第135話 会敵。俺が夕暮れの中、再度見えること。
飛ぶうちに、自然と隊列はバラけていった。
シスイいわく、竜それぞれのペースを保ったこの状態の方が飛行の効率、外敵への警戒の両面において都合が良いそうだ。
俺からすれば見失ってしまうんじゃないかと不安になる程の距離を開けているのだが、まぁ、プロが言う以上は何も言うまい。
そうしてしばらく飛んでいくうちに、俺達はナタリーとタリスカに追いついた。
二人は大きな藍佳竜の上で、未だに言い争いを続けていた。
「難しいよ! どうしても逸れちゃうって!」
「先に私が繰った折にはならなかったろう。…………習熟せよ」
「今だって大体同じ方角には進めているんだから、もうこんなもんでいいんじゃないスか? 急に上へ行ったり下へ行ったりはもうほとんどしなくなったし、目的地まで乗るだけなら、これで十分ッスよ!」
「我らが目的は旅行にあらず。騎竜戦においては、わずかな操竜の差が勝敗を決する。…………精進せよ。…………また逸れつつある」
「もう疲れたよー! ここ、すごく風が意地悪だし、この子はすごく力が強いし…………。
ほら! こんなことしてるうちに、ミナセさん達が追いついて来ちゃったよ!」
ナタリーが隣へ並んだ俺達を勢いよく指差す。
俺は彼女らに手を振り、声を張った。
「やぁ! 調子はどう?」
「悪くないけど、もうぐったりッス!」
ナタリーはぐったりとは程遠い、溌剌とした声で続けた。
「タリスカさん、乗り方を教えてくれるのはありがたいんスけど、すっごく厳しくて! 最初の内こそ「見本だ」って手綱を取ってくれてたんだけど、さっきの湖を出てからは、ずっと、ずーっと、私なんス! 危険な場所だっていうのに、正気じゃないよぅ、もう! いつも二言目には「精進せよ」だし。ひどいや!」
俺はちょっと目を見張り、タリスカに尋ねた。
「タリスカ、こんなところでまで修業!?」
タリスカは悠然と腕を組み(彼は手綱も握っていなければ、ハーネスも付けていない)、風の中でもなぜか良く通る重々しい声で答えた。
「勇者も望むか?」
「え!? いや、それは…………」
「すまぬが、水先人の娘が優先だ。この娘、この分であればテッサロスタに至るまでには騎竜の術を確かなものとするだろう」
「だから、娘じゃなくて、ナタリーだってば! わざと呼んでくれてないでしょう!? もしかしてからかってるの? ねぇ!?」
タリスカはナタリーに「逸れたぞ」と短く伝えると、次いでこちらへ話しかけてきた。
「…………時にフレイアよ。先程から辺りに漂う、微弱な魔力に気付いているか?」
フレイアは師へ顔を向けると、幾分差し迫った口調で返した。
「はい。…………ですが、近くの弱小な魔物のものなのか、遠くからやって来ている魔物のものなのかが判然としません。お師匠様はどう思われますか?」
「後者だろう。恐らくは、「裂け目」から出でし魔物のものだ。…………彼奴がいるやもしれぬ」
「このまま遭遇しなければ良いのですが」
「いずれにせよ、警戒を怠るな。
…………水先人の娘よ、肩に力が入り過ぎている。故に過度に疲労し、航路から逸れる。視野を広く取り、竜に柔軟性を持たせよ。…………練達せよ」
ナタリーが獣のように唸る。やる気なのか、文句なのか、ちょっと区別がつかない。
セイシュウは風に乗り、スルスルとナタリー達の前へと踊り出ていった。俺は去り際にもう一度二人に手を振り、またフレイアの方へと向き直った。
フレイアは俺をちょっとだけ振り返って語った。
「お師匠様の仰る通り、ナタリー様はとても操竜がお上手です。藍佳竜は、緋王竜よりかは気性が穏やかとはいえ、非常に力強い種です。それをあのように楽々と扱われますとは…………。私も、驚きを禁じ得ません」
「へぇ。やっぱり、俺がやってもああはいかないものなのかなぁ?」
「…………。多くの方は、操竜士となるまでに長期の訓練を受けられます。ナタリーさんは以前にご経験がおありですのと、魂獣使いとして、動物と力場を編むのに慣れていらっしゃいますから…………」
「つまり、俺には無理ってことだね」
フレイアは答え難そうにしていたが、ややしてからションボリと言った。
「申し訳ございません、コウ様。楽しみにしていらっしゃいましたか?」
「いいよ。俺はこうして君と乗っているだけで、すごく楽しいから」
「…………恐縮です」
フレイアがもじもじとして前を向く。
俺はいい加減、冷たい風に耳が痛くなってきたので、リュックサックから耳当て付きの帽子を引っ張り出して被った。
まだまだ先は長そうだが、この調子なら案外楽に到着できるかもしれない。
お腹の虫がすっかり鳴き飽きて、日もしんなりと落ちてきた頃だった。
フレイアが俺に、夕陽に映える明るい笑顔を向けた。
「コウ様。もうすぐシャラトガです。野営地に着きましたら、きちんとしたお食事をご用意できますから、それまでご辛抱ください」
俺は昼に竜上で食べようとしたサンドイッチのことを思い出しつつ、答えた。
「ああ。ごめんな、フレイア。俺が手を滑らしたばっかりに、君の分まで…………」
「いいのです。ああした時のために、フレイアはいつも余分にお弁当を用意してきておりましたので」
「でも、本当は4つ全部食べたかっただろう? それを俺の不注意で、2つも台無しにしちゃって、しかも、残ったうちの1つも俺に分けてくれちゃって、君の方こそ腹ペコなんじゃないか?」
「いいえ。お師匠様と旅をしていた時には、丸3日飲まず食わずで戦闘を続けたこともございました。あの時と比べましたら、こんな空腹はわけもありません」
フレイアが得意げに胸を張る。
俺は彼女の逞しさに呆れつつ感心しつつ、頭を下げた。
「ありがとう。…………とは言っても、やっぱり申し訳ないから、野営地に着いたら何か埋め合わせをさせてよ。
実は、疲れに効くっていうとっておきのお菓子をリズから幾つか貰ってきたんだ。それを良かったら一緒に食べよう」
「えぇっ? そんな、畏れ多いです! どうかお気になさらないでください。私は当然のことをしたまでですので…………」
と、会話の途中で、ふいにフレイアの表情が陰った。
俺は首を傾げ、尋ねた。
「ん? どうかしたの?」
「…………」
フレイアが何も言わずに、辺りに目を配る。その瞳は紡ノ宮で呪われ竜を射た時と全く同じ、燃え上がるような紅玉色に冴えていた。
追って、俺も四方へ注意を巡らす。
だが、周囲には鬱蒼とした森と冷たい山脈が延々連なっているばかりだった。
いつの間にか、雲一つない澄み切った夕空が広がっている。
一面セロファンを張ったような橙の中、フレイアは声を抑えて呟いた。
「…………。「裂け目」から魔物がこちらへ近付いてきています。…………速い。このままでは、程なく追いつかれます」
「それってまさか、昼間にタリスカと話していたヤツ?」
「そうでしょう。ただ…………若干、違和感があります。あの時はあまりに微弱で、詳しくはわかりませんでしたが…………。この感じは…………」
フレイアの言葉を遮って、シスイから念話が届いた。
(――――――――敵襲だ! 各自、直ちに戦闘態勢に移れ!!)
彼の声はジェダ湖にいた時と打って変わって、錐のように鋭く緊張が漲っていた。
フレイアは彼の声が終わるや否や、竜の腹を強く蹴った。
「コウ様! ハーネスをきつくお締めください!
――――激しく動きます!!」
竜が大きく翼を広げ、打ち下ろす。
ヒュッ、とフレイアの口笛が聞こえるのと同時に、真っ赤に盛った火蛇が宙へ飛び出した。彼らはその身を躍らせて細長いロープと姿を変えるや、たちまちセイシュウを囲って大きな輪を作った。
火蛇達はそのまま激しく回転し始め、白熱し、継ぎ目のない一つのリングと化した。
フレイアがセイシュウの手綱を握り締める。セイシュウは弾丸のように空を貫き、今一度翼を羽ばたかせてさらに加速した。
「う、わぁぁぁっ!!!」
俺は予想だにしない急加速に悲鳴を上げる。
フレイアは俺が抱きつくのにも構わず、凛とした声で告げた。
「これから来るのは、「裂け目」の魔物を溶かし合わせて練り上げられた
俺は凄まじい向かい風を受けつつ、どうにか彼女の言う方へ目を凝らした。
黒い影が一つ、9時の方向に見えてくる。まだ大分遠いが、一目で途方も無く大きな何かだとわかった。
俺は次第に明らかになってきた魔物の姿に、肝を潰した。
「あれ、イリスの魔人…………!?」
魔物は、トレンデでイリスが召喚した魔人・クォグと全く同じ姿をしていた。酸で溶かされたが如きドス黒い肌と、岩壁じみた堅固たる筋肉。不気味に光る二つの小さな瞳は、夕闇に灯る凶星そのものだった。
ただ一つ違うのは、今、迫ってくる魔人の背には巨大な翼が生えていた。墨に似てぼんやりと蒼黒く、見ていると不安で窒息しそうになるような、不可思議な霞でできた翼である。
フレイアは毅然と前を見据えたまま、言った。
「はい。…………ですが、クォグはイリスが
「え? じゃあ、アレは…………?」
「今、私達の眼前にいるのは、国王に身を捧げた純然たるジューダムの魔人です!! 戦い、戦い、戦い続け、果てに魔物と融合し、なおも戦い続ける…………ジューダムの狂気の結晶です!」
火蛇から飛び散った熱い火の粉が俺の冷えた肌を掠めて、たちまち夕暮れに溶けていった。
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