第120話 ロドリゴ宮司との心理戦。俺が大義のために闇に屈したこと。

 宮司は俺に椅子を勧めると、自分は正面に据えられた重厚な書斎椅子に腰を落ち着けた。

 彼は俺を瞬きなしに見つめ(深緑色の瞳は、梅雨の沼のように濁っていた)、口を開いた。


「勇者様。不躾なことを伺いますが、サンラインではどこにお住まいなのでしょうか? ああいえ、蒼姫様の館にご滞在なさっておられるのは存じております。ただ、館の、どこに? どのように?」


 彼は俺の答えを待たず、さらに質問を重ねていった。


「また、勇者様のご出自についても今少し詳しく伺いたく存じます。オースタンでは何をなさっておられたのか? どのようなご身分であられるのか? お若く見えますが、おいくつになられるのか? 我が国へお越しになるに当たって、どのような条件でご使命を引き受けなさったのか?」


 宮司は矢継ぎ早に、ズカズカと話を進めていった。


「立ち入ったことをお尋ねし不快な思いをさせておりますこと、誠に申し訳ございません。ですが、ご時勢柄、何卒無礼をご容赦願いたく。

 蒼姫様は常に、文字通り粉骨砕身でご公務に取り組まれております。加えて、何に対しても偏見無く、格別に寛大なお心をお持ちです。ゆえに、時には当然と思われる身近な危険をつい見落としがちなのでございます」


 俺は頭を掻き、かろうじて答えた。


「えーと…………それはつまり、俺をスパイか何かだと疑っていらっしゃる?」


 宮司は目を大きく見開き、何も言わない。どうも彼なりの肯定の表情であるらしい。

 俺は肩をすくめ、話した。


「…………主に誓って、違います。俺は彼女に呼ばれてくるまで、魔術や呪術のことはおろか、サンラインという国の存在すら知りませんでした。俺一人では「時空の扉」をくぐることもできなかったのです。

 それと…………俺が「勇者」を引き受けたのは、ただ」


 俺は一瞬悩み、思い切って続けた。


「迎えに来た「白い雨」の騎士の女の子が可愛かったからです。それ以外に、特に理由はありません」


 読み通り、宮司の眉がわずかに吊り上がる。俺は相手の隙を突き、畳みかけた。


「ですから、特に取引は持ち出しませんでした。ついでに言えば、これからも特に要求はしないつもりです。要はボランティアです」


 宮司が


「ぼらんてぃあ」


 と怪訝な顔で繰り返すのに対し、俺は頷いて言葉を繋げた。


「先程もお話した通り、魔術も異世界も知らない俺にとっては、ここへ来ること自体が非常な魅力でした。俺は、この世界をもっと、もっともっと知りたいと思っています。そして…………できれば、俺と同じように別の世界を知りたいと願っている人の手助けができたらいいなと、考えているんです」


 宮司はじっと俺を睨み据えている。彼は机の上に組んだ手を置くと、短い溜息を漏らした。その眼差しは未だ暗く、濃く濁っている。

 ううむ…………。やはり、いかに別の女の子を持ち上げても、良いことを言っても、「リズ」と呼んだ事実からは逃れられないか。

 俺は沈黙に耐え切れず、覚えている限りで宮司の質問に答えて釈明していった。


「あー…………。その、俺、オースタンではごく一般的な人間でした。俺の住んでいた地方では、国民みんなが平民で、普通が普通だったんです。

 で、職は…………転々としていましたが、ぼちぼちやっていました。齢はついこの間、26になりました。

 えっと、他には…………」

「どこで、どのように」


 宮司が若干前へと乗り出し、言った。


「蒼姫様と暮らしておられるのか? …………御名をお呼びなさる程のご関係を、いつ、いかにして、築かれたのか?」


 結局はそこか。

 俺は観念し、回りくどい男の嫉妬に答えてやることにした。なるべくあっさり、刺激しないように。


「部屋は、蒼姫様の私室のひとつを使わせてもらっています。朝晩の食事を一緒に取ることはありますが、姫様はお忙しい身ですし、基本的には別々に過ごしています。名前に関しては、そう呼んでくださいと以前頼まれましたので。まぁ…………ですが、今後は身分をわきまえて、注意しようと思っています」

「…………なぜ?」

「え?」


 宮司は俺を真っ直ぐに見、続けた。


「サンライン人でない貴方様が身分を気になさる必要は皆無です。他でもない、姫様からの直接のご依頼なのですから、躊躇なさらずにお呼びになればよろしいかと。…………それとも、何か親密さをお隠しになりたい理由でもおありで…………?」


 うわ、想像以上に面倒くせぇ。

 俺は辟易しつつも、堪えて謙虚に言った。


「それでも、立場というものがございますから。…………恋人でもない女性に、必要以上に馴れ馴れしくはしない方が良いでしょう」

「…………サモワール」


 宮司の呟きに、俺は思わず身を固めた。彼は上がった眉を1ミリたりとも動かさず、話し続けた。


「では、ご苦労なさったそうで」

「あ…………それは…………」

「聞き及んでおります。ウェルテルの歌酒場へ、護衛の騎士とお出掛けになった際に、トラブルに巻き込まれたのだとか」

「ハ、ハハ…………。まぁ、それはその…………」

「その後、窃盗事件の捜査協力を名目に、自警団の妙齢の女性とご一緒に彼の地へ向かわれたと聞いております。そして現地で何者かからの襲撃に遭われた折には、蒼姫様とご一緒に共力場を編まれたとも。

 …………器の棟の方でも話題になっておられましたな。そこで見事、窃盗団を捕らえられたそうで」


 コイツ、性質たちが悪い。何から何まで全部知っていて、わざと粘着しているのだ。

 俺は内心で溜息を吐いた。うまく丸め込めると思っていたが、思いのほか厄介だ。リーザロットにこんなストーカーがついていようとは考えていなかった。この調子では、俺はもうすでに呪われているんじゃないか。

 俺はうんざりが声色に出ないよう、細心の注意を払って言った。


「…………そうですね。災難でした。ところで、先のお話についてはどうお考えでしょうか? 前向きに検討なさってくださるのであれば、ぜひお話を進めさせて頂きたいのですが」


 宮司はなおも俺から目を離さない。俺は段々じれったくなってきて、つい話題を急いだ。


「色々ありますよ! 物凄く甘い、この世界ではそうはお目にかかれない不思議な飲み物とか。精巧極まる造りの、世にも美しい刀剣とか。武器の概念を変える…………オースタンでは冗談ではなくそうだった…………飛び道具なんかも、揃っています!」


 俺は黙ったままの宮司に、さらに言葉を重ねた。


「あの…………もし、読んでみたいオースタンの本とかがあれば、翻訳のお手伝いもできます! オースタンの言葉は色んな種類があるから、きっと時間は掛かるけど…………一旦オースタンに戻ることさえできれば(パソコンもあるし)何とかやれる自信があります!」


 パソコン。サンラインでは全く役に立たない無用の長物だが、オースタンでは何よりも役に立つ神器だ。コンピュータの概念、いや、もっと根本的に電気の知識なんていう必殺技だって、インターネットさえあれば簡単に輸出することができる。

 がっつく俺に、宮司は相変わらず冷ややかな目を向けていた。


「興味深い。だがしかし…………いずれも、わたくしには必要のない物のようです」

「み、見るだけでも、いかがでしょう?」

「申し訳ないが、結構です。わたくしは生粋の呪術師。武器は好みません。…………甘味も、翻訳者も、間に合っております」

「…………では」


 何に興味があるんだ!?


 俺は頭を抱えた。もちろん表面上はおくびにも出していないつもりだが、実際もどかしくて歯痒くて、手詰まりだった。もし「勇者」が敏腕セールスマンだったなら、どんな風にこの状況を捌いただろう。

 リーザロットに援護を求めようか? だがそれにしたって、特に何も欲しくない人間を相手に、一体何を差し出せる? 


 俺は最早情に訴えるしかないとばかりに、宮司を一心に見据えた。宮司はダダをこねる子供を見る目つきで俺を見返していた。


 畜生。こうなったら、意地でも引きたくない。何としてでもオースタンに興味を持たせてやる。せいぜいガキに閉口して、音をあげればいいのだ。

 重くて粘っこい沈黙がしばらく続いた後、宮司がフッと笑みを漏らした。


「…………? 何が、おかしいんですか?」


 俺が当惑して問うと、宮司は机の上の手を解いて腕を組んだ。


「いや、貴方様のお顔が…………とても趣深くて」

「な!?」


 お前に言われたかねぇよ! と怒鳴りかけたのを、宮司はいち早く遮った。


「失礼いたしました。誤解なさらないで頂きたい。…………琥珀様が目をかけられるのも、タリスカ様が気に入られるのも、ヴェルグ様が貴方に構われるのも…………遺憾ながら、蒼姫様が惹かれなさるのも、わかる気がいたしまして」

「…………え?」

 

 戸惑う俺に、彼はさらに語った。


「正直な話、わたくしは「ミナセ・コウ」という人間が見たかったのです。わたくしなりのやり方ではございましたが、いや、良い見ものでした。柄にもなく、若い頃を思い出します。夢に恋い焦がれ、寝ても覚めても夢中だった青春…………。純朴さと、それに不釣り合いな衝動、無謀、躊躇い、愛、混ざり合い…………」


 宮司は俺を見つめ、続けた。


「貴方様は、呪術師というのには、きっと初めてお目にかかったことでしょうが、呪いの道とは中々どうして因果なものです。魔術とは異なり、理屈がいささかも通らない。呪いの力場は、まるで貴方様のように意固地かと思えば、麗しき秋の空か蒼姫様のように儚く移ろいゆく。

 そのような力場で何かを掴むには、術士である己の灰汁あく…………とでも申しましょうか。そうした癖が、大事になるのでしてな」


 宮司はおもむろに書斎机の引き出しを開けると、装飾の付いた小箱から写真のようなサイズの紙の束を取り出して、一枚一枚几帳面に机の上に並べ始めた。終わると彼はうっとりとそれらを眺めて、俺に手招きをした。

 俺が不信がりつつ寄っていくと、宮司はこれまで見た中で、最も晴れやかな土気色の笑顔を浮かべた。


「ご覧ください。…………わたくし、拙くも絵画を趣味にしているのです」


 覗き込んで俺はギョッとした。


 そこには、まだあどけなさの残る少女だった頃から、次第に成熟して今の彼女に至るまでの様々なリーザロットが、およそ信じられない緻密さで描かれていた。

 きちんとした礼装姿のものもあれば、ラフな普段着姿の彼女もいる。座っている姿も、立っている姿も、やや気恥ずかしそうに俯いた姿も、選り取り見取りだ。

 順繰りに見ていくと、彼女の成長していく様がつぶさに見て取れて、あくまでも上品な絵なのにも関わらず、何かいけないものを垣間見ている気になってきた。

 正直、俺も1枚欲しいけど、それを口にするのすら躊躇われる。


 息と唾を飲んでいる俺の傍らで、宮司はそんなことは歯牙にもかけずに(というより彼は完全に、己が描いたリーザロット達に酔いしれていた)話を続けた。


「お美しいでしょう? 実に美しい。愛らしい。可憐だ。貴方様にならわかるはずだ。わたくしを睨み据えたあの目、わかるに決まっております。この大腿。うなじ。唇。胸の双丘。曲線美。眼差し。そう…………特に、眼差し。…………堪らない…………見下されたい…………。

 …………あぁいえ、みなまでおっしゃらないでください。わたくしめの筆如きでは、あのお方のお美しさの何千億分の一も表せておりませぬ。…………尊さ。尊さがまだ圧倒的に足りていないのです…………」


 ハァハァと息を荒げていく宮司に、俺はのけぞりながら尋ねた。


「あの、それで…………?」


 宮司はリーザロット達を見つめたまま、言った。


「実は、オースタンの品物で唯一、気にかかっている物がございます」


 俺は嫌な予感をよぎらせつつ、続きを促すべく首を傾げた。

 宮司はギトギトと輝いた目で俺を見上げると、上擦った声で一気にまくし立てた。


「――――そう! その目つき、貴方様は本当に素晴らしい勘をお持ちだ! 偉大なる術師がこぞって貴方様に惹かれるのは、貴方様のその類稀なる資質のせいでしょう! 最早変態的と申し上げても差し支えない、直感、直観!

 …………そう、そうそう、そう! 「カメラ」でございます! わたくしは、「写真」というものをぜひとも手に入れたいのです! 時の刹那を切り取り、光の力で紙に焼き付けるという、奇跡の宝具が!」


 宮司はいきなり立ちあがるなり、鼻の先がぶつかるかという程に俺に顔を近付けて(ヒィッ)喋った。


「絵を描くのには、時間がかかります。そのため蒼姫様の尊さの根源たる自然なご振る舞いの一瞬を捉えるには、限界がございます。…………わたくしの腕の未熟さ、否、天賦の不足を補う技術が、オースタンにはあると聞き、永らく夢想していたのです。

 それに、わたくし独自の調べによれば、直接宝具に触れずとも発動できる代物、それもごく小型の、掌に収まるような大きさの物もあるそうではないですか! それさえあれば…………あぁ、それさえあれば…………!」


 宮司は言葉を切り、夢見る眼差しで虚空を仰いだ。変態的な直感が無くとも、何を見ているのかは誰の目にも明らかである。

 俺は後ろめたい気分で、尋ねざるを得なかった。


「…………っ、…………わ、わかりました。その…………そしたら、丁度良い「カメラ」をオースタンで入手してきます。フィルムもあわせて、操作の簡単なものをいくつか持ってきましょう。

 ただ…………その、一応お伺いしたいのですが、その撮影は、蒼姫様の承諾を受けた上で行うもの…………ですよね?」

「そこはなぜ勇者様と二人だけでお話をしたかったかで察して頂きたい」

「…………でも、それはオースタンでは犯罪なのです」

「サンラインでは違います、勇者様」

「ですが、道徳的に…………」

「取引は無かったことにいたしましょうか?」

「…………」


 俺はしばし悩み、さらに悩み、悩み…………

 結局、渋々承諾した。

 して、しまった。


 リーザロットには後で、十分に警戒するよう言い含めておこう。賢いあの子なら、何かと察してくれるはずだ。問題はあるものの、今は背に腹は代えられない。


 俺は宮司と約束を交わし、書斎を後にした。



 それから俺は、浮かぬ顔付きでリーザロットに顛末を報告した。取引の品物については、「一瞬で絵が描ける機械」とだけ伝えて、その他の詳しい条件については省いて話した。

 宮司は微笑みながらリーザロットに手を差し伸べた。


「蒼姫様。おかげで、勇者様と非常に良い語らいができました。…………ぜひわたくしから竜をお譲りさせて頂きたい。テッサロスタまでの長旅に使えそうな個体は、今は1頭しかおりませんが、それでも構いませんか?」


 リーザロットはいつになく嬉しそうに、大きく目を見開いて笑った。宮司の手を握る両手に、傍から見てもわかるぐらい力がこもっている。宮司は能面のような笑みを張りつかせていたが、俺には彼が、今にも何とやらな心地であることがありありとわかった。


「やりましたね、コウ君!!」


 満開の桜に似た笑顔を向けられて、俺は罪悪感で今すぐにでも地面の下に潜って、裁きの主にでも何にでも、とにかく一心に祈りたい気分だった。

 ごめんなさい。

 マジでごめんなさい。

 後生ですから、あの「歪みの魔物ハエ」みたいなのは勘弁してください…………。

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