第44話 リーザロットのお屋敷探検。俺が部屋へと案内されること。

 お茶会がお開きとなった後、俺は今晩泊まる部屋へと案内されることとなった。


「グラーゼイとフレイアは、今日は教会へ戻りますか?」


 リーザロットは部屋の戸の傍らに立つフレイアらに尋ねた。


「はい。我々は明日の慰霊祭の警護を担当しますので、今晩の屋敷の警護には別の者が当たります」

「わかったわ」


 リーザロットはグラーゼイとフレイアとを見比べると、微笑んで付け加えた。


「二人とも、帰ってからも、くれぐれも喧嘩をしてはいけませんよ。これは私とコウ君からの命令です。どうか仲良くやってくださいね」


 フレイアが「はい」と答える一方で、オオカミ男の方は捨て台詞じみた言葉を「俺に」投げてよこした。


「わかりました。お二人のご恩情に感謝いたします。…………我々は今後とも、魔術の心得ある身として、大切なお客人のために、精一杯尽力していく所存です。我々はいつ、いかなる時も、いかなる相手に対しましても、力ある者としての誇りと責任を持って、仕事をいたします。我々の責任など、「勇者」様の重責とは比べるべくもないですが、我らには矜持がありますので…………。

 どうぞお客人は何も気になさらず、我々を頼んで、ただ楽にして頂けたらよろしいでしょう」

「…………よろしくお願いしますね」


 リーザロットが俺に代わってやんわり流すと、二人は静かに退室した。俺はリーザロットの隣で、去り際のフレイアにこっそり念話を送った。


(さようなら。ありがとう)


 フレイアははにかんだ笑顔でちらと俺を振り返り、ちょっとだけ頭を下げてから戸を閉めた。

 次に彼女に会える日はいつになるかなと、俺はすでに楽しみにしていた。別にこれからあの子とどうこうなろうというつもりはなかったけれど(さすがにそんな期待はおこがましい)、俺はフレイアと話す時間がすっかり好きになっていた。


 二人が出て行って部屋が静まると、リーザロットは俺を見ながら、両手を少女のように顔の前で合わせて言った。


「さぁ、では参りましょうか。コウ君はきっとお疲れでしょうから、今日はもう休んでいただけるように部屋を整えておきました」

「ありがとうございます」


 答えつつ、俺はまたどこか雰囲気が揺らいだリーザロットの様子を、まじまじと観察していた。もしかしたら、魔術師に限らず女の子って、実は皆こんな感じなのかもしれないと思い始めていた。

 俺は紛れもない美人と二人きりになって…………改めて見ると、リーザロットは本当に非の打ちどころのない美人だった…………どぎまぎしながら、言葉を継いだ。


「あの、それで、俺はこれから、その部屋を使わせていただけるということなんでしょうか? それと、まだこれから先の予定が見えないので、良かったら後で、ざっくりとだけでも話を聞かせてもらいたいんですけど」


 リーザロットはまた指先でひらりと指揮をして、部屋の戸をゆっくりと開きながら答えた。


「わかりました。今後のことは、夕食の時にでもお話ししようかと考えていたのですが…………もっと早くの方がよいですか?」

「ああ、いいえ。それなら、その時で大丈夫です」

「わかりました」


 リーザロットは頷くと、それからちょっと考えるようにして小首を捻った。


「コウ君は、敬語の方が話しやすいですか?」

「え? いや、いいえ。でも」

「では、やめにしましょう。実は私も苦手なの、この話し方。ただでさえ人見知りなのに、もっと人と話しづらくなってしまう」

「はい…………」


 俺は戸惑いつつ、目の前の女性が軽く肩をすくめる仕草を見つめた。リーザロットは、見た目からは中々歳がわかり難かったけれど(俺よりかは若い気がするのだが)、話しぶりからするに、案外まだフレイアと大差が無いのかもしれなかった。


 リーザロットは裾のきれいに伸びた菫色のドレスを優雅に翻して、廊下へ歩き出した。俺は彼女の後について、話に耳を傾けた。


「フレイアたちはね、いつも私の警護をしてくれているの。彼らは玉座の主に信仰を誓った「白い雨」の騎士で、信仰を守るためだけでなく、三寵姫の側役としても、剣を振るうのよ」


 俺は豪華絢爛な廊下を歩き進みながら、所々に立つ等身大のくるみ割り人形を見つめていた。彼らは相変わらずピクリともしなかったが、慣れてくると、みんな温かみのある顔をしているんだとわかってきた。


「この子たちのことが、聞きたい?」


 どうやって勘付いたものか、リーザロットは俺が直前まで見つめていた一体の人形の前でぴたりと立ち止まった。

 俺はちょっと面喰らいつつ、遠慮無く尋ねた。


「魔法のからくり人形的なものなんですか…………? いや、そもそも「物」なの? 何だか、表情があるような気がして」


 俺の問いに、リーザロットは華やかな笑顔を作った。


「そう! この子達、「生きている」人形よ。この子達が屋敷の世話をしてくれているの。一つ一つ、私がこだわって丁寧に作り込んだのよ。違いに気付いてくれたのなんて、あなただけだけどね。あまり強くはないから、護衛はフレイア達に頼んでいるというわけ」


 リーザロットは人形の頬を優しく撫でながら、また俺を見て続けた。


「この子達には、コウ君の言うことも聞くように言っておいたから、何でも気兼ねなく命じてね。だけど、あんまり辛く当たらないでくれると嬉しいわ」

「そんなことはしないよ」

「うん、コウ君は大事にしてくれそう。中にはひどい人もいるのよ。「物」だと思うと、急に扱いが変わってしまうような人」

「わかる気がする。そういう人、オースタンにもいっぱいいるよ」

「あなたがそうでなくて嬉しい。…………わからないって怖いことだもの」


 俺はあどけなささえ漂うリーザロットの笑顔に、ひんやりと底知れない寒気を感じ取った。それは明らかに攻撃的な、仄暗い憎しみのこもった感情のそよ風だった。つい圧倒されて俺が二の句を次げないでいると、リーザロットは若干慌てた様子で、いたずらっぽく言葉を重ねた。


「あっ、ああ…………ごめんなさい。最近嫌なことがあったものだから、思い出して少し気分が滲んでしまったようだわ。不便な体質なの、私。気を付けていないと、いつも魔力が染み出てしまう」


 俺は「いや」というよくわからない相槌と共に首を振りつつ、おずおず尋ねた。


「ところでその、嫌なこと、って?」

「それはね、大した話じゃないのだけど」


 俺は再び歩き始めたリーザロットに従って、入り組んだ屋敷のさらに奥へと進んで行った。屋敷の地図がなくてはいずれ迷ってしまいそうだった。

 リーザロットは緩やかに足を運び、滑らかな調子で話していった。


「…………1カ月ぐらい前に、ある偉い人をこの屋敷に招いたの。本当はすごく嫌だったのだけれど、琥珀がね、一人前の魔術師ならばどうしても仲良くしておきなさいとしつこく言うから、仕方なくね。

 そのお客さんは、霊薬の薬屋さんだった。他にも何か凄そうな肩書をたくさん並べていたけれど、あんまり興味が無かったわ。魔術師としてよりも、商人として生きていきたいんだって、何でかやけに力を込めて話していたのだけ、覚えています。

 気障なわりに、居丈高で、少しも好きになれそうにない人だった。言葉や態度こそすごく丁寧だったけれど、実際は私のことをすごく軽く見ていたのでしょう。「たまたま運に恵まれただけの小娘」って、顔にありありと書いてあったから。

 そもそも彼は、この屋敷に私以外の人間がいないことに、ひどく憤慨していたの。勿論表立って言いはしなかったけれど、もう露骨に態度に出ていたわ。私にぶつけるべき苛立ちを、代わりに人形達にぶつけていた。「なぜできない」「役に立たない」「出来損ない」「所詮、人形だ」。彼は自分が雇っている子にするみたいに、ずっと人形を罵り続けていた。とても嫌な光景だったわ。

 彼は、自分以外のもののことを信用できなかったの。そして、自分の力が及ばない、自分の知らない世界では、たった一晩眠ることさえできなかった。

 …………わからないって、怖いことよね。

 魔獣だらけの海の真っ只中で、浮き輪もなしに、その身一つで必死で浮かんでいるようなものだもの。

 …………本当はね。私にだって、目に見える力――――例えば、お金だとか、武器だとかに縋りつきたくなる彼の気持ちが、わからないでもなかった。

 私は、たまたま魔力に恵まれていたけれど、もしこの力がなかったら…………いえ、力の無い人なんて、本当はどこにもいなくて、ただ「わからない」人が大勢いるだけなのだけれど…………何をしでかしてしまうか、想像もできないもの。ひとりぼっちって、途方もなく恐ろしいことだもの。

 私は彼に、それとなく忠告したわ。人形は生きているのよ、って。私はあの子達を大切にしているから、大事にしてあげてね、と。

 でも彼には、それがどうしてもわからなかった。最後まで、自分の世界から出ることができなかったの」


 俺は先の読めない話に黙って聞き入りながら、手すりにまで細かな装飾の施された螺旋階段をゆっくりと一段ずつ、下って行った。リーザロットの歩みが遅いおかげで、眼下のホールの内装が細かく観察できた。


 部屋の壁面には、トレンデの娼館で見たような、少し変わったペイズリー模様がみっちり描かれていた。所々には雄々しい竜の紋があしらわれており、その周囲には必ず例の「瞳の詩」が円状に記されていた。


 四方に飾られた絵画は全て抽象画だった。どれも茶色や灰色を基準にしたパステルカラーのもので、落ち着いた雰囲気の中に、ほんのりと甘やかな明るさがあった。

 ホール中央に置かれた彫刻は、どうやら花や木といった植物をモチーフにしているようであったが、静物とは思えないほどの躍動感があって、何だかいっそ、囚われた動物のようにも見えた。


 それから、一瞬、ホールの床の格子模様が魔法陣みたいに見えて、ゾッとさせられた。落ち着いてみれば、単なる大理石のタイルに過ぎないとわかるのだが、そう思い込ませるだけの空気がホール中に満ちていた。

 俺がホールに降り立った時、リーザロットがこちらを振り返った。


「この部屋の調度をよく覚えていてね。コウ君が部屋へ帰る時の目印となるから」

「え?」


 聞き返す俺に、リーザロットが説明を加えた。


「細かくでなくても構わないから、どこに、どんなものがあったかを確認しておいて欲しいの。この場所はコウ君の部屋を守る結界になっていて、あなたや私が認めた人以外は、自動的に牢へ誘導する仕掛けになっているの」

「牢?」

「そういう場所があるの。どう、覚えられそう?」


 俺はもう一度空間を見渡し、最後にまたリーザロットに視線を戻して頼んだ。


「できればメモが取りたいな。うっかり忘れそう。間違い探しって、結構得意なんだけど、それでも不安になってきちゃうよ」


 リーザロットは大きな瞳を一度瞬かせると、俺の切実な願いをあっさり退けた。


「大体覚えられたなら平気よ。魔術って、感覚的なものだから。それに、もし違和感があったら、先に進まずにその場に留まっていればいいだけよ」


 俺は踵を返すリーザロットを追って、またすごすごと歩き出した。ホールを出た後は、また長い廊下だった。


「そう、すっかり忘れていたのだけれど」


 前を行くリーザロットがぽつりと呟いた。


「コウ君にはまず、屋敷の説明が必要だったわね」

「屋敷の、説明?」

「ええ、防犯の話」


 リーザロットは首だけで俺を振り向くと、まるでトイレットペーパーの保管場所でも語るみたいに、さらりと話した。


「この屋敷には古い術がかかっていてね、家主とその家族以外は基本、一度入ったら二度と出られないようになっているの。古過ぎて誰にも解けない術で、長いこと持て余されて放置されていたところを、私が買い取って住まいにしたのよ。

 一応、一通り探検して順路は作ったのだけれど、まだ危なっかしい箇所も多いの。ですから誰かお客さんが来るときは、迂闊に迷い込むと危険なので、誘導役も兼ねて人形達に立っていてもらっているの」

「…………はぁ」


 俺は廊下の左右に立つ人形を見て、それからもう一度リーザロットに目を戻した。リーザロットは場違いに優しい笑顔を浮かべて、続けた。


「だからね、もし外へ出る時は、人形がいない所には行かないようにしてね。迷子になったら、私も頑張って探してはみるけれど、見つからないこともあると思うから」


 俺は「わかった」と頷きつつ、絶対に部屋からは出ないようにしよう、と引きこもりの誓いを立てた。


 それから俺達はしばらく歩き続けた。見かけ以上に広い屋敷であるようだった。


「薬屋さんの話の、続きを聞かせてよ」


 俺が切り出すと、リーザロットはちらりとだけ俺に蒼い眼差しを向けて、話を再開した。


「ああ…………そうだったわね。まだ途中でした。実は――――その人ね、この屋敷で迷子になってしまったの」

「へ?! マジ!?」

「そう、本当。…………彼ね、夜中にこっそりと人形を解体しようとしたみたいなの。仕組みが知りたいなら、聞いてくれればすぐに話してあげたのにね。何か、未知の技術が詰まっているものと勝手に勘違いしてしまったのかしら…………? もしくは、さっきも言った通り、単に怖かったのかもしれないわね。自分の知らないものや、よくわからない術で自分を包み込んでくる、私という存在が…………。

 そうして翌朝、私は彼の姿が消えているのに気付いたの。人形の結界を破ったせいで、間違えた方向に行ってしまったのでしょう。彼の姿は、今も見つけられていないわ。

 …………私、すっごく怒られたわ。琥珀に。彼の家族に。その他にも、彼のお店の人とか、取引先の人とか、色々な人達に。

 でも私からしてみれば、きちんと注意もしたのに、それを破られて、あげく大切な子をあんな風に滅茶苦茶にされて…………だって、一度壊れたらもう直せないのよ? 生きているんだから! …………それなのに、ちっともわかってもらえなかった。彼が偉い人だからっていう、よくわからない理屈だけで一方的に叱責されて、ちっとも納得ができなかった。

 それで、少しは彼にも同情するけれど、私は怒っているというわけなの」


 俺は憤る彼女の背に、そしてとりわけ、あちこちに健気に立つ人形達に注意を配りつつ、


「大変だったね」


と、短い、精一杯の感想を述べた。

 リーザロットはいきなりくるりと振り返って立ち止まると、上体を思いきり俺に近づけて、言った。


「私は、悪くないわ。

 ましてや――――怖い人間でも、残酷な人間でもありません。

 悪いのも、恐ろしいのも、凄まじいのも、みんな、臆病な、わからずやなのよ!」


 俺は彼女の唐突な、子供っぽくすらある勢いにたじろぎ、息を飲んだ。

 俺はただただ、リーザロットのドレスの胸元からのぞく白い肌の隆起に、目をチカチカと眩ませるばかりだった。

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