第61話 屈辱、アンド屈辱。俺がさらなる汚名の危機に晒されること。

 事務室に詰めていたバッファロー男が、突然トドのような呻き声を上げた。泣いているのか怒っているのか、とにかくカードでひどく負けたらしかった。


「クソ!! さっきまで最高にツいてたってのによ!!」


 その声に続いて、豪快な笑い声が湧き立った。気味の良いことに、あの野郎はここ一番で大損こいたと見える。

 バッファロー男は興奮のあまり、近所中に響き渡るような大声で、俺には意味不明な野次を口走った。


「畜生!! これならマヌーのクソ酒を底抜け鍋で煮た方が遥かにマシだ!! 誰だ、一枚くすねてやがったのは!? テメェか、モロ!?」


 クソ酒うんぬんは彼のお気に入りのスラングであるようだった。俺も先程「クソ酒の哺乳瓶が恋しいか」なんて浴びせかけられたが、さっぱり意味がわからなかった。


 俺は男達の会話に飽きて事務室から目を離し、幾度目ともなく待機所の入り口の方を眺めやった。

 クラウスたちが戻って来る気配は一向に無かった。門番はすでに2回程交代しており、クラウスが出て行ってから、もう2時間は経っていると思われた。


 俺はしょんぼりと膝を抱えていた。つと顔を上げると、向かいの机で何か書き物をしているナタリーと視線がかち合った。

 ナタリーはしばらく興味深そうに俺を見つめていたが、ふいにニッといたずらっぽく笑うと、持っていたペンをその場に投げ出して、ジャラジャラとアクセサリーを揺らしてこちらへ寄ってきた。


 やって来た彼女は俺の傍にしゃがみこむなり、馴れ馴れしく話し掛けてきた。


「ね、ね。痴漢のオジサン。ちょっと、折り入ってお話があるんだけど」


 俺は眉を顰め、即座に彼女を遮った。


「痴漢じゃない。あと、オジサンという齢でもない。俺は、ミナセ・コウって言うんだ。っていうか、さっきはミナセさんって呼んでくれていたじゃないか」

「あ、そう、そうだった。ミナセさん。耳慣れない発音だから、どうも覚えきれなくて」

 

 ナタリーは悪びれもせずに頬を掻くと、スズメのようにハキハキと喋り始めた。


「それよりさ、実は私、今ちょっと困っていることがあって。クラウスさんの友達で、しかも変態だっていうアナタなら、きっと良い相談相手になってもらえるかと思ってさ」


 俺は彼女の話をまたもや遮らざるを得なかった。


「待て。俺は変態でもない」

「隠さなくても良いよ」

「違う。断じて違う」

「わかったよ、じゃあ、そういうことにしておく。それでさ、まずは相談の前に聞いておきたいんだけど、ミナセさんは女の人と男の人、どっちの方が好き?」

「ハァ?」


 思いもよらない質問に俺が顔を歪めると、ナタリーはあくまでも真剣な表情で問いを繰り返した。


「女の人と男の人と、どっちに恋愛感情を抱きがちか、ってこと。別に、どっちでもってんでもいいですよ? 世の中、色んな人がいるし。それに、何なら獣人が好きとか、いっそ霊体じゃなきゃ嫌とか、もっと攻めてくれても良いスよ? なるべく詳しく知っといた方が後々、ミナセさんのためにもなるだろうし」

「ちょっと、君が何を言っているのかわからないんだけど」

「そんなわけないでしょう。12歳の女の子ってわけじゃないんだし、今更恥ずかしがらないでくださいよ! 私、あんまり偏見って無いタイプだし、本当に気にしなくていいってば」

「そういう問題じゃなくてさ」

 

 俺はうろたえつつ、次第に声が大きくなってくるナタリーをなだめた。


「とりあえず落ち着いて聞いてくれ。別に何を聞かれたって構わないけれど、どうしてそんなことを聞くんだ? 理由ぐらい教えてくれよ」

 

 俺は一拍開け、改めて相手に訴えた。


「あのさ。今みたいに誤解で牢屋に閉じ込められて、理由も知らされずに迫られたんじゃ、誰も自分の性癖なんか話さないよ」


 なんで俺は真剣な顔して、こんな馬鹿なこと話しているのだろう。

 ナタリーはぱちくりと瞬きして俺を見つめると、ようやくトーンを落とした。


「むぅ…………わかった。そんなに言うなら、こっちもミナセさんを信じて、言うしかないスね。…………誰にも言っちゃダメですよ? ちょっとこっちに来てください。話します」

「ん」


 俺は檻越しに半歩ほど距離を開けて彼女に近寄った。ナタリーはそんな俺の耳をぐっと腕を伸ばして乱暴に掴み寄せると(痛い!)、自分の顔を思いきり近付けて語り始めた。


「実は、ウチが追っているある事件の潜入捜査を、アナタに依頼したいんです」

「はぁ?」

「シッ!! 静かに」


 声を荒げた俺を、ナタリーが厳しく叱った。俺は彼女の声の方が大きいじゃないかと納得がいかなかったが、渋々声を落とした。


「潜入捜査って、どういうことだよ?」

「最近、ヒイロ地区からロレーム地区にかけて頻繁に出没している、ある泥棒について知っているっスか?」

「いや、知らない」

「「下着」泥棒です。依頼されたものなら、それが誰の、どんなものでも盗んでみせるっていう、人呼んで「桃色天使」のことです」

「…………。はぁ」

「「桃色」の特徴は、昼夜も場所も問わない大胆不敵な犯行と、転送魔術による逃げ足。つい最近まで、全く足取りが掴めなかったんだけど」


 言いつつナタリーは、耳を掴む指にぎゅっと力を込めた(痛たたた)


「この間、ついにヤツの依頼人を押さえることができたんス! 余罪を追及した際の、完全に偶然のことだったけども、ようやく尻尾が掴めたんスよ!」

「それは…………おめでとう。でも、それがどうして俺に関係あるの? 別に俺でなくとも、他の自警団の仲間に協力してもらえばよさそうなもんだけど。それと、耳を離してほしいんだけど」


 ナタリーはさらに指に力を入れ(痛たたたた)、俺に囁いた。


「そ・れ・が、問題なんです! だって、この自警団、ちっとも信用できないんだから!! リーダーだった私の父さんが死んじゃって以来、もう、最悪に荒れてるんだもん!!

 あの人達、いっっっつもカードとお酒ばっかり! 何かっていうと「騎士団に任せとけ」って言って、ちっとも仕事しないんス!

 しかも、そうしていじけてるだけならまだしも、とんでもない面倒くさがり屋で、ここだけの話、ちょうど良いからアナタのことを「桃色」に仕立て上げてしまえ、って話まで出ているぐらいなんだよ? さっきカードしながら話してたの、聞こえなかったんスか?」


 俺は流石にギョッとして息を飲んだ。


「冗談だろう?」

「だったら、どんなに良いか!」


 ナタリーはさらに捲し立てた。


「残念ながら、最近のここいらじゃ、そんなことは日常茶飯事ッス!

 だけど、もちろんそんな横暴が許されて良いはずない。父さんだって、きっとこんな自警団の姿は望んでない。…………だから、この街と、自警団が少しでもマシになるよう、アナタにも協力してもらいたいんです!」


 耳を掴む彼女の手をやっと振りほどき、俺は頷いた。


「わかった。そういうことなら、力を貸すよ。この上、下着泥棒にまでされちゃ堪らない。どんなことでも、協力するよ」


 途端に、俺を見るナタリーの顔に、ヒマワリの笑顔が咲いた。こうして見ると可愛らしいのに、なんて強引なんだ。俺はやれやれと内心で溜息を吐き、言葉を継いだ。


「それで、なんで俺の趣味が聞きたかったの? 今の話だけじゃ、まだよくわからない」


 ナタリーは問いに、目を輝かせながら答えた。


「それはですね、掴んだ情報によると、次の犯行現場は「サモワール」になる可能性が高かったからなんス! ちょっと特殊な場所だから、ミナセさんの趣味によっては、私と一緒に行くのが辛いかもなーと思ったの。でも、どんなことでもしてくれるっていうのなら、気にすることも無かったかな!」

「え? いや、ちょっと待って。確かに言ったけど、「サモワール」ってどんな場所なの?」

「知らないんスか? なら、知らない方が良いかも」

「教えてくれないなら、俺は今すぐ降りる」

「ええっ、そんな! ってか、女の口からそんなこと言えるわけ…………」


 と、ナタリーが抗議の口を開きかけた時だった。突如として、彼女の上に大きな影がぬぅと差し込んだ。


 俺達は驚いてそちらを振り仰ぎ、いつの間にか背後に立っていた大男を凝視した。大男は黄金色の眼光を氷柱のように尖らせ、ゆったりと言った。


「粗方、話は聞かせてもらいました。事の他、元気そうで安心いたしましたよ…………ミナセ殿」

 

 俺は彼のごわついた白銀の毛並みを眺めながら、かろうじて返事した。


「グラーゼイ、さん。…………おかげさまで」


 グラーゼイは答える代わりに、どっしりと太い腕を組むと、ナタリーを一瞥した。


「結構な計画ですな、ナタリー殿。父君も、主の御許で喜んでおられましょう。…………が、やや不用心が過ぎる。今少し、声を落とすが良かろう」


 ナタリーは驚愕のあまり、完全にフリーズしていた。まさにオオカミに睨まれた小鳥状態である。彼女は俺と顔を見合わせた後、やや萎縮しつつ言葉を発した。


「お疲れ様です、グラーゼイさん。その…………」

「ミナセ殿の手続きをお願いしたい」

「あっ、ハイ、わかりました。えっと、クラウスさんは?」

「宿舎へ帰しました。事情は伝え聞いておりますので、気遣いは無用です」

「…………は、それでは、すぐに」


 言うなりナタリーはダッシュで事務室へ突っ込んでいった。

 グラーゼイは眉(獣の顔に、そんなものは無いが)一つ動かさずに、俺を見下ろし、冷たく言い放った。


「貴殿の身元は、私が直接保証させていただきます。その方が余計な手間が省けましょう。…………真実はどうあれ、私は部下を信頼します」

「それはどうも、ありがとうございます」


 グラーゼイはじっと俺を見据えたまま、さらに尋ねてきた。


「「サモワール」へ行かれるので?」

「まぁ、そうなりそうですね」

「では、その際は決して騎士団員をお連れなさらぬようお願いします。教会の戒律に触れます故。特に、女性の部下は、くれぐれも。どうぞ貴殿のみで、お楽しみください」

「…………わかりました」


 俺は「サモワール」とやらがどんな場所なのか聞きたかったが、迂闊に尋ねれば、また何か嫌味を重ねられるに決まっていたので諦めた。多分、彼は二酸化炭素と一緒に嫌味を排出していないと死ぬのだろう。


 ほどなくして、ナタリーが牢の前へ戻って来て、グラーゼイに数枚の書類とペンを手渡した。グラーゼイはそこにサラサラとサインを書き込むと、俺を見やった。


「今晩は私が責任を持ちまして、貴殿を屋敷までお送りしましょう。それならば、自警団の方も心配ありますまい。…………ナタリー殿、何かミナセ殿に伝えることは?」


 ナタリーは「はい」と強張った返事をすると、俺に向かって、ぎこちなく言った。


「では、ミナセさん。明日の蛇の鐘の頃に、市場近くの噴水広場に来てください。そこで、例の件の打ち合わせをしましょう!」

「わかった」


 俺は答え、彼女が開けてくれた扉から外に出た。ほんの一歩の違いなのに、何だか空気の味までが違って感じられた。

 グラーゼイは、


「では」


 とだけ述べ、さっさと踵を返して歩き出した。俺はそれについて歩き出しながら、後ろを振り返ってナタリーに手を振った。


 ナタリーは鮮烈な刺青の手――――シャチか、イルカのような姿の生き物が彫られていた――――をひらひらと振り返して応じてくれた。

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