第64話 「サモワール」到着。俺が異世界のジャンクフードを味わうこと。

 流星の刻(俺の腹時計的には、午後七時半ぐらいか)、俺は噴水広間で再びナタリーと会った。ナタリーは昼間と全く同じ、溌剌とした調子で話をした。


「「サモワール」は、セレヌ川沿いにあるんです。恵みの大河を望む一等地、ってとこ。でも、実際は謳い文句とは全然違う場所だから気を付けてください。

 セレヌ川はヒイロ地区とロレーム地区の境になっていて、ヒイロはまぁ、比較的治安が安定している地域なんだけど、ロレームは隠れた「危険地帯」なんス。一見落ち着いて見えるけれど、実は訳アリの吹き溜まりで、教会の道徳委員会もとっくの昔に匙を投げてるの。だから、騎士団も滅多にあそこまでは出張って来ない。客として行く以外にはね。

 そんなわけで、犯罪者だけじゃなく、教会と折り合いの悪い連中が、ロレームにはゴロゴロ潜んでいるんです。特に最近はこいつらが妙に活気づいていて、超危険。何が起こっても不思議じゃないッス」


 ふんふんと俺が頷く傍らで、ナタリーはさらに語っていった。


「そういう事情なもんで、「サモワール」は、治外法権みたいなものなの。

 年齢も、性別も、身分も、一切関わりなく、魂とお金とチケットさえ持っていれば、誰でも店へ入れる。店の中でなら、何を楽しんでも構わない」


 街の夜明かりの下では、ナタリーの化粧は幾分昼間と違って見えた。元々が派手だっただけに、あまり確証は持てないが、何となく今朝よりも凛々しく、勇ましい印象を受けた。手首の鮮烈な海獣の入れ墨とも相まって、戦化粧のような雰囲気が醸し出されている。フレイアとはまた違った頼もしさがあって、俺は素直に彼女を格好良いと思った。


 実際、ナタリーは野性味のあるかなりの美人で、こんな機会でもなければ、俺なんかは一生涯話すこともないような人種だったろう。月とスッポンがリーザロットと俺の例えだとしたならば、ナタリーと俺には、ハリウッド女優とニートのタカシぐらいの差があった。

 俺は自分よりもわずかに背の高い(ヒールのせいかな? そうに違いない)ナタリーを振り仰ぎつつ、口を挟んだ。


「「サモワール」についたら、まず、どうする?」


 言いつつも俺は、未だに「サモワール」がどんな場所なのか把握してなかった。冷静に考えてみれば大問題なはずなのだが、誰もきちんと教えてくれないのだから、仕方ない。まぁなんとかなるだろうという、この楽観でここまで来たのだから、次も何とかなると信じていた。(それに本当にヤバかったら、リーザロットがもっと必死になって止めてくれていたはずだ…………多分)。


 ナタリーは大ぶりな貝のイヤリングをキラリと街灯にきらめかせると、エメラルドの瞳で俺をはたと見つめて答えた。


「とりあえず、一階から順に探していくつもりです。ミナセさんも私も初めてなんで、上の部屋に直接ってのは、流石にキツイと思うんで。桃色の狙いと思われる、3階までは結構かかっちゃうけど…………」

「そんなに悠長にしていられる時間があるかな?」

「正直、あんまり無さそう。だから、できる限り急ぐつもりッス。でも、焦ってのぼせてしまったら、元も子も無いから、あくまでも慎重に」


 のぼせる、ということは、もしかしてお風呂かサウナみたいな場所なのだろうか? 俺は気になり、さらに尋ねてみた。


「俺と君は一緒に行動するの? それとも、別々に?」

「もちろん、一緒に来て下さいよ! 一人で行ったりして、はぐれたらどうするんスか!」

「どうするって…………。どうなるの?」


 ナタリーは開いた口が塞がらないといった様子でしばらく俺を眺めた後に、「ううん」と悩まし気に呻いた。


「あそこは、一種の魔境ッス。事実、魔術師から言わせれば魔海の水際らしいし。よっぽどドジを踏んで店に睨まれでもしなければ、死んだりはしないんだろうけれど、私やミナセさんみたいな素人が一人で入り込んで安全な場所じゃ、決してないッス。下手すると、いっそ死んだ方がマシって目にも、遭わされるかもしれない」

「具体的には、どういう目?」


 俺の問い返しにナタリーは呆れ顔で首を振ると、もうお手上げとばかりに両手を顔の横に挙げて呟いた。


「いいや、もう…………。思えば、「白い雨」の魂獣使いには関係無いことだろうし。

 それより、そろそろ向かいましょうよ。もうご飯は食べてきたッスか?」

「ああ、うん。出かける前に済ませてきた。それと、俺は「白い雨」じゃ…………」

「そっか! それじゃ、私はまだだから、食べながら歩くから、よろしくね」


 ナタリーはそう言って、広場の入り口の店で、ケバブサンドに似た食べ物を買ってくると、それをガブリと頬張り、俺にも差し出してくれた。


「一口食べる? マヌー肉だよ。美味しいよ!」

「いただこうかな。めっちゃうまそう」

「うまいよ」


 俺はこれでもかと香辛料の効いた肉を齧り、ファーストフードの幸せを改めて思い知った。酸味と辛みの効いた甘じょっぱいソースが、脳と舌を麻薬的に狂わせてくれる。胃にダイレクトに響く、実に尖がった勢いのある味だった。豪華なディナーもいいけれど、これもまた良い。


「あー、ミナセさん! あんまり食べると、私の分がなくなっちゃうよ」

「あっ、ごめん。頬張り過ぎた?」

「いいよ、冗談。私、嬉しそうな人見るの大好きだから、気に入ったなら、もっと食べなよ」

「悪いよ」

「いいから」


 ナタリーは芯から楽しげに笑った。

 こんな子が守る街って、ちょっと羨ましいな。



 「サモワール」はナタリーの話通り、大きな運河沿いに建っていた。建物は威風堂々としたレンガ造りで、その手前に聳え立つ門は、奔放かつ豪快な、前衛的なポーズの女性を象ったものだった。じっと見ていると、執念というか、情念というか、そういった濃厚な粘つきが喉元にこみあげてきて、窒息しそうになる。


 門前で盛大に焚き染められた炎によって、建物と、女性の裸像がチラチラと陰影づけられている様は、最早下品という段階を通り越して、原始的な厳かさすら感じた。あるいは、本当に何らかの魔法が込められているのかもしれない。


 番兵はリーザロットの屋敷とは違い、正真正銘の人間であった。彼ら二人は栄養不足じみた、鬱した顔をして、真一文字に口を結んだまま、近付いてくる俺たちをきつく睨み付けていた。


「…………紹介は?」


 番兵の一人が、俺たちのどちらともになく尋ねた。

 ナタリーは腰回りの小さなポシェットから一枚のチケットを取り出すと、やや緊張した面持ちで言った。


「これで、どう?」


 番兵はナタリーから受け取ったチケットをじろじろと見ると、静かに脇へ退いた。何も言わなかったものの、明らかに態度が恭しくなっていた。

 ナタリーと俺は門を通り、本館へと向かった。


「あのチケットは?」


 俺が小声で囁くと、


「「桃色」の依頼者からせしめた。どうも、結構上等なチケットだったみたい」


とナタリーが答えた。


 建物の入り口に着くと、ひとりでに扉が開いた。俺はもうこの程度では驚かない。

 だが、その奥に見えてきた、高級ホテルのロビーのような場所にずらりと並んだ、美男、美女の列には、度肝を抜かれた。彼らは皆、着物に似たゆったりとした仕立ての黒服を纏っていた。


 人じゃない、と、直感的に感じたのも束の間、そのうちの一人の女性が、まるで合成音声のような無個性な声で話しかけてきた。


「ようこそ、サモワールへ」


 続いてまた別の女性が、全く同じ声調子で言葉を継いだ。


「「水先人パイロット」ナタリー様と、ミナセ・コウ様でいらっしゃいますね?」

「そう」


 ナタリーがおずおずと返事した。俺は黙って、蝋人形ばりに色気の無い案内人たちの顔を眺めていた。喪服じみた服のせいもあり、俺には彼らが、幽霊みたいに見えて仕方がなかった。


 白い顔の女性はゆっくりと、およそこの世のものとは思えない、機械よりも機械らしい笑顔を作ると、建物の奥にある階段へ、にゅう、と手を伸ばした。


「では、どうぞこちらへお越し下さいまし。女性の方は、私が。男性の方は」

「私が、ご案内いたします」


 ふいに俺の傍にいた男性が申し出た。俺は驚くタイミングを逸し、何も言わずに彼の礼を受けた。男性は灰色の髪に、灰色の目で、本当にマネキンが動いているのと変わらなかった。

 彼は瞬きもせず、じっと俺を見ていたが、やがて薄紫色の唇をそっと開いた。


「ミナセ様。ここより先は、ご霊体のみでの入場とさせて頂いております。どうかご了承ください」


 俺はナタリーを振り返り、困惑を表した。だがその時にはすでに、ナタリーは先の女性に先導されて、廊下の奥へと歩いて行ってしまっていた。床一面に敷かれたふかふかのカーペットにかかっては、彼女のあの陽気な足音も聞こえてこない。

 俺は途方に暮れて、正直に伝えた。


「あの、霊体って、どうすればなれるんでしょうか?」


 男性は感情の一切込もらない瞳で俺を見据えつつ、静やかに言った。


「ご安心ください。サモワールでは、そのようなお客様のために妙薬を用意しております。こちらへ…………」


 俺は彼に案内され、ナタリーが歩いて行った廊下とは別方向に伸びる廊下へと通された。

 途端に俺は心細くなってきて、ちょうど子供の頃に、母親が仕事で遅れ、保育園に独り取り残されてしまった時みたいに、背筋が下からひたひたと凍り付いていく感覚を味わった。


 ――――あ、この感じは。


 寒気と不安が脳髄の深くまで達し、何かが外側へ剥がれたと感じた時には、俺はすでに自分の身に起こった事態をすっかり了解していた。


 俺はのこのこ、びくびくと前へ歩いて行こうとするタカシの肩に、ポンと手をかけた。振り向いたタカシは、全く腹立たしい、わざとらしい驚愕のジェスチャーと共に、笑顔を浮かべ、マネキン男を大声で呼ばわった。


「お兄さん! コウの奴、いつの間にか現れやがったよ! …………残念だね、追加料金が取れないね!」


 マネキン男は俺に、冷たく色味の無い視線を浴びせた。

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