第60話 なおも牢屋にて。俺が檻から出るために、覚悟を決めること。
目の前に現れた女性は、想像していたよりもぐっと垢抜けていた。
彼女はいわゆる街娘とは一味違った、海外のファッションモデルのような体型の、迫力ある長身の美人だった。
ド派手なエスニック風の化粧に、涼やかなエメラルドの瞳が燦々と輝く。よく焼けた小麦色の肌と、均整の取れた目鼻立ちが印象深かった。耳や手足にジャラジャラとついた色とりどりのアクセサリーは、ちょっと重たそうだったけれど、彼女にはまだまだ地味過ぎるとさえ言えた。
ナタリーは薄いブラウンの、透明感のある長髪を掻き上げると、パッと真夏のヒマワリみたいに笑った。
「はじめまして、ミナセさん? 私、自警団のナタリーです! あなたとクラウスさんが話してる間、ちょっとそっちの方で見てるから、よろしくね!」
俺は威勢の良い声と美貌に気圧され、「よろしく」とだけ短く答えて、彼女と一緒にやって来たクラウスの方を見やった。
クラウスはやや疲れた表情で笑い返し、こう呟いた。
「やっと会えました。災難でしたね」
俺はしみじみと頷いた。
ナタリーは壁際へ移動すると、背を壁にもたせて腕を組んだ。何か動作をする度に、手足のアクセサリーがジャラリと音を立てる。彼女は一度、事務室の方に目配せした後、また俺達へと視線を戻した。
俺は早速、クラウスに今後のことを尋ねた。
「俺、本当に覗くつもりなんてなかったんだよ。どうしよう?」
「ええ、もちろんわかっています。元はと言えば、私の説明が曖昧だったせいです。…………ただその、公共の場で裸体を晒すことに関しましては、サンラインではあまり一般的に好まれる行為ではなく…………」
「わかっているよ。お願いだから、勘違いしないで欲しい。あれはあの犬…………じゃない、ワンダのせいなんだ。それに、オースタンでも露出狂は蔑みの対象だよ。性犯罪者って、最高に不名誉なことなんだ」
「それを聞いて安心しました。では、一刻も早く事態を解決できるよう、努力します」
クラウスは生真面目な顔で頷くと、話を継いだ。
「明日までに出来る限りのことをします。できればコウ様がここで夜を過ごすことのないようにしたいのですが、そこまでは難しいかもしれません。
元々、我々騎士団と自警団は折り合いが悪いのですが、今回は特にこじれてしまっている感触です。私の言い方が悪かったのか、とにかく状況は芳しくありません。さっきもナタリーさんが来てくれなければ、危うく門前払いされてしまうところでした」
言いつつクラウスがナタリーに視線を送ると、ナタリーは組んだ腕を解いてヒラヒラと手を振った。
俺はその時偶然、彼女の左前腕にギッチリと刺青が彫り込まれているのを発見してしまいギョッとした。刺青は何らかの魚を象った鮮やかなものであったが、驚きのあまり、つい目を逸らしてしまった。
ナタリーは一旦、何か言いたげに唇を開きかけたが、思い直してか、また口を閉じた。
俺は気を取り直して(サンラインのお洒落な女子の間では、案外普通のことなのかもしれない)、続くクラウスの言葉に耳を傾けた。
「とにかく、まずは早急にコウ様の身元引受人を探さなくてはなりません。筋としては、蒼姫様にお願いしたいところなのですが…………」
「何か問題が?」
「ええ。コウ様は知る由もありませんでしょうが、蒼姫様は役目に就かれてまだ日が浅く、国内では何かと不安定な立場なのです。
…………あまり大きな声では言えませんけれど、そもそも蒼姫様を「三寵姫」と認めようとしない方も少なからずいます。裁きの主への不信を掲げる集団がその中心で、昨今の「勇者様」絡みの事件にも、大抵彼らが関わっています。かなり過激なことをしでかす連中で、騎士団もほとほと手を焼いています。彼らは蒼姫様を失墜させるために、いかなる話題をも利用しようとするんです」
「つまり…………」
俺は躊躇いがちに後を続けた。
「性犯罪容疑の掛かった俺を引き受けると、リーザロット様の立場が、さらにマズくなるってわけだ?」
「…………まさに」
クラウスは申し訳なさそうに大きく点頭すると、溜息交じりに視線を中空へ投げた。
「いや…………蒼姫様ならね、そんなことは一切気になさらずに引き受けて下さると、私も思うのですがね。
ただ、コウ様が蒼姫様のご友人として屋敷に逗留しているというだけで、あることないこと書き散らしたビラが、早くも巷に出回っている始末なんです。できれば、これ以上余計な誤解を生じさせないためにも、別の方にお願いできればと思うのです」
「なるほど」
俺はがっくりと項垂れた。何だか思ったより、解放までの道のりは険しそうだった。
俺は改めて、悩むクラウスに尋ねた。
「その、クラウスには頼めないか? こんなことになっちゃったし、事の重大さもまだきちんとわかってないのに、申し訳ないんだけど」
「俺ですか」
「うん。できる限りの埋め合わせはしたいと思うんだけど」
「構いません、と、即答したいところなのですが」
クラウスは渋面を作ると、歯切れ悪く続けた。
「実は、それには俺の上司の承諾が要るんです。騎士団員というのは、教会預かりの身分なので、自由には動けないのです」
「…………上司と言いますと」
「ご存知の」
「ええ、グラーゼイ?」
俺は思わず頬を引き攣らせた。これまで知り合った数少ないサンライン人の中でも、グラーゼイなんて、最も借りを作りたくない人物であった。
「えー…………それ、どうしても必要なの?」
煮え切らない俺の問いに、クラウスは肩をすくめた。
「ええ。隊長をここに呼んで、事情を説明する必要があります」
俺が黙り込むと、クラウスも難しい顔で俯いたきり、口を噤んだ。
俺は途方に暮れて、ふとナタリーの方を見やった。
ナタリーは退屈そうにあくびをし、ぼんやりとした眼差しで事務室の中を見つめていた。いつからか、酒盛はだいぶおとなしくなって、歓声の代わりに、カードで遊ぶボソボソとした声がたまに聞こえて来るだけになっていた。
やがてクラウスは顔を上げると、決心したように言った。
「まぁ、しかし…………仕方ありません。色々と考えてみましたが、他に手は無いでしょう。今から隊長を呼んできます。この時間ならもう宿舎に戻っているはずですから」
俺は行こうとするクラウスを引き留めようとして、しかし、力無く肩を落として見送るしかできなかった。
「頼むよ」
俺が声を振り絞って言うと、クラウスは振り向いてちょっとだけ手を挙げた。彼はそのまま、自然な流れでナタリーに話し掛けた。
「ナタリーさん。ちょっと外に出ます」
「どこへ行くんスか?」
「騎士団の宿舎です。彼の身元を引き受けるのに、サインをもらわなくてはならない人がいます」
「わかりました。じゃあ、もうしばらく門を開けておくね」
「ありがとうございます。いずれ、お礼に伺います」
「いいよ。仕事だし、当然のことだし」
俺は爽やか笑顔のナタリーを横目に眺めつつ、暗い気分にズルズルと引きずり込まれていった。
あーあ、何て惨めな夜なんだろう…………。
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