第86話 キツネ男との馬車旅。俺が紡ノ宮へ赴くこと。
翌日、白露の刻(腹時計は朝9時を告げている)、俺はサンライン式の礼服に身を包んで部屋で待っていた。
礼服は深い紺色のローブで、仰々しい飾り紐が肩や腰にいっぱい付いていた。飾り紐は上品な黄金色で、目を凝らしてみると、ものすごく細かな装飾がこれでもかと編み込まれている。
胸元には豪華な竜の刺繍が付いていて、何となく、自分が偉い人になったかのような錯覚を覚えた。着心地もとても良い。後ろの裾が、なぜか燕尾服のように二股に分かれているのも何だか面白い。
俺は服に皺が寄らないよう気をつけながら、窓際に座ってぼんやりと眼下の街を眺めていた。
通りの賑わいはここまで伝わってくるようだったけれど、慰霊祭の時よりも大分厳粛な雰囲気だった。出店の数がぐっと少なく(というか、きちんとした店構えの店しか出ていない)、大通りには鎧を着込んだ騎士団がきちっと並んで、しっかりと街を警備していた。
騎士団員は皆、真剣極まりない顔つきで職務に励んでいた。酔っぱらっている奴など、今日は一人もいないだろう。統率の取れた、無駄の無い動きを見ていると、こっちまで胃がキリキリとしてくる。
何だか背筋が冷たくなってきた。これから、どんな大層なことが始まるんだろう…………。
奉告祭に、賢人会。
勇者。
裁きの主。
ジューダム。
壊れたオースタン。
…………「邪の芽」。
考えるだけで頭痛がしてくる。
つらつらと見聞きしたことを頭の中で整理しているうちに、部屋の扉が叩かれた。俺は立ち上がって扉を開きつつ、返事した。
「はーい。どなた?」
「おはようございます、コウ様!」
俺は見知らぬ獣人を目の当たりにし、思わず身をのけぞらせた。
赤褐色のモフモフの毛に包まれたその獣人は、白い上等な鎧をカッチリと逞しく着込んでいた。爽やかな声ではあるが、その口元にはキラリと光る牙がズラリと並んでいる。黄色い釣り目に凛々しく走る、猫に似た細い瞳孔が印象的だった。
彼はキツネそっくりの顔を、フレンドリーに傾げた。
「さっ! 今日もクソ面倒な仕事が満載ですが、1日張り切っていきましょう!」
俺は馴れ馴れしいキツネ男に、おずおずと尋ねた。
「あのう…………すみませんが、どちら様?」
キツネ男はいきなりパッと大きく目を見開くと、三角形の形の良い耳を真っ直ぐに立て、おどけた口調で答えた。
「えっ!? やだなぁ、もう忘れてしまわれたんですか? 一緒に美酒を飲み交わした、あのご機嫌な夜は、私の夢だったのですか?」
「飲み…………? え…………?」
「私ですよ! 教会騎士団精鋭部隊所属、あなたと市民と蒼姫様の、忠実なる
「え…………っ? あっ、ああ!!」
俺はようやく思い至り、改めて驚愕した。
「クラウス! そんな格好してたら、わかんないよ! 声もちょっと高いし。また妙なヤツが来たと思って、余計に警戒しちゃったよ!」
「妙なヤツって、ひどいですね。誰かと一緒にしないでください!」
「君って怒られたりしないの? っていうか、何度見ても驚くなぁ。やっぱり、魔法なんだよね? その姿」
「ええ。前回は素面にて失礼致しましたが、この度はこの通り、確と獣人変化して参りました。何せ今日は、お忍びの客人ではなく、栄えある「勇者」様付きの護衛ですからね! 気は抜けませんよ」
言いながら、クラウスが得意げに胸を張る。俺は何だか居たたまれず、頬を掻いた。
「いや、そんな大層なもんじゃないけどさ…………。でも、ありがとう。そしたら、今日もよろしくね」
「はい、お任せください! 主に誓って、あなたをお守りいたします。それでは早速、参りましょう。残念ながら、今朝は麗しき酒泉への旅路と参るわけにはいきませんが…………」
俺はクラウスの軽口を相手にしつつ、数日ぶりに館の外へと足を運んだ。
俺も彼みたいに、ビシッと鎧を着込みたい気がしないでもなかったけれど、きっとこのローブ以上に滑稽なだけだろう。
やっぱり、普段から少しぐらい身体を鍛えておけば良かったかな。(いや、「少し」で着こなせるものなのかは、わからないけど…………)
館の前には馬車(馬だ。どう見ても馬が引いている)が止まっていた。
御者は例によって、リーザロットのくるみ割り人形である。いつもより一等良い服を着込み、髭をキリッと尖らせた彼は、どこか誇らしそうに堂々と馬を宥めていた。
「先にお乗りください」
クラウスが畏まって、俺を通した。
俺はローブの裾を引っ掻けないよう、気を付けて荷台に登った。明らかに装飾過剰な、あまり快適とは言えない車内ではあったが、気に入らないとワガママを言う訳にもいくまい。今日の俺はお利口なワンダよろしく、何もしないことが肝要なのだ。
クラウスはほんの少し、目つきに緊張を走らせながら辺りを眺めていた。細々とした気遣いの中にも、確かな警戒が見え隠れしている。軽口もどことなく控えめ…………とは言い難かったが。
クラウスは俺の正面に座り、馬車を出発させると、ややくだけた調子で話し始めた。
「コウ様、サモワールでは大変だったそうですね。その後、具合はいかがです?」
「もう全然、問題無い」
「それを聞いて安心しました。話を伺った時には肝を潰しましたよ。サモワール最上階での戦闘なんて、考えるだけでもゾッとします。あそこの力場、ぐっちゃぐちゃだったでしょう? 人間って、誰しも固有の魔力場を持っているものなんですけれど、それが無秩序に混じり合うと、あんな風にグロテスクになるんです。俺は2階までで勘弁って感じですね。むしろ、別棟の方が好みです。
にしても本当、コウ様とナタリーさんが生きて帰ってきてくださって、ホッとしています。もちろん、蒼姫様もです。そう言えば…………蒼姫様には、もうお会いになりましたか?」
「いや。結局、タイミングが無くて会えず終いだったよ。一度ぐらい、お見舞いに行きたかったんだけど」
「そう仰っていたとお聞きになれば、とても喜ばれますよ。蒼姫様は、コウ様のことをすごく気にかけていらっしゃいますから」
「そう…………かな。そしたら、なんか悪いことしちゃったかな」
「ご心配召さらず。きっとコウ様ならそう仰ると思って、蒼姫様には私から、あなたの代わりに花束を贈っておきました。「良い加減になさい」としめやかに怒られちゃいましたが」
「ハハ。なんか、目に見えるよ。そのリズ…………いや、蒼姫様は、今はどこにいるの?」
「蒼姫様は明け方に、先に紡ノ宮に向かわれました。「禊の儀」をなさるためです」
「「禊の儀」って?」
「宮へ参内する前に、身を清める儀式のことです。簡単に言うと、お風呂に入っているんですね。あやかりたいものです」
「君はどうして裁かれないんだろうな…………。
それはそうと、蒼姫様の体調は、本当に平気なの? ひどい有様だって、昨晩ツーちゃん…………琥珀様とタリスカから聞いたんだけど」
「んー…………。本来ならば、まだまだ外を出歩ける状態ではありません。霊体に受けた傷があまりに深過ぎて、肉体にも影響が出てしまっている状態なんです」
「えっ。それじゃあ、お風呂どころじゃないじゃん!」
「そこは問題ありません。宮にある「恵みの泉」は、あらゆる肉体の傷を癒しますから。まぁ、三寵姫以外は沐浴を許されないっていう、至極ケチな代物ではありますが」
「でも、霊体の方は…………」
「霊体は、どうにか峠を越えたといった所です。タリスカ様のお力添えもあるのでしょうが、蒼姫様の内に巣食っていた魔物は今は粗方祓われていて、あとは回復を待つだけです。ただ、あれだけの傷をこんな短期間で治すなんて…………とても信じがたいことではあるんです。やはり、予断は許さないと見るのが妥当でしょうね」
「…………そっか」
クラウスはフッと息を漏らすと、どこか思い詰めた風にも聞こえる口調で言い添えた。
「…………蒼姫様は、文字通り身を砕いてサンラインに尽くしてくださいます。それが彼女の誇りで、何よりの悦びで、安易に役目をお休みくださいとは、私にはとても言えません。いつだってそうなのです。…………俺には、せいぜい剣を振ることしか」
俺はクラウスの一人称のブレをあえて聞き流し、頷いた。彼の気持ちは、サモワールで俺も痛いぐらいに味わったので、よくわかった。
馬車はコトコトと市中を進んでいった。大きな川に架かる、レンガ造りの立派な橋を渡って、さらに駆け続ける。俺は窓の向こうを通り過ぎていく風景に目をやった。
良く晴れた空に、青く萌える樹々。飛び去って行く茶色い小鳥たち。風にはためく、軒先の洗濯物。路地裏から響く子供の声。道端に咲き綻ぶ、黄色い小さな花。どこまでものどかな街並み。国の危機が迫っているなんて、嘘みたいだ。
クラウスは続けて、俺に問いかけた。
「時に、コウ様は「紅の主」イザベラ様のことをご存知でしょうか?」
俺は馬車の中に視線を戻して、答えた。
「いや、実はあんまり。何か、ヴェルグの後援を受けているって人だよね?」
「はい。紅姫様は、魔術師会永世名誉会長・ヴェルグツァートハトー様を後見としていらっしゃいます。蒼姫様をサンラインの月…………常夜の護り手たる
「へぇぇ…………。そんなこと聞くと萎縮しちゃうなぁ。やっぱり、恐い人?」
「まぁ、会えば間違いなく緊張はしますね。あの大魔導師ヴェルグ様と臆さず対話する、唯一の人間なんです。ナンパする隙も無い」
「ハァ。そしたら、俺なんか一撃で斬り捨てられそう。「無能に用は無い、去れ!」的な」
「仰りかねない雰囲気はあります。が、紅姫様は押しも押されもせぬ、五大貴族のご出身です。きっと、無闇に人を貶めるようなことは仰いませんよ」
「でもそれって、逆に言えば、本気でそう思ってたらスッパリ言うってことだろう? やっぱ怖いよ」
俺は頭を抱えつつ、呻いた。クラウスはそんな俺をハハハと呑気に笑い飛ばすと(他人事だと思いやがって)、眩しそうに目を細めて、窓の外を見やった。視線の先には、相変わらず平和な街が連なっている。
俺はふと気になって、話を継いだ。
「そうだ。ついでだから聞きたいんだけど、そしたら、残りの「翠の主」はどんな人なの? 確か、三寵姫の中じゃ一番のベテランなんだよね」
クラウスはサッとまたこちらを向くと、キュッと眉間に細かな皺を寄せた。その目つきはやはり犬っぽく、しかしどこか猫っぽくもある。キツネってよく見ると、結構野性的な顔をしている。
クラウスは豊かな毛に覆われた小首を傾げ、答えた。
「ううん…………それなんですけど、実はさっきからずっと考えているんですよね」
「考えているって、何を?」
「「常夜の護り手たる乳母」、「大地を遍く照ら出す武人」ときて、次は何が良いかなって、悩んでいるんです」
「そう…………。君が考えてたんだ…………」
クラウスはしばらく首を捻った後、急にピッと耳と首を威勢良く伸ばすと、あっさり言ってのけた。
「…………翠姫様はね、わかりません!」
「えぇ、そんなぁ」
「何ていうか、風のようなお方なんですよ、翠姫様は。掴みどころがなくて、ミステリアスで、いっつもフラフラしてて…………なんだかちょっと、コウ様に似ているかもしれません」
「俺に?」
「はい。異邦人のような佇まいに、ありふれた馴染みやすさ。不思議な力。思えば、かなり被ります」
「不思議な力って、どんな?」
「んー…………時空の、歌い手、的な」
「は?」
「あっ、これいいな。これでいこう…………。翠姫様は、サンラインの星です。永遠なる夢を奏でる
「なんか、こだわり過ぎてよくわからなくなってるよ。つまり、何をする人なの?」
「えーと。蒼姫様は命の根源である魔海を鎮め、紅姫様はそこから生まれいずる命に、炎を吹き込みます。そして翠姫様は、過去と未来をつぶさに歌い継ぐことで、その命を巡らせているんです」
「ごめん、全っ然わからない」
「三寵姫のドグマは、調べれば調べるほどわからなくなることで有名です。忘れることをお勧めします。全員、この世のものとは思えぬほど麗しい。それだけ覚えておけば、失礼はありません」
「はぁ」
俺は肩をすくめ、また外を見た。
いつの間にか民家が少なくなり、青々とした草原が広がり始めていた。
遠くを、大きな鳥が滑らかにグライドしている。群青色の深い空と、峻険な山岳地帯の冷たいシルエットが水平線上でじんわりと溶け合っている。
やがて道の奥に、白亜の神殿が見えてきた。
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