魔法の種。

 結論から言って、俺は罪に問われなかった。


 どころか、今回の事件は驚くぐらい巷で話題にならなかった。

 同じ晩にサモワールの本館で起きた大事件――――例によって、俺の相方・コウがその中心人物だったわけだが――――が、全て攫って行ってしまったからだった。


 翌日の新聞には、「「桃色」、捕まる」と小さく見出しが出た程度で、俺の名前も、姉さんの名前も一切書かれなかった。俺たちは勇気ある民間の協力者として、サモワールのオーナーから、ちょっとしたお詫びとお礼の品をもらっただけだった。(ちなみに、この品ってのは高級手ぬぐいと、貴重なお酒だった)


 そんなわけで俺は、ホッとしたような、ちょっと残念なような心持ちで、明くる日を過ごし、見舞いに来てくれた姉さんと再会したのだった。


 姉さんはベッドの上で、二日酔いと筋肉痛で満身創痍の俺をじっくり眺めまわしつつ、しみじみと言った。


「驚いたわぁ。どっかの国の貴族様なのかもとは思っていたけれど、まさか、お兄さんが噂の「勇者様」とはねぇ。そりゃあ、主も雨あられ雷と降らせるのも頷けるわ」


 俺は何となく気恥ずかしくなり、肩を縮めた。


「別に、だからってわけじゃなかったと思うけど…………。その、「勇者」のことは言うなって、騎士団の人から言われててさ。だから、別に騙していたわけじゃないんだよ」

「わかってるわよ! あんまり大っぴらに言うべきことじゃないって、私も思うもの。それにしても、色々と合点がいったよ。オースタンから来たんじゃ、そりゃあ何にも知らないわけよねぇ。

 まっ、お兄さんの正体はさておき、よもや自分が一生の内で、蒼姫様の館に入ることがあるなんて、思いもよらなかったわぁ。久しぶりよ、本気でおめかししたのなんて。何て豪華な屋敷なんでしょう。ふっかふかじゃないの、そのベッドもぉ」

「まぁ…………ね」


 俺は頬を掻き、やや視線を泳がせつつ、改めて姉さんの容姿を窺った。

 ツーちゃんのこともあるし、この世界において、見た目はそれほど信用できる要素じゃないのはわかっていたつもりだったが、それでもこうしてその変化をまざまざと見せつけられると、さすがに戸惑った。


 姉さんは今や、艶めかしい挑発的なスタイルに、理知的な佇まいを併せ持った、栗毛色の長髪がチャーミングな美女となっていた。ピッチリとお尻の形が出るスカートが、どこか秘書っぽい。グレーの瞳だけが唯一、変わらずに凛々しく輝いている。

 俺はつい彼女から目を逸らして、言った。


「その…………驚いたと言えば、姉さんも、全然違うよね。前の時と」

「フフ。お兄さんに会うから、気合入れてきちゃった」


 俺は何と返していいのか、本当にわからなかった。実年齢百何歳というのはどうも真実のようであったし、喜ぶのは間違っているような気もするのだが、しかし。


 それに、たとえ彼女の真の姿が恵比寿様であっても、目の前の美女であっても、やはり年上の女の人と話すのは慣れないことだ。お酒が抜けると、本当に情けなく気が萎んでしまう。

 姉さんは前かがみになって(胸が!)そんな俺の顔を強引に覗き込むと、相変わらずの酒焼け声で、優しく言った。


「テレサからね、お兄さんに伝言があるのよ」

「えっ、テレサさんから?」

「そう。「止めてくれてありがとう」だってさ。学院も、泥棒も、やめるきっかけができて、かえって楽になった、ってさ。自分に足りないのは才能じゃなくて、気概だって、お兄さんを見ていて気付いたらしいよ」

「…………そっか」


 俺は少なくとも一人、自分が誰かのためになれたと知って嬉しくなった。世界を救う「勇者」とまではいかなかったとしても、サンラインに来て誰かの運命が変わったというのなら、はるばるやって来た甲斐がある。

 思わず笑みを漏らす俺に、姉さんは満足そうに付け加えた。


「ねぇ! 私ね、お兄さんが「勇者様」って聞いて、本当に良かったと思っているのよ。だって、お兄さんなら、きっとどんな時だって頑張ってくれるって信じられるからね。

 …………中々いないよ? 頼んだレッドローチを本当に食べる人って」

「そこ?」


 俺が苦笑いすると、姉さんは元気良く笑い声を立てた。


「アハハ! もちろん、他にも色々あるよ。人を見た目だけで扱わない所とか、素直なところとかね。お兄さんはいずれ何かやる男だって、私、わかるよ」


 俺は首の後ろで手を組んだ。決してこんなに褒められることじゃないとは思うけれど、信頼してもらえるのは悪い気がしなかった。

 それから姉さんは、温かな手でゆっくりと俺の頭を撫でた。


「たくさん人を頼りなね、お兄さん。自分ひとりで、すぐに強くなる必要なんか無い。そんなことは、できやしない。少しずつでいい、きちんと強くなっていきな。

 素直さと、優しさと、それから…………憧れることを、忘れちゃいけないよ。

 私、昔は「無色の魂」を編む仕事をしていたから、肉体だけで戦うってことが、どんなに心許ないか、わかっていたつもり。ましてやお兄さんは、オースタンの人だったんだもんね。表には出さなくても、きっとすごく苦労したでしょう。

 お兄さんは、本当に強い人だったね。魔法を根っから信じるって、サンラインの子にだって、実はすぐにできることじゃないんだよ。安心できる場所で、じっくりと力を見つめて、考える時間が必要なことなんだ。

 お兄さんはずぅっと昔から、目に見えないものをちゃんと尊敬して、自分の内に育んできたんだろうね。胸に確かな種を秘めていたからこそ、最後まで戦えたんだ。

 憧れはね…………魔法の種。子供じみた夢でも、愚か者の妄想でもないの。形は無くとも、紛れもない、あなたの一部。それが真に成長した時にこそ、ようやく、誰にも負けない、あなたの力になる。

 だからね、お兄さん。これからも、あなたの憧れを大切に守り抜いてね」

「…………わかった。…………ありがとう」


 俺は姉さんの微笑みを見、俯き、それからまたそっと目を向けた。

 姉さんはその間ずっと、穏やかに見守り続けてくれていた。どこか目元がクジラに似ている。


「あの」


 俺はもう一度、繰り返した。


「姉さん、ありがとう。俺…………頑張るよ」


 姉さんは大きく頷き、今度は両手で、ぐしゃぐしゃと乱暴に俺の髪を掻き回した。


「よし、その意気だ!! 全部終わったら、今度こそ遊んであげるからね!!」


 俺は照れてしまい、やっぱり黙り込んでしまった。


               * * *


 …………と、まぁこんな具合で、タカシの冒険は一旦は幕を閉じる。

 色々あったけれど、とても楽しかったなと、俺は次なる旅に思いを馳せるのであった。


(番外編 終わり)

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