第204話
ㅤ感覚が麻痺するほどにきつく握った右手。震えるその間接から熱い雫が滴り落ちる。
ㅤ背後に控えさせた真那に降りかかるであろう目の前の脅威を絶命させるため、掴んだコンソールの破片が手のひらに突き刺さっているのである。
ㅤ肉を抉られ火傷だらけの瀕死の時雨でも、膂力を尽くしてこの凶器を目前の脅威に突き立てればそれを排除することは出来るだろう。だのに足がすくんで後一歩が踏み出せない。
「おやおやぁ?ㅤどうしたのかな時雨くん。君の前に現状立ふさがる脅威はそのU.I.F.だけだよ。それさえ排除できれば、もしかしたらこの逆境を覆すことができるかもしれないんだけどなぁ?」
ㅤ無数のホログラム液晶内にて嘲笑しているであろう
ㅤバイザーをかち割られ体勢を崩していた目の前のU.I.F.が上体を起こし始めていた。すぐに対応しなければ真那が危険にさらされてしまう。それなのに。
「っ……!」
ㅤ割れたバイザーの隙間から一瞬灰色の光がちらつく。管制室の天井に点在する蛍光ライトを反射した瞳だ。ふたつの瞳孔が鈍色に揺らめく。生気を感じさせない灰色のその瞳には酷く見覚えがあった。
ㅤ先の衝撃にてヘルメットにも衝撃が伝わっていたのであろう。ぴしぴしと亀裂が拡張する音が浸透し、やがてU.I.F.の顔面を覆っていたそれが二つに分断された。
ㅤ鋭い反響音を奏でてヘルメットが床に弾ける。そして隠されていたその内側が晒された。
「……ッ」
ㅤ灰色に沈んだ双眸。乾いて黒ずんだ血が顔面の至る所に付着しているが、それでも中性的な顔立ちと亜麻色の頭髪は見てとれる。
ㅤ時雨の知っている快活な彼からは想像もつかないほどに表情の感じられない姿だが、それでもそれが同一の存在であることは明らかだった。
「お前は……死んだはずだろ、
「時雨っ!」
ㅤ時雨の名を焦燥を孕んだ声で呼ぶ真那の声もほとんど頭に入ってこない。
ㅤ強化アーマーに覆われた両の足で立ち上がりゆっくりと肉薄してくる琴吹。それを前にして未だに対抗の術を持たない。否、術を捨ててしまっていた。
ㅤいつの間にか取り落としていた唯一の武器である破片をじっと見下ろす。それと同時に自分の置かれている状況を俯瞰し、正確に認識し始めていた。
ㅤ目の前にて強化ガントレットを振りかざす脅威を前に、自身が戦意を完全に喪失させているという状況を。
「……馬鹿ッ!」
ㅤ直撃すれば間違いなく時雨の骨格が粉砕するであろうU.I.F.の一撃を回避出来たのは、冷静さを欠いた時雨に反比例するような真那の的確な行動がため。
真那に力強く引っ張られ間一髪回避できたU.I.F.の一撃。バランスを崩した兵士を真那は力任せの体当たりで横転させる。そうして茫然自失としていた時雨の手首を引いて、部屋の最奥にある巨大な空冷ファンの背後に隠れさせてくる。
「目を覚まして」
ㅤ動揺のあまりに行動に移せずされるがままになっていた時雨のすすけた両の頬を両手で押さえつけ、至近距離で目をのぞき込んでくる。
「すまない」
真剣なその目線にあてられようやく時雨もまた状況把握に思考を回せるくらいの精神的余裕が生まれる。大丈夫だと暗示するべく彼女の手のひらを握って放させる。
冷たい床に手をついて空冷ファンの端から視線だけのぞかせ、先ほど時雨らにとどめを刺そうとしてきたU.I.F.の様子をうかがう。どうしたことか時雨たちの隠れ潜んでいる地点にまで接近してくる様子はない。指示を待つようにその場に立ち止まっていた。
背中の傷の状態を指先で触れて確認する。U.I.F.の爆発によって多大な火傷を負っているものの、どうやら裂傷の類は受けていないようだ。出血していないならまだ戦闘自体の継続は可能だ。
傷の安否を確認し改めてU.I.F.が未だ微動だにしていないことを確認した。
「琴吹……本当にお前なのか」
バイザーがはじけ飛んだことでその相貌が明らかになっている。
中世的な顔立ちにすすけているが亜麻色の髪。極めつけは鈍色に滲んだ両の目。見紛うことない琴吹波音のそれである。
「当然、疑問に思うよねぇ」
時雨の思考を察したように一成が嘲るような声を上げた。部屋中に展開されたホログラムウィンドウを窺えばおそらく一成の腹立たしい顔を拝むことになるであろうから視線は琴吹から逸らさない。
「救済自営寮時代自分と寝食を共にしていた同じ境遇の少年が、よもや敵対勢力の、それも『鉄のような無人軍隊』の一員となっていれば……動揺を隠せないのもわかるよ時雨くん」
「お前が琴吹を被検体にした、それだけだろ」
琴吹失踪の日、時雨は彼が自発的に救済自営寮の武装壁を乗り越え射殺されたのだと思っていた。あるいは日々失踪するほかの孤児同様実験の素体にされたのだと。こんな形で再会することになるとは。
「落ち着いているね時雨くん」
強化アーマーにその身を覆われて言葉の通り鉄のような身体にされた琴吹に同情心が生まれないわけではない。そして彼をそんな状態に追い込んだ一成に対してふつふつと煮えたぎる憤怒。
しかし今は抑え込まねばならない。ゆっくりと深呼吸して湧き上がる様々な感情をすべて払いのける。
ここで琴吹がU.I.F.として時雨の前に現れたのは偶然などではないはずだ。重ねて一成の声音と想像にたやすい勝ち誇った表情から推察できる事実。琴吹との邂逅は一成の策謀の上に成り立っているシチュエーションであるということ。
「今更琴吹を俺の前に登場させていったい何をしようというんだ」
「時雨くんの動揺を誘いたかったんだけど、そこまで冷静だと拍子抜けしちゃうなぁ」
「動揺はしているさ。だが個人的な事情に翻弄されているほど余裕のある状態でもないんでね。それよりも本当に俺の狼狽が見たくてこんな舞台を設置したというのか?」
そんなはずがないことは当然理解している。アイドレーターの首謀者たるあの男の根城としてすでに確立していた施設とはいえ、それを奪取し時雨を誘い出し拘禁する環境を整えていたわけだ。
おまけに真那の話からして彼女やネイがこの場所に誘い出されたのも策謀のうちだろう。なにかしらの目的があって行動に及んだと考えて然るべきだ。
真那も同じ結論に至ったようで、周囲の外敵要因の機微なる挙動に細心の注意を払いながらも一成との対話に参加してくる。
「この場所は次期都市化計画の一環で生まれた空間よ。だから今回建築したのではないにしても、大掛かりな改装や増築が必要だったはず。時雨に些細な嫌がらせをするためだけに、ここまで手間のかかることをしたとは到底考えられないのだけれど」
この場所に連れてこられ始終危機的状況を強いられている現状、すべてが防衛省の用意した碁盤に沿っているに過ぎないことは間違いがない。
そんな手のひらの上で転がされているような状態で、得られる状況判断に足るほどの材料はさして多くはない。
それでも考察を重ねれば防衛省の目的とやらの正体に検討をつけることはたやすかった。
「ネイを抹消することが目的だったのか」
いかなる目的意識があるにせよ、基本的にそこに時雨らが立ち会う必要性はないはずだ。それがナノマシンに関することであれそうでないにせよ、時雨ら個人の抹消以外の目的があるとすれば、それは防衛省へ最も多大な影響を及ぼすことができる人工知能以外に考えられない。
ネイの存在を主張するネオンホログラムの痕跡がビジュアライザー上に残留していないことを改めて認識する。彼女はLOTUSに抹消された。
この施設をLOTUSが管理していることは、これまで潜入してきた施設全般の防衛システムをそれが担っていたことから想像できていたことだ。しかし管理者権限そのものがLOTUSにのみ与えられていたことから、これまでの施設とは異なった目的であることもまた然り。
「この施設を改築し俺を隔離した目的は、LOTUSの自己防衛プログラムによってネイを抹消することだった。そうだろ」
「その考察は正しいようで実のところ全く正しくないよ。だって僕は彼女を抹消するつもりなんてないからさ」
時雨の確信を持った考察とは裏腹に一成は呆れたような声音で返してきた。しらばっくれるなと非難の目を向けるが、仮想液晶に映し出されている男の顔には嘲るような表情はない。
抹消されていないのであればネイはいったいどこへ消えたのだと質疑するよりも先に、一成は改まったようにそれにと話を継いだ。
「この施設の目的は君たちの存在に基づいたものだけじゃない。この施設の本来の目的もね」
「どういう意味だ」
「さきほど時期都市化計画と言っていたけど、その都市化計画すら真の目的は居住区の拡充なんかではないんだ。君たちレジスタンスはそれにすら気づいていなかったようだけどね」
その話には思わず耳を傾けずにはいられない。都市化計画の存在自体は学園に学生として通っていたころに
23区という限られた区画に無数に人民が生活するのは非効率的であり、都市化計画はそれらの事案を解決すべく実施されたものだと知らされていたわけだが。その前提すら間違っているというのか。
「確かに考えてみればおかしな話。地下水脈や地下運搬経路があったがために地盤の液状化を危惧して次期都市化計画は破綻した。でもジオフロント襲撃から改築にあたって地盤が問題視されることはなかったわ」
「港区を中心とした都市化計画が中止になったのは、安全面の確保ができなかったからだとかそういう理由じゃないのか」
港区などの一般市民エリアではいけない理由があったと考えるのが妥当か。
そして
「都市化計画は破綻なんてしていないんだよ時雨くん。実は実施する地域を変えて継続されていたんだよ。まあそれも時雨くんたち罪の果実……これは
「私たちが破壊……? まさか」
真那は一成の言わんとしていることに見当がついたらしい。得心したような面持ちを浮かべたと思った直後に、その表情がわずかに青ざめる。
時雨はしばらく理解が及ばずにいたが、やがて自身の背後で鈍重な開閉音が鳴り響くことによってその解を得られることとなる。
無数のコンソールとサーバーが配置されているだけだと思っていた管制室奥の壁面が左右に開閉していく。そこから漏れ出してくる青白い光は電子液晶の放つブルーライトの微光とは異なる、頭の中がくらくらするような激しい電流を帯びた放電現象。
分厚い鉄板のようなガラスを隔てて広大な空間が広がっている。時雨らがいる管制室が複数個そのまま入りそうな莫大な容積を持ったその部屋中を、無数のドローンが飛び交っている。
しかし何よりも時雨の目を奪った要素は、壁面から伸びた無数のクレーン型コンデンサが生み出す時空のひずみ。否応にもその存在に見当がついてしまう。
「デバックフィールド……!?」
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