第209話
一成によって時雨が隔離されていた迷宮施設での一連の出来事を、レジスタンス上層部の者たちの前で説明することとなった。巨大な金属製の机を各自思い思いの形で囲ったジオフロント情報局にて、いくつかの質疑応答。
織寧重工下請けの廃工場にて、ともに任務に繰り出していた和馬とはぐれた直後に気を失い、気づいた時には迷宮施設に閉じ込められていたこと。
時雨の短絡的な思考のせいでサイバーダクトに及び、その落とし穴によってネイがそのデータごとかき消されたこと。
「シール・リンクのことは残念だったな。けど俺達としちゃ、お前さんと聖が五体満足で帰ってきてくれただけでも何よりって話なわけでよ」
すべてを話し終え神妙な空気に包まれ始めたときに、和馬は
「まあそこの通路にいきなり現れたときは、五体満足とは言えないナリをしてたわけだけど」
机に背を向ける形で腰を預けた唯奈は、視線で情報局の金属製扉の奥を示す。
どうやら時雨と真那は、ジオフロント格納施設の奥に開通されていた謎の通路に突如現れたという。それは時雨捜索中に真那が突然消えた地点であったとか。
「烏川時雨、アンタ発見されたとき自分の体がどうなってたか分かる?」
「いや色々あって夢中だったからな……感覚も麻痺してたし」
「そ。まあアンタが傷だらけなのは今に始まったことでもないし、それが聖真那をかばって負ったものなのは想像に容易いし、私が叱責するような案件でもないか」
唯奈なりに時雨の身を案じてくれているのかもしれない。和馬同様ねぎらいの言葉の代わりに時雨の右肩を肘で小突いたところで、どこか警戒するような目線を右腕に向けてくる。
「その右腕に関しては、シール・リンクがやったんじゃないのよね」
「ああ。一成の指示を受けたLOTUSの仕業だ」
「それについても色々研究が必要そうね。もともと
なにやら考察を始めた唯奈だったが、不意に重要な案件を思い出したのか声音を改める。
「アンタの話を聞く限り、その迷宮で過ごした時間はせいぜい三時間から四時間程度だったわけね」
それに頷いて返すと途端に部屋中の空気が緊迫したものに変わる。思いがけない反応に戸惑いを隠せずにその真意を問う。
「アンタが失踪してからあの通路に出現するまでに経過した期間は二週間よ」
「……は?」
激しい動揺が体の内側から脳髄をどんどんと叩く。
「二週間って……そんなことありえない。それとも最初に気絶していた間にそんな時間が経っていたというのか?」
「それはない」
唯一の可能性は棗の一言によって否定される。
「君の失踪のあと、俺達はすぐにリリーフ部隊を数個小隊にわけて探索を始めた。聖が消えたのは君の失踪からわずか二時間程度のことだ」
つまり真那が消えたあと二週間もの日数が経過したということになる。しかし迷宮施設で時雨に合流したあと、
しかしビジュアライザーに表示されている日時は2056年 1月10日。失踪した日が12月末であったことからかなりの期間が空いていることに間違いはない。
「安心するのだシグレ、年越しそばはまだ食べてないのだ」
何かを勘違いしている様子の凛音は無視して状況整理に頭をフル回転させる。考えられる要員は殆どない。
まずあの迷宮施設だけ時間の流れがずれているという可能性。しかしこれはあまりにも現実的とは言えない。
どれだけ技術の進歩を重ねても時間という概念に介入することはとてつもなく難しいはずだ。あの施設のためにそんな研究が進められていたとは考えにくい。
なにより外にいるはずの一成との会話が成立していた。外と施設内の時間の進みが同じでないのであれば、そもそも会話が成り立つはずもない。
となると時雨ら人間の技術が介入し得ない、それすら超越した存在による悪戯と考えるのが筋か。ここにおける超越者というのは言うまでもなくナノマシンだ。
「これはあくまでも可能性の話なのですがな」
時雨の思考を読み取ったのかあるいは同じ思考を編んでいたのかは分からないが、酒匂が静かに解釈を口にする。
「人工物でありながら人間の手に余る存在に急速に成長を続けるナノマシンならば、人智を超越した現象を引き起こしても何ら不思議はありますまい」
「だがこれまで時間に関する問題や事故がナノマシンによって起こされた事案は確認されていない」
「ふむ」
棗の言葉に酒匂は豪快ながらも切り揃えられたひげを指先でなぞる。彼自身可能性の話という前置きをしたあたり根拠はなかったようだ。
「いや、必ずしも突拍子もない発言とは言えないのではないかね」
酒匂の考えを助長したのは思いがけない人物であった。それまで何の発言をすることもなく寡黙を貫いていた
彼は皆の視線が自分に集中したことに気がつくなり、酒匂の仕草を真似るように自身のひげを指でさすり始める。
「カッコついてないですよエンプロイヤー」
「君の価値観では大人の魅力に気が付けないだけのこと。ロジェならばこのひげをダンディーでクビレが疼いてしまうと褒めそやせてくれるところだ」
「貴様……ッ」
「……さて話を戻すが」
「たしかにこれまでナノマシンの時間操作などという事故は発見されてこなかった。否、実際問題そのような機能はナノマシンに備わっていないと考えるのは筋だろう。だがそれが唯一起こり得る可能性のあるものを我々は知っている」
「……デバックフィールドだな」
珍しく現実的な可能性を提示し貢献した父親に感心するでもなく、棗は解に行き着いたようだ。活躍の場をとられ恨めしそうに息子を睨む伊集院からそれた皆の視線は、棗にすべて集中する。
「ナノマシンの自己増殖本能や変質作用など謎は多いが、その進化には眼を見張るものがある。現時点の日本の技術力ではナノマシンを生み出すことができても、ここまで加速度的な進歩を遂げられるとは思えない」
つまりナノマシンの進化は人間の手によるものではなく、ナノマシンそのものの成長によるものということか。
「だが増殖型ナノマシンの成長には不純物の存在しない膨大な空間と気の遠くなるような時間が必要とされるはずだ。現状それが可能な要素があるとすれば」
「それがデバックフィールドってわけね。確かに理にかなっているかも知んない」
唯奈の納得で皆もまたなんとなく伊集院・皇親子の言わんとしていることを理解する。
デバックフィールドはその存在性も成り立ちも何も理解できていない、言葉通り人知を超えた存在である。しかしそこでナノマシンが生成され増殖していることはわかっている。しかも現在進行系で世界的規模の脅威と成り果てているウロボロスもまたデバックフィールドから生まれたものだ。
「烏川と聖はデバックフィールドに飛び込むことで爆破から逃れ、その直後ジオフロントに現れた。なぜデバックフィールドに入ることでここまで移動できたのかはわからないが、時間の経過の要因はこれであると考えるのが一番現実的だろう」
「そうだな」
「ともかくこの大きすぎる時差の話はこの辺りにしておこう。他にも片付けなければならない課題がいくつもある」
棗のその言葉に皆の表情が引き締まるのがわかる。課題というのが真那に関することであることは火を見るよりも明らかであるからだ。
「勝手な話ではあるが、この先の会議への参加は人員を制限させてもらう。凛音、クレア、君たちは席を外してもらえるか」
「な、なんでなのだぁ!?」
「黙れ」
突然自分たち姉妹に矛先が向いたことに驚いたように凛音が頓狂な声を上げるものの、反抗するまもなく幸正によって姉妹は部屋の外に叩き出される。
「霧隠、君はあの二人の子守だ」
「えちょま……待ってくださいよコマンダー、ってほんと追い出すんで」
「あの二人は幼すぎる。短絡的な思考から会議を邪魔されても困るために退席させた。霧隠は言うまでもなく参加不可だと判断した。異論はないな」
「まあ妥当な処置だわな。スファナルージュの妹さんよ、後で好きなだけ肉まん食わせてやってくれよ」
「ええ、おふた方の満足が行くまで」
理不尽な扱いに思えなくもないものの、時雨としてもあの二人にこの先の話を聞かせたくはない。和馬とシエナの他愛のない会話は聞き流して机に向き直る。
ここからが本題だ。この場の時雨の立ち回り次第で、真那の立場が大きく変化してしまうことは目に見えているから。
◇
「これは……」
レッドシェルター中枢総合管理局・帝城にて。佐伯・J・ロバートソンはデバックフィールドの状態を確認すべく作業していたところ、予期せぬ事態に陥り始めていることに気がついた。
無数のコンソールと
佐伯は思考を加速度的に回転させプログラムの中に不自然に存在している
東京都都市化計画の行程で生まれた地下空間を利用して建設した地下迷宮施設。そもそもそれは防衛省長の佐伯ではなく、佐伯の次に権限を持つ人物が勝手に開発した施設だ。
そこに烏川時雨を拘留しU.I.F.に襲わせたのも、そこで秘密裏にデバックフィールドの研究をし、結果烏川時雨によって破壊されたのも。佐伯の知る由もない場所で独断で行われていた計画。
それがなんのために実施された作戦であったのかは定かではないが、それを実行した人物は明白である。全てはグレイの研究に勤しむべくここ数日
プログラムに不自然に埋め込まれたこの
死人の手で首筋を撫でられるようなゾワゾワとした冷たい感触に身じろぎ、佐伯は精神を落ち着かせるべく背もたれに身体を沈み込ませる。
もし佐伯の憶測が憶測の域を出ないものに過ぎないのであればそれでいい。しかしこれが一成の手によって実現されようものならば。
「新世界のアダムにでもなるつもりなんですかねえ……」
私は当然イヴにはなれなそうですね、願い下げですが。などと気休め程度の軽口で、心中にわだかまる不安感をかき消すことくらいしかできなかった。
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