第206話

 ジオフロント内部格納施設に隠されていた次期都市化計画の名残である通路。鈴なりに複数の通路に分岐している内、ジオフロントに最も近い分岐点にて真那が姿を消してから二十分ほどが経過していた。

 通路の先そこまで規模の大きくない房室内部を構成員に念入りに調べさせつつ、棗は真那が消えたという地点の床に指先を這わせる。

 真那とともにこの地点まで赴いていた構成員たちの話を聞く限りでは、先行していた真那が忽然こつぜんと姿を消したという。それゆえに織寧重工おりねじゅうこうの下請け企業の廃工場に赴いた時雨と同じように地下に落下でもしたのかと解釈したのだが。

 赤さびの目立つ金属タイルで構成されている床には開閉機構らしきものは見受けられない。靴底で床をたたいても音の反響がないことから、地下に空間があるとは考えにくい。


「皇指令、周囲一帯の生体反応をドローンを用いて確認したところ我々以外の反応が確認されませんでした」


 構成員の報告からしてこの場所にすでに真那はいないということがわかる。しかしこの房室は完全に密室であり、棗らが通ってきた狭い通路しか外界につながる道はない。

 通路の操作を真那とともに行っていた人員たちが虚偽の申告をしたとは考えにくいし、棗の想像の及ばない現象が起きたと考えるほかない。


「聖の捜索は継続して行え。捜索は必ず複数人で実施し最悪の状況にも対応できるように心がけろ」


 捜索班に沿う指示を出しつつ棗は鈍重で黒ずんだ不安感が胸の奥底に湧き出してくるのを感じていた。

 件の薬物に関する情報提供のあった廃工場に潜入した時雨フェネック1が失踪し、その捜索の一環で真那まで居場所を見失ってしまった。

 不測の状況に瀕して棗が感じたのは、何者かによる作為的な状況の形成だ。あたかも舞台上の役者のように何者かの脚本にそって知らず知らずのうちに棗たちは踊らされているのではないかと、そんな不吉な思考ばかりが展開される。


「皇さん、お話があります」


 失踪した二人の行方に見当もつかずに途方に暮れかけていると無線から昴の声が流れてくる。使われているのは全体周波数ではなく情報局と棗だけがキャッチできる周波数だ。

 何事かとビジュアライザーを伺うと、投影機上に昴のこわばった表情が浮かび上がる。何か状況が動いたことは間違いがない。


「二人の所在が判明したか?」

「いえ、烏川さんたちの居場所に関してはいまだに特定が出来ていません。この緊急事態、皇さんの心労を考えれば新たな事案を持ち込むことに多少の抵抗があるのですが……」


 そう言い淀んだ昴のその声音はどこか切迫したもので、さらに抜き差しならない状況に陥っていることを察し、構わない続けろと棗は促す。


「烏川さん失踪に伴ってネイさんによる件のデバイス解析を一旦取りやめていたのですが、僅かに解析が完了したデータがありました」


 デバイスというのは以前時雨と真那の手によって防衛省から奪取することに成功した、LOTUSその物を内包したあのデバイスのことで間違いはあるまい。

 防衛省がナノマシンによる世界掌握を執行させるため人工衛星ノアズ・アークに向けて打ち上げたロケットに積んでいた物を、M&C社が回収したものだ。

 複数の厳重なるセキュリティで守られていたために、時雨からネイの存在を借り受け情報局の解析用ハードウェアに移動してもらい解析を頼んでいたのだ。一時間程度しかネイが解析に費やせる時間がなかったために何も情報を抜き取れていないと思っていたのだが。


「LOTUSの管理者権限が必要とされるデータの照合には数十時間費やされると予測できていたため、ネイ殿にはその認証が必要のないものから照会してもらっておりましてな。リミテッド全域の街角スキャナの録画データですな」


 街角スキャナは23区がリミテッドとして確立された際に全域に設置された認証用のシステムだ。外装は一般的な電灯に酷似したものだがその用途は異なっている。

 通行する人民がリミテッドにおける居住権を有しているか、武器などの危険物を所有していないかをスキャナーを用いて探査することを目的としているのだ。

 警備用アンドロイドに信号を送信する巡回型浮遊探査ドローンも似たような機能を有しているが、あれはアンドロイド同様防衛省管轄の端末で相当高位の権限でないとアクセスができない。

 それに対し街角スキャナは公営という形で比較的低位のアクセス権限で照会ができる。しかしそれも現在進行形でスキャナーに映っているものを閲覧できるだけであり、過去に記録した映像を確認することはかなわないのだ。

 そのためセキュリティ突破という前提があるものの全ての権限を用いてアクセスが可能な、LOTUSを内包したデバイスへのアクセスの第一歩として街角スキャナの記録映像照会を試みたというわけだ。


「今回確認したのは台場一帯の記録映像です。膨大な記録の中からネイさんの力を借りずに目的のデータを探すのに手間どり現在までかかってしまったわけですが……ようやく見つけることができました」

「何のデータだ?」

「12月22日の台場海浜フロートでの記録です」


 二十二日と言えば昴が元皇太子として台場海浜フロートで地鎮・追悼の小規模な祭りを開催した日だ。台場の第三統合学院でのアイドレーター暴動に疑心などを募らせている住民のストレス解消のため、そしてレジスタンス構成員の心労の解消のために行ったささやかな祭り。

 そんなものの記録映像など入手して何の意味があるのかと問いただそうとして、ようやく昴の言わんとしていることに思い当たる。その日起きた重要な出来事はほかにある。


「君に発砲した犯人が特定できたのか」

「はい」


 祭りの後、昴は何者かによって襲撃を受けた。酒匂が間一髪救助に間に合ったために致命傷を負わされることはなかったものの、昴は脚に銃弾を受けた。酒匂は昴の護衛を放棄することができず結果犯人には逃亡を図られ特定には及ばなかった。

 現場に残されていた痕跡らしい痕跡と言えば、昴の脚から摘出された弾丸のみ。4.6x30mm弾という警備アンドロイドを除けばリミテッドには流通されていない特殊弾丸であったことから、防衛省による犯行は低いと判断された。

 結果伊澄にその弾丸を使わせていた倉嶋禍殃くらしまかおうによる犯行である可能性が高いと踏んでいたのだが。


「犯人は誰だ? 倉嶋禍殃か。アイドレーターの思想に共感し協力している偶像崇拝者か。それとも防衛省か」

「そのどちらでもありません」


 その返答は夢想だにしなかった。現状レジスタンスの人員である昴を殺害しようとする勢力があるとすれば、それはアイドレーターか防衛省くらいだろう。

 確かにレジスタンスの存在をよく思わないものも多くいる。防衛省が築く、仮初ながらもリミテッド住民の安全は確立されている安寧を崩そうとしている団体がレジスタンスだからだ。

 しかし銃火器を入手している時点で民間人はあり得ない。棗の知る限り海外から武器弾薬を入手できる組織は、レジスタンスを除けば武装蜂起軍くらいしか思い当たらない。

 だが蜂起軍のほとんどはすでに防衛省に鎮圧されているし、何より防衛省によってリミテッドが牛耳られている現状を変えるべくあがいていたのが蜂起軍だ。同じ目的を持つレジスタンスに敵対する理由がない。

 せんずる所、昴発砲の実行犯は防衛省でもアイドレーターでも民間人でもない。


「遠回しな説明は皇さんを混乱させるだけだと思いますので、解析した街角スキャナの記録映像を見ていただきたく思います」

「バックドアなどが仕込まれている可能性があるため直接皇殿の端末にデータは送信せず、映像情報の共有をさせてもらいますな」


 昴と酒匂の顔を具象化していたホログラムが変形し、街角スキャナの記録媒体に切り替わる。360度全方位を記録できる形式のようで、棗の周囲には仮想現実がARコンタクト越しに映し出される。

 人気の無くなった台場海浜フロート。薄暗い月明かりで照らされる一角にて、その場を後にしようと背を向けて離れていく昴の華奢な後ろ姿があった。

 数十メートルほど離れた時点で棗の背後から発砲音が響き、同時に昴が短い悲鳴を上げてその場にくずおれる。大腿部を弾丸で撃ち抜かれた激痛からうずくまり呻く昴を見て異変を察知したのか、すぐに酒匂が駆け付け昴の前に立ちふさがる。

 さすがの状況対応力と言えるが、酒匂に感心している精神的余裕など棗の胸中にはない。発砲音の生まれた背後に振り返り、その場に佇む人物の姿を見て愕然としたためだ。

 まさかそんなはずがないと心で否定しようとするが、瞬きをしても掻き消えない視覚情報が錯覚ではないことを物語っていた。



 ◇



 時雨の絶望する姿が見たいという理由でこのような舞台設立を企てた一成の思惑は不可解だ。その掌の上で転がされるのは不服だが、今の状況を打破するためには目前に差し迫る脅威を排除しなければならないのも事実。

 時雨はU.I.F.のアーマーを被ったグレイコトブキナミネが発砲してこないことを確認しながら、長いこと身を潜めていた空冷ファンから身を乗り出させる。


「ついに僕のグレイと殺しあう決断ができたのかい?」

「それはただのナノマシンの塊に過ぎないんだろ。殺しあうもくそもない」


 この状況を打破するにあたって時雨が考えた作戦とは到底作戦とは呼べないような粗末なもの。

 一成によって用意された土俵と小道具を用いて、彼の脚本の通りに琴吹を抹消する。この状況でどうあがいてもそういう結末に至るのは自明の理だ。

 それならそれで構わない。時雨が琴吹の抹消にためらいを見せすべて手遅れになることを期待しているのであれば、それは見込み違いというものだ。

 目の前の琴吹が時雨の知っている琴吹本人であったのであれば躊躇は生まれたであろう。しかしそれがグレイであるならば。たとえ時雨の知っている琴吹がすでに死亡しており、グレイだけが彼の存在を手繰ることのできる灯なのだとしても。もはや手を止める要因にはなりえない。

 空冷ファンの背後に隠れたままの真那を伺い見る。時雨の合図を待ってライフルを構えて待機しているはずだ。ここで手をこまねいてデバックフィールドの顕現を阻止できなければ、彼女に回避しえない明確な死をもたらしてしまうことになる。そんな状況にだけは陥るわけにはいかない。

 彼女は時雨が琴吹を消す決断を下したとき、どこか悲しげな面持ちを浮かべていた。切迫した状況下でいた時雨の判断力の欠如が気になったのか。あるいは防衛省に被検体にされ人間ですらなくなり、駒としてその生涯を終えようとしている琴吹に同情したのか。どちらにせよあれはもはや琴吹ではない。彼はもう死んでいるのだ。

 感覚が失われつつも一歩踏み出すたびに鈍痛が絶えずぶり返してくる脚に鞭打って琴吹との距離を進める。彼は一成の指示を待っているのか時雨が接近しようとしても微動だにしない。そういう無機質的な姿からも琴吹の印象から乖離かいりしていて。


「ねえ烏川くん、いつかさ、一緒にここから出ようよ」


ㅤ晴がましい向日葵たちを背景に、それらにも劣らない眩い笑顔とともに琴吹波音がそう嘯いたのはいつのことだったろうか。


「あの塀を超えてさ、何にも縛られない世界に繰り出したいんだ。僕はね、きっとここから出て行くんだ。計画的な作戦を練って、誰にも気付かれずにここから逃亡する。行く宛なんて無いしお金だって無い。でもここにいるよりはずっとマシだよ、そう思わない? 烏川くん」


ㅤその言葉は一体何を思って時雨に問いかけられたのだろう。彼が望んだのは同調だったのか、それとも圧倒的な脅威に立ち向かう覚悟への鼓舞だったのか。

ㅤどちらにしても彼はその発言の翌日に時雨の前から忽然こつぜんと姿を消した。それは時雨にとって予測のできたことであり、必然たる出来事で。目の前のU.I.F.が琴吹ではないと思い込もうとしても、こうして想起してしまう自分を嘲笑う。

ㅤ結局烏川時雨という存在の内の僅かな部分は過去に縛られたままだ。そして琴吹もまた同じ。


「お前も、あの向日葵ひまわりの監獄に囚われたままなんだな」


 今彼を解放できるのは時雨だけだ。それが消失という手段なのだとしても、あの監獄に囚われたままよりはマシなはずだ。時雨にとってもあの場所を想起してしまう存在なんていないほうがいい。

 U.I.F.の右肩を鷲掴んで変質した右腕を振りかぶる。そうしてグレイ化している琴吹の顔面を殴打しようとした。

 

 そうやってまた、記憶に蓋をするのね。


 その言葉がどこから発せられたのかも、脳内の仮想の産物なのかもわからない。しかし琴吹の顔面を抹消しようとしていた右腕はすんでで止まっていた。

 わずかな隙だったが一瞬の躊躇いでも状況がひっくり返るのには十分だったようだ。顎下から強烈な一撃をお見舞いされそのまま跳ね飛ばされる。

 ぐわんぐわんと吐き気を催す強烈な脳の震撼しんかんに苛まされながらも、一成の指示を受けた琴吹が反撃してきたことは理解できた。


「あーあ。とんだ茶番劇だね。本当につまらないやつだなぁ時雨くんは」


 どこか失望したような一成の声に併せて琴吹が急接近してくる。意識がもうろうとして立ち上がることすらままならない時雨には到底避けられようもない強襲だった。結果としてまたしても真那の機転に救われる結果となったが。


「これはどういうことかな」


 この施設に拘禁されてから初めて一成が動揺を露わにした姿を見た気がする。その狼狽は時雨を轢殺れきさつしようとした琴吹が、すんででバランスを崩し時雨を避けて背後に吹き飛んでいったがためのものだ。

 そのまま壁面に叩きつけられたのは自身の推進力を殺せずに横転したからであろうが、その後も立ち上がる様子もなく不動を貫いている。

 九死に一生を得た時雨自身も何が起きたのか理解ができずにいる。その場にくずおれそうになっていた時雨を支えてくる真那。

 華奢な肩にかかるライフルの銃口マズルから上がる一筋の火薬煙を見れば彼女が発砲したことは明白だ。しかしナノマシンで構成されているグレイである以上、顔面をぶち抜いたところでU.I.F.はその猛進を収めることはないはずだ。


「ユニティコアを破壊したのよ」


 U.I.F.の動力源は確かにユニティコアであるが、それは強化アーマーの話であり中身に適用されるものではない。そう指摘しようとして彼女の言わんとしていることに思い当たる。

 防衛省は世界全土に散らばったノヴァに大陸消失の指示を送るためにロケットを打ち上げ、LOTUSからの信号を送信しようとしていた。ユニティコアもまた無人機であるドローンやアンドロイドA.A.などにLOTUSが信号を送るデバイスであったはずだ。

 つまりグレイは一成の発声による指示を受けて行動しているのではなく、胸部に埋め込まれたユニティコアから信号を受けて動いていたということ。信号を受信するデバイスを破壊されたことによって行動不能になったわけだ。

 この状況でよくそこまで分析できたものだと感心しつつ、房室全体に展開されている仮想液晶上に浮かぶ一成の不服そうな表情を伺いみる。

 脚本通りに時雨らが動かなかったことに狼狽ろうばいを隠せないようで、普段のポーカーフェイスはこわばった表情筋に崩されている。やがて黒薔薇を鼻先に押し当て香りを堪能することで精神安定に成功したようだ。


「なんだか興が削がれてしまった。まあせいぜい僕の愛の使途たちが顕現されるまでの短い余生を愉しむといいよ。その抜け殻と一緒にね」

「抜け殻……? いったい何を」

「アダムムムーン」


 奇妙な発言とともに管制室内が薄暗くなる。一成の顔を具象化していたホログラムがすべて掻き消えたのだ。NNインダクタによる放電現象だけが光源となり、室内は眼球が痛くなる青白い光で満たされる。


「とりあえず琴吹と一成はどうにかなったな。あとはデバックフィールドの顕現を阻止するだけだ……真那、大丈夫か?」

「……ええ、ごめんなさい、大丈夫よ」


 どこか上の空の真那。せき止める先を見つけられないような呆然とした様子の彼女を気に掛けるが、ことは一刻を争う状況だ。すぐにゲートをどうにかしなければならない。

 もうデバックフィールドへの扉はいつ開いてもおかしくない状況なのだ。

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