くでまた閃光が炸裂する。雷鳴が轟く。俺は緊張でフレイアを抱き締める。


 魔人はその合間に抜かりなく俺達の後ろを取っていた。彼は笑みを絶やさず、新たな魔弾を繰り広げる。今度こそは、到底捌ききれない規模だ。

 俺はフレイアを抱く腕にさらに力を込めた。

 失敗した。もう扉を探す間が無い。

 謝るのも、後悔するのも、遅い。


 視界の左端上空をスイと音も無く一つの竜影が駆け抜けたのは、俺が最期を覚悟するのと同時だった。


「――――――――何だ!?」


 フレイアは俺に答えず、右の手綱を強く引いて竜の翼をうんと逸らせた。

 翼からみるみる風が剥がれ、セイシュウの身体が右下方へ大きく横滑る。背後から吹いた突風がセイシュウの身体をぐんと押した。

 魔人が離れていく。


 魔人の底光りする目は、しかし、なおも俺達を捉えていた。魔弾は未だしっかりと俺達へ紐付けされている。

 魔弾が眩く光り、放たれんとする。


 フレイアの身体が強張り、火蛇が輝かしく燃え盛った。俺は彼女にありったけの気持ちを込め、目を瞑った。


 激しい爆発音が辺りに鳴り響き、視界が一面、真っ白に染まる。


「――――――――…………ッ!!!」


 だが再び目を開けた時、そこに広がっていたのは、天国でも地獄でもなかった。


 俺の眼前には、太い槍で胸を一突きにされ、傷口から真っ黒い霧を噴出して苦しみ悶える魔人の姿があった。セイシュウはヤツの周りを緩い弧を描いて飛びながら、目を逸らすことなくその様を見ていた。


 魔人の墨色の翼は、今やじわじわと消失しつつあった。必死の羽ばたきも空しく、徐々に高度を落としていく魔人は、今際の掠れた叫び声をズルズルと虚しく伸ばしていく。


 フレイアが剣を抜き、切っ先から火蛇を走らせて魔人を介錯する。

 落とされた魔人の首はくるくると回転して、たちまち深い谷底へと吸い込まれていった。身体の方はその後を追って、機械的に翼をはためかせながら逆さまになって落ちていく。


 俺が状況についていけずに目を白黒させていると、背後から軽やかな男の声が届いた。


「お嬢さん、コウさん! 無事で何よりだ! 君達がうまく誘導してくれたおかげで、ヤツの心臓がすごく狙いやすくなった。感謝する!」


 竜上の男――――シスイは信じ難いことに、弓を手にして竜の背に直立していた。風切り音すら立てない彼の滑らかな旋回は、それでも着実に高度を上げていっている。

 彼は弓を片付けて改めて手綱を取ると、俺達を見下ろして話した。


「さぁ、次は濁竜の相手だ! 手伝ってくれ!」

「はい!」


 フレイアは元気良く返事し、シスイについてセイシュウを進めた。

 俺はいまいち心の整理がつかないまま、ともかくはと再びフレイアにしがみついた。

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