第二十六話 コネ

 小熊は脱脂していないウールのカーディガンを受け取った。同級生が制服の上に着ているような薄いカーディガンより重い。

 あまり気が進まないが、すこし臭いカーディガンを袖に通し、体のサイズに合っていることを確かめた小熊は、脱いで椎に差し出した。

「え?」

 椎の顔に疑問符が浮かんでいる。

「これでライナーを作って」

 椎は体の前で手をぶんぶん振りながら言った。

「え?私てっきり小熊さんは裁縫が出来るのかと、バイクの整備とかも詳しいらしいし」

 なんで縫い物をカブのパンク修理やオイル交換と同列にされるのか、小熊にはわからなかったが、バイクを知らない人間にとって、それを整備出来る人間は何でも作れる魔法の手を持っているように見えるんだろうか。


「出来ない」

 小熊が一言で返すと、椎は困惑した様子で後ろを振り返る。

「パパっ!」

 椎の父も娘と同じ仕草で手を振りながら言う。

「無理無理、私はボタン付けくらいしか出来ないし、ママはそれも出来ない」

 椎は救いを求めるように礼子を見た。

「え?服って数値通りカットして接着すればいいんじゃないの?」

 こっちも駄目な様子。洋服型紙のラインは機械部品と違い、数値化できない曲線で出来ていることも、通販で時々見かける衣料補修用のボンドが力のかかる部位では全く役に立たないことも知らない。

 

 ウールライナーによる防寒対策は、肝心の製作者が居ないことで頓挫した。椎は自らが自信を持って出した案が無為に終わりそうな状況にすっかり意気消沈している。

 小熊はカフェスペースのテーブルに放り出していた、テーブル布巾より汚いカーディガンを手に取って立ち上がった。

「今から学校に行こう」

 椎が顔を上げる、礼子も興味を持った様子。椎の父が小熊に聞いた。

「何か思いついたことがあるのかな?」

 小熊は自分の力ではどうにもならないカーディガンを手に持ちながら言う。

「可能性が高いとはいえないけど、これを焼却炉で燃やすよりはマシな方法があります」

 礼子は外に出て、自分のハンターカブから後部ボックスを外している。今から学校までの往復。自転車のスピードに合わせていたのでは間に合わない。

 小熊は椎の父に、ヘルメットを持っていないか聞いた。


 椎の家から学校まで、赤と緑の二台のカブが連なって走る。

 先行しているのは礼子。後ろの荷台に小熊のショウエイ・クラシックのヘルメットを被った椎を乗せている。

 礼子は後ろの椎が悲鳴を上げるのを楽しむように、無駄な急加速や蛇行をしている。椎が中学時代に使っていた自転車用ヘルメットを被った小熊は自分のカブで後を追った。後部のボックスには、これからの寒さ対策の鍵となるかもしれない未脱脂ウールのカーディガンが入っている。 


 学校に着いた小熊は職員室に入り、お目当ての教師を探した。職員室には不在だったが、その教師の机に貼られた予定表によれば、部活の部室に居るらしい。

 そのまま職員室から部室へと行く。小熊の記憶では部員不在で休止中の部活、その顧問教師は、小熊とは奨学金の相談等で顔見知り程度の中途半端な関係。

 部室のドアを開けると、教師は居た。部員の居ない部室で資料の整理をしていた。

「失礼します。ご相談したいことがあります」

 休止中の手芸部で一人だけの活動をしていた顧問教師は、いきなり乱入してきた三人の生徒に面食らっていた。


 小熊はカーディガンを手に、現在置かれている状況をかいつまんで話した。このカーディガンをライナーに仕立て直せないと凍え死んでしまうかもしれないと言った時には、教師は大げさすぎるといった表情で笑ったが、冬にバイクに乗る人間にとって。凍死は決して縁遠い話ではない。

 突然の頼みを引き受けるにしろ断るにせよ、とりあえずは材料を見てからと言った手芸部の教師は、小熊が無造作に差し出した、日本では珍しいアヴラッシヴ・ウールのカーディガンを見て表情を変える。

 椎がジャケットのライナーとして役に立たないなら捨てると言うと「勿体無い!」と金切り声を上げた。

 手芸部の教師は小熊の頼みを請けてくれることとなった。生徒の身体、生命に関わる事という理由もあったが、クラフト系の趣味の人間は、自分の作った物がお部屋の飾りではなく、実用に供する物として使われる機会を待ち望んでいる。物の性質がはっきりと現れる場で、優れたハンドメイドは高価な既製品を上回るということを実証したがっている。

 

 素材や生地ではなく、既にカーディガンとして完成しているウールをライナーに仕立て直す作業はあっさり終わった。

 手芸部教師は短い作業時間の中で、このカーディガンを作ったどこかの職人に敬意を払いつつ、それを打ち負かそうという勢いで指を動かしていた。少なくとも小熊にはそう見えた。

 小熊のライディングジャケットに胡桃材のボタンが付けられ、カーディガンはジャケットの裏地にボタンで取り付けるライナーになった。余り布で小熊の革手袋を型紙替わりに、礼子のウール手袋も作られる。

 まだ少しウール地が余ったので、手芸部の教師は椎の持っているポットのカバーまで作ってくれた。一度手を動かし始めると材料が尽きるまで止まらないタイプらしい。

  洗剤で洗うと脂が落ちてしまうので、洗った後でオリーブオイルを溶かしたお湯に漬け込むように、と、未脱脂ウールの扱い方をあれこれと教えたがる手芸部教師に礼を言った小熊は、夕暮れの部室を出た。

 

 新旧を問わず手間のかかるバイクや車を維持している人間が口を揃えて言うのは、乗り続けるために必要なのは金と技術、そして各所とのコネクション。

 バイクの部品も整備ノウハウも、スーパーやコンビニで買うように手に入れられる物だけとは限らない。

 また必要な物があったらいつでも言ってほしいと言いながら手を振る手芸部教師に頭を下げながら、小熊は自分の人間関係というものが、スーパーカブに乗るようになってから随分広がったことに気づかされた。

 小熊は後ろを振り返る、揃いのウールで作られた手袋をはめた礼子と、ポットカバーを持った椎、いつの間にか一緒に居るようになったこれも人間関係なんだろう。

 今まで苦手としていた人付き合いも、カブのためならばイヤじゃないと思いながら、ウールライナーの付いたライディングジャケットを羽織る。

 今まで薄っぺらで頼りなかったものが、今は暖かい。

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