第197話

 落下の衝撃で後頭部を殴打し意識が飛んでいた。それも数秒のことで、すぐに思考が回復し視界に朧げな光が差し込み始める。

 月明かりにも匹敵しないような極僅かな弱々しい蛍光灯の微光だが、周囲の状態を確認するには足りるだけの光源。

 落下によって殴打したのか痛む腰を抑えつつ立ち上がり、周囲に生体反応がないかを探る。動的反応はないが、それは決して安堵できる材料にはなり得ないだろう。

 黄ばんだ光が照らす壁面は赤錆だらけの硬質な鉄壁で、かなりの広さがある。個室かと思ったがどうやらそういうわけでもないようだ。扉のない通路が延々と続き脇道が鈴なりに並んでいる。

 何となく地下迷宮を思わせる内装で、本来重工業関係の工場地下にはあるとは思えない施設感だ。

 上方を仰ぐと明滅する蛍光灯以外にはとくに何もない。窓がなければ通気口などもなかった。工場施設内から地下への隠し経路に落下したはずだが移動させられたのか。

 しかし一体何のためにだ。あの工場に罠を仕掛けたのが防衛省であると仮定して、連中が時雨を殺害せずにここまで誘導した理由がわからない。


「無線は……繋がらないか」


 ジャミングかあるいは電波暗室か。ネイのいない状況では無線が繋がらない正確な原因は特定できない。とは言えリリーフ要請が出来ない状況下ではどちらにせよ特定は無意味。

 今すべきことは何か脅威となるものが現れる前にこの場所から脱出することくらいだ。

 これがジャミングによる無線妨害であればまだ希望は持てるが、電波暗室であった場合はおそらくソリッドグラフィの衛星電波も妨害してしまう。そうなればソリッドグラフィでこの場所の状態を認識することも難しいだろう。

 それにこの場所に時雨を隔離した防衛省の監視もあるはずだ。せっかく隔離した時雨を救援するのを黙ってみていてくれるとも思えない。彼らの救援は待ってもこないと考えたほうが賢いか。


「とはいえ武器もないとなるとな……」


 手元にはアサルトライフルがない。弾薬もだ。落下してきただけであるならそれがこの場にないわけはないから、やはり人為的にこの場に誘導されたようである。

 背負っていたライフルバッグだけは健在であったが、中に収納していた武器弾薬は当然のように失われていた。

 自身の置かれている状況を正確に認識できないことに幾ばくかの不安感を抱きつつも、壁伝いに冷たい通路を抜けていく。

 この場所が防衛省の組んだ策謀という名のフィールドであるならば、敵の手によって配置されたこの場所に留まるのは危険だ。

 幸いコンバットナイフは収奪されていないようであるから、最低限これで身を守ることは出来る。しかしナイフの存在を確認すると同時に、最も不可欠なものが失われていることに気がつく。

 戦闘衣の内収納にしまっていたはずのインジェクターがない。つまりリジェネレート・ドラッグがないのである。損傷しても回復させないためか。しかしそれならばここに誘導する過程で殺してしまえば確実だったはずだ。

 どうにもここに誘った人間の思考回路が読めない。憶測で語ることが出来ないわけではないが、その憶測はあまりにも突拍子もない推察につながる。

 

「俺を試しているのか……?」


 時雨の身体を別の場所に移動した時点で、連中は気絶した時雨に接触しているわけだ。その際に殺害しなかったことから、あの廃工場に罠を張った敵の目的はただ侵入者を殺害することでないことは明白である。

 潜入者をこのフィールドに勾留し何かをさせようとしている。

 見据える薄暗い通路には、やはり鈴なりに並んだ幾多もの分岐点が伺える。工場の地下に位置する施設にしてはどうにも目的不鮮明な空間だ。配管も通気口も通っていないことから、電通機関や運搬路でないことも明白。

 そんな推察を重ねているうちに開けた場所に出る。これまで通路が続いていたはずが蛍光灯ではない不気味な闇光が広大な空間を照らし出していた。


「何だ、ここは……」


 コンテナやら障害物やらがいくつも配置され、壁床は赤錆の侵食を受け鼻腔を刺すような鉄臭さを放っている。

 何のために作られたものかも判別できない巨大過ぎるコンテナのせいで奥まで見渡すことは出来ないが、茫漠ぼうばくに広がっていることは確実だ。

 発した声がこだまし反響してくることもない。ジオフロントのアーセナルほどの広さはありそうである。

 先程までの閉鎖的な通路とは打って変わって、この空間は天井が霞んで見えるほど高い位置に設計されている。

 目を凝らせば配管やら通気口やらがいくつも張り巡っている。あの狭い通気口から離脱することはかなわないだろう。そもそも天井まで距離がありすぎる。それほどまでに広大だ。

 状況の不理解さと自分の場違い感に圧倒されていると、背中側できしむような金属音が反響した。はっとして振り返るが遅く、入ってきたばかりの入り口が完全に閉ざされる。

 碗力でこじ開けることなど到底出来ないような堅牢かつ硬質な扉。どうやら現在進行形でこの状況を作り上げた人物に誘導されているらしい。

 広大とは言えおそらくここは密閉空間。退路が閉ざされた以上ここから離脱する手段は事実上なくなったと考えて間違いなさそうだ。

 しかしこれで確信が持てる。やはり何者かの作為によって、この場所で何かをさせられようとしている。

 限界にまで集中させていた五感、そのうち聴覚が最初に異変を感じ取る。

 カツンカツンと金属に金属がぶつかり合うような音が幾重にも重なって反響し徐々に距離を縮めてきていた。足音で間違いないだろう。数からして複数か。

 できるだけ物音を立てぬようにしてコンテナに身を潜め、インカムを小突く。


「ネイ、インター……ッ」


 常通り万能人工知能の技能を展開させようとしてすぐに思い出す。ネイはいないのだ。それを再実感し途端に恐怖心と焦燥感が芽生え始めてくる。彼女のチート級のバックアップがないことで、こんなにも状況が不利へと傾くのか。

 舌打ちし、新たな策を講じている余裕などもなくコンバットナイフを片手に床に側頭部を押し当てた。足音から敵が一直線にこちらに向かってきていることは明白である。

 数は三、四、五……いや六人か。何であれ武装しているであろう人間が複数いることに変わりはない。

 注意深くコンテナの先を伺いながら、少しずつ深呼吸をして脳の震えを押さえ込む。焦ってはだめだ。過呼吸になっても。酸素を全身に行き渡らせ混乱しないよう冷静を保つこと。それが生存につながる唯一の条件である。

 敵が武装し複数いても勝率がゼロというわけではない。相手が人間である以上、こちらにだって可能性はある。だがもし只の人間にすぎない相手であっても、それが強化アーマーを装備した『鉄のような無人軍隊』であれば。


「……クソ」


 こちらの勝算をあざ笑うようにコンテナの影から姿を表したのは、分厚い鉄板のような兵装をした班だった。

 U.I.F.のアーマーは中口径弾でも貫通できない防弾仕様だ。ましてや刃の欠けかけているコンバットナイフでは、表面に傷すら付けられそうにない。

 確実にダウンさせるためには、あのバイザーを無理やり外させ脳幹に突き立てるしか無いが、敵が複数いる以上非現実的。であれば装甲の薄い関節に突き立て戦闘継続不能状態に持っていくしか無いか。

 出来ればこのままこちらの存在に気が付かずに通り過ぎてもらいたいところだ。そんな希望的観測が幸を奏してか、U.I.F.たちは二人一組になって捜索を始めた。出来れば単独になってもらいたいところであったがそれは高望みというものだ。この好機を逃す手はない。

 潜伏地点から飛び出しU.I.F.の背中に突進をけしかける。衝突と同時予想していた以上の反動を受けるが、U.I.F.もまたバイザーから突っ伏した。その隙を逃さず着地と同時に足首の関節を駆使しもうひとりの兵士に接近する。

 人間の反射神経では実現し得ないほどの速度でアサルトライフルを構えた兵士であったが、わずかにこちらの速度が上回った。

 懐に潜り込み接触ざまにその手首を斬りつける。ライフルが手のひらから落ちるよりも早くスナップを駆使して首筋に掴みかかった。

 反撃の暇を与えず背中から硬質な地面に叩きつける。ガキンという金属のぶつかり合う炸裂音とともに、ゴキュリと背筋の寒くなる鈍音が浸透する。

 四肢を痙攣させてから動かなくなった兵士から離れ、立ち上がろうとしていたもう一人の背頸にナイフを突き立てた。装甲が分厚いせいか血飛沫などが吹き散らされることもなくバイザーが真っ赤に染まっていく。悲鳴は上がらなかった。

 極力命を奪うようなことをしたくはなかったが、この際四の五の言ってはいられない。

 この閉鎖空間に隔離されている以上、息の根を止めでもしなければ追われ続けるのだから。有害因子は排除しておかねばならないのだ。


「──クソッ」


 今の強襲を聞きつけてきたのであろう。分散していたツーマンセルの班が駆け寄ってくる音が響いてくる。弾かれたように立ち上がり、兵士の握っているサブマシンガンを手にその場から駆け出した。

 だが数歩足を進める間もなく顔面から床に横転する。鼻先から頬にまで熱い感触と鉄臭さが充満するのを感じながら、自分の足を捕らえた物を視認した。

 U.I.F.のアームアーマーが足首にかかっている。ダウンさせたと思っていた兵士が掴んでいるのだ。


「離せ……離せクソがッ」


 バイザーを靴底で力任せに蹴り飛ばすが、それでも足首を掴む手に掛かる力は緩まない。それどころか対抗するように握力が増していく。

 尋常ではない握力で足首を捕まれ、骨に直接負荷がかかっているような激痛が走る。思わず加減できずに繰り出した蹴撃はバイザーの顎にヒットした。

 バキッと先の奇襲の際よりも更に強烈な粉砕音が轟き、兵士のバイザーはあらぬ方向へとねじ曲がった。確実に死に至る逆関節。頸骨が粉砕していることは間違いない。それなのに、


「ッ──な、んだ!?」


 足首にかかる激痛は収まらず更に増大していく。振りほどこうとしてもアームは離れない。もがけばもがくだけ皮膚に食い込んでいく。

 死後硬直かと錯覚するもののこんなに即座に現れる症状ではないし、振りほどけ無いほどにまで固まってしまうはずもない。

 藻掻いているうちに足音はすぐ近くにまで接近してきていた。こんな状態で捕捉されては対処のしようがない。

 兵士の指の間に両の手をつき込み力任せにそれを押し開いた。人力とは思えない握力に圧感されつつも、何とかU.I.F.のアーマーから解放される。


「が──ッ……!」


 しかし間に合わない。離脱するよりも先に肉薄してきていた兵士に脇腹を蹴り飛ばされる。息がつまり、そのまま弧を描くほどに跳ね飛ばされ無様にフロアに背中から叩きつけられた。

 後頭部を殴打し脳震盪に似た軽度の思考クラッシュに見舞われる。それが解けるまで敵が待ってくれるような悠長なこともなく、視線は構えられたライフルの銃口に重なった。

 脊髄反射的に爪先で銃身を蹴り上げ弾着地点をそらした。頭頂部すれすれの位置を弾丸が抉りコンクリ片を撒き散らす。

 相方の足首を掴んで足元を崩させる。そうしてその背後に潜り込むと先と同様に首筋を掴んだ。しかし今度はその首筋にサブマシンガンの銃口を据え牽制威嚇に努める。


「止まれ、さもないとコイツの──」


 牽制は牽制になりえる前に効果を霧散させた。弾幕が頬を抉って通過する。掠る程度の損傷だったが、頬には多量の血飛沫が降りかかる。

 何が起きたのかわからず頬以外に弾丸を受けたのかと思った。だが発生しない痛覚がその可能性を除去する。

 その代わりにU.I.F.を掴んでいた腕にかかる重力が増大した。腕にもまた熱い感触が伝い赤黒く染まったバイザーが欠け落ちる。

 味方ごと撃ったのか。いやそうじゃない、こいつは敢えてU.I.F.を狙い撃ちした。的確に防御の脆弱な頸関節を狙ったことからそれは明白だ。

 盾代わりにしていた兵士を撃ち殺すことで本人による自立を不可能にさせ、盾として保たせることが出来ないようにしたのだ。

 時雨の肉体を露出させるため確実に殺害できるフィールドを作るために、仲間を躊躇なく殺害した。

 ゾッとした感覚に襲われるが狼狽している余裕などはない。新たなマガジンが装填され銃口が定められる。

 死体を兵士へと向けて蹴り飛ばす。勢い良く跳ね跳んだアーマーが目の前の兵士に接触しかけるが、間一髪で対象は回避した。そして間髪入れずにライフルを肩口に構える。

 生じた一瞬の隙を逃さない。敵の弾幕が空間を抉る前に時雨はサブマシンガンのトリガーを振り絞っていた。

 強靭なアーマーで関節部が極小さいと言えど、弾幕で強襲を仕掛ければ数発は着弾する。先に弾襲をけしかけた時雨が敗北を期す可能性は万に一つもない。


「な──か……ッ」


 トリガーは振り絞られなかった。数ミリ沈み込んだ所でロックでも掛けられたように指が止まる。

 代わりに肩口に数発の弾丸が沈み込んだ。弾丸が皮膚と筋肉を突き破る鋭痛がスローモーションで体感させられる。言葉にならない悲鳴が喉から迸り、被弾の衝撃でそのまま尻餅をついた。

 被弾してしまった。回復できないこの状況下で。最悪だ。

 立ち上がることも出来ぬままに胸部に鈍痛を受けてそのまま床に貼り付けにされる。U.I.F.に踏みしだかれていた。

 冷たく硬質なブーツのかかる重圧は驚異的なほどのもので、肩の痛みもあって抜け出すことすらままならない。抵抗する間もなく額に銃口が据えられる。


「何たる、ギルティ」


 覆いかぶさる形で今にも時雨の命の火を吹き散らそうとしていた兵士が、瞬きをするまでもなく視界から消え去る。

 それに変わって視界を埋めたのはどこか幾何学的なラインの紋様が入った白衣。それが翻り数メートルほども離れた位置に転移していたU.I.F.に急接近する。

 参入者はU.I.F.のアーマーに手のひらを重ねそのまま掌底を繰り出す。硬直していた空間が一瞬にして爆ぜたようにU.I.F.は更に突き飛ばされた。

 コンテナがひしゃげるほどの破壊力で兵士は背中から突っ込む。そうして一寸たりとも動かなくなった。

 一体、何が起きているのだ。U.I.F.ではない何者かが参入したことは解る。それが超人的な能力を有した超人であることもだ。U.I.F.をアーマーの上からの一撃で、それも素手で絶命させるなど人間のなせる技ではない。

 物理的な法則など完全に無視した衝撃波。そして人知を超えた破壊力。それを成した掌底。思い当たる可能性は一つしか無い。


倉嶋くらしま禍殃かおう──!」

「久々じゃあないか。君は私の領域に足を踏み込まずにはいられないのか烏川──否、ギルティよ」


 不敵に嘲笑い、白衣の男は片眼鏡を指先で持ち上げた。


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