第210話

「この案件に関しては可能な限り慈悲を見せていただきたいんだが」


 ジオフロント管制室、卓を囲う形で集合しているレジスタンス上層構成員の面々に対し、時雨は言葉を選んで静かに意思表明を試みる。


「俺の一存では判断し得ない状況のために、今回皆には集まってもらった。烏川の言う慈悲に見合うかはわからないが、可能な限り聖の処遇に関しては譲歩しよう」


 どうやら昴と酒匂の解析によって発覚した昴襲撃の事実関係は、事前に個人宛に送られていたらしい。情報の拡散を避けるために映像ファイルの送信ではなく口頭での説明によるものであるようだったが。

 管制室内に件の全方位ホログラムが描画され、何度も見たくはない昴襲撃のシーンを皆が目の当たりにすることになる。


「聖、だな」


 しばらく皆が沈黙を貫いていた中で、その静寂を打ち破るように和馬が呟く。


「烏川時雨の言う救済自衛寮時代の聖真那なのか、それともレジスタンス加入後の私達の知る聖真那なのかは判断しようがないけど……ま、たしかに今の聖真那が絶対に着ないようなワンピ着てるわね」


 身を翻し暗闇の中に姿を消す真那のポリゴンを注意深く観察しながら、その違和感に名前がつけられない様子で唯奈は小さく唸る。

 外見は皆の知っている聖真那以外の何物でもないだろうが、同時にこれが聖真那ではないのではないかという思考に囚われ翻弄している、そんな印象を受けさせられる。

 それは唯奈に限った話でも無いようで、皆一概に真那が裏切り者であると断言するつもりはないようだ。


「物的証拠としてはこの上ないほどだけど、どうにも気がかりな点が多いのよね」

「そういえばあの日、解散する直前に気がついたのですが、真那様は首にネックレスのようなものをかけられていられました」


 シエナのその発言にすぐに思い当たる。それは射的屋台で獲得した蓮の花を模したネックレスのことで間違いあるまい。時雨の言うになりたいがためにそれを欲したのだ。時雨にも向日葵を模したものを渡されたためによく覚えている。

 たしかあの日以来彼女はお守り感覚でそれを常に身につけていたはずだ。


「装飾品などで判断するのは早計だ。そもそもこの映像の聖は地鎮祭の際に着ていた衣装とは全く異なる服を着ている。判断基準にはなりえない」

「しかし気になるんだが、こんな目立つ純白のワンピなんか着ていてよ、酒匂さんが視認できないもんかね」


 確かに言われてみれば違和感を禁じえない。まばらに街灯の設置された場所で、明かりの合間を縫って真那はその場を離脱している。

 しかし一切明かりがないわけでもないのだから、多少なりとも酒匂や昴に姿を見られていて然るべきではないのか。ましてやこのような服装ならば尚更だ。


「正直な話、私達もそれは疑念を抱いておりましてな」

「脚を撃たれたとき、ぼくも犯人を確認しようとしたのですが、少なくともこの映像の真那さんが身に纏っているような服が見えることはありませんでした」


 昴と酒匂の言葉を聞いて事件当時の皆の解釈を思い返す。犯人の姿が確認されなかったことから遠距離からの狙撃と判断され、だが使われた弾丸が4.6x30mm弾であることからその線はないと判断された。

 その時は結論が出ないままに話が流れたのだが、これだけ至近距離から撃たれて姿を視認できず、あまつさえ遠距離からの狙撃だと錯覚するような状況に陥る理由がわからない。酒匂ほどの実力者がその場にいたというのにだ。

 こうなってくると疑いの目はまた別の方向に向けられることになる。


「正直こうなる予感はしていましたが……」

「我々としても弁解の術が無いときますとなぁ」


 困ったように眉根を寄せる昴に対し、酒匂は腕を組んで冗長を感じさせない端的な言の葉で意思表明をしてみせる。


「我々の自演という解釈に至るのは自明の理。さあれども私と昴様の発言に偽りはありませぬ」

「確かに可能性として情報局に二人が裏切っているという憶測も否定しきれない」


 襲撃を受けた人物は昴であり、そこに居合わせた人物は襲撃者と昴をかばった酒匂だけ。ネイが解析を進めたデータからこの映像を抽出したのも情報局員としてそれを担当していたこの二人だ。レジスタンス内部に映像を偽造できる者がいるとすれば彼らしかいない。

 皆がその結論に至る中、だが時雨はその可能性を全面的に否定する。


「烏川が否定するとは意外だったな。聖のこともあるし、聖が矢面に立たないように立居振舞うかと思ったんだがよ」

「確かに和馬の言うように真那の潔白を全力で証明しに行きたいところだが、誤った責任の押し付け合いは何も生まないからな」


 棗に促されるようにして酒匂たちへの疑いを否定した理由を説明する。この映像には何者の技術的介入のないことが証明されている点をまず挙げ、その上で真那を犯人に仕立て上げるメリットが二人にないことを示す。


「情報局を任されて幾度となくレジスタンスを裏切れる機会はあったはずだ。酒匂さんたちは信頼に足る存在だと思うし、もし裏切りがあるのだとしてもこんな形で内部からの分裂を促そうとする理由が見当たらない」

「たしかに烏川の言うとおりだ。聖の一件で皆神経質になっているようだ……酒匂、東、不当な疑念を向けて済まなかった」


 その疑いは仕方のないものですよと昴は少しも棗を責めることなく不問に処した。疑心は人間関係の瓦解につながるとはいえ、こんな状況ではまず第一に相手を疑うことからかかるのも処世術の一つだと言えるだろう。

 そして一番良くない事態は、このレジスタンス内に生まれようとしている不和の要因が件の映像記録にあるということだ。技術的介入がないにしてもこの映像に真那が写り込んでいる事自体が、レジスタンスに確かなる行き違いを生ませている。

 何者かによってこの状況を作り出されているのであれば、早い段階でその人物を排除する必要がある。もし第三者など存在しないのであれば、時雨たちの疑念の矛先は必然的に絞られてくる。


「真那は今どこにいるんだ」


 時雨にとって真那が責任を追わねばならない状況になるのが一番都合が悪い。そのために先んじてその手の発言を潰すべく真っ先に口火を切った。


「君を収監していた隔離施設だ」

「あんな場所に真那を閉じ込めているのか」


 当然だろうと棗は肩をすくめて真那を隔離している独房の情報を送ってくる。

 時雨が隔離されていた個室よりも更に奥に位置している。棗に追随しながら注意せずに観察していたため収監状況は定かではないが、少なくとも捕虜となったU.I.F.やら自衛隊員やらと同じ空間に監禁されていることに間違いはない。

 あんな場所で敵対勢力の者と同等な扱いを受け、いつ解放されるかもわからない状況で孤立無援な時間を過ごす。まともな精神状態の人間ならば耐えられるはずもない。


「真那にはこの映像のことや、疑いの目がかけられていることも話しているんだろ。見に覚えのない罪状に苦しめられて精神的にも疲弊しているんだ。長期的に監禁する必要があるならせめて他の施設を用意してくれないか」


 これが時雨のエゴであることは重々承知している。現状最も疑わしい真那を敵勢力と同等に扱うのは組織として当然だし、何より彼女だけ優遇させろというのには無理がある。

 だがそれでも今の真那をこれ以上追い詰めるような環境に置いてほしくはないのだ。真那自身致し方ないことだと受け入れてしまうだろうが、それでも四六時中観察され続けるのは耐えられないほどの閉塞感を与えてしまいかねない。


「我々としても聖を疑いたくはない。だが感情に身を委ねて監視を怠るわけにも行かないだろう。聖の監視体制は外せない」

「だがレジスタンスにとっての不都合も多いだろ」


 予期せぬ返事であったのだろう。棗は言葉の真意をはかりかねたようで視線で話の続きを求めてくる。


「このまま真那を隔離施設に監禁し続けることのデメリットから挙げる。今の監視体制じゃ、潔白が晴れるまで真那はあの施設に拘禁することになるんだろ。そうなれば早かれ遅かれレジスタンス構成員が真那の不在に勘付き始める」

「確かに烏川様の仰ることにも一理ありますわね……」


 シエナは流麗な長髪ブロンドを揺らしながら近づいてくるなり、レジスタンスの組織図を図面化したホログラムを卓上に広げる。


妃夢路ひむろ様の一件以来、下級構成員の間でもお互いの疑いを危惧してか緊迫した人間関係で構築されていると聞き及んでいます。一触即発の状況に真那様の裏切り、あるいは失踪などという噂が広まってはどのような事態を招くことになるか」

「確かに憂慮すべき事態だな。したらば聖を識別センサーで毎時認識できる環境に置くこととする」


 生存確認や防衛省との繋がりなどがないかの確認も兼ねて、レジスタンス構成員のそれぞれの入居スペースには毎時生体識別反応を送信するスキャナが配置されている。勿論ビジュアライザーを介してすべての構成員の位置情報は、常に情報局の管理の元観測されているわけだが。

 識別スキャナーに関しては上層部ではなく下層管理下に一任させているため、下層管理下が真那の生存を確認できる環境にあれば大事にはならないはずだ。


「だが監視の目は外せない。二十四時間体制ですべての行動を記録させてもらう。施設の外にも当然出させない」

「身体検査でビジュアライザー以外の通信端末を所持していないことは確認済みですが、念の為外部との連絡が取れぬよう電波暗室を用意すべきではないですかな」


 幸正と酒匂の提案する監視体制では件の隔離施設とほとんど変わらない気もするが、それでもかなりの譲歩だと言える。少なくとも時雨らと同じ環境に置かれるだけでも多少精神への負荷は少ないはずだ。

 あと問題があるとすれば二十四時間体制の監視という点か。


「どういった方法で監視するんだ」

「脱走を防止できる盤石な環境でない以上、人間の目の監察下に置いておく必要がある。監視カメラとスキャナによる観測が必要になるな」

「待ってくれ、スキャナはともかく監視カメラはやめてくれないか」

「……よもや君は、聖のプライベートを守ろうなどと考えているのか?」


 呆れた様子ながらもどこか責めるような声音。何か他にも叱責やら言及の言葉を吐き出そうとするもののそれを呑み込んで、棗は深くため息をついて椅子に浅く座り込む。


「確かに俺達はレジスタンスだ。防衛省からリミテッドを解放するためならどんな環境だって生きていける。だけど真那は……女の子なんだぞ」


 時雨の口からそんな言葉が出てくるとは思っていなかったのであろう。棗は頓狂な表情で瞬きを何度か繰り返す。そしてそれは棗に限った話でもなかったようで、放心した表情が御面のように皆の顔にもかぶさっていた。

 時雨自身気の抜けた発言をしてしまったと後悔と羞恥に苛まされる中、斜向かいに座っているシエナが何故か満足げに親指を立てて称賛してくる。


「それではこういうのはいかがでしょう」


 称賛ついでに時雨のフォローをしてくれようと考えたのか、シエナは簡易ソリッドグラフィを卓上に展開させ、拠点のある芝公園周辺区域にまで規模を縮小させる。時雨らのいるジオフロントを地下に置く旧東京タワーを拡大し、その内部構造を参照できるようにする。

 以前管制施設として使っていた旧東京タワーは、アイドレーターによる爆破テロを受けたことで防衛体制がずさんなことを知らしめられ、その大部分の機能がジオフロントに移動された。

 結果本来のリミテッドにおける象徴的存在としての役割に戻った旧東京タワーは事実上放置されていた。


「旧東京タワーの修繕は既に済んでいます。トラス式構造では耐爆性に不安が残るためスファナルージュ・コーポレーション監修のもと構造の改善も行いました」

「何が言いたい」

「真那様のメンタル的な問題もあり、外界との一切の干渉が許されない施設での監禁を避けるべく、わたくしは旧東京タワーを真那様の生活場所として提示させていただきましたの」

「さすがシエナ様です」


 誇らしげな様子で兄のルーナスがシエナを褒めそやす。これまで完全に沈黙を貫いていたというのに敬愛する妹の補助のためであれば尽力できるらしい。


「旧東京タワーであれば電波妨害もたやすく、聖真那が外部の人間と連絡を取ることも防止可能。また下界との連絡手段は物理的にエレベーターしか存在しないが、あれには認証システムが必要となる。聖からその権限を剥奪すれば事実上外界へのアクセスは隔絶されるはずだ」

「そうね……あそこなら展望台からの景色も一望できるし多少の娯楽もあることにはある。辛気臭い病棟みたいな隔離房よりはマシなんじゃない? それならなんの問題もないでしょ、心配性で過保護な誰かさん」


 珍しく悪戯げな表情で唯奈は時雨の方を伺ってくる。内心を見透かされているようで気持ちのいい状態ではないが、今は四の五の言ってもいられない。


「正直総司令として容認しかねるほどの譲歩だが……致し方ないな」


 場の空気が監視体制の緩和という方向に流れてしまっている以上棗もそれを無碍むげにできないようだ。何度目かのため息をついて諦めたように肩をすくめる。


「しかし監視体制なしという点だけは譲歩できない」

「ま、そりゃそうだわな。けど最上階のバーテンダーとかにも撤去してもらうことになるだろ?」

「ジオフロントに拠点を移動した時点で旧東京タワーの人員はすべて解散させている。現状誰もあそこにはいない状態だ。聖をあの施設に隔離するという条件を呑む以上、その行動を逐一監視する役割を誰かが担うべきだ」

 

 流石にこれ以上の譲歩は無理か。そもそも今の真那に向けられている疑いを前提とすれば本来ありえないほどの妥協を棗には迫っているのだ。この条件ばかりはこちらが呑まざるを得ない。


「それは時雨様で決まりでしょう」

「は?」

「聖様の精神状態を考えれば、彼女に寄り添える関係の人間がその任につくのは当然です。しかしそれが他の男性では色々と気にかかる方もおりますようですし」


 こっちを見るな。


「そもそも監視員が男性では、真那様も居心地が良くはないでしょう。わたくしでも構いませんが、そもそも真那様のことを考えれば最も信頼に足る存在である時雨様以外の適任はいないかと思いますの」


 俺も男なのだがと一応確認を兼ねてシエナにアイコンタクトを送るものの、どこか悪戯げなウィンクを返される。シエナ・スファナルージュとはこういった性格の女性であっただろうか。

 そもそも逐一確認というのは二十四時間体制の監視という解釈で間違いがないだろう。それはつまるところ寝食をすべて真那とともに過ごせということか。


「いや、あのな」

「致し方あるまい。棗よ、その方向で進めていいのではないか。聖の隔離施設での監禁には不服を抱くものも多いだろうからな。これが皆の納得の行く折衷案であると判断できるが」

「だからちょっとまてって……」


 烏川時雨という男性に二十四時間体制で監視される真那の意見は聞かないのかと、糾弾しようとした時雨の肩を背後から誰かが掴んでくる。振り返れば和馬がシエナと同じように親指を立てて何故かウィンクしてくる。ムカつくイケメンだ。


「柊、スナイパーなんだし人間観察に長けているだろ。真那の監視はお前に任せたいんだが」

「くだらない夫婦漫才めおとまんざいに私を巻き込まないでよ。聖真那と乳くりあえるいい機会じゃない。それにシール・リンクだったらこんなときなんて言うかしらね」


 重要な場面に限ってとんだフニャチキン野郎ですね。去勢して真那様に愛玩動物として飼育されるが身の程ですよ優柔不断ぐれ様。などという遠慮のない罵詈雑言が飛んでくるに違いない。


「ではそれを決定事項とする。烏川、済まないが君からもエレベーターへの認証権限を剥奪させてもらう。君を信頼していないわけではないが、聖に情が移る可能性も危惧せねばならないからな」




 会議の終了をもって解散していくメンバーたち。立ち去る彼らの背を椅子に身を預けたまま呆けたように時雨は俯瞰する。

 参加する前に抱いていた不安などただの杞憂に過ぎなかったように、必要十分以上の温情と譲歩が真那と時雨には与えられた。

 正直今回の会議でどれだけ時雨が慈悲を願っても、真那に対する完全監視体制は覆せないと思っていたのだ。それだのに蓋を開けてみれば最低限という言葉では分不相応なほどの寛容さに真那は救われた。

 時雨が所属したばかりの頃と比べてレジスタンスの考え方が変わってきていたことは実感していたものの、今回ばかりは流石に面食らったのである。


「時雨様が思っていらっしゃるよりも、レジスタンスの皆様は時雨様や真那様のことを信頼し、大切に思っているのですわ」


 予想外な事態に放心している時雨を見るに見かねたのか、紅茶の入っていると思われる高そうなカップをソーサーに乗せてシエナが近づいてくる。時雨の前の卓に紅茶を置いて隣の席に腰掛けた。その一挙手一投足が元公爵の品位を思わせる。


「最近改良を加えたばかりの紅茶ですの。C.C.Rion製造で余る柔皮を携帯非常食レーションに加工するのですけれど、外皮はこれまで捨ててしまっていたのです。それを焙煎することで苦味と渋みが程よく効いた紅茶が出来上がるのですわ」

「そ、そうか。ありがたくいただくよ」


 紅茶の種類などよくわからないし興味もないため軽くシエナの言葉は聞き流す。だが時雨の心労をおもんばかって持ってきてくれたのであろうから、それを無碍むげにする理由もない。

 いつしかルーナスによる子供じみた悪戯があったために目視で中身を確認するが、見た目も香りも特におかしい点はない。カップに口をつけて飲んでみれば、確かに紅茶にしては甘みの控えめな香気が鼻孔をくすぐる。


「うまいな」

「精神的な疲労にも肉体的な疲労にも紅茶は効能があるのですわ。茶葉がありますので真那様のお部屋にも持っていってください。きっと真那様も落ち着くことができるかと思いますの」

「……ありがとな」


 どうやら真那のことを考えてこれを持ってきてくれたようだ。茶葉を受け取り、ついでにいくつか気になっていたことを問いかけることにする。まずは真那の監視役に時雨を推薦したことに関してだ。


「殿方の時雨様を推薦したことで、真那様が不快に感じる可能性を危惧しているんですの?」

「当然だ。出会ったばかりの頃に比べてだいぶ距離は短くなったと思うが、それでも俺はきっと真那にとって安心できる存在にはなれていない。それなのに四六時中俺に監視されるなんて……」


 時雨の発言に対してシエナは困ったように小さく唸る。どう説明したものか考えあぐねている様子だ。


「自分が他人に抱いている印象があくまでもその人の想像の産物に過ぎないように、相手が自分に抱いているであろう印象を想像しても、それはあくまでも自分の想像の域を出ない……」


もっと自信を持ってもよろしいのですよと優しい微笑みを残してシエナは立ち去った。

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