第198話

「地下空間が存在しない……だと?」

「ロケーション探査班曰く、地質学的にあの廃工場に地下らしい空間は存在し得ないようだ」


 予想外の報告に棗は豆鉄砲でも食らったような心境に陥っていた。

 イーグル、ウォッチドッグと言った遊撃部隊そして時雨をリリーフするためのフェネック部隊を多数派遣したというのに。


「ソリッドグラフィでは観測し得ない空間も存在するはずだ」

「確かにそういったケースは初めてではないだろう。水底基地に関しても、ソリッドグラフィでは感知できなかったからな。しかし、あの廃工場の地下に関しては話が別だ。お前も知っているだろう。次期都市化計画の推進が途中で破断となった原因が」


 23区の地下に空間を設けることで人間の活動領域を二倍に拡張しようという計画である。棗たちが今HQを置いているジオフロントもその名残だ。

 しかしそれは殆ど地下が掘り進められることもなく破断となった。それは地下運搬経路や当時の地下電線などと行ったクモの巣状に巡る通路空間が無数に存在しているからである。

 それによって地盤が液状化し掛けていて、地下に大規模な空間を掘ることが出来ないと判断されたのだ。


「件の廃工場が位置しているのは庶民層区画、その中でも最も排他的な情勢の絡む渋谷区だ」


 排他的と表したのはそこが元々不良の集まる区画であったからだろう。今は法の下の鎮圧という形で粛清されてしまっているが。


「そういう環境もあって、私たちの拠点の築いている旧東京タワーとは別に真っ先に開拓を進められたのが、渋谷区だ」

「つまり都市化計画の推進の過程で着手されたのは、港区だけでなく件の工場の地下周辺もということか」

「正確には渋谷区工業地帯ではなく渋谷駅周辺に限った話だがな。ロケーション地下には一切手が加えられていない。都市化計画のプランニングを確認した故、間違いはないだろう」


 つまりは地盤が緩いと診断されているということ。それ故に掘削機関などが廃工場周辺地下に大規模な空間を設けた記録なども存在しないということか。

 しかしそれでは根源的な疑念が解消されない。それどころか謎は深まる一方となる。


「それなら……時雨はどこへ消えたの?」

「地下空間が存在しないことは理解した。しかしそれならば、工場地下に落下した烏川の所在が不明瞭になる。これは一体どういう了簡だ」


 どこか不安げな真那の疑問に棗は解答を持たずさらに疑問を重ねる。対し伊集院はコンソールを指で操作しつつ間を置かずに返事を返す。


「多少理解の行き違いが生じているようだな。確かに大規模な地下空間は存在しないが、それの原因の一端には、地下に張りめぐるライフライン系統が関係している」

「でも、ソリッドグラフィではライフライン系統が一切確認できないわ。地下運搬経路は勿論、地下電線も水道管も、それどころか水脈すら」

「さきほど君たち自身が言っていたではないか、ソリッドグラフィでは観測し得ない事象も存在すると、な」



 要領の得ない伊集院の発言にしびれを切らしたのか、その息子は苛立ったように言葉遊びもいい加減にしろ。と卓上を叩いて嗜める。


「確かにソリッドグラフィでは観測できない物もあるが、ラインが存在しないことはリミテッドを開発する際の23区開拓計画図案からも見て取れる。防衛省の作成した図案にも存在しない経路が存在するはずが……」

「それがもしリミテッド開発以降の計画によって新たに加えられたラインであると解釈すれば、どうだ棗」

「……どういうこと?」

「先程から度々話題に上がっている次期都市化計画に関してだ。地下掘削の円滑化を図るために、開拓班は、港区芝公園地下と渋谷駅の地下との間に物資運搬ルートを設けた。地下から地上を経由し、再び地下に運び込むのは非効率的だからだ」

「つまり渋谷から東京タワーの地下……いやこのジオフロントにつながる経路があるというのか?」


 いかにもと即答した父親に、そんな頓狂な話があって堪るかと棗は舌打ちで返す。そんな経路が存在しているのならばジオフロント開拓をレジスタンスが進めたときにその経路に気が付かないはずがない。

 当時アイドレーターの拠点となっていたこの地下を奪ったわけだが、侵入者を撃退する罠でも仕掛けられていないかという懸念があった。

 それ故に爆発物処理班と斥候が先んじてジオフロントの隅々までを調査し、危険がないことを確認したのだから。


「経路など存在するはずがない……あれからも幾度となく調査を行った」

「隅々までか?」

「そうだ、拠点とする以上危険があってはならないからな。全力で──」


 そこまで応じて、棗は自分の発言が誤っていたことに気がつく。ジオフロントのすべてを調査し開拓出来たわけではない。どうしてもセキュリティ上アクセスできない空間があった。


「キメラの格納庫か」

「あれは倉嶋禍殃による厳重過ぎる認証式三段階セキュリティによって、侵入者のアクセスを厳戒にまで拒んでいた。そのせいで私たちはあの格納庫の解錠に手間取り、実質数週間単位で放置していたわけだが……」

「……泉澄の認証で解除できてしまったわけね」


 十分なセキュリティ対策など整う間もなく、泉澄の生体データが厳重なセキュリティを突破してしまった。

 これによってキメラとの邂逅を果たしたわけだが、そのときは危険物などがないかを確認するだけに留まり、それ以来ほとんど着手すらしていなかったのである。

 棗は悪寒に押しつぶされそうな面持ちのまま無線機を手に取る。


「……風間、聞こえているか」

「はい、どうしましたか?」

「今アーセナルで試乗訓練をしていたな。要点のみ伝える。伊集院に周辺のスタッフで施設内遊撃班を編成させる、君はキメラに搭乗したまま、万が一の事態に備えろ」

「えっと……解りました、臨戦態勢で待機します」


 一連の会話を聞いていないであろう泉澄からすれば意味不明な指令であったことだろう。

 個人個人に詳細説明などしている余裕はない。もし本当に経路が存在するならば、そこから防衛省もしくは第三勢力が雪崩れ込む可能性だってあるのだ。


「話のとおりだ、伊集院、遊撃部隊を編成しろ」

「老骨の扱いが雑だな、棗よ」

「黙って従え、骨の髄までこき使うぞ」

「……全く、アニエスの遺伝子であれば、もっと素直で良い息子に育ったであろ」


 無線は切れた。能動的に伊集院が切ったのか、あるいは受動的(強制的)に切られたのかは定かではない。


「それにしても、どうして伊集院さんはいち早く状況の注釈を図ることが出来たのかしら」


 司令塔の防弾ガラス越しに下界で遊撃部隊が編成されていくのを見下ろしながら、真那は思案顔で眉根を寄せる。


「おそらくは、ジオフロント襲撃の際の倉嶋禍殃の脱走がきっかけだろう」

「脱走?」

「いくら防衛省の襲撃があったとは言え、監獄に監禁されていたはずの倉嶋禍殃が脱走できる環境にはなかったはずだ」


 何と言っても、離脱経路は妃夢路を始めとした襲撃犯が逃走を図った地下運搬経路への一本道しか無かったはずだからだ。

 妃夢路を真那と烏川が追跡した後、棗達は新たに逃走経路を塞いだ。禍殃が施設外に出ることはできなかったはず。

 当時は自分たちがジオフロントに戻る前に離脱したと解釈していたがと続けて、棗は自身の迂闊さを自責するように眉間をつまむ。

 そんな彼の様子をうかがいつつ自身もまた解釈を進めるうちに、真那も彼の言わんとしている結論に行き着いた。


「つまり、倉嶋禍殃は格納庫の内部にある隠し通路から離脱を図ったのね」

「おそらくはそうだ。しかし疑念が残るな……渋谷区からここまで経路が築かれていると言うことは、烏川の移動先はこのジオフロントということになる。だがジオフロントへの侵入形跡はない」

「今回の隔離計画のために、新たに経路を拡張したのではないかしら。ジオフロントへ誘導しては、侵入者を隔離した意味がなくなる。だから時雨を何処か別の地点へと誘導した……廃工場地下と同様に、電波暗室化した場所に。でも、何が目的なの?」


 時雨を隔離した理由はわかる。レジスタンスの戦力を幾ばくか無力化するためだろう。しかしそれならば別の場所に誘導などせずとも、その場で殺害すればいい話だ。

 ましてや電波暗室などを用いてレジスタンスとの電通を妨害し、更にはジオフロントと直接つながっている経路を用いている。あたかもレジスタンスが時雨救出作戦を試みるように仕組まれているように。

 こうして真那たちが悪戦苦闘すること、その上これから取ろうとしている行動すら、全てこの状況を作り出した人間の策略のうちなのではないか。そんな疑念が胸中から溢れては止まない。


「棗、どうやら私の推察は正しかったようだ」

「……見つかったのか? 隠し経路が」


 普段よりもいくばくか神妙な声音の伊集院に棗はすぐに応対する。


「ああ、件の格納庫跡から発見された。キメラの移動後に格納庫自体を破壊していたが故、発見に多少手間取ったようだが……しかし装甲車両が抜けでれるような間隙はない」

「経路を拡張することは出来ないのか」

「地盤増強のためにここら一帯が金属粉粒を多量に混ぜたコンクリートで構築されていなければ、それも可能だったろうが。そもそも入り口を拡張したところで、通路が延々と続いている以上車両はどちらにせよ通れんな」

「斥候は?」

「既に突撃兵を出動させている。0.8マイルほど進行した地点にいるはずだ」

「了解した、俺達も格納庫跡に向かう。伊集院は引き続き哨戒指示を継続しろ」


 棗は端的に指示を終えてコンソールに背を向ける。そうしてジオフロントのセキュリティを統括する巨大なシステムコンピュータにアクセスを始めた。


「何をしているの?」

「シール・リンクをクラウド上に転送する手順を踏んでいる。烏川の救援に行くならば、物理的な支援よりもシール・リンクの存在のほうが重要といえるだろうからな」


 暫時的な処置だが、妨害電波を潜り抜けて周波数誘導するための電波を発することで、ネイを時雨の端末に戻すことが可能になる。

 そのためのECM投射装置だと言って棗は何やら小さな端末のようなものを手に取り上げる。


「でも発信器の解析はどうするの?」

「後回しだ」

「ある程度は解析を進められています。八割がたは今だ厳重なロックの内側に格納されていますが、わずかに参照できるデータもあるはずです」

「とのことだ。今は烏川をリリーフするのが優先だ。東、リジェネレート・ドラッグの供給を行えるよう、備蓄をロケーションに誘導しろ」

「それが……ドラッグの備蓄はもうこれだけなんです。烏川さんが持ち合わせていたものと合わせても、余り数はありません」


 昴が神妙な面持ちで差し出してきた金属筒はわずか一本限りだ。もうこれしか残っていないというのか。

 幸正がレジスタンスに戻ってきたこともあってすでにリジェネレート・ドラッグの備蓄はかなり少ない。そもそも幸正が防衛省から仕入れていたものは凛音のインフェクト型であるわけだが。時雨が肉体回復用に用いるメディック型とは根本的に異なっている。

 妃夢路が脱退している以上、時雨用のドラッグは現状新たに供給することは不可能だ。時雨の常備数が三、四本であったことを鑑みても、彼の救出は甚だ難度が高いミッションだと言えるだろう。


「私は……」

「君には療養命令を出しているはずだ。怪我人を戦場に出動させる訳にはいかない」


 じっとしていられないと言わんばかりの切迫した様子の真那。コンソールに手をついて棗に非難の目を向ける。


「怪我は完治しているわ、それに」

「……と言いたいところだが、必要以上の束縛はスタッフの士気を下げかねない。出動に参加するか否かは自分で決めてくれ」


 必要以上なのは束縛よりも棗の寛容さなのではないかと、真那は不気味に思えるほどの棗の気遣いに一瞬拍子抜けする。司令塔たる彼の容認が出たとあれば、あとは時雨のいる場所へ向かえるか否かの時の運だけが気がかりだ。

 急いで戦闘衣に着替え格納庫跡に向かう。既に複数名の兵装をまとった兵隊が隊列を組んでいた。


「現場の状況は?」

「大凡一マイルほど進んだ地点に分岐点を発見したようだ。次期都市化計画の名残ではなく、その後に拡張されたと思われる経路だ」


 開拓された格納庫の周辺にて現場指揮を取っていた老骨から手早く状況確認をする。


「烏川の誘導された先に繋がっているのか?」

「それは分からんが、経路を進んだ先は確かに渋谷駅周辺にまで続いているようだった。そこから複数方向に分岐しているが故に確定はしておらぬようだが、おそらく件の廃工場にも繋がっていることだろう」

 

 つまりは一マイル先にある分岐点を別方向に向かえば、時雨の連行された地点につながっている可能性が高いということか。

 

「俺はここに待機し全体の指揮を執る。東、廃工場に陣取っているウォッチドッグ部隊を呼び戻してくれ」

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