第203話

ㅤ先程までの喧騒が嘘のように、無数のディスプレイの欄列されている房室全体は静まり返っていた。金属粒子が生み出す摩擦音も警鐘も止み、おびただしい数の液晶は全てがブラックアウトしている。

ㅤそんな空間の状態とは反比例するように、時雨の心中には形容しがたい焦燥と吐き気にも似た震撼ばかりが渦巻いていた。


「そん、な……っ」


ㅤ言葉にならない感情を吐き出すように、真那がその場にくずおれる音が聞こえる。しかしそんな彼女を気遣う余裕など時雨には当然のようになかった。

ㅤ茫然自失としながら自身の右の手中に収まるアナライザーを見下ろす。フォルムに沿うように刻印されている幾何学紋様にはネオンホログラムの痕跡はない。冷たく重い現実となって時雨の手のひらにぶら下がるばかりだ。

ㅤビジュアライザーの円盤型投影機も確認するが、そこに彼女がいたこと自体が錯覚なのではと思うほどに生命反応が感じられない。記録媒体にも彼女を示すN.E.Iという表記はない。

ㅤネイが消失した。その事実がゆっくりと脳内に染み渡り、足腰から力が抜けていく。自立出来ずに真那同様その場に崩れるように座り込んだ。

ㅤ心中にポッカリと穴が空いてしまったような気分だ。そこにいて当たり前の存在を失ったという事実を、頭では理解しつつも心が受け入れられずにいる。それでもやはり実感する。彼女はもういない。

ㅤあまりにも呆気なく。サイバーダクトという技能の落とし穴によって消失したのだ。


「……時雨。立って」


ㅤ先に我を取り戻した真那が背後から声をかけてくる。損失をいたわるような声音ではない。彼女自身亡失感に苛まされているであろうが、今は敵勢力の陣地にいるのだ。

ㅤ彼女に引かれるようにして立ち上がり、いつの間にか取り落としていたアナライザーを持ち上げる。ネイがいない今これは単なる拳銃に過ぎない。

ㅤそれだのにただの重荷にしかならないアナライザーを捨てようという気にはならなかった。これを持っていればサイバーダクトが勝手に繋がるのではないかと、そんな根拠の無い希望的観測に縋ったばかりだ。


「哀れだねぇ、時雨くん」


ㅤ希望的観測は更なる不運によって絶望的に思わせられる。

ㅤ先程まで蓮を思わせる異物を写し出していたおびただしい数のホログラムモニタには、出来ることならば二度と拝みたくなかった顔が浮かんでいる。

ㅤ左右髪の毛先までシンメトリーな相貌だ。頬が僅かに骨張っていて、それでも富裕層感を感じさせる身嗜み。

ㅤ普段から人を嘲るような不気味な表情が張り付いているその顔には、何故か今は同情心すら感じるほどの慈悲が伺えた。


「山本一成……お前の仕業か」

「僕の仕業というのが、シールリンクの消失に関することなら答えは是でもあり否でもある。この結末は確かに僕のシナリオ通りといえばそうだけど、あくまでもそれは結果論に過ぎないからね」

「御託はいい、ネイはどうなったッ!」


ㅤ前髪を指先でつまみはぐらかす一成の酔狂に付き合っている精神的余裕などはない。手近なモニタを力任せに殴打するが、ホログラムに過ぎない以上、当然一成の顔面を拳では叩き潰すことも出来ない。

ㅤそんな滑稽な時雨の言動を嘲るように一成は再び前髪を整え始める。


「シールリンクがああなったのは何も僕の行動だけが原因ではないよ。君の行動にもまた因果が結びついているんだ」

「確かにサイバーダクトの落とし穴をかろんじていたのは俺の失策だ。だがそれでもお前にそんなことを言われる筋合いはない」

「時雨……あの男に惑わされてはダメよ」


ㅤ憤怒のあまりに熱くなる時雨を抑制するように真那が後ろ手を掴んでくる。

ㅤ敵陣営の策略によって生まれたこの迷宮の中で、敵の思うように泳がされているのは事実だ。だからといって罵倒の一つや二つを投げずにこの男の道楽にも似た外道を見過ごすことなどできようはずがない。

ㅤ最大限の侮蔑と憤怒を目線に乗せて睨みつけるものの、そんな時雨の反応を嘲るように一成は鼻で嘲笑するばかりだ。

ㅤ未だに鉄板に焼かれるように暑くなっている思考回路を無理やり冷却し、状況判断に努める。

ㅤこの状況下で一成が出張ってきたのには理由があるはずだ。倉嶋禍殃のアイドレーター日報をインスパイアしたリバティ日報などという狂気の報道をしていた一成に限っては、この接触に意味などない可能性もあるが。


「この状況で現れるなんて一意専心なことね。どういう目的なのか知らないけれど、あまりにも不躾なのではないかしら」


ㅤ一成の真意を勘ぐる時雨の心情を代弁したように、静かな声音で真那が探りを入れる。


「敵味方の間に礼節なんてものが必要なのかな」

「人間としての最低限のマナーだと思うけれど」


ㅤ一成の人間性の皆無性を嗜めつつ、その合間にも彼女は視線で時雨に何かを伝えようとしてきていた。先程入ってきたばかりの管制塔と外とを隔絶する堅牢なセキュリティゲートを一瞥し、意味深な眼差しを向けてくる。

ㅤはっとして聴覚神経を研ぎ澄ます。扉の奥から金属と金属が反発し合う音が聞こえてくる。足音だ。


「禍殃の言うところの罪深き果実である君たちへの手向けとして、一つだけ教えておいてあげるよ。その管制室へ現在、残存しているU.I.F.が六人向かっている。出入口は君たちが入ってきたセキュリティゲート一つだけだ」


ㅤこれがどういう意味かわかるよねと状況を愉しむ一成に悪態をついている暇もない。

ㅤゲートへと足早に駆け寄り壁際の重厚なコンソールを横倒しにする。それを力任せにゲートへと押し出し密着させる。その場しのぎの通せんぼに過ぎないが、この状況を脱する手段を講ずる時間的猶予は生まれるはずだ。


「時間稼ぎにしかならないよ、そんなものは」

「お前さんの部下達のほとんどが銃火器を使えなくなっているだろ。肉弾戦しか出来ないU.I.F.六人程度で勝ち誇られてもな。それにこのゲートにはネイが厳重なロックを幾重にも重ねて掛けてある。戦闘狂でしかないU.I.F.にそれが解除できるのか?」


ㅤ真那に応急処置を施されただけの足の怪我は重症と言っても差し支えない。こんな負債を抱えた状態でこんなことを言っても虚勢にしかならないだろう。

ㅤとはいえ機転しだいでは実際対処しようがある。真那の持つライフルには少数だがまだ弾丸が残っているはずだ。距離を置いて援護してもらえればそれなりに善戦できるはずだ。

ㅤしかし一成の反応は時雨の想定の斜め上をいくものであった。


「そういうのが、哀れなんだよね」


ㅤ虚勢を嘲るわけでもなく、さらなる嫌味を嘯くわけでもなく。静かにそう告げる。その意味を解釈することが出来ない。不可解な発言故に時雨は悪寒に苛まされる。ぞくぞくとした感触が背筋を伝うそんな悪寒だ。

ㅤ感覚が鋭敏化するのがわかる。視覚情報、聴覚情報、果てには触覚の感じうる空気の僅かの変動にさえ鋭く感覚を研ぎ澄ます。

ㅤ何か変化はないか。一成の何かを確信したようなその心理を解釈しうる変化はないか。何もない。


「静か、過ぎるわ……」


ㅤ同じ感覚に陥っていたのだろう。どこか怯えた印象を双眸に漂わせて、真那は房室内に警戒した視線を彷徨わせる。

 静か過ぎる。確かに真那の言葉は時雨の内心にしっくりと落ち着くものがあった。

ㅤ扉をぶち破られる可能性があったために全体重を乗せて先の横倒しにしたコンソールに背中を預けている。そんな危惧に意味などないと言わんばかりか、コンソールからもゲートからも一切の衝撃が伝わってこない。

ㅤ外のU.I.F.は一体何をしているのか。律儀にネイのセキュリティを解除しようとしているのか。それよりも扉を物理的にぶち破った方が早いはずだ。

ㅤ勿論U.I.F.の強化アーマーですら容易く破壊することはかなわないほどにセキュリティゲートは堅牢だ。それ故に時雨もしばらくは持ちこたえられると鷹を括っていたのだが。

ㅤ静寂は大地震のような激しい縦揺れによって払拭される。


「なん​──ぐぁッ!?」

「時雨っ!?ㅤ……ッつ!」


ㅤ脳髄が震撼するような激烈な衝撃によって時雨は部屋の中央部まで弾き飛ばされた。爆音。駆け寄ってきた真那を巻き込んで冷たい床に叩き付けられる。

ㅤ突然の振動によって思考停止しかけている脳をフル回転させて爆源の様子を伺う。

ㅤ何かしらの爆発物を用いたのか、塞き止めに使っていたコンソールが弾かれひしゃげている。セキュリティゲートは僅かに歪み隙間から燻った粉塵が漏れだしているが、今のところ自重に耐えている様子だ。


「何が爆発したの……?ㅤプラスチック爆弾ではないわ」


ㅤ時雨に突き飛ばされた際に乱れた黒髪を整える様子もなく、動揺した声音で真那が分析する。

ㅤ彼女の言うようにプラスチック爆弾の類ではない。プラスチック爆弾の構造に関してはその一種であるC4に関する知識しか時雨にはないが、それでも特徴がプラスチック爆弾のそれとは異なっているのはわかる。

ㅤ爆発の火力が不確定規模すぎるし、そもそもプラスチック爆弾は特定の対象を的確に爆破するために用いるもので、周囲に多大な影響を与えるものでもない。

ㅤしかし僅かに歪んだゲートの隙間から漏れ出す硝煙は爆発物そのものが生み出す副産物では無い。煙が鼻先を掠めた時点でそれは理解出来ていた。鼻腔に突き刺さる不快な激臭は化学薬品のそれであったからだ。

ㅤおそらく迷宮に無数に点在していたコンテナ内部に格納されていた薬品の類に引火したのだ。人体に無害な物質であることを祈る他ない。

ㅤ何故に時雨と真那が爆発物の正体に焦燥を隠せないのかといえば、それはU.I.F.は基本プラスチック爆弾以外の爆薬を用いないからだ。

ㅤ暴徒鎮圧の際、籠城している対象を炙り出すために用いるもので、それ以外にU.I.F.が爆薬の類を使った記録は存在しない。それ故に未知なのである。


「さあ次だ、もう一度リバティエクスプロージョンの大喝采を奏でよう!」


ㅤ一成の抑揚に富んだ腹立たしい台詞に併せて再度爆音が轟いた。今度こそ確かな衝撃がセキュリティゲートに干渉し、浸透したそれを殺しきることが出来ずにゲートは派手に歪む。

ㅤまだ人が通り抜けられるほどの隙間は生まれていないが、間隙から何かが飛来してくる。


「……離れろ真那ッ!」

「きゃっ!?」


ㅤそれが外より投擲とうてきされた手榴弾の類であると判断しての咄嗟の行動。

ㅤ物体は地に着し金属反響音を奏でたが、しかし爆音が轟く前にべちゃりと嫌な音を立てて床に臥す。強風に吹かれて地に落ちた未成熟の果実が潰れたような音。


「見るな……!」


ㅤ後ろ手に真那を自分の背後に押しやりつつ、ぞわりとした感触が心の臓まで伝わってくるのを感じる。

ㅤ間違いない。目の前に叩きつけられ赤い飛沫を散布させているそれは、U.I.F.の強化アーマーを装着した状態の腕だ。肘関節から引きちぎれたように焼け焦げた断面から粉砕した尺骨の破片が覗いている。

ㅤ二度目の爆発に巻き込まれたU.I.F.の物だ。それ以下でもそれ以上の何物でもない。だのに時雨の脳内には明確なる違和感が存在した。

ㅤ外部からの爆発を受けたにしては肉体部の損壊具合が派手すぎている。U.I.F.の強化アーマーには完全ではないものの対爆性能も備えられていたはずだ。一定以上の距離を保てば多少の爆風程度なら防げるはず。

ㅤだのに肉体部は焼き過ぎたステーキかくやと言わんばかりに炭化し、尺骨は粉砕している。にもかかわらずそれを覆う強化アーマーには煤けた痕と多少の傷が見え隠れする程度だ。

ㅤ強化アーマー越しの爆発で肉体が損壊したのではない。内側から爆発したのだ。

「まさか……」


ㅤはっとした瞬間、三度目の爆音が房室内部に反響した。激しいフラッシュの直後、時雨たちのその場しのぎの平穏を築いていたゲートが破裂した。

ㅤ中心部から管制室側に膨らみ爆散する。無数の金属片を周囲に飛散させ、無慈悲にもU.I.F.の進行を可能とする。


「時雨、あのゲートを突破された時点でもう後には退けないわ。勝ち筋は薄いけれど接近戦で残りの三人を斃すしかない」

「待て真那ッ」


 アサルトライフルを上段に構えて今にも特攻しようとしていた真那の手首を脊髄反射で掴んだ。慣性によって真那の進行方向に時雨もろとも引っ張られそうになるのを、無理やり膂力で引き戻す。

 特攻する真那に対し、鏡に写るかのようにU.I.F.の内の一人もまたこちらに向かって肉薄してきていたのだ。 

 真那の肩関節にかなりの負荷がかかる程の力で彼女を牽引し、掻き抱き正面に自身の背を向ける形で飛び退る。ほとんど直感によって肉体が勝手に行った動作であったが、その直感が幸いし九死に一生を得る。

 時雨が引き戻さなければ真那が駆け抜けていたであろう地点で、U.I.F.は激烈な熱風と脳髄を直接揺さぶるような爆音を轟かせて爆裂する。頑強なアーマーの一部がアルミ箔のように張り裂け、血飛沫を周囲に撒き散らした。


「ぐぁ……ッ!」


 後背部に焼き付けるような痛みが襲い来る。それは文字通り耐えきれぬほどの熱風となって時雨の背筋を熱傷させた。破損したディスプレイの散らばっている冷たい床を真那を抱えたまま跳ね転がり壁面に叩きつけられる。

 肺の中の酸素が急激に膨張し爆散したような圧迫痛と背中の激痛にさいなまされ、まともに立ち上がることすらできない。


「時雨っ、大丈夫ッ?」


 覆いかぶさる時雨の下から這い出でて、真那が肩を揺さぶってくる。赤く滲む視界の中で彼女の安否を確認し内心で小さく安堵の息を漏らした。

 どうやら先の爆風に直接巻き込まれたわけではないようだ。体内にメディカル型のナノマシンが流れている時雨だからこそ、爆発を至近距離で受けて生き延びることができた。

 もし真那が時雨という物理障壁なしの生身で受けていれば、想像もしたくないような状態になり果てていたことだろう。

 時雨の肩を揺すった手のひらを見て戦慄したように相貌から血の気を引かせた真那を見れば、自分がどれほどの重傷を負いどれくらい出血したのかは想像に容易い。

 喉が焼けきれそうな嘔吐感を覚える頭痛。全身の感覚が殆どないが、窮地は未だに脱していない。

 小刻みに震える肩を持ち上げ上体を起こそうとするが、脚間接に力が入らずに再度その場にくずおれた。その拍子に床に夥しい量の鮮血が飛散する。想像以上に肉体が被ったダメージは大きいらしい。

 カツンカツンという一定のリズムで足音が近づいてくるのを聴覚で認識する。残り二人のU.I.F.相手にこの体では到底太刀打ちできまい。

 明滅する視界から得られる情報ではまともな状況把握もできないが、どうやら虫の息状態の時雨の上半身を真那が抱え込んでいるようだ。

 視線による逃げろという指示を試みるが、時雨の名前を叫び散らす真那の動揺しようを見ればそんな精神状態でないことは見てとれる。

 言葉にしようとしても喉奥から濁流と化して血液が吐き出されてくるばかりだ。時雨の口から吹き散らされた血飛沫が自身の胸元にぶちまけられても、真那は煤け血みどろの長髪を振り乱し時雨の身体を掻き抱くばかりで。

 こんなにも怯えた様子の真那を見たのは初めてだ。迫りくるU.I.F.という名の明確な脅威にひんし、死を危惧しての恐怖ではあるまい。自身の腕の中の時雨が確実に死にかけていることに慄然りつぜんを隠せないのだ。


「死なないで時雨……」


 今にも消え入りそうなその声を耳に、逆に時雨はこの状況に不思議と冷静な分析ができていた。

 視界はすでに外界から完全に遮断されているが、その他の感覚で自分の立たされている状態を認識できる。あたかも第三者の視点で俯瞰しているように。

 足音はすでに止んでいた。U.I.F.が近づいてくるのを止めたのではない。時雨と真那のすぐそばにまで肉薄したのだ。強固な外殻に包まれた腕を伸ばせば、床に伏した真那の華奢な首をひねり上げられるほど近くに。

 そこまで近づかれているなら逆に好都合だ。死に体とはいえなまじただの生身の人間ではない。ネイにゴキブリ並みの生命力と言われる所以がこの身体にはある。

 ドラッグがなければ治癒はできないが、それでも肉体が到底耐えられないような損傷を受けても無理やりリミッターを解除することはできる。

ㅤ精神力だけで痛覚を遮断し、右腕を床に這わせ何かを掴む。おそらくはディスプレイの破片かなにかだろう。激烈な自重に逆らって上体を持ち上げた。

ㅤ驚いたように時雨の名を呼ぶ真那を意識する間もない。全膂力を持ってすぐ側に佇んでいたU.I.F.に向かって手に持った破片を叩き込む。

ㅤどんなに硬質な物質であっても、点による圧力には比較的耐久度が下がるものだ。そこに時雨の人外の腕力が加われば、例えただの破片であってもU.I.F.のアーマーに傷をつけるくらいは可能だろう。

ㅤ視界は未だ血のように紅くほとんど状況識別しようがなかったが、どうやら時雨のカンは馬鹿にならないらしい。破片はU.I.F.の脆弱な喉部に突き刺さる。

ㅤ血飛沫が顔面に降り注ぐのを感じる。絶え間なく噴出するそれは、どうにも無機質的なものに感じる。いかにそのような感慨を得たのかと一瞬考え、直ぐに結論が出る。熱を感じられないのだ。

ㅤ時雨の感覚神経が麻痺しているだけの可能性もあったが、それにしても人体から噴出されたものだとは思えないほどで。


「まだ一人残ってるっ」


ㅤ真那の張り詰められた声に脊髄反射的に手中の凶器を振り払った。

ㅤU.I.F.の残数を計算し忘れていたのは迂闊であったが、それ自体が大事を招く結果には幸い至らず、房室内にヘルメットバイザーが砕け散る音が反響する。

 周囲にバイザーの破片が散乱する音と重たい金属が硬質な床に弾ける音。少しずつ明瞭になっていく目でU.I.F.が横転したのだと再確認する。


「真那、下がれ」


ㅤ自分の体が自分のものでは無いのではないかという不制御感に苛まされながらも後ろ手に真那を下がらせる。破片を逆刃刀の要領で中腰に構えU.I.F.の様子を伺う。

ㅤ先に喉元を掻っ切られた方の個体は既に事切れているようで痙攣すらしていない。血の噴出も収まっており、どうしたことか先程さんざん吹き散らされたはずの血痕も目視できない。

ㅤもしや先程浴びたものは返り血ではなかったのかと自分の顔面に軽く触れるが、血特有の生々しさもそれが乾いた感触もない。よもや先の攻防の実態は時雨の構想とは全く違う展開に及んでいたのか。

ㅤ過不足なく状況把握できる程度には視力が再生されたころ、横転していたU.I.F.がゆっくりとその身を起こした。爆破の際に砕け損壊した照明がチカチカと明滅し、どこか不気味な印象をその身に纏わせながらU.I.F.は近付いてくる。

ㅤ手のひらに血が滲む程にきつく破片を握り込む。此度の交戦で理解した。U.I.F.のアーマー内部には爆弾が仕込まれている。人間爆弾というものか。

ㅤ起爆条件が定かではない以上、その決定権を持っている可能性の高いU.I.F.本体に起爆の機会を与えてはならない。つまり時雨に許された交戦時間は一瞬だけだ。一瞬でトドメを刺す必要がある。

ㅤしたらば狙う場所は一つ。唯一アーマーが完全に剥げ生身を露出している顔面部だ。強引に破片を突きこみ脳髄まで達する必要があるため残虐な手段になるが、この際四の五の言っていられない。

ㅤ未だに動揺が抜けずに立ち上がれずにいる背後の真那を護ることだけを考える。彼女への障害だけは確実に排除しなければいけない。


「……!?」


ㅤ今にも駆け出そうと助走体勢に入っていた脚部筋が動かない。筋硬直したように一寸たりとも動かせなかった。それに反比例するように時雨の心の臓は早鐘のような警鐘を響かせている。心拍の暴走により全身から噴き出す血液ライフラインが加速度的なものになっても制御が叶わない。

ㅤ自分の視界が認識したその事実を受け入れることが出来ずにいた。

ㅤ明滅する照明の中、暗闇から姿を現した『鉄のような無人軍隊』。一瞬の人工光に照らされたバイザーの内側に見えたものは、


琴吹ことぶき……!?」


ㅤ鉛のような暗い灰色の瞳だった。

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