スーパーカブ2

トネ コーケン

第一話 晩秋

 高校の修学旅行が終わって数日、小熊は代わり映えのしない日々を過ごしていた。

 乗り遅れた修学旅行バスをカブで追いかけるという珍事も、今となっては幻のように思える。

 いつも通りの時間に目覚めた小熊はラジオを点け、Tシャツとショートパンツを脱ぎ捨ててユニットバスに入る。夏の間は日課だった水のシャワーを浴び、予想外の冷たさに思わずお湯の蛇口に手を伸ばそうとしたが、手を止めてそのまま冷水を浴びる。

 セミロングのため乾燥に時間のかからない髪に手早くドライヤーをかけ、下着と制服を身につけた小熊は、焼かない食パンにバターを塗り、お湯で溶いたインスタントコーヒーと牛乳を半分ずつ入れたカフェオレを作る。

 

 食パンと温いカフェオレと礼子から貰った青リンゴ。いつも通りの朝食を終えた小熊は、立ち上がって教科書の入った帆布のディパックを手に取りながら玄関に向かう。

 下駄箱の上に置かれたカシオのデジタル腕時計とキーリングを手に取った小熊は、玄関横に架けてある赤いライディングジャケットに手を伸ばしかけたが、自分の着ている制服のブレザー上着を見て、これで充分と思いながら布製のバッシュを下駄箱から出す。

 

 バッシュの紐を結んだ小熊は、玄関横に置いてあるヘルメットと革グローブを掴んでドアを開けた。

 駐輪場に行き、カブのワイヤーロックを解除して、タイヤとオイルの簡単な点検をした後、キックレバーを起こしてエンジンをかける。 ここ数日、一回目のキックではエンジンが始動しないことが多くなった。


 その日もカブのエンジンはパスンと情けない音をたてて始動を拒んでいる。ハンドルの左側にある寒冷期始動用のチョークレバーに触れた小熊は、チョークを引く前にもう一度カブをキックした。

 カブのエンジンはまた始動をイヤがるような兆しを見せたが、小熊がカブの襟首をシメ上げるように、スロットルをほんの少し捻ったら一瞬不安定な燃焼を見せた後、問題なく始動した。


 先ほどの始動不良を誤魔化すように、スムーズなアイドリングをしてみせるカブに一つ頷いた小熊は、ヘルメットとグローブを身につけ、カブを発進させた。

 日野春駅近くアパートから七里岩の曲がりくねった坂道に入った小熊はスピードを上げる。途端に南アルプスの風がブレザーの襟から入り込んできて、胸から背にかけて無遠慮に吹き抜けていく。


 風は冷たいけど、今はまだ秋。

 カブだって、まだ冬じゃないと言っている。

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