第213話
時雨と真那を旧東京タワーに移送したのち、その地下にあたるジオフロントでは彼らの監視と安全面の確保のための作業が行われていた。
と言っても監視体制の作業は殆どない。真那の動向に関しては動作識別だけで事足りるからだ。真那の肩入れしがちな存在ではあるものの時雨による定期連絡もある。問題なのは防衛対策である。
地下にあるジオフロントに比べて、地表から高さ三百メートル以上までそびえる東京タワーは敵勢力の襲撃に対応しにくい。そもそも旧東京タワーからジオフロントに管制施設を移動させたのは、前者の防衛システムがずさんなあまり
「スファナルージュ、旧東京タワーの改築はどういった形で進められていたかを確認したい」
ジオフロントの
「皇指令か……先にこの場を他のものに任せたい」
彼は長いブロンドを揺らしながら踵を返し他の隊員に現場指揮権を移譲する。その立ち居振る舞いからもその高貴さがにじみ出るが、話しかけたのが棗ではなく烏川時雨であればその対応は変わってくるはずだ。
「それで改築ということだが、それはアイドレーター襲撃後の修繕も兼ねた改築作業のことで間違いはないな。あの作業の監督は正確には私ではなくシエナ様にあった。それ故に細かい改築内容に関して触れられれば答えられないが……」
それに棗は構わないと短く返す。大事なのはタワーに襲撃があった場合時雨らに危険が及ばないかどうかだ。対してルーナスはそれに関しては問題ないと東京タワーの立体ホログラムを送信してくる。
「まずジオフロント設営に伴って地盤強化の実施とと敵感知システムの設計が行われた。施設に近づくものを半径150メートルに渡って探知することができる」
「そんな物がありながら、妃夢路首謀のU.I.F.襲撃を探知できなかったのはなぜだ」
「これは地上のタレット設置区画に一定間隔で配置されている。だがソナー設備のために地下への影響力が少ない」
たしかにそんな話を聞かされた記憶がある。それ故にU.I.F.襲撃後、地下を経由した襲撃対策として地震観測網と同じ観測機による感知システムの構築が行われたのだ。
「とにかくこのシステムの設置により地上からの接近には事前に気がつける」
「敵が襲撃を仕掛けようにも地下運搬経路を経由する必要があるわけだな」
「しかしなぜそこまであの二人の安全管理に努める?」
ルーナスの疑念も当然だ。防衛省の連中が時雨と真那だけを狙い撃ちにしてくるとは考えにくい。襲撃するなら総司令である棗の陣取る本拠点に攻め入るのがセオリーだ。しかし防衛省にはセオリーの型にはまらない存在がいる。
「先日まで烏川と聖は件の迷宮施設に隔離されていた。あの施設が烏川を隔離するためのものであることは明白だが、聖だけがあの場所に招かれる形になったな。このことから聖もまた施設の設計者に狙われているのではないかと俺は考えている」
佐伯・J・ロバートソンが防衛省長となり、それによって
「あの施設設営の目的は不明瞭だが、デバックゲートの展開をもって烏川たちを殺害しようとしていたことは明白だ。それが失敗したと知ればまた襲撃を企てるかもしれない」
「たしかにそれは言えているな……了解した、シエナ様にもこの話をして二人の防衛システムの強化を進めておく」
「こちら情報局、指令、応答願います」
ルーナスへの用件が済むと同時に昴の声が無線越しに届く。確か彼と酒匂にはLOTUSのアクセス権限を有するデバイスの解析を再開させていたはずだ。ネイの消失に伴い解析は難航している様子だったが。
「皇だ、なにか解析できたのか」
「いえ、そういうわけではありませんでな。ソリッドグラフィを観測していた班から伝令がありまして」
「説明するより実際に見て頂いたほうが確実ですので、すぐに管制施設にまで着ていただけますか」
酒匂と昴に促されるようにして棗は管制塔まで急ぐ。そこには既に数人の構成員が待機しており、皆一様に緊張にこわばった表情で出迎える。
棗の入室を確認するなり酒匂は卓上に展開されるソリッドグラフィの表示範囲を、リミテッド全域の狭いものから世界規模に変える。世界全土を表示できるわけではないが、人工衛星を用いた観測であるため広範囲の状況を表示できる。
酒匂たちに要件を伝えられるまでもなく、彼らの伝達事項の内容を棗は理解する。ソリッドグラフィの表示する洋上には赤いモヤのようなものがかかっている。それは太平洋の三割ほどを覆い隠しており、今にも陸地にまで侵食の手が及ばんとしていて。
「この赤い表示……あたしの記憶が正しいなら、ナノマシンを表示していた気がするんですけど」
「珍しく正しく状況を認識できているようだな霧隠」
「ちょまっ、エンプロイヤー、それだとあたしが普段から見当外れなことばっかり言ってるみたいじゃないっすか」
「私語は慎め」
「これはただのナノマシンの表示ではないな。インフェクト型の素粒子結合の方式と異なっている……ウロボロスか」
幸正の言葉に皆の表情が曇るのがわかる。棗も同じ結論に至ってはいたが、改めて事実を突きつけられて心拍が早まるのを感じた。
「ええ。現行のインフェクト型であった場合、ここまでナノマシン濃度が濃くなれば、太平洋上にある時点で海中に溶け込んだ素粒子と結びついてノヴァと化します。しかしこれは粒子の群集という形を保ったまま拡充を続けている……」
ウロボロスで間違いないと思いますと昴は断定するのに対し、動揺のあまりに声を震わせる月瑠が待ってくださいよぅと静止をかける。
「前に見たときはせいぜい直径数キロ程度じゃなかったですか」
「自己増殖型のナノマシンである以上、海中の有機物を変質させて規模をふくらませる事はわかっていたことです……ただ問題なのは、規模拡張の速度です」
地球の海洋の三分の一を占める太平洋をここまで侵食しているウロボロス。あのナノマシンが人体に及ぼす影響はインフェクト型とは少し異なっている。
インフェクト型は人体構成物の大部分を占める炭素をナノマシンに変質させ、空気中に分散させる。それに対しウロボロスは分散させた肉体を飲み込み、自らの肉体の
「なによりその脅威性はナノマシン化する速度にあります」
インフェクト型による発症が数時間から数週間にかけての慢性的なものに対し、ウロボロスに呑まれたものは一瞬で肉体の構成要素が
「デルタサイトも効果がありませんしなぁ」
「こんなものがどこかに上陸すれば、またたく間にその大陸は焦土と化します。各国に配布されているデルタサイトはウロボロスに影響力を持たず、しかも有機物が乖離した瞬間にその脅威性は物理的に肥大する……」
グレイ・グーという事象が存在する。自己増殖性を有するナノマシンが地球上のバイオマスを用いて無限に増殖。これによって地球上を覆い隠しすべてをナノマシン化するという事象だ。
これはあくまでも仮設であり架空の設定であると言われてきたが、そうも言っていられなくなってきているのかもしれない。ウロボロスという観測しようのない未知を前に絶対に起こり得ない現象などないのだ。
「ウロボロスに関してだが、俺たちには現状どうすることもできない」
すべての視線が棗に集中する。世界の
「ウロボロスの存在が防衛省の手によって野に放たれた可能性がある以上、その対策を彼奴らがしていると踏む他ない」
「防衛省としても、各国が壊滅せしめられる状況は避けたいはずですからな」
酒匂の同調に
だがあれはあくまでも地球上のすべてが自分たちの手のひらの上で転がっていることを証明するための行動。制御の利かないナノマシンに世界を蹂躙されてはたまったものではないはずだ。
ウロボロスの行動を抑制する手綱はないにしても、なにか対応策は用意しているはずだ。情けない話ではあるものの今は防衛省の対策に任せる他ない。
「そうですね……それから、今回ここに集まってもらったのには他にも問題があるからなのです」
昴の言うことには太平洋上のナノマシン反応以外に、リミテッド内部でも別の反応が観測されたとのこと。
本来デルタサイトが配置されているリミテッド内でナノマシンが出現すること自体がありえない。しかしこれまでもデルタサイトを破壊されただとか、デルタサイトの周波数を妨害する電波が放たれたりと、幾度となくノヴァがエリア内に出現している。
今回もまたアイドレーターや防衛省の策謀による事案かとソリッドグラフィを伺うが、これまでのようなノヴァを表示するポリゴンは目視できない。
「どこに出現しているんだ?」
「特定の地区におけるノヴァの出現ではありません。全域です」
昴の言葉の意味を測りかねて再度ソリッドグラフィを俯瞰する。表示範囲を23区に狭めて観測しても、少なくともナノマシンの存在を示す赤い靄のようなものは見受けられない。
他の者たちも同じ疑念を抱いていたようで誰かが表示範囲を更に狭める。それにより全体が薄透明の青いポリゴンで形成されているはずのソリッドグラフィに、細かい赤い筋のようなものが走っていることに気がついた。
毛細血管のような極細の赤い繊維がリミテッド全域にクモの巣状に展開されている光景はどこか不気味で、同時にこれが何を意味しているのかに見当がつく。
「これは……何かを通じてナノマシン因子がリミテッドを循環しているのか?」
「はい。デルタサイトの破損等は確認されていないため、何かしらの手段を用いて濃度を維持しているのでしょうが……ノヴァの形状を象っていないところを見るに、従来のインフェクト型ではないと考えるのが筋でしょう」
つまり人体に害はないのかと確認する棗に昴は小さく頷いて返す。しかしナノマシンがリミテッド内に充満している事態を看過することなどできるわけもない。
「これはどういう手段で全域に及んでいるんだ? どうにも空気中に充満しているようには見えないが。この展開の仕方を見るに地下運搬経路か?」
「水道システムです。各区に水道本管が設営されておりますが、その全ては23区全域で繋がっておりましてな……」
「まさかこのような形で23区内を循環しているとは考えず、観測範囲を狭めずにいたため気づいていませんでしたが……いつからこのような状態になっていたかはわかりません」
ソリッドグラフィによる観測は酒匂と昴に一任している。これまでも日本海におけるナノマシンの水中濃度の上昇による貿易港への影響などを調査させていた。そのことからリミテッドの細かい部分にまで警戒の目を回す余裕はなかったのだろう。
この件で二人に責任の追求をするのはお門違いというもの。責任があるとすれば、それはリミテッド内部で起こり得る問題を予測できなかった棗にある。しかし今は自分の読みの甘さを嘆いているときでもない。
「水道システムということは、一般人が日常生活で消費する水道ライフラインに直結しているわけだな。今のところなんの影響も出ていないのか」
「すでに飲料水として殆どの市民が摂取してしまっているはずですが、今のところなんの問題も生じている様子は見受けられません」
「我々レジスタンスは万一に備えた貯水槽から汲み出される水を使っております故、我々の肉体の状態から影響を判断することはできませぬが……」
そう言って酒匂は小さなタンクを乗せた荷台を押してくる。彼の言うところによると内部には港区水道本管から直接回収した水道水が入っているとか。
「水道水からはごく僅かながらナノマシンが検出されましてな、その濃度は一般的な水道水に含まれる鉄分よりも薄いため、飲んでも誰も気付きますまい」
「実際問題今回ソリッドグラフィにて水道ラインにナノマシンが溶け込んでいることに気づかなければ、成分解析でもしない限りこれがナノマシンであることにもたどり着かなかったでしょう」
そもそも普通のインフェクト型ナノマシンとは分子構造から異なっているため、成分解析してもただの鉄分だと勘違いする結果に至りそうですが、と昴は肩をすくめてみせる。
「また今回の成分解析により、以前からリミテッド中に拡散されていた薬物……たしかスタビライザーと呼称されていましたか、あれにも同じナノマシン成分が含まれていることが判明しました」
スタビライザーといえば一般市民エリアにいつの間にか流通されていた薬物である。麻薬などと違って摂取しても半覚醒状態になってしまうわけでもない、誰が何のために流行らせたのか分からずにいた代物だ。
これを製造している可能性があるとタレコミのあった廃工場に時雨が潜入し、結果一成の策謀によって彼は捕らえられた。このことから防衛省がばらまいている薬物であると踏んではいたが、まさかナノマシンが混入していたとは。
「とにかく今は解析班の人員を増やしこのナノマシンが人体にどのような影響を及ぼすのか調べるんだ。水道局に確認し、どの区画からナノマシンを流しているのかも突き止めろ」
「レッドシェルター内部は一般市民エリアと各ライフラインを別にしているため、一般市民エリアのどこかであることはに間違いはないはずです」
「リミテッド全域に蔓延しているためもう既にこれを水道システムから取り除くのは難しい。したがって一般市民が馴染みやすいアルファサーバーを用いて、水道水の利用を控えるように報道するんだ」
流石にナノマシンが混入しているなどという広報はできないため、工業地帯の汚染された水が流れ込んでいるとでも流しておけば、しばらくは状況が悪い方向へ進行する事態は避けられるはず。
「スファナルージュコーポレーションの管轄内の貯水槽が、台場第四フロートにあります。あの貯水量なら、リミテッド全住民の一週間分の水道利用量くらいはまかなえるはずです」
昴にシエナへその旨の伝達をするよう指示し会議はお開きとなった。
◇
リミテッドには常に幾つもの防衛機構が張り巡らされており、外敵からの襲撃に備えられている。
ここにおける外敵要因となり得るものは、防衛省が世界掌握のために放ったナノマシン、また防衛省の意向に従わず反旗を翻す革命軍やレジスタンスなどと言ったものだ。
前者に関しては
23区とその外部との区境に設けられたイモーバブルゲートこと高周波レーザーウォール。そして23区全域地下にあるセキュリティゲートの奥に無数に配置されているデルタサイト。これらがあることで従来のナノマシンに対応ができる。
問題は後者にある。現状レッドシェルター周辺の蜂起軍の大半はU.I.F.によって鎮圧が完了しているものの、未だその残党や最大の懸案事項であるレジスタンスが活動を続けているのだ。
旧東京タワー地下の開拓によって生まれた空間を改装した
レジスタンスの構成員数や軍需規模、提携している諸国の情報なども正確に把握できているものの、未だに防衛省長である佐伯・J・ロバートソンはその
そんな防衛省長の方針をよく思わない者は当然レッドシェルター内部にも多く、だがその殆どが発言権を持たぬために具申ができない。
「佐伯の野郎、ここまで綿密に計画を進行しといて、今更何を恐れてやがんだ」
しかし佐伯直下の直属部隊にもそういう犯行意識を抱くものはいる。その筆頭となるのがTRINITYの
「当然の判断だと思うけど、兄さん」
舌打ちと悪態をついた薫とは対象的に、彼の右耳にはめられたインカムからは冷静かつ肯定的な意見が飛んでくる。確認するまでもなく妹である
薫はインカムを指先でつついて妹を黙らせるなり、壁面のコンソールと圧力レバーを操作して大型輸送機の後部ハッチを開かせる。視界がひらけた瞬間に突風が吹付けたが、薫は吹き乱される自身の青く染まった髪をただすでもなく、落下しないギリギリの位置まで移動する。
上空2000メートル地点から見える水平線は絶景だ。台場メガフロートより先には膨大な海洋が広がっており、沈みかけた太陽が茜色の光を界面に反射させている。
しかし下方を見下ろせばレッドシェルターの工業地帯が広がっており、立ち込めるスモッグは人類の活動領域を侵食しようとしているようにも思える。
「
「台場貿易港での一件以降、
「……兄さんにしては的確すぎる指摘」
感心したような息を漏らす妹を舌打ちで黙らせる。
薫の言うように現状レジスタンスは新たな軍資源調達ができない状態にあるが、紫苑の意見が全くの見当違いというわけでもない。ジオフロント陥落からレジスタンスは短期間でその復興を完了させている。その間に大規模な支援が行われていたことは明白だ。
「支援した可能性があるのはM&A社だな」
「
アルファサーバーを用いたM&A社に向けたレジスタンスの信号送信。防衛省のサーバーを弾幕プログラムにより一時的に落とさせ、その間にモールス信号を用いて彼らは信号を送ったのだ。
防衛省がその解析を終了した頃には彼らとM&A者とのあいだに独自回線が用意されていたようで、それ以降どのような関係を築いたのかはわからない。しかしあの展示会のときにレジスタンスが信号を送ったのはM&A社だけだ。
このことから他に大規模な支援を受けられる団体はないと推察されるが、現状どうなっているのかは定かでない。このことから佐伯は万が一に備えて襲撃の機を伺っているのだろう。
「そもそもM&Aってなんなんだよ」
「アメリカ発祥の軍需運送会社。確かMunitionS & ArmamentSの略称。アメリカ直属の機関ではないけど一部の軍需開発に携わっていると聞いたこともある」
「それアンドの前後同じ意味じゃねーか。まあとにかくそのM&A社を壊滅させられねーのかよ」
供給源を絶たれればレジスタンスの軍事力増強を危惧する必要がなくなる。一成はロケット打ち上げの際大陸を滅ぼすなどと
「忘れているみたいだけど兄さん、ロケット打ち上げは
現状ナノマシンは単純な反復行動と、増殖プログラムに従った簡単な行動しかできない。つまり有機物を分解しナノマシンを複製するという行動だ。これが世界中を恐慌に陥れたプログラムであるが、一成が実行しようとした大陸を潰すと言う命令はそのプログラムに準拠した行動原理に該当しない。
そのためあのロケット打ち上げには、ノアズアークにLOTUSからの命令を直接送信できるデバイスを送る目的があったわけだ。
「しかしそもそも、どうしてアダム野郎はそんな重要な機能を搭載しなかったんだ」
「それは私も判らない。山本一成は人間として狂っているけど、研究者としては一流。そんな初歩的なミスがあるとも考えられない」
ナノマシンの開発は元
つまり考えられるのは元々搭載されていた機能が、予期せぬ事態によって機能しなくなったという可能性か。
「私達TRINITYには分かり得ないこと」
「ま、そういう面倒なのは上の連中に好きなようにやらせときゃいいんだよ」
「今はレッドシェルター内部での暴動予測に専念してくれませんかねぇ、武力相当担当の立華兄妹」
オープンチャンネルでの会話だったために当然他の者にも聞かれていたようで。二人の会話が途絶えたところで佐伯が割り込んでくる。
「今更レッドシェルター内部で暴動なんて起きやしねぇだろ」
今回薫と紫苑が一般市民エリアではなくレッドシェルター上空に、わざわざ航空機まで持ち出して出動するはめになったのは、この佐伯・J・ロバートソンの指示があったからだ。
レッドシェルターはその外周を、イモーバブルゲートにも使われている高周波レーザーウォールが囲われている。以前A.A.の試作機に乗り込んだ時雨によってレジスタンスの潜入を許したことはあったが、あくまでもあの高周波の壁は絶対不可侵なのである。そう安々と内部で暴動が起きることなどないはずだ。
しかし佐伯の考えは違うらしく、一瞬の沈黙の後彼は深くため息をつく。それは理解力のない薫に対する呆れから出たものというわけではないようで。普段から
「あなた方には話しておいたほうがよろしいですかねえ」
そう前置いて佐伯は一拍置く。何やら見過ごせない事態にでも陥っているのかと、黙って彼の次の言葉に耳を傾ける。だがその前に紫苑の声が割り込んでくる。
「
妃夢路には佐伯から富裕層区画の一般車両取締監督の任を与えられていたはずだ。レッドシェルター内部にいるはずがない。薫の勘違いとインカムを小突いて佐伯の確認を促すが、彼もまた不審そうな声音でおかしいですねぇと呟いて返してくる。
ビジュアライザーを操作し、角膜操作レベル5の特注ARコンタクトに映る景色を情報化する。紫苑がARコンタクト越しに観測している情報を、彼女と同型のインプラントチップを脳に埋め込む薫は視覚情報として認識できるのだ。
超高倍率のレンズ越しに拡大された物は女性の後姿。紫苑の髪色が鮮血の色デあるならば、その人物の長い髪は凝固し変色したあとの黒ずんだ赤髪だ。あんな特徴的な色の髪の人間を薫は一人しか知らない。
「妃夢路はどこに向かっていますかね」
「セクター4Bブロック」
薫のように紫苑の視覚情報にアクセスできない佐伯の問に紫苑は端的に答える。対話のせいで重要な場面の見逃しを回避するためだろう。
セクター4Bという名称に薫は聞き覚えがあったが、しかしあくまでも覚えがある程度でそれがなんのための施設なのかは思い当たらない。妃夢路が向かう地点はレッドシェルターの中でも外周側に当たる場所であり、その辺りには工業地帯が広がっていたはずだが。
妃夢路の目的に思い当たらず彼女の向かう先を予測見しようとして、自分の視界ではないことに気がつく。そんな薫の思考を読んだのか紫苑は目的地と思われる地点に視界を移した。
その場所にあるものは陥落したとある施設の成れの果て。陥落した瓦礫の山から天空に向けて高く突き出すそれは、
「デルタボルト……?」
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