第2話
生きて苦難を乗り越えれば、人はイカレちまう。
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私も彼も、何処かでそう思う。今でも。
紙幣に描かれる人物と言うのは、その国に偉大な功績を残した人物なのだろう。一万円札には福沢諭吉。私は『学問のすすめ』しか読んだことは無いが。
ちょっと話が逸れるが、私は盗作に関わる話がとても嫌いだ。いくつかの事態を見たが、どれがどのくらい似ているか、どの程度なら許容されるのかがまるで解らない。
周囲の人間はわからないからいろいろ語っているようだが、今思えば、彼らは誰にも判断がつかず、誰にもわからないであろうことを、誰かが完全に理解し、完全なルールを作り、その運用の安全と責任を全て負うことが可能であり、それがすでにどこかにあり、それが現れていないことを責めているようだった。
だって、誰も『こうしてみたい』って言わないんだもん。
尚且つ、私はあらゆる作品の中から『同じ』ものを発見することが多かった。それを密かに楽しんでいたのだ。そして、いざ自分で何かを表す段階になると非常に恐ろしくなる。何をやっても他人の模倣に見えてしまうのだ。やればやるほど、同じものが見えてくる。それはどうも他の人にもわかるようで、『ここが同じだ』ということは何度も言われた。そしてけなされた。口汚くののしられたのだ。
話は戻るが、この『学問のすすめ』は引用、もしくはアレンジから始まるという。
天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず
というものだ。これはアメリカの独立宣言から持ってきたらしい。何で私のはダメでこっちはいいのか? と思ったものだが、この本はとても良い内容だから私は気分がよくなった。だからいいんだろう。きっと、そういうものだ。
この本に書かれていることは『学問』であると共に『実利』に関することだった。私が時代劇から憧れた宮本武蔵の『五輪書』と同じところがあるように思う。というか、江戸時代前半に記された『五輪書』を、明治時代に合わせて記したもの、と捉えてしまう。『五輪書』にも繰り返し現れるのが『役に立たぬことをせぬこと』とある。きっと、時代は違っても志が似ていたんだろう。
『学問のすすめ』には私の名である『自由』についても書かれていた。
自由と我儘の境は、他人の妨げをなすとなさざるとにあり
とある。なるほど、わかりやすい。見事なまでに簡潔に表している。
最も、これは今現在思う事で、最初にこれを読んだときは『他人の妨げ』とは何か? 自分と他人の行為の境とは何か? それをどうやって測るのか? そんな疑問がたくさん湧いてきた。繰り返しやるのは何事にも効果的なのだろう。
今読むと、少し笑ってしまうところもある。
すべて御用の二字をを付くれば、石にても瓦にても貴きもののように見え、世の中の人も数千百年の古よりこれを嫌いながら、また自然にそのしきたりに慣れ、上下互いに見苦しき風俗をなせしことなれども、畢竟これは法の貴きにもあらず、品物の貴きにもあらず、ただいたずらに政府の威光を張り、人を脅して、人の自由を妨げんとする卑怯なる仕方にて、実なき虚威というものなり。
(漢字などが違うところもあるが、全く同じにするのは時流に逆らうような気もするのでこうしてみた。原書はきっとこの先も手に入ると思うので、なにとぞご容赦を)
なるほど、私の傍でも結構見受けられた状況だ。所謂『親方日の丸』というものだろう。明治新政府が出来たころからこの手の事が叫ばれながらも、どうにも上手く行かなかったということだろうか?
そして、その先の『平民の覚悟』というところには、
わが身分を重きものと思い、卑劣の所業あるべからず
とある。
つまり、徳川幕府が倒れて全ての日本国民は平等であるとなされたのだから、政府も市民も上下は無い。ならば、自分も政府に匹敵する存在である。それなら、乱暴狼藉は許されないぞ、と言っているのだろう。ズシンと来る言葉だ。反省せねば。
その先にも、色々とズシンと来ることが書いてある。
仮に人民の徳義今日よりも衰えて、なお無学文盲に沈むことあらば、政府の法も今一段厳重になるべく、もしまた人民みな学問に志して、物事の理を知り、文明の風に赴くことあらば政府の法もなおまた寛仁大度の場合に及ぶべし。
とある。この辺は彼と話し合ってみた。
私は『私が良い行いをして、悪い行いをしなければ、世界は少し良くなるんじゃないか?』と言った。彼は、『それは間違いではない。だが、絶対の正解ではない』と言った。
彼が言うには、
この世界にはどうしても不条理というものが存在してしまう。それが生じる理由は、誰かが苦しい思いをしてしまったからなのだろう。だが、その不条理の中を生きていくためには何らかの悪を行う事も必要になってしまうときがある。その際の寛容さを学ぶことが出来たらいいと思うが、これも難しい。どうしても状況は動き続ける。変わらないのも難しいし、変わることも難しい。そんな中での『実利』だと思うが、どうだ?
私はその通りだと思った。だから、彼に応えつづけた。
『実利』をとるなら、『後悔しない』ことだと思う。私、どうにか前に進むよ。
彼は笑ってくれた。
後で『五輪書』を読み返すと、『我、事において後悔せず』としっかり書いてあった。顔から火が出ちゃったよ。一人だったけど。
それと、
人民ももし暴政を避けんと欲せば、速やかに学問を志し、自ら才徳を高くして、政府と相対し、同意同等の地位に登らざるべからず。
人にして人を毛嫌いするなかれ。
私は、この辺がどうにも引っかかっていた。嫌いっていうわけでもないんだけど、受け入れようにも上手く行かない。でも、彼と話しながらやっていくと、少しだけわかった気がする。これはきっと『自分で自分を貶めるな』ということなんじゃないかな?
そういえば、昔の五千円札に描かれていた新渡戸稲造という人の事もちょっとだけ調べたんだった。
彼はキリスト教徒だったようだ。その中の『クエーカー』と呼ばれる一派だったようだが、この辺はまだ知らない。だが『白鯨』で目にした気がする。
その中で日本の侍の切腹について語っていた。今思うと、作品として描かれる武士たちが潔く腹を切る、というのが恐ろしく残酷に見える。覚悟を持って刃物を持ったとしても、自分に向けるのとても恐ろしい。そして、自らに向けるほどに力が抜けていく。それほどに生命の力は強いのだ。あれほどのものを目にして、私は何を思っていただろう?
少し、酷い方向に向かってしまいそうだ。やめよう。だが、少し明るいものも書いておきたい。
美談として描かれる『忠臣蔵』だが、『実利』の面から考えると明らかに不合理なことが多い。当然物語なのだから、実利云々では通らない人の感情も多いだろう。それはいい。だから私が自己流の忠臣蔵を作ったとしても、それほど文句は無いように思うので、記してみたいのだ。
時代劇として描かれる赤穂浪士たちの奮闘だが、彼らへの援助が非常に多かったようだ。市民や商人、武家や公家までが援助に回ったと描かれることもある。そうすると、ちょっと妙に映るのだ。
浅野内匠頭が松の廊下で吉良上野介を斬りつけた理由は、朝廷からの使者を迎えるためのあれこれを吉良に教わる必要があり、その際にいじめを受けたから、ということらしい。
その当時は賄賂が横行し、授業料として何らかの金品を差し出すことも当然であった、という説もある。
だが、そうだとすると、私が描く人々の情景はこうだ。
色々と手続きの煩雑さはあるだろうが、浅野側が直接朝廷に連絡をとって
今度あなた方を江戸でお迎えするんですが、どうにか作法をさりげなく教えていただけませんでしょうか。
そして無礼な振る舞いがあっても、小言をちょっと頂くくらいに留めて、今後も仲良くやっていけませんでしょうか?
上下関係大変でしょうけど、お互いにどうにか平穏にやれたらいいんじゃないでしょうか?
などと訴えて、どうにか先手を打っておけばいいんじゃないだろうか?
見聞きする所によると、その当時の公家は相当に暇だったようだ。あんまりにも暇だから身分がどうのこうのと言うのは知ったことでもなく、商人や町人とも仲良くやっていたなんてことも聞いた。だったら、お金に困っている方々にやんわりと援助をお願いすることも出来たように思うのだが……まあ、そう上手くも行かないか。
(続くかも)
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