第202話

 U.I.F.は基本的に単独行動をとることがない。

 これは彼らがLOTUSによって統率を取られているがためのプログラムに準拠した行動原理であり、警戒網を瓦解させるためにはLOTUSからの干渉を遮断するほかない。

 しかしそれは現実的な観点から不可能だ。LOTUSからの信号を受けるためのユニティ・コアはその強靭なアーマーの内側に内蔵されているからだ。それを破壊するということは、U.I.F.を戦闘不能にすることと同義なのである。


「かといっても、この統率ようは突破のしようのないもん、だぞッ」


 スリーマンセルを組み、銃火器を構えながら時雨を包囲する形で迫ってくる『鉄のような無人軍隊』。たった三人ですら数十の革命軍にも匹敵する、否それを凌駕するほどの威圧感だ。

 コンテナに追い詰められ、冷たいその感触を背で感じた瞬間に跳躍する。弾幕を間一髪で回避しコンテナの裏側にもぐりこんだ。

 目視した限りだと三人のうち銃を使っているのは一人だけだ。ほかの二人は禍殃の爆撃の際に銃を失ったと見える。アーマーに仕込まれていたのか刃渡りの短いククリを中腰で構えている。ある程度距離があるからといって油断はできない。

 U.I.F.の強化アーマーが生み出す関節部への対衝撃機構は特級品だ。人体が繰り出せる限界を超えた速度で肉薄することも可能なはず。

 負傷した右足首を応急処置しただけに過ぎない虫の息状態の時雨が、真正面から肉弾戦して勝てる可能性は低い。


「時雨様、中央のU.I.F.の弾道を予測します。銃を所持していない個体の対処はご自分でなさってください。左へ八十五センチです」

「……ッ、おいかすったぞッ⁉︎」

「だから八十五センチ地点まで弾幕が来るという意味で、次右に百二十六センチ以上です」


 自称ハイスペ人工知能様は役に立たない。彼女の指示は参考程度に流して脊髄反射で弾丸の嵐を掻い潜る。インターフィアがなければ不可能な芸当だ。

 そのまま敵勢力まで一気に肉薄し、突き出されたククリをスライディングで間一髪回避する。


「返ってきます!」


 インターフィアを用いることでARコンタクトの示すHUDには視界外の光景が抽象表現される。

 U.I.F.が空振ったナイフをそのまま時雨のうなじに突き立てようとしていることも認識。ボクシングにおけるラビットパンチみたいなものだ。

 その場に前のめりに倒れこむ形で裏からの返し刃を回避し、地に着いた手を跳ね上げた。ハンドスプリングでかかと落としをU.I.F.の頭頂部に炸裂させる。包帯の巻き付けられている足首からの失血がさらに増したのがわかる。しかし痛みに悶えている余裕もない。

 尻餅をつく寸前にもう一人の銃不所持のU.I.F.の足を掬い跳ね上げた。


「第三斉射きます!」


 その言葉を聞き終わるよりも早く横転していたU.I.F.の首筋を掴み上げる。着弾の寸前に強固なアーマーが鉄壁となり、大方の弾丸は弾かれ歪み床に転がり落ちる。

 弾丸による肉体的損傷は免れたものの、数発がU.I.F.の足関節に着弾していたのか手にかかる重圧が急激に増した。

 時雨が重心を崩したのを見逃さず、最初のU.I.F.が背後から剛腕にて拘束してきた。


「くそッ放しやがれッ!」


 首を直接締め付けられ呼吸もままならなくなる。脳に酸素が行かなくなれば全身の筋機能が鈍るのは自明の理。そうなる前に拘束から逃れる必要があったが、頑強な拘束は改造人間である時雨の腕力でも如何ともし難いもので。

 この均衡状態、時雨側に軍配が上がる状況があるとすれば、パートナーの手腕に他ならない。

 急に拘束の力が弱まるのを感じて時雨はエルボーをU.I.F.の腹部に叩き込む。

 手足の関節ほど脆弱なつくりではないものの腹部のアーマーにも関節部は存在する。中の肉体が痛覚を感じないにしても、鳩尾を抉られれば肉体がダメージに反応するのだ。

 案の定U.I.F.は腹部を片腕で抑えて後ずさった。その片腕は力なく垂れ下がっている。真那が狙撃したのだ。

 

「気を抜かないで!」


 はっとして視線を振り返らせると弾道の不安定な弾幕が遅い来た。それら数発は時雨の肉体を弾着地点に飛来してきているものの、ほとんどがあらぬ方向へと飛んでいく。

 正確無比なU.I.F.の射撃とは思えない。数発の弾丸をその場に沈み込むことで回避しつつ状況判断に努める。

 射撃を行ったと推察できるU.I.F.を目視で確認。銃の反動リコイルに翻弄されサブマシンガンを持つ手を跳ねあげられていた。それもおそらく真那の狙撃によるものであろう。

 静音器サプレッサーの効果でほとんど真那のライフルの銃声は聞こえない。だが彼女の援護射撃は肌で感じるほどの正確さだ。先までの孤独な戦闘とはまるで安心感が違う。

 ノックバックから立ち直れないU.I.F.までの距離を一気に詰め、その手からサブマシンガンを奪う。そのままバイザー越しに銃床にて顔面を殴打した。バイザーにはヒビすら入らないが、脳震盪でも起こしたのか電池の切れたラジコンのようにその場に倒れ臥す。


「真那、狙撃ポイントを移動しろ!」


 何も時雨は残り少ない体力を駆使して途方も無い殲滅戦に繰り出しているわけではない。その目的地はこの迷宮の中央部にあった。


「ネイ、司令塔までの距離は?」

「管制塔だと思われる中枢施設までの距離は38メートルほどです。そこまでの中途に敵の反応は今のところありませんね」


 ネイが最初に観測したU.I.F.の反応は七人分。先ほど三人を戦闘不能にしたために現状確認できている残りは四人だ。


「真那、残弾数は?」

「五発だけ。精密射撃を試みるけど、過度な期待はしないでほしい」


 アサルトライフルを抱えた真那が、上方の鉄骨で構成されている細い簡易鉄橋を危なげなく渡って時雨に追随するのを脇目に伺う。

 残弾数は心無いものの、真那による観測が上方から常に行われているため安心感は底知れない。これがなければ時雨は背後からの奇襲が怖くて、ここまで迅速な行動は望めなかったはずだ。


「でも本当に、管制塔から脱出の手段を見出すことができるのかしら」


 どこか不安げな真那の言葉を無線越しに聞きながら、時雨もまた同じ疑念に苛まされる。

 この地下迷宮から出る方法に関して禍殃は天井のハッチ以外には何もないと言っていた。しいて言えばデバックフィールドを用いるなどという酔狂な案もあったが。

 そういう状況であるからこそまず状況の把握と掌握をする必要があったわけだ。したらば時雨をこの場所に運び拘禁した者を特定し制圧する必要がある。

 幸い禍殃から事前に聞かされていた施設配置から、この広大な房室の中央部に管制機能が備わった施設があることは推察できた。

 先から遭遇している敵勢力はU.I.F.ばかりだ。だがきっとその管制塔まで行けばU.I.F.に指示を出している人間か、あるいはU.I.F.に命令を送信する機器か何かを見つけることができる。そう判断したわけである。


「管制施設の見張りは確認できる限りですと一人だけです」


 もちろんネイが観測できるのはユニティコアを装備しているU.I.F.に限った話であり、アーマーを着ていない生身の人間がいないとも限らないが。

 コンテナから顔だけ出して迅速に状況の把握に努める。見たところ生身の人間が施設外部を周回している様子はない。


「真那」

「ええ」


 時雨の指示を待っていたようだ。端的に相槌を打った直後、空気が鋭く放出する音とともに巡回兵がその場にくずおれる。弾丸が静音器サプレッサーを経由して発射された音だ。

 素早く巡回兵に肉薄し絶命していることを確認する。そうしてビジュアライザーを小突いて管制施設の電子扉の解錠をネイに促す。


「解除します」


 数秒のサイバーダクトの後、重厚な金属音とともに堅牢な扉が開いた。

 周囲の安全を確認し真那へアイコンタクトを送る。彼女はそれを確認して音もなく梯子を伝って時雨の元まで下りてきた。

 

「これは……いったい何なんだ?」


 管制施設への侵入を試みやがて辿り着いた司令塔。広大な室内には壁面を埋め尽くすほどの膨大なスクリーンが設置されている。

 帝城の管制室にも匹敵するデバイスの群集には息を呑むものがあったが、時雨の驚愕の理由はそこにはない。

 モニタの一つ一つにコンソールが展開され、頭の痛くなるようなプログラム文字列が入力されては絶え間なく更新、再入力を繰り返しているのだ。

 眩暈のするような空間に圧倒され脊髄反射的に一歩足を下げてしまう。そんな時雨の背中を真那が集中しろと言わんばかりに小突いた。

 情報化されたこの部屋に臆したわけではない。室内に足を踏み入れた瞬間に悪寒が背筋を伝い落ちたのである。この部屋は生ある人間が踏み入ってはいけない場所なのだと、そんなオカルトじみた感覚まで得ていた。


「時雨様、急いでください」

「あ、ああ」


 ネイに叱咤されてまず今入ってきたばかりの電子扉のセキュリティを復旧させる。これで背後からの奇襲を受けることはない。

 中央のコンソールに小走りで寄る。そこには各種コマンドの実行を行うためのツールが無数に表示されていた。手探りでホログラムウィンドウに触れると管理者権限の認証を求められる。


「管理者権限ですか。この施設自体は倉嶋禍殃が仮拠点として築いたものではありますが、おそらくこのコンソールに関しては防衛省が設置したもので間違いはないでしょう」

「つまり管理者は科学開発班ナノゲノミクス局長の山本一成か、防衛省長の佐伯・J・ロバートソンかしら」


 真那の推察にネイは間を置かずにそうではありませんと否定の意を示した。

ㅤその真意を目線で問うと時雨のビジュアライザー上にホログラムで出来た相関図のようなものを展開させる。


「時雨様を拘禁するこの広大な施設が、いったい何のために防衛省によって用意されたのかは判りかねます。しかし施設内に駐留している敵勢力の人間はU.I.F.だけであり、今のところ生身の人間はいません」


 ややもすればこの管制塔に何者かがいるかもしれないと踏んでいましたが、と付け加える。

 彼女の拡大する相関図を見ると、そこには蜘蛛の巣状に張り廻った関係ラインが見て取れる。23区中を周回するモノレールの用いる高架の見取り図に見えなくもないが、それがリミテッドを構成するとある要素に関する抽象関係図であることに気づく。


「ユニティコアの関係図ね」

「はい。確かに防衛省が自衛隊員及びU.I.F.の人員で構成する部隊には、それを統率する司令官がいます。しかしこの迷宮区に関して言えば、U.I.F.は司令官による直接的な命令を受けて行動しているわけではありません」


 ネイがそのように断言できるのは、先ほどまで時雨を襲っていたU.I.F.の行動が合理的とは言えないからだ。

 ツーマンセル、スリーマンセルで行動し時雨の追跡を行うのは理にかなっているものの、その後の対応があまりにもずさん過ぎる。時雨を発見後迅速に別部隊をその場に動員すれば、数の暴力で時雨を確実に蜂の巣にできたはずなのだ。

 

「知性ある人間の指示とは思えません。それ故に、今U.I.F.に指示を出しているのは司令官ではなく、人間の知性を持たぬ演算処理機能付きの知能であると判断できます」

LOTUSロータスだな」


 LOTUSはもとよりイモーバブルゲートやレッドシェルターといったリミテッドの中枢防衛機能の管理をするAIとして認識されている。それと同時に探査ドローンや警備アンドロイドを管理し、その場の状況次第で銃殺権限を施行しているのもLOTUSである。

 ドローンやアンドロイドには皆等しくユニティコアが搭載され、それによりLOTUSからの信号を受動して行動する。それはU.I.F.にも言えたことだ。


「つまりこの管理者というのはLOTUSということ?」

「いかにも。それ故に以前の水処理施設の時のように、山本一成の好みがパスワードになっている、などという希望的観測は抱かないほうがいいでしょう」


 人間が管理しているわけではない。AIに管理者権限がある。当然ただの電子カードを入力しろという意味合いでの管理者権限の認証ではあるまい。つまり求められている物はパスワードではなく管理者であるLOTUSであることの証明なのだ。

 当然そんなことできるはずがない。なぜならばLOTUSとは防衛省における防衛ラインの守護者であり、同時に抽象的概念のようなものであるからだ。

 ネイのような人格の存在するAIならばともかく、自動応答のプログラムしか組み込まれていないLOTUSを演じることなどできようはずもない。


「網膜認証、声紋認証の二パターンの識別から管理者であることを確認しました。管理者権限を認証します」


 時雨たちの懸案など意に介さぬように、自動応答プログラムは電子音とともに目先の問題を全て払拭する。

 この事態にはネイも意表をつかれたようで、何度か瞬きしてからおそるおそる展開された電子ウィンドウに指を触れさせる。


「確かに認証されていますね……しかし何故、でしょうか」


 前回の作戦時、確かにレジスタンスはLOTUSへの部分的アクセスを可能にするデバイスを輸送車から奪取した。しかしそれはジオフロントの解析課にて厳重保存されているものであり、時雨たちのような一構成員に配布されるようなものではない。

 解析に当たっていたネイがアクセス権を移動させたのかと疑いの視線を向けるが、彼女の反応を見ればそれが違うことがわかる。何より問題なのは認証に用いられたパターンだ。


「声紋認証……つまり私たちの誰かの生体データに反応した、ということかしら。同じ人工知能であるネイの存在をもって認証したのかも」

「これまでに何度かLOTUSへのサイバーダクトを試み、その際にバックドアプログラムを互いのプログラムファイルの中に書き込み、相手の解析をし合ってきました。したらば、真那様の推察もあながち間違っていないかもしれませんね」

「わからないわね」


 唇に手の甲を当て考えあぐねる真那はどうやら気がついていないようが。ロータスは網膜認証と言ったのだ。ホログラムが投影しているに過ぎない具象体のネイに網膜などあるはずがない。

 そのことに当の本人も気がついているようだが、あえて真那の言葉を否定していない。彼女が何を考えているのか甚だ不可解であったが、今は熟慮している余裕などない状況だ。


「それより早く、ここからの脱出法を見つけるぞ」

「ひとまずコンソールにアクセスしてみます」


ㅤ時雨のビジュアライザー上にネイは無数のポップアップウィンドウを展開させる。ネオンホログラムで構成されたそれらには、時雨には理解のつかない膨大なプログラム言語が入力されていた。サイバーダクトの準備をしているのであろう。

ㅤ真那に管制塔の入口を見張るように視線で指示する。未だ生存しているU.I.F.が四体いるのだ。

ㅤたとえ堅牢なセキュリティーゲートでこの管制室が隔離されているにしても、人外の力を発揮できる彼らがこの場所に侵入できない根拠はない。隔絶された房室で弾幕をはられたら間違いなく時雨らは絶命するだろう。


「サイバーダクトの準備が完了しました」


ㅤそういった進退窮まった状況で、いち早くこの環境から脱したいという思考ばかりに急かされる。


「なら早くアクセスしよう」

「……しかし不安感がぬぐえませんね。このプログラムにはバックドアにも似た複雑なコードが仕込まれています」

「どういう意味だ?」

「いえ、多分気の所為でしょう」


ㅤそれ故にどうにも懸念げなネイの発言の真意を読み取りきることもしなかった。コンソールにアナライザーの銃口を向けるのに併せて、ネイが複雑なコマンドを音声で入力する。

ㅤアナライザーのフォルムに刻まれている幾何学的な紋様を這うように緑のネオンビームが駆け巡る。数秒置いた後、ネイがサイバーダクト発動のボイスコマンドを出力した。


「外部入力を検出中――入力情報をAdministratorアドミニストレーターと照合開始」


ㅤ鼓膜にねっとりと張り付き剥がれ落ちないような、そんな聞き覚えのある声。変声音にも似たこの声は忘れようもない。LOTUSの物だ。


「各入力項目から最適解を検出中――Administratorとの記録媒体以外の照合が完了」

「おいネイ、何が起きてる?」


ㅤこれまでのサイバーダクトとは何もかもが違う。普段は侵入先のセキュリティを解除するための無数のウィンドウが展開され、解析コードをアナライザー上から解析先に送信する作業をするだけだった。

ㅤだが今回は解析先のセキュリティを示すウィンドウはおろか、解析コードがコンソールに送信される様子もない。


「時雨様のトリアタマで理解できる言語で説明するとすれば……おそらくこれは絶体絶命の状態でしょうね」


ㅤこれまでにない程に切羽詰まった様子のネイの声音。その発言の意味を補足するようにLOTUSが最適解を導き出す。


「記録媒体の不一致から入力信号を再検出――リセットコア・N.E.Iとの照合率99.2パーセント」

「おい特定されて」

「非常対処プログラムを発動します」


ㅤ房室内が膨大な電磁波で震える。人肌でも感じることが出来るほどの電磁波だ。それと同時、身体の内側から震撼するような警鐘が管制室内に響き渡った。

ㅤネイの観測する電波網の統計ウィンドウを見れば、電磁波は電波妨害的な周波数で構成されている。警鐘は無数に展開されたコンソールやモニタたちに内蔵されている音声出力デバイスが、これでもかと言わんばかりに雄叫びを上げているが故。

ㅤだが何より時雨の度肝を抜いたのはそういった聴覚的、触覚的な変化ではなかった。読解不可な文字列とプログラム言語が急速的に展開されていた膨大なモニタ全てに、別のものが描画されていたのだ。

ㅤレトロテレビジョンにおけるいわゆる砂嵐にも似ているそれは、だが明らかにモニタがピクセルを用いて表現できる域を超えたなにかだ。銀色とも黒ともつかない表現しようのない彩色のノイズ。それが全ての液晶を埋めつくしている。

ㅤそして液晶に映る中央、遠近で表現できるのであればかなり遠い地点に奇妙なオブジェクトが見え隠れしている。高速で循環する金属の粒子のようなもので構成されているそれは、蓮の花にも見える何か。

ㅤそれが人智を超越した異物であることを時雨は直感的に察していた。


「非常対処プログラム発動の権限を参照​――Administratorによる受諾を確認。消去を開始します」

「ッ!?ㅤ時雨様!ㅤサイバーダクトの解除を!」


ㅤ不意に発せられたネイの叫声。焦りと恐怖まで感じるほどのその悲鳴に、反射的にアナライザーを振り払った。

ㅤサイバーダクトは潜入・解析先のデバイスに対しアナライザーから発せられる信号を照射することで行われる。それ故にその強制終了はアナライザーの照準をこのコンソールから逸らすだけで成功するはずだった。


「解除できていません!」


ㅤそれ故にこの危機的状況に際し、時雨は面食らい何も出来ずにいた。

ㅤ投影機上にて無数のホログラムポップアップとネイは格闘しているが、それらは爆速に増殖を続けるばかりだ。アナライザーによるサイバーダクトの効果が継続して行われているのである。


「おいネイ、一体何が……」

「LOTUSに掴まれています……!」


ㅤその言葉の意味は理解のしようがなかったが、ネイの真上に表示されているカウントダウンは着実にゼロに近づいてきている。ネイの奮闘も甲斐なく無慈悲にも数字は一桁台にまで突入する。

ㅤ働かない頭でもその意味は明瞭に理解できる。その数字はネイの余命だ。


「時雨ッ!ㅤビジュアライザーのオンライン接続を解除して!」


ㅤ真那の焦燥を孕んだ怒涛に意識を取り戻す。迅速に接続を解除するが、状況は依然変わらないままだ。

ㅤネイの視界を覆うように増していくHUDウィンドウ。それはあたかもこの世に壊滅的被害をもたらしたあの金属粒子たちのように、ネイの周囲に取り巻いていく。

ㅤアラート表示のウィンドウの隙間から、一瞬ネイを表すネオンホログラムが明滅するのが見えた。彼女の電子で構成された相貌に浮かんでいた感情は、その時の時雨には理解の及ばないもので。


「しぐれさ​――」


ㅤノイズまみれのその声が最期まで紡がれることは無い。彼女の存在とともにビジュアライザー上の全てのホログラムが消失する。

ㅤ最後の花びらが散りゆくように、ネオンホログラムが電子となって砕け散った。

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